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接戦が予想されるペルー大統領選挙決選投票

ペルー情勢レポート

地域研究センター 清水 達也
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2011年4月10日、ペルーで大統領と国会議員等を選出する選挙が行われた。任期満了に伴い退任するアラン・ガルシア大統領の後継を決める大統領選では、11人が立候補し、そのなかのいずれの候補者も有効得票数の過半数を得ることができなかったことから、上位2名による決選投票が6月5日に実施されることになった。

決選投票に進むことが決まったのは、左派で元軍人のオジャンタ・ウマラ氏と、中道右派でアルベルト・フジモリ元大統領の長女ケイコ・フジモリ氏である。第1回目の投票前に行われた、この両者が決選投票に進んだと仮定した場合の世論調査では、ほぼ互角との結果が出ており、最後まで接戦が予想されている。

このレポートでは、第1回目の投票にいたるまでのペルー大統領選挙について、主要候補者の横顔と選挙の争点などを振り返り、決選投票の行方について考えたい。

5人に絞られた主要候補
2011年7月28日から5年にわたって国を治める大統領を決める選挙は、実質的には5人の主要候補によって争われた(表1 主要候補の横顔)。

表1 主要候補の横顔
候補者名 主な経歴
オジャンタ・ウマラ / 47歳(左派) 元陸軍中佐。2000年にフジモリ政権に対して蜂起。ペルー民族主義党創設者・党首。2006年は左派のペルー統一運動から出馬、120議席中45議席を獲得するがその後に分裂。反新自由主義の立場を鮮明にし、鉱山企業への 課税強化やガス価格の引き下げなど、富の再分配を重視。
ケイコ・フジモリ / 35歳(中道右派) アルベルト・フジモリ元大統領の長女でその在任中にファーストレディを務める。父親の政治勢力を受け継ぐ。2006年に最多票を得て国会議員に当選。
ペドロ・パブロ・クチンスキー / 72歳 (中道右派)   国際金融機関、民間企業での経験が豊富。1980年代にエネルギー・鉱山相、トレド政権下で経済財政相、首相を務める。中道右派の国民連合から出馬。市場経済を重視し、新自由主義的な現在の経済モデルの維持を主張。
アレハンドロ・トレド / 65歳 (中道)   元大統領(2001~2006年)。可能なペルー党創設者・党首。2000年の反フジモリ抗議活動で注目を集める。民主主義の尊重を重視。決選投票ではウマラ氏支持を示唆。
ルイス・カスタニェダ / 65歳 (中道右派)   前リマ市長(2003~2010年)。フジモリ時代に社会保険庁の長官として改革に成功して知名度を高めた。国民連帯党創設者・党首。市長時代の公共事業実施の実績を前面に掲げる。
(出所)筆者作成。

ウマラ氏は元陸軍中佐で、2000年にフジモリ大統領の権威主義的な政権運営と軍幹部の汚職に反対して蜂起し、その後恩赦を受けた。2005年にペルー民族主義党を創設し、党首に就任。前回2006年の大統領選挙では左派政党のペルー統一運動から出馬した。天然資源の国有化を主張したりチャベス・ベネズエラ大統領の支持を得るなど、民族主義的な左派候補者として低所得者層を中心に人気を集めた。第1回目の投票で最多票を得るが、決選投票ではアラン・ガルシア氏に敗れた。このとき、ペルー統一運動は120議席中45議席を獲得するもののまもなく分裂した。今回の主要候補のなかでは唯一左派として位置づけられており、1990年 代のフジモリ政権期以降採用されている新自由主義的な経済モデルの継続に批判的な姿勢を明確にしている。一次産品価格の高騰で利益を増やしている鉱山企業への課税強化や、国内で産出される天然ガスの国内価格引き下げなどを主張している。

