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第12回 「近代化」の中のジェンダー(3)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2013年3月
●女性差別とそれ以外の要因
インドや中国をはじめとする一部の途上国では、人口全体に占める女性の割合が極端に少なく、性比に顕著な偏りがみられる(第11回表1を参照)。この事実は、「喪われた女性たち」(missing women)という言葉とともに広く知られており、女性に対する深刻な差別がこれらの国々の社会に根強く残っていることを示す証拠のひとつとしてよく取り上げられる。

しかし、人口全体の性比が大きく歪んでいるからといって、そのすべてが女性に対する差別によって生み出されているという訳ではない。例えば、大多数の人たちが十分な医療サービスを受けられない状況にある多くの途上国では、妊産婦が妊娠中や出産前後に死亡する可能性はきわめて高く、これが女性の死亡率を押し上げるとともに人口の男女比にも少なからず影響を与えている。さらに、一般的に途上国の女性は妊娠・出産する機会がより多いため、このような傾向に一層拍車がかかるのである。図1は、インドの妊産婦死亡率(maternal mortality ratio)と出生率(total fertility rate)の推移を示したものである。これらの指標の値は過去20年間で急速に低下しているものの、依然として高い水準にあることがわかる(ちなみに、2010年の日本の妊産婦死亡率は5、出生率は1.4である)。
図1 インドの妊産婦死亡率と出生率
図1 インドの妊産婦死亡率と出生率
(出所) 妊産婦死亡率については参考文献1、出生率については世界銀行のデータ(http://data.worldbank.org/)を基に筆者作成。
(注) 妊産婦死亡率(maternal mortality ratio)とは、出産10万件あたりの妊産婦死亡数(妊娠中および出産後42日以内の死亡)のことである。より詳細については、参考文献1を参照。

また、性比の問題を考える際には、人口移動が果たす役割についても十分注意を払わなければならない。例えば、インドの場合、貧しい農村部からより豊かな都市部や工業地帯への労働移動(特に、働き盛りの男性が自分以外の家族を残していく出稼ぎ)が広くみられるため、それが国内の各地域や各州の性比に影響を及ぼしていると考えられる。

このように、性比の偏りの背後には女性に対する差別とそれ以外の要因が潜んでいるものの、それぞれがどの程度の役割を果たしているのかを正確に求めるのは容易なことではない。実際、女性差別によって生み出されている「喪われた女性たち」の人数を試算した研究では、具体的な数字に大きな隔たりがある(参考文献2、105~106ページ)。

しかし、その一方で、インドでみられる性比の歪みの根底には、女性に対する深刻な差別があるという点に疑いを差し挟む余地はない。なぜなら、0~6歳の子どもの性比が異常に低い水準にあるうえに、過去50年間にわたってその値が下がり続けているという事実が、このことを強く裏付けているからである(子どもの性比については、前回[第11回]の図3を参照)。

このように考えられるのには、いくつかの理由がある。まず、妊娠・出産に伴う女性特有のリスクや労働移動などの要因は、ある一定の年齢以上の人口の性比にのみ影響を与え、子どもの性比とは関係がない。したがって、子どもの性比にみられる極端な歪みは、インド社会において女性が激しい差別にさらされていることをより強く示唆するのである。

さらに、女性差別とは異なるその他の要因によって子どもの性比の偏りを説明しようとする研究がいくつかあるものの、いずれも十分説得力のあるものとはいえない。例えば、「B型肝炎に感染している母親から生まれる子どもは、男児である確率がより高い」という仮説を検証することで、B型肝炎の罹患率と子どもの男女比の因果関係を実証的に示した研究がある(参考文献3)。しかし、より詳細なデータを用いたその後の研究によって、B型肝炎の罹患率の高さが子どもの性比の偏りの原因であるとする議論は完全に否定されている(参考文献4)。また、性比が低い水準にあるのは、センサスにおいて女性が数え落とされているためであるという議論がこれまでにもたびたび提起されてきた。しかし、女児だけをこれほどの規模で数え落としたり、さらにはセンサスのたびごとに女児の数え落としが増えたりするとは考えにくい(その他にも、参考文献56のような議論がある)。
バス停の背後に掲げられている、女児の中絶を止めるよう呼びかける州政府の広告(2013年2月、デリー市内で筆者撮影)。

男児に比べて女児の数が圧倒的に少ないのは、女性に対する差別が社会に深く根ざしているためであるという点については多くの研究者の間で見解が一致している。より具体的には、(十分な栄養が与えられないとか、病気になっても積極的に治療が施されないという意味での)ネグレクトや嬰児殺しによる女児の死亡率の上昇、超音波診断などの性選択的技術を用いた中絶による女児の出生率の低下という2つの要因によって、子どもの性比が歪められていると繰り返し指摘されている。特に、性選択的技術へのアクセスが容易になってきたことが、子どもの性比が低下し続けている最大の理由なのではないかとの見方が強い(写真を参照)。

このような背景から、インドにおける性比をめぐる問題は、人口全体の男女比から子どもの男女比——つまり、「喪われた女性たち」から「喪われた少女たち」——へとその焦点を大きく転換してきているのである(参考文献7)。

《参考文献》
  1. World Health Organization (2012) Trends in Maternal Mortality: 1990 to 2010.
    (http://www.unfpa.org/webdav/site/global/shared/documents/publications/2012/Trends_in_maternal_mortality_A4-1.pdf)
  2. Sen, Amartya (1999) Development as Freedom, New York: Anchor Books.
  3. Oster, Emily (2005) “Hepatitis B and the Case of the Missing Women,” Journal of Political Economy, 113 (6), pp. 1163-216.
  4. Lin, Ming-Jen and Ming-Ching Luoh (2008) “Can Hepatitis B Mothers Account for the Number of Missing Women? Evidence from Three Million Newborns in Taiwan,” American Economic Review, 98 (5), pp. 2259-73.
  5. Perwez, Shahid, Roger Jeffery and Patricia Jeffery (2012) “Declining Child Sex Ratio and Sex-Selection in India: A Demographic Epiphany?” Economic and Political Weekly, August, 18.
  6. Drèze, Jean (2012) “Child Sex Ratio and Sex Selection: Old Fallacies in New Bottles,” Economic and Political Weekly, September 22.
  7. 村山真弓(2009)「インドにおける性比問題:文献レビュー」(平島成望・小田尚也編「包括的成長へのアプローチ:インドの挑戦」調査研究報告書、アジア経済研究所)。(http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2008_0106_ch7.pdf)

(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)