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第20回 公共的議論はなぜ難しいのか(3)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2013年11月
「集団強姦事件の犯人を絞首刑にせよ」という落書き(2013年10月、デリーで著者撮影)。重大な社会問題が公共的議論の対象にならないのは、確かに憂慮すべき事態であるが、公共的議論が行われさえすればよいという訳ではない。例えば、2012年12月に起きた集団強姦事件をめぐっては、メディアの報道やデリーを中心とするインド各地でのデモ活動などで、犯人に厳罰が下されるかどうか(つまり、死刑になるかどうか)に大きな焦点が集まる一方、インドにおける深刻な女性差別といった根本的な問題には比較的関心が払われなかった。しかし、この事件の犯人を処刑したり、性犯罪者に厳罰を課すような法律を設けたところで、問題が解決される訳ではない。
「集団強姦事件の犯人を絞首刑にせよ」という落書き(2013年10月、デリーで著者撮影)。重大な社会問題が公共的議論の対象にならないのは、確かに憂慮すべき事態であるが、公共的議論が行われさえすればよいという訳ではない。例えば、2012年12月に起きた集団強姦事件をめぐっては、メディアの報道やデリーを中心とするインド各地でのデモ活動などで、犯人に厳罰が下されるかどうか(つまり、死刑になるかどうか)に大きな焦点が集まる一方、インドにおける深刻な女性差別といった根本的な問題には比較的関心が払われなかった。しかし、この事件の犯人を処刑したり、性犯罪者に厳罰を課すような法律を設けたところで、問題が解決される訳ではない。

●公共的議論とメディアの役割
社会全体を巻き込むような幅広い議論を通して、社会が直面する様々な問題について理性的に解決の道を模索していくというのが、「公共的議論」のあるべき姿である(写真を参照)。そのため、社会を構成する一般の人々に対して正確な情報を提供したり、さらには何らかの世論を形成したりするといったような役割を担うメディアは、公共的議論には欠かすことのできない重要な存在であるといえる。

別な言い方をすれば、メディアがこのような役割をどの程度果たしているかによって、公共的議論の在り方がまったく違ったものになる可能性が大きいということになる。インドのメディアの報道が「比較的恵まれた人たち」(前回の引用部分を参照)の目線で行われているために、深刻な社会問題について公共的議論が十分に行われているとはいえないという事実は、まさにこのことをよく物語っている。


●メディアをめぐる二つのバイアス
「インドのメディアの報道姿勢には、どのような偏りがあると思いますか」という質問を現地のジャーナリストに投げかけると、必ずといっていいほど返ってくるのが「都市バイアス」と「カースト・階級バイアス」という言葉である(さらに、これらに「ジェンダー・バイアス」が加わることもある)。

ここでいう「都市バイアス」とは、メディアが取り上げるニュースが農村部よりも都市部に関する内容に大きく偏っていることを意味する。実際、英語とヒンディー語の主要紙(それぞれ3紙ずつ)に掲載されている記事の内容を分析したある研究によると、農村部に関連するニュースが紙面全体に占める割合はわずか2%程度にすぎない(参考文献1)。全人口の約7割が依然として農村部に暮らしている(参考文献2)ことに加えて、農業部門の成長率の停滞など、農村部が多くの問題を抱えていることを考えれば、インドの主要紙の報道内容はあまりにもバランスを欠いているということが明らかだろう。

一方、「カースト・階級バイアス」とは、社会的・経済的に有利な立場にある上位カーストや豊かな経済階層に属する人たち(この二つは必ずしも一致しないが、重なり合う部分が多い)の視点が報道内容に色濃く反映されていることを意味する。この種のバイアスの存在を示唆する傍証として、報道内容を決める立場にあるジャーナリストの社会的背景が上位カーストに極端に偏っているという点を指摘することができる。例えば、デリーにある新聞社とテレビ局で重要な役職に就いている300人余りのジャーナリストのうち、上位カーストの男性が占める割合が7割以上にのぼる一方、指定カーストや指定部族に属するジャーナリストは一人もいないことが、デリーの研究機関が行った調査から明らかになっている(参考文献3)。

もちろん、カーストや経済階層といった属性によってものの見方や考え方がすべて規定される訳ではないため、ジャーナリストの社会的背景の偏りがそのまま報道内容の偏りに直結するかどうかは慎重に検討されなければならない(ある人の思考や行動をその人が持つ特定のアイデンティティ—この場合は、カーストや経済階層—のみから判断することの危険性については、連載の第9回ですでに述べたとおりである)。ただし、インド社会の特徴ともいうべき「多様性」がメディアの世界に著しく欠けていることだけは確かである。

●二つのインド
このようなバイアスが問題なのは、メディアが偏った内容のニュースを報道するということもさることながら、社会問題として認知されるべき事柄をメディアが取り上げない結果、それが社会全体で幅広く共有されることがなくなってしまいかねないからである。「インドという国がサハラ以南アフリカの大海にカリフォルニアの島々が浮かんでいるかのような様相をますます呈するようになっているのに、この点に関してメディアはほとんど押し黙っている」(参考文献4、ixページ)というドレーズとセンの指摘は、まさにこの点を突いている。

そして、インドのメディアは、「サハラ以南アフリカの大海」と「カリフォルニアの島々」の距離を縮めるどころか、より一層押し広げる役割を果しているといわざるをえない。「世界最大の民主主義」を支えてきた柱石は、いま大きく揺らいでいる。




『秩序としての混沌—インド研究ノート』は今回で終了いたします。お付き合いいただき、どうもありがとうございました。

本連載を執筆するにあたって、次の二つの点を大きな目標としてきました。第一に、これまでの研究の蓄積を踏まえつつ、正確でバランスの取れた記述を心がけるということです。第二に、予備知識を持っていなくても、眉間にしわを寄せることなく、楽しみながら読めるような内容に仕上げるということです。つまり、この連載では、「学術系エンターテイメント」とでもいうべきスタイルを目指してきた訳です。このような狙いが達成されているかどうかについては、読者のみなさんの判断に委ねたいと思います。

なお、今回の連載では触れられなかったいくつかの重要なトピック(インドの経済発展の軌跡、「世界最大の民主主義」の問題点など)については、また別の形でご報告できればと考えています。

(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)
《参考文献》
  1. Mudgal, Vipul 2011. “Rural Coverage in the Hindi and English Dailies,” Economic and Political Weekly, 46 (35), pp.92-97.
  2. Registrar General and Census Commissioner 2011. Census 2011: Rural Urban Distribution of Population. (http://censusindia.gov.in/2011-prov-results/paper2/data_files/india/Rural_Urban_2011.pdf)
  3. “Upper Castes Dominate National Media, Says Survey in Delhi” The Hindu, June 5, 2006. (http://www.hindu.com/2006/06/05/stories/2006060504981400.htm)
  4. Drèze, Jean and Amartya Sen 2013. An Uncertain Glory: India and Its Contradictions, Allen Lane.
本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。