ケイコ氏はアルベルト・フジモリ元大統領(1990~2000年)の長女。父親の大統領在任中にファーストレディ役を務めた。米国への留学から帰国した後、父親が創設した中道右派の政治勢力を受け継ぎ政治家としてデビュー、2006年に出馬した国会議員選挙では全国で最多票を得て当選した。父親をペルー史上最も優れた大統領と称賛し、彼が1990年に導入した新自由主義的な経済モデルを維持しながら、貧困削減と麻薬問題の撲滅を進めると主張している。今回はフジモリ派の諸勢力をまとめた政党連合から出馬した。

ペドロ・パブロ・クチンスキー氏は国際金融機関に勤務後、1980年代初頭のベラウンデ政権でエネルギー・鉱山相を務めた。その後、米国で民間金融機関の要職に就いたり、ラテンアメリカ企業へ投資するファンドの立ち上げなどに関わり、その間に米国国籍も取得している。2000年代にはトレド政権下で経済財政相、次いで首相を務めた。今回の選挙では中道右派の国民連合を基盤とした政党連合から出馬し、市場経済重視の経済モデルの継続とそれによる経済成長を主張している。

アレハンドロ・トレド氏は中道政党の可能なペルー党創設者・党首。2001~2006年に大統領を務め、再選を狙って出馬した。在任中は、フジモリ時代の市場経済重視の経済モデルを維持し、その後の経済成長の基礎を固めた。貧困削減など社会開発にも力を入れたが、当時の厳しい財政状況のために十分な成果を上げることができなかった。今回はウマラ氏やケイコ氏を権威主義的であると批判し、自らが民主主義の守護者である点を強調した。

ルイス・カスタニェダ氏はフジモリ時代に社会保険庁長官として改革に成功し知名度を高めた。中道右派の国民連帯党の創設者・党首で、2003~2010年のリマ市長時代には大型の公共事業プロジェクトを成功させ高い支持率を得ており、今回の選挙戦でもその実績をアピールした。

ちなみに現在の与党であるアプラ党は当初、ガルシア政権で貿易観光相や経済財政相を務めたメルセデス・アラオス氏を大統領候補者に立てた。しかし党内の有力者との対立により同氏が立候補を辞退したため、候補者を擁立することができなかった。

経済モデルの維持が前提に
前回2006年の大統領選挙では経済成長と富の分配のうち、どちらを優先するかが大きな争点となった。新自由主義的経済モデルの維持による経済成長の継続を主張した中道右派、国民連合のルルデス・フロレス候補と、チャベス・ベネズエラ大統領の支持を受け、天然資源の国有化を主張した左派のウマラ候補が対立した。結局、経済モデルの維持を約束しつつも、社会的な公正を主張したアプラ党のガルシア氏が、中道左派として両氏の間に位置することで大統領に当選した(詳しくは清水達也(2006)「社会正義の実現を目指して—ペルー第2期ガルシア政権—」『ラテンアメリカ・レポート』Vol. 23, No. 2参照)。

今回の選挙における各候補者の相対的な傾向を説明したのが、図1の主要候補者の傾向である。まず指向する経済モデルとして、新自由主義に基づく市場経済の重視を右に、政府介入の強化による富の分配の重視を左に置いた横軸を設定した。次に政治的な傾向として、報道の自由や政治の透明性を重視する民主主義的な指向を上に、強い指導力を重視する権威主義的な指向を下に置いた縦軸を設定した。この軸で各候補者を位置づけると図のようになる。ただ、この位置づけは必ずしも本人の主張に基づくものだけではなく、他の候補者やマスコミなどがそれぞれの特徴を際だたせるために指摘している点も考慮している。 まずウマラ氏は今回の主要候補者のなかでは唯一、現在の新自由主義的な経済モデルを批判し、政府介入による富の再分配をより重視している。また、政府に抗議するために軍役時代に蜂起という手段を用いたことから、権威主義的とみられている。残りの4人の候補者はいずれも市場経済を重視し、現在の経済モデルの継続を主張している。そのなかでケイコ氏は、1992年に軍部の力を借りて議会を閉鎖して憲法を一時停止した(「自主クーデター」と呼ばれている)フジモリ元大統領の実績を全面的に肯定していることから、権威主義的な傾向を受け継いでいるとみられている。残りの3人の候補については 民主主義的とみられており、この図では3人の間の違いをみることは難しいが、トレド氏が他の2人よりも民主主義の尊重を強く主張している。
図1 主要候補者の傾向
図1 主要候補者の傾向
(注)新聞報道などに基づき、各候補の相対的な位置を示した。必ずしも各候補の主張に基づくものではない。
(出所)筆者作成。

