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第9回 アイデンティティを考える(4)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2012年12月
●アイデンティティの多様性と流動性
これまでの議論から明らかなように、アイデンティティの在り方やそれが社会に及ぼす影響というものを全体的に把握するのは決して容易なことではない。これは、インドにおいて、カーストや宗教といったアイデンティティが「多様性」と「流動性」という二つの特徴を有しているためであると考えられる。前者については、カーストや宗教ごとの人口分布が地域によって大きく異なるという点に加えて、アイデンティティの持つ意味(例えば、アイデンティティの政治的な役割や重要性)がインド国内でも一様ではないという点を挙げることができる。また、後者については、カーストや宗教への帰属意識やそれに沿った社会的亀裂が遠い昔から今のような形で存在していたのではなく、植民地支配や独立後の民主的な政治体制の導入などを通して目まぐるしく変遷してきたという点をすでに指摘した(本連載の第7回第8回を参照)。
このような意味において、アイデンティティをめぐる問題というのは、すぐれて「インド的」であるといえるだろう。なぜなら、この連載の冒頭でも述べたように、インドという厄介な対象を分析する上で、多様性と流動性という二つの特徴を抑えることは必要不可欠だからである。つまり、アイデンティティをめぐる問題は、それ自体がインドを理解するための重要な鍵となるだけでなく、インドという存在のとらえどころのなさを示す格好の具体例を与えてくれるのである。

●「アイデンティティ決定論」の危うさ
しかし、その一方で、カースト宗教などのアイデンティティが果たす役割を強調しすぎることのないよう十分注意しなければならない。というのも、特定のアイデンティティにばかり目を奪われると、それによって人間や社会の在り方がすべて規定されるという「アイデンティティ決定論」のような見方に行き着いてしまいかねないからである。

残念なことに、このような短絡的な議論は極めて広範に見られるだけでなく、非常に強い影響力を持っている。『アイデンティティと暴力』(参考文献1)の中でアマルティア・センが明らかにしているように、特定のアイデンティティの役割を過度に重視する見方は様々な形を取って人々の考え方や行動に深刻な影響を及ぼしているのである。

それが最も極端な形で現れるのが、宗教や民族などのアイデンティティを共有する集団の間での暴力的な衝突や政治的な対立である。このような事態が世界各地で頻繁に起こっている背後には、他の集団に打撃を加えようとする悪意や何らかの利益を得ようとする政治的な計算が働いている場合が多い。実際、ヒンドゥーとムスリムの間のコミュナル暴動について、一部の政治家や政党関係者が宗教間の対立を煽り立てた上に、積極的に残虐行為に関与したとの指摘があることはすでに述べたとおりである(本連載の第6回を参照)。

また、一見洗練されているように見える学術的な議論にも、特定のアイデンティティの役割を過度に重視する考え方が見え隠れする。その具体例として、センはサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』を取り上げ、世界を「文明」—「西欧文明」、「イスラム文明」、「中華文明」など—というひどく単純化された図式に還元しようとする姿勢に大きな疑問を呈している。この点に加えて、世界で三番目に多くのムスリム人口を抱える国であるインドが「ヒンドゥー文明」と分類されていることについても、センは痛烈な批判を浴びせている(インドにも進出している有名企業の経営者が『文明の衝突』を手放しで褒めているインタビュー記事を読んだことがあるが、現地法人で働くムスリム従業員がこれを知ったらどう思うだろうか)。

さらに、異なるアイデンティティを持つ集団の共生を促すというまったくの善意による試みについても、センはその問題点を鋭く指摘している。その一例として、ムスリムやヒンドゥーなどの子女向けの「宗教学校」(faith school)の設立に代表されるイギリスの「多文化主義」的な政策を挙げ、実際には宗教というアイデンティティの違いを必要以上に際立たせ、アイデンティティによる分断をむしろ強めていると主張する。

そして、これらの点を指摘した上で、理性に基づいてアイデンティティを選択することの重要性をセンは強調する。つまり、一人の人間は常に一つのアイデンティティに閉じ込められた存在などではなく複数のアイデンティティを持っており、状況に応じてその中から最もふさわしいアイデンティティを自ら選ばなくてはならないというのである(センが「アイデンティティの選択」を強調する背景については、参考文献1および参考文献2の260~266ページを参照)。

例えば、たまたまムスリムの家庭に生まれ育った作家が、イスラム教の教義に強い疑念を持っているという状況を考えてみよう。センの議論を踏まえるならば、この人物が自分のアイデンティティとしてムスリムであることよりも作家であることに重きを置いた結果、イスラム教を痛烈に非難する内容の作品を書くということは十分考えられる。したがって、「ムスリムであるにもかかわらず、イスラム教の教えに反するような作品を書くとは言語道断だ」と糾弾するのは、ムスリムであるという宗教的な属性以外にこの人物のアイデンティティを一顧だにしていないという意味で著しく矮小化された議論なのである。

●アイデンティティを理解する
特定のアイデンティティですべてを決めつけるような狭隘な考え方が流布することで深刻な社会問題が引き起こされるのは、多民族・多宗教の国々だけに限った話ではない。さらに、このような事態は民族や宗教といったアイデンティティについてのみ起こるという訳ではない。私たちの社会でも、形態や事態の深刻さは大きく異なるとはいえ、同様の問題が往々にしてみられるのである。

例えば、単一の基準で「敵」と「味方」をはっきりと線引きした上で、威勢がいいだけの粗雑な論法で「敵」を攻撃して世間の耳目を集めるようなやり方は、政治やメディアの世界でますます有効な手段になっているのではないかと心配になるほどである。また、これほど重大な社会的影響はないものの、血液型や出身地といった属性だけに基づく性格診断—「東北の人は無口で我慢強い」など—は、そのいい加減さと非科学性にもかかわらず(そのいい加減さと非科学性ゆえに?)、驚くほど根強い人気を誇っている。

アイデンティティをめぐる問題の根は、私たちがなんとなく感じている以上に広く深い。だからこそ、アイデンティティがどのような問題を引き起こし、それに対してどういった姿勢を取るべきなのかという教訓をあらかじめ学んでおくことは、自分がそのような場面にいざ直面した時のためにも大切なのである。

《参考文献》
  1. Sen