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米国のオバマ政権発足でアフガニスタンはどう変わるか

アフガニスタン動向

新領域研究センター 鈴木 均
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この記事は2009年1月29日にデイリープラネット(CS放送)「プラネットVIEW」でオンエアされた『アメリカのアフガニスタン政策の行方』(鈴木均研究員出演)の内容です。




q 米国では明日いよいよ民主党のオバマ大統領のもとで新政権が発足し、大統領の就任演説が行われます。オバマ新政権が最初に取り組む課題は言うまでもなく昨年9月のリーマン・ブラザーズ破綻に始まった深刻な国内経済の立て直しですが、国際的にはブッシュ大統領時代に大きく傷ついた米国の威信を取り戻すべく中東政策、とりわけアフガニスタン問題の解決に大きな比重を掛けていくことが予想されています。1月に入ってからは新政権のバイデン副大統領がアフガニスタンを訪問しており、また他方12日に韓国を訪問した麻生首相は日韓共同によるアフガン復興支援を検討することでイ・ミョンハク大統領と合意しています。

鈴木さんは2001年9月の米国同時多発テロ事件以来ご専門のイラン研究に加えてアフガニスタンの情勢に関心を持ってこられた訳ですが、アフガニスタン情勢は今後どのように推移すると見ておられますか?

a 2001年の9.11同時多発テロ事件は当時ターリバーンが実効支配していたアフガニスタンにあったオサーマ・ビン・ラーディンの指導する、アルカーイダという国際テロリスト集団が実行犯であったと言われています。このためブッシュ大統領はオサーマ・ビン・ラーディンを主犯として「テロとの戦争」を標榜し、迅速にアフガニスタンからターリバーンを一掃したばかりでなく2003年からはイラクとの戦争に突き進んでいった訳です。

しかしアフガニスタンとイラクでは著しく条件が異なっていました。それは端的にいえば、アフガニスタンのターリバーン政権がパキスタン、サウジアラビア等の数カ国以外には国際的に承認されていない単なる実効支配権力であったのに対し、イラクのサッダーム・フセイン体制は国際的にも承認された国家統治権力であったということです。

それゆえ2003年の当時に米国が有志国連合を募ってイラクとの開戦に踏み切った理由は、あくまでも「化学兵器等による差し迫った国際テロの脅威」という緊急な事態であって、これが後にブッシュ大統領自身によってほとんど根拠のないものであったと覆されてしまう訳ですが、それでも米国にしてみればサッダーム・フセイン体制を転覆させて従来の統治機能のうえに新たにより親米的な政治体制を据え付けるという大手術には一応成功したと考えることができる訳です。そこでイラクに関してはあとは国際的な支援を得つつ自分で戦争の傷から回復しなさいという論理だと思います。

これに対してアフガニスタンの問題というのはそう単純でないというか、はるかに根が深い問題です。アフガニスタンの現状を理解するためには少なくとも1979年暮れの当時のソ連軍による侵攻にまでさかのぼる必要があります。この国はもう30年近く止むことのない戦争と内戦に明け暮れてきた訳です。そしてそのような国際関係の軋轢による戦乱と蹂躙の起源をたどれば、それは19世紀を通じてのグレート・ゲームと呼ばれた英露帝国主義列強の身勝手な陣取り合戦にまで行き着くのです。

afgan


中島さんは、このアフガニスタンと周辺国の地図をご覧になって、この東側に尻尾のように飛び出したワハン回廊と呼ばれる地域がなぜアフガニスタンの領土になっているか、お判りになりますか?

q さあ、ちょっと判りませんが、アフガニスタンというのはこの先端で中国とも国境を接しているんですね。

a そうです。実はそのことがとても重要でして、当時の大英帝国はその最も重要な植民地であったインドをロシアの南下政策の脅威から守るために、わざわざこのような地域をアフガニスタンにくっつけて防波堤としたのです。当時のアフガニスタンのアブドゥルラフマーン国王は異教徒が住みカーフィリスターンと呼ばれていたこの地域を併合することなど望んでいなかったのですが、イギリスの要求に屈してこの地を平定します。そしてここからイラン国境まで2,400キロにわたる現在の対パキスタン国境、これが1893年にイギリスのデュアランド卿によって引かれたデュアランド・ラインと呼ばれる実質的国境で、現在に至るまでアフガニスタン問題の根底にはこの国境の問題があるのです。

q アフガニスタン問題にとって国境というのはそんなに大事なものなんですか?