このように各候補を位置づけたものの、2006年の大統領選と比べると、今回は対立軸がみえにくくなっている。その第1の要因が、新自由主義に基づく市場経済を重視した経済モデルによる好調な経済成長である。ペルーでは1990年に始まったフジモリ政権がこの経済モデルを採用した。その後、反フジモリを主張して政権に就いたトレド大統領も、その後を継いだアラン・ガルシア大統領も、この経済モデルを維持した。2000年代に入ってから国際市場における一次産品価格の上昇が追い風となったことも手伝い、貿易収支の黒字は増加し、財政収支も黒字に転換した。国内外の民間企業による投資が拡大し、ペルー経済は順調な成長を続けている。国内総生産の成長率は2002~2008年には4.0~9.8%を記録し、世界金融危機で2009年は0.9%に落ち込んだものの、2010年には8.8%にまで回復した(ペルー中央銀行)。この間、全国の貧困人口の割合は2004年の48.6%から2009年には34.8%まで低下するなど(ペルー国家統計局)、貧困削減でも一定の成果を上げている。

このような状況を前に、前回は天然資源の国有化まで主張したウマラ氏は、政策綱領にこそ新自由主義に基づく経済モデルへの反対を明記していたものの、選挙戦が進むにつれてその主張を穏健化させている。国有化の主張は口にしなくなり、第1回目の投票の1週間前に行われた討論会でも、「現在の経済成長を強化しつつ、その成果から皆がよりよい機会を得られるようにする」とトーンダウンした。

対立軸がみえにくくなっている第2の要因は、図1のとおり、主要3候補の傾向が市場経済の重視と民主主義の尊重で共通していることによる。例えばトレド氏にとって、ウマラ氏やケイコ氏が相手であれば2人の権威主義的な点を批判できる。しかし、自らの政権で首相まで務めたクチンスキー氏やリマ市長として実績を残したカスタニェダ氏に対しては、その手法は通用しない。同じ傾向を持つこの3人が協力して候補者を一本化すれば、ウマラ氏やケイコ氏を上回る票を集めることができたと考えられた。投票の数日前になってトレド氏が3人での協力を呼びかけたものの、自らが立候補をあきらめるわけではなかったことから、この協力は実現しなかった。

ウマラ氏が最多得票
このように対立軸がわかりにくくなることで、主義主張よりも選挙期間中の候補者の一挙一動が候補者の人気を大きく左右した(図2主要候補者の支持率の変化)。投票日1カ月前の世論調査では17%の支持しか得られず5人中4位だったウマラ氏は、カトリック教会や財界の有力者など国内の保守的な勢力との会合を重ねた。また、2006年の大統領選ではチャベス・ベネズエラ大統領やモラレス・ボリビア大統領の支持などラテンアメリカ域内の左派政権との連携を強調していたが、今回はこれらの支持について公言することはなかった。このように前回と比べて穏健化することで選挙戦の終盤でより多くの支持を集め、最終的には30%を越える票を獲得した。支持率の変動が最も少なかったケイコ氏は、政治家として討論会やインタビューなどをそつなくこなし、既存のフジモリ派への支持を固めることで決選投票への進出を果たした。
図2 主要候補者の支持率の変化
図2 主要候補者の支持率の変化
(出所)APOYO社の全国世論調査の結果。4月10日は得票率。

