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第18回 公共的議論はなぜ難しいのか(1)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2013年9月
インドの高齢化問題
「新興国」というイメージが強いこともあり、インドに高齢化の影がひたひと忍び寄っているという事実は、あまり知られていないのではないだろうか。実際には、インドの人口全体に占める高齢者の割合は着実に上昇を続けており、政府機関によるある推計では、(インドの統計で高齢者と定義される)60歳以上の人口比率は2021年には10%を超えると予想されている(図1)。

この数字だけを見ると、65歳以上が全人口の約4分の1を占めている日本の現状とは、比べるべくもないように思えるかもしれない。しかし、インドで進行しつつある高齢化は、依然として根強く残る貧困とも関連しながら、社会全体に差し迫った課題を突きつけている。その背景にあるのが、年金や健康保険などの社会保障制度がインドでは十分に整備されていないという問題なのである。

例えば、社会保障制度の不備によってもたらされる一つの帰結として、かなりの年齢に達してからも、収入を得るために働き続ける人が多いという点が挙げられる。2011年に7つの州で行われたサンプル調査によると、1年間に6カ月以上働いている60歳以上の高齢者の割合は、男性だけに限ると約3分の1にまで達している。また、年代別では、60代で25%、70代で12%、80代以上で6%という結果が示されている(参考文献1、32~35ページ)。さらに、インドの平均寿命(男性は64歳、女性は67歳)が低いことを考えれば、これらのデータから高齢者の置かれている状況の厳しさが、よりはっきりと浮かび上がってくるのである。


図1 インドの60歳以上の人口比率と平均寿命
図1 インドの60歳以上の人口比率と平均寿命
(出所)60歳以上の人口比率はCentral Statistics Office 2011. Situation Analysis of the Elderly in India(http://mospi.nic.in/mospi_new/upload/elderly_in_india.pdf)、平均寿命は世界銀行のデータベース(http://data.worldbank.org/)を基にして、筆者作成。
(注)60歳以上の人口比率の破線部分は、推定値に基づいている。

貧困対策はすべて「ばらまき」なのか
2013年8月19日付の朝日新聞に「アジア成長の限界」と題する特集企画が掲載され、インドが直面する高齢化の問題が取り上げられた(参考文献2)。この記事のなかで、高齢者層への公的支援の貧弱さを示すいくつかのエピソードに続いて、高齢化に対応するための施策が行われない理由が、次のように説明されている。

一億人を超えようという高齢者向けの施策を充実しようとすれば、財政負担が増えるのは避けられない。しかし、インドの財政状況は厳しい。(中略)財政を圧迫しているのは貧困対策。その代表例が、食料と燃料、肥料の補助金だ。10年度の実績では、3つの補助金を合わせ、歳出全体の19%にあたる1兆5396億ルピー(約2兆4300億円)が使われた。貧しい人々からみれば、穀物や灯油などを安く手に入れることができる恩恵だ。同時に、政治家にとっては、支持獲得に欠かせない「ばらまき施策」になっている。国民会議派を中心とする現政権は、来年とみられる総選挙をにらんで、食料補助金を拡充する「食糧安全保障法案」を準備している。(中略)政府の雇用政策は、農村部での現金収入を生み出す公共事業などが中心。「世界最大の民主主義国家」の政治家たちは、「貧困対策」を大義名分に、目先の人気取り政策をやめない。一方で、60歳以上の「高齢者」はこれから15年ほどで2億人に迫る。負担は確実に忍び寄ってくる。


つまり、貧困対策という名目で行われる選挙目当ての「ばらまき」によって財政が著しく圧迫されてしまうため、必要性が高いはずの高齢者向けの政策に十分な予算が振り向けられていないというのである。確かに、冒頭でも触れたように、多くの高齢者が厳しい生活を強いられているのは事実であり、今後ますます高齢化が進んでいくことを考えれば、高齢者層への公的支援により多くの支出をあてる必要があるという点に疑問の余地はないだろう。

さらに、政府によって打ち出される様々な貧困対策に、次の選挙へ向けて票を掘り起こそうとする明確な意図が込められていることも否定できない事実である。例えば、上記の引用でも指摘されているように、インド国民会議派を中心とする統一進歩連合政権が主導した「国家食糧安全保障法案」には、目前に迫る総選挙をにらんでの人気取りという側面があることは明らかである(なお、この新聞記事が掲載されてから2週間後に、同法案は両院を通過している)。また、引用の後半部分で名指しされている「マハートマー・ガンディー全国農村雇用保証法」という農村部を対象にした雇用政策が実施されることになった経緯についても、政治的思惑が重要な役割を果たしたとする見方が強い。

しかし、たとえこれらの点を考慮に入れたとしても、上で引用した記事にはきわめて大きな違和感が残る。なぜなら、各種の補助金政策や農村部での雇用事業に、「ばらまき施策」とか「人気取り政策」というレッテルをあまりにも安易に貼り付けているからである。


レッテル貼りの問題点
では、この記事の内容には、具体的にどのような問題があるのだろうか。主に、次の二つの点を指摘することができる。

第一に、個々の政策の具体的な中身やその効果(特に、どのような階層に便益をもたらしているかという点)を検討しないまま、すべてを無駄遣いであるかのように決めつけている。例えば、制度が十分に機能していないとか、深刻な汚職が見られるというような様々な問題を抱えながらも、食糧配給制度と農村雇用保証事業は、貧困層の生活向上にある程度の効果を挙げていることが、様々な研究によって明らかにされている(参考文献34)。しかし、その一方で、肥料に対する補助金のように、肥料の製造会社や肥料をより多く消費する大規模農家に大きな恩恵をもたらすような政策については、貧困対策としての役割はかなり限定的であると考えられる。このように、様々な補助金を十把一絡げにして非難することには、大きな疑問符が付くのである。

第二に、経済合理性が乏しいにもかかわらず、特定の税金について減免などの特例措置が採られているため、税収が大きく損なわれている可能性があることに一切触れていない。インド財務省の資料によると、様々な税金の減免措置によって失われている税収の合計額は、2011年度で5兆3000億ルピー(1ルピーは約1.6円)以上にも達すると推定されている(参考文献5)。もちろん、このような「隠れた補助金」がすべて経済合理性に欠けるというわけではないが、インドの現状を考えれば、貧困対策よりも確実に優先されるべきであると言い切ることは難しいだろう(参考文献3、90ページ)。いずれにしろ、「隠れた補助金」に言及することなく、貧困対策だけを槍玉に挙げるような議論の仕方は、到底妥当なものとはいえないのである。

なお、本題からは逸れるが、取り上げた記事についてもう一つだけ言わせてもらうと、体言止めの多用は「たいへん軽佻浮薄な印象を与える」(参考文献6、218ページ)ので、ほどほどにした方がよいのではないだろうか。


参考文献
  1. United Nations Population Fund 2012. Reports on the Status of Elderly in Selected States of India, 2011.(http://india.unfpa.org/?publications=5828
  2. 「アジア成長の限界——人口増加国のわな・上」『朝日新聞』2013年8月19日。
  3. Drèze, Jean and Amartya Sen 2013. An Uncertain Glory: India and Its Contradictions, London: Allen Lane.
  4. Khera, Reetika (ed.) 2011. The Battle for Employment Guarantee, New Delhi: Oxford University Press.
  5. Government of India 2013. Revenue Foregone under the Central Tax System: Financial Years 2011-12 and 2012-13.(http://indiabudget.nic.in/ub2013-14/statrevfor/annex12.pdf
  6. 本多勝一[1982]『日本語の作文技術』朝日文庫。


(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)



本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。