a そうですね。この場合非常に重要なのは、このデュアランド・ラインがアフガニスタンの主要民族を構成するパシュトゥーン民族の居住地をほぼ中央で分断しているということなんです。パシュトゥーン民族は18世紀以来アフガニスタンの支配民族であり、国内的に相対的な多数派集団を構成しています。ところが彼らとほぼ拮抗する規模の人口が、パキスタン側ではマイノリティーとして生活しているのです。そのため第二次大戦後の1950年代以来パシュトゥーン人の統合を求めるパシュトゥーニスターン運動がアフガニスタンの民族主義と分かちがたく結び付き、1970年代に至るまで折にふれてパキスタンとの利害の衝突を引き起こしてきたのです。

q そのパシュトゥーニスターン運動は現在どうなっているのでしょうか?

a アフガニスタン国内があのような戦争状態ですからパシュトゥーニスターン運動自体はほとんど表面化していません。しかし2002年の北部同盟を主体とした暫定政権の成立以降発足したカルザイ政権において、カルザイ自身はパシュトゥーンの名家の出身ですが、パシュトゥーン民族は実質的に政治の中枢から遠ざけられてきました。これに対し2006年ころから顕著になっているアフガニスタン南部の「ネオ・ターリバーンの復活」現象は、従来アフガニスタンの支配民族であったパシュトゥーン民族の政治参加への希求がいささか歪んだ形で表出してきたという側面も含んでいるのです。

q アメリカのオバマ新大統領は選挙運動のなかで現在イラクにある兵力をアフガニスタンにシフトしてアフガニスタン問題の早期解決を図ると公約していますが、一方で最近ではサウジアラビアが仲介してカルザイ政権とターリバーン勢力との妥協の道を探る動きも出てきています。

a 米軍およびNATOを中核とする国際軍は現在もターリバーン勢力と戦闘を繰り返していますが、南部地域においてはこの数年ターリバーンの実効支配地域が次第に拡大しているのが実情で、カルザイ大統領は実際にはむしろターリバーン側に政権維持への協力を要請する弱い立場です。しかしこうした政治的妥協がターリバーン側の政治参加にまで進んだ場合、日本を含む国際社会はアフガニスタンの復興支援の目的それ自体について改めて検討する必要も出てくるのではないでしょうか。

q それはどのような意味でしょうか。

a 2001年末の段階で日本や国際社会がアフガニスタンの復興に対する支援を約束したのは、1979年末以来のソ連軍の侵攻とそれに続く内戦状態、そのなかから台頭したターリバーン勢力の実効支配に終止符を打ち、同国が近代的な国民国家として発展していくための土台を準備することがその目的でした。しかし2001年以前においてターリバーン実効政権のもとで彼らが志向していたのはこのような方向性とは全く逆の、憲法体制すら否定する極端な復古主義の政治でした。2004年の発足以来まだ根付いて間もない新憲法体制にターリバーンが参加することによってアフガニスタンの政治的な民主化が進展するとは到底考えられず、むしろ事態は混迷化することが避けられないでしょう。

q しかしアメリカがやがてアフガニスタンに大幅な兵力増強を行うとすれば、日本に対する自衛隊の派遣への要請も強まってくるのではないでしょうか。

a 日本としてはここで立ち止まってこの地域に対する日本の関わり方について再考する良い機会なのではないでしょうか。もしアメリカの中東政策に追従することのみが日本の国益だとするならば、自衛隊の派遣は確かに日本のいわゆる国際貢献を喧伝する効果はあると思います。しかしアメリカのオバマ新政権が本当に日本の自衛隊派遣を望んでいるかどうかについては慎重な検討が必要であり、また数十人から数百人程度の自衛隊員を派遣してもアフガニスタンの状況の好転に資するとは到底考えられません。他方で日本の国益が真にこの地域に恒久的な平和と安定をもたらすことにあるとするならば、アフガニスタンに自衛隊を派遣することはたとえ人的被害が最小限に抑えられたとしても決して良い結果をもたらすことはないと思います。

そもそもアメリカにしてもイギリスにしても、アフガニスタンに数万単位の軍隊を送っている国々はそれなりの歴史的な経緯と自国の明確な権益意識があってそうしているのです。イギリスなどはこれまでアフガニスタンの歴史に最も深く関わっており、同国の現状と将来について他のいかなる国よりも道義的な責任があるはずです。

日本は明治以来、アフガニスタンを帝国主義列強に虐げられたアジアの国として意識していました。その後日本とアフガニスタンは1934年に修好条約を結び、以来一貫して友好関係を築いてきました。これは両国関係にとって大きな資産であり、第二次大戦後の日本と中国・朝鮮半島との関係を考えればこの地域の安定に貢献していくためにもなまじのことで損なってはならない宝だと思います。

アメリカのオバマ新政権が発足してアフガニスタン情勢が今後どのような方向に行くか、未だ不確定要素も多く予断を許さない面は多々ありますが、日本としてはアフガニスタン国民の主体性を尊重しつつ、どのような方向でならば同国の復興と地域的な安定に貢献していけるのかを再検討するべき時期を迎えているのではないでしょうか。
2009年1月