残りの3人は、それぞれの候補者の間で票が割れたことで決選投票に進むことができなかった。クチンスキー氏は、これまでの経済成長の恩恵を最も被っているリマの中間層を中心に選挙戦の終盤で支持を増やしたものの、ケイコ氏には届かなかった。トレド氏は選挙戦の序盤こそ高い支持率を得ていたものの、外国のメディアを相手に中絶や麻薬の合法化を容認する発言をしたことで他候補に攻撃の余地を与えた。また、与党アプラ党がカスタニェダ氏を支持したことも影響し、投票日前1カ月間に支持率が約半分にまで落ち込んだ。カスタニェダ氏はリマ市長時代の公共事業の実績を強調するばかりで他候補との違いを打ち出せず、かつ後任の新市長がカスタニェダ時代の公共事業に関わる不正行為の疑いを指摘したことで、支持率が低下した。

リマ中間層が大統領を決める
4月10日に行われた投票では、ウマラ氏が31.7%の票を獲得、ケイコ氏が23.6%でこれに続き決選投票への進出を決めた(表2主要政党の得票率と獲得議席)。同時に行われた国会議員選挙では全体の議席が前回から10議席増え130議席となった。ウマラ氏が出馬した左派の選挙連合は前回と同じ45議席を獲得した。ケイコ氏のフジモリ派は前回の13議席から34議席に増え、議席総数が増えたことを勘案しても大躍進となった。なお、与党アプラ党は前回の36議席から4議席に大幅に議席を減らした。

表2 主要政党の得票率と獲得議席
政党/政党連合 大統領候補者 得票率 議席数
(総数130)
Gana Perú オジャンタ・ウマラ 31.7% 45
Fuerza 2011 ケイコ・フジモリ 23.6% 34
Alianza por el Gran Cambio ペドロ・パブロ・クチンスキー 18.5% 14
Perú Posible  (可能なペルー党) アレハンドロ・トレド 15.6% 20
Solidaridad Nacional  (国民連帯党) ルイス・カスタニェダ 9.8% 12
APRA  (アプラ党) (候補者なし)   4
(注)得票率は有効投票数に対する得票数の割合。130議席のうち、1議席は未確定。
(出所)選挙管理委員会(ONPE)、La Republica紙(2011年4月19日現在)。

第1回目の投票結果を地域別にみると、低所得者層が多いアンデス地域やアマゾン地域など全国25州のうち16州でウマラ氏が最も多くの票を得た。特に南部では各州で過半数を大きく上回る票を得ている。それに対してケイコ氏は北部海岸地域を中心とする6州で最多票を得た。有権者全体の約3分の1が投票するリマ首都圏では、中高所得者層が多い中心部でクチンスキー氏が他の候補者を引き離して得票し、低所得者層が多い周辺部はウマラ氏とケイコ氏が票を分け合った。このことから6月5日の決選投票では、決選投票に進めなかった主要3候補に投票した有権者、特にリマ首都圏の中間層の票が大統領を決めることになる。

第1回目の投票結果がほぼ確定した後、ウマラ氏とケイコ氏はそれぞれ3人の主要な元候補との協力関係の構築に動いた。そのなかで一番早く動いたのがトレド氏である。同氏は、選挙キャンペーン中は権威主義的と批判していたにも かかわらず、反フジモリで一致するウマラ氏の支持を決めた。可能なペルー党としは決選投票でどちらの候補者も支持しないと公式には表明しているが、トレド政権で活躍したテクノクラートや知識人もウマラ氏の支持者リストに名を連ねている。これに対してクチンスキー氏とカスタニェダ氏は、どちらかというとケイコ氏との距離が近いことを示しながらも、明確な支持は表明していない。

経済モデルの維持を第一に掲げたクチンスキー氏に投票した有権者が、穏健化しているもののこれまで経済モデルの転換を主張してきたウマラ氏に投票するとは考えにくい。そのことから考えるとケイコ氏が有利と考えられるが、政権の汚職や人権侵害、そしていったんは日本で参議院選挙にまで出馬したフジモリ氏に対する反感も残っている。父親の政権時代の非を認めてこれを改善すると主張すればケイコ氏有利に傾く可能性があるが、そうでなければ最後まで接戦が続くと予想される。
(2011年4月20日記)