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第17回 映画から見えるインド(4)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2013年8月
●消えゆく単館映画館
これまで主流であった単館映画館が最新式の設備を備えたシネマ・コンプレックス(以下、シネコン)に取って代わられるという現象が、インドで大きな広がりを見せている。例えば、首都デリーの中心街にあたるコンノート・プレースの光景は、まさにその一つの典型といえるだろう。

最近になって、繁華街としてのコンノート・プレースの地位が相対的に低下していることは否定できない。その背景には、郊外に続々と出現している大型ショッピング・モールをはじめとして、近代的な商業施設が急速に整備されてきているという事情がある。また、コンノート・プレースそのものの問題として、大規模な改修工事が無秩序な形で延々と続けられたため、あまりの使い勝手の悪さから客足が遠のくようになったという点もあげられる。この工事は、2010年10月にデリーで開催された英連邦競技大会にあわせてコンノート・プレースを全面的に改修する目的で始められたのだが、完成予定日が何度も先延ばしされたあげく、現在でも至る所で作業が続けられている。その混乱ぶりは、ある有力紙が改修工事の杜撰さを糾弾する特集企画を組んだほどである(参考文献1)。

とはいうものの、コンノート・プレースが長年にわたってデリーの中心街としての地位を占めてきたことは確かである。それを物語るように、コンノート・プレースには、1947年の独立以前から続く単館映画館がつい最近まで4軒も残っていた。ところが、2000年代の中頃に入ると、これらの映画館がシネコンを運営する大手企業の傘下に次々と入って行き、歴史を感じさせる映画館の装いも新しいものへと変わっていった(参考文献23)。その結果、現在では、昔の姿を保ちながら独自路線を歩んでいる映画館は、1930年代から続く1軒のみとなっている(なお、建て替えられた3軒の映画館のうちの2軒はスクリーンが一つしかないので、厳密にはシネコンではない)。

さらに、こうした流れはデリーのような大都市だけでなく、地方の比較的大きな都市でも急速に進行しつつある(参考文献4)。
ビハール州ベグサライでの調査の途中で見つけた昔ながらの映画館。キラキラ光るテープで建物が華やかに飾り立てている。館内では、背もたれのない粗末な長椅子がいくつも並べられ、そこに腰掛ける男たちが映画に見入っている。前方のスクリーンに目を向けると、日本のテレビでよくみかけるサスペンス・ドラマを思わせるような安いつくりの映画が上演されていた(2012年10月、筆者撮影)。

●もはや国民的娯楽ではない
単館映画館が次々と姿を消す一方、シネコンが着実に勢力を伸ばしていることで、映画のチケットの値段が大幅に押し上げられていると前回の後半部分で指摘した。具体的には、インド全土でシネコンを運営するある有力チェーンの場合、200~300ルピー(1ルピーは約1.6円)という入場料が当たり前の様に見られるということを述べた。

では、インドで暮らす普通の人たちにとって、200~300ルピーという値段はどれくらい高いのだろうか。もちろん、何をもって「普通」とするかは、インドのような格差の大きい社会ではとりわけ難しい問題なのはいうまでもない。ただし、大まかな目安を示すことで、映画館に行って映画を観るというこれまで一般的だった娯楽が、多くの人たち(特に、経済的に豊かではない人たち)にとって縁遠いものになっているという点を確認することはできる。

例えば、2年ほど前にデリーで行われたサンプル調査によると、典型的なインフォーマル・セクターの仕事であるリキシャ引きは、一日あたり260ルピー程度の稼ぎを得ている(参考文献5)。また、デリー日本人会が同じ時期に実施したアンケート調査では、雇いの運転手の給料として、一カ月あたり6500~11000ルピーという金額があげられている(参考文献6)。したがって、週休一日とした場合、雇いの運転手は一日あたり240~400ルピー程度の収入を得ていることになる。

このような低所得者層が人口に占める割合は依然として高いため、シネコンの入場料が一日分の稼ぎに相当する金額であるという人はかなりの数にのぼると考えられる。さらに、家族全員で一緒に映画を観に行くとなれば、ハードルがよりいっそう高くなることはいうまでもない。

●映画の可能性
これまでに何度か触れた『デリーを一日で』という映画を私が観たのは、ショッピング・モールのなかに入っているシネコンでのことであった(インドのショッピング・モールには必ずといっていいほどシネコンが併設されている)。この映画館は普通のシネコンのさらに上を行く高級路線を採っており、平日は800ルピー、週末は1000ルピーという破格の料金を設定していた。

これほどの金額を払ってまで、この映画館に行ったのにはいくつかの理由がある。まず、『デリーを一日で』を上映する映画館がデリー市内に数軒しかなく、この映画のことを知った時には、他の映画館での上映が終わっていたからである。そして、もう一つの理由は、日本並みの料金を取る映画館がどんなものであるのかをこの目で確かめてみたいという好奇心に駆られたからである。

実際に映画館の中に足を踏み入れてみると、「さすがに高い金を取るだけのことはある」と納得できるような豪華な空間が広がっていた。そして、大きな革張りのソファにゆったりと座り、従業員が運んできたドリンクを飲みながら、地味なつくりの独立系映画にはもったいないほどの大画面と高音質で映画を堪能した。この贅沢な雰囲気を何かに例えるならば、高級ホテルとかファースト・クラスとでもいうのが適当だろう。もっとも、高級ホテルと呼ばれるような所に泊まったこともなければ、ファースト・クラスどころかビジネス・クラスにさえ乗ったこともないが……。

館内の座席数は30ほどと少なく、約半分くらいの席が埋まっていた。高額なチケット代を払えるくらいだから、その場にいるのはかなり経済的に余裕のある人たちに違いない。実は、映画を観ている間、インドの富裕層と思しき観客がこの映画にどういう感想を抱くのだろうかと気になってしかたがなかった。というのも、すでに述べたように、『デリーを一日で』という映画は、「持てる者」と「持たざる者」の間に横たわる深い亀裂を、前者に批判的な視点から描いているからである。
おそらく、映画館に行って映画を観ることが、すべての人たちを楽しませるという意味での国民的娯楽ではなくなり、経済的に豊かな一部の人たちのためだけの娯楽になっていくのは避けられないだろう。しかし、それは映画の役割が低下していくことを必ずしも意味していない。なぜなら、インドの輝かしい面にばかり目を向けがちな恵まれた立場にいる人たちの関心を、貧困、格差、差別などの深刻な社会問題に引き付ける力が映画には秘められているからである。『デリーを一日で』という派手さのない作品に、映画の可能性というものを強く感じた。

《参考文献》
  1. “Save Connaught Place: HT Campaigns for Delhi’s Heart,” Hindustan Times, September 6, 2012.
  2. “The Famous Four,” Hindustan Times, September 14, 2011.
  3. “The Show is off,” Hindu, October 9, 2006.
  4. “Ray of Hope: Single-Screen Theatres Find Value as Malls, Apartments,” Economic Times, April 21, 2012.
  5. Kurosaki, Takashi, Asit Banerji, S. N. Mishra and A. K. Mangal 2012. “Unorganized Enterprise and Rural-Urban Migration in India: The Case of the Rickshaw Sector in Delhi,” PRIMCED Discussion Paper No. 28.
  6. デリー日本人会ホームページ (http://www.delhinihonjinkai.in/funingo_06.htm)
(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)