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第19回 公共的議論はなぜ難しいのか(2)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2013年10月
●不可解な記事
前回は、インドの高齢化問題に焦点をあてた朝日新聞の特集記事を取り上げ、政府による各種の補助金政策や農村部での雇用事業に、「ばらまき施策」とか「人気取り政策」というレッテルをあまりにも安易に貼り付けていることをその問題点として指摘した。具体的には、(1)個々の政策の中身やその効果を十分検討しないまま、すべてを無駄遣いであるかのように決め付けている、(2)経済合理性が乏しいにもかかわらず、特定の税金に対して減免などの特例措置が採られているため、税収が大きく損なわれている可能性があることに一切触れていない、という二つの点について議論した。
実は、この特集記事に私が大きな違和感を覚えたのは、前の段落で述べたような疑問が頭に浮かんだこともさることながら、記事の内容が朝日新聞にはあまり似つかわしくないと感じたからである。朝日新聞といえば、社会的弱者が置かれている厳しい現実に目を向け、そういった人たちを公的に支援するような政策の実現を強く後押しする論調をとる新聞であるという見方がごく一般的である(少なくとも、その他の主要な全国紙と比べれば、このような傾向があることは確かだろう)。ところが、インドで行われている貧困対策について、「財政を圧迫している」という一言で片付けてしまっているこの記事の書き振りは、(好き嫌いは別として)多くの人が朝日新聞に対して抱いているイメージからはあまりにも大きくかけ離れているように見えるのである。この点は、例えば、現在大きな議論の的になっている日本の生活保護の在り方について、「財政を圧迫している」という一言で切って捨てるような記事を朝日新聞が紙面に載せるとは到底考えられないことからも明らかだろう。

さらに、新聞記事というのは、書かれてから実際に掲載されるまでに何人かの担当者(例えば、取材・編集を総括する「デスク」と呼ばれる人など)から厳しいチェックを受けるのが普通であり、件の特集記事もそういった社内プロセスを通ってきたはずである。その点を考えると、この「朝日新聞らしくない記事」がより一層不可解に見えてくるのである。


●現地メディアからの影響か
とはいっても、実際に読んでみればわかるように、この特集記事は決していい加減に書かれたもののようには見えない。それどころか、インド各地での現地取材や関係者への聞き取りを踏まえた上で書かれていることは明らかである。また、学術論文ではないので、どのような資料に依拠しているのかは明記されていないものの、現地の新聞・雑誌や各種の報告書などから得た情報を手掛かりにしながら、取材や執筆が行われたであろうことは想像に難くない。

それにもかかわらず、なぜ冒頭で指摘したような問題が起こってしまったのだろうか。あくまでも推測にすぎないが、おそらく取材や執筆を進めていく過程で、現地メディアの報道内容から強い影響を受けたというのが一番の原因なのではないかと考えられる。つまり、インドの新聞・雑誌などの内容を参考にしすぎるあまり、知らず知らずのうちに現地メディアが持つある種の偏った見方に感化された結果、この特集記事の内容にもそれがくっきりと反映されてしまったのではないか、というのが私の見立てである。
では、インドのメディアに見られるある種の偏向とは、具体的にどういうことを意味しているのだろうか。次に、この点について考えてみることにしよう。


●公共的議論とメディアの役割
「世界最大の民主主義」を支えなければならないはずのインドのメディアが大きな問題に直面しているという点については、すでにこの連載でも論じた。具体的には、「押し売りニュース」(paid news)や政府による広告などを通して、メディアと政治の間に持ちつ持たれつの関係があることを見てきた(本連載の第3~5回および参考文献1の第7章を参照)。

しかし、それにも増して重大な問題をインドのメディアは抱えている。それは、メディアの報道が一部の恵まれた人たちの目線で行われているため、大多数の恵まれない人たちへの関心が公共的議論の中で薄れてしまっているということである。この点に関連して、経済学者のジャン・ドレーズとアマルティア・センは、最近刊行された著書の中で次のように述べている(なお、この本の概要については、参考文献23を参照)。

活力あふれるメディアと強固な民主主義制度に支えられながら、このようなおびただしい疑問と議論が交わされていることは、インドという国にとって大きな強みかもしれない。しかし、公共的議論が比較的恵まれている人たち——つまり、一部の特権階級はもちろんのこと、社会の頂点に立っているわけではないが、富、教育、健康、芸術文化に触れる機会、社会的地位といった点で大部分のインド人よりもずっと恵まれた立場にいる人たち——の暮らしや関心事に大きく偏りがちであることから、このような強みが損なわれてしまっている。そのため、まったく置き去りにされている恵まれない人たちに関しては、その暮らし向きどころか生死にさえかかわるような問題であっても、ほとんど顧みられることがないのである。(参考文献4、viiページ)

そして、この点を例証するために、ドレーズとセンはいくつかの具体例を挙げている。まず、昨年の12月にデリーで起こった集団強姦事件を取り上げ、あれほど大きな抗議活動へと発展していったのは、インドの中間層にとって容易につながりを実感できる医学生が被害者だったからであると論じている。そして、それとは対照的に、経済的にも社会的にも虐げられてきたダリト(不可触民)の女性は、同じような性暴力の被害に繰り返し遭ってきたにもかかわらず、有力メディアに取り上げられることもなければ、人々が表立って抗議の声を上げることもなかったと指摘するのである。

さらに、同じく昨年の7月30日と31日にインドの約半分を突然襲った大停電については、被害を受けた地域に暮らす6億人のうち、約2億にものぼる貧しい人たちははじめから電気が来ていないような場所に住んでいた(つまり、大停電が起きようが起きまいが、そもそも電力の供給を受けていなかった)という事実がまったく論じられていないと述べている。

どちらも、一瞬ドキリとさせられる非常に鋭い指摘ではないだろうか。そして、ドレーズとセンは、インドの公共的議論に見られる大きな偏りの責任の一端はメディアの報道姿勢にあるとかなり手厳しく批判している。実は、貧困対策をすべて無駄遣いであるかのように伝えることの多いインドのメディア(特に、経済紙にそのような傾向が強いように感じられる)の在り方というのも、その根は同じ所にあるといえるのである。


《参考文献》
  1. Thakurta, Paranjoy Guha 2012. Media Ethics: Truth, Fairness, and Objectivity, Second Edition, Oxford University Press.
  2. “Beyond Bootstraps,” Economist, July 29, 2013.
    (http://www.economist.com/news/books-and-arts/21580124-why-worlds-biggest-democracy-still-fails-too-many-its-people-beyond-bootstraps)
  3. “Two Indias,” New York Times, September 6, 2013.
    (http://www.nytimes.com/2013/09/08/books/review/an-uncertain-glory-by-jean-dreze-and-amartya-sen.html?_r=2&)
  4. Drèze, Jean and Amartya Sen 2013. An Uncertain Glory: India and Its Contradictions, London: Allen Lane.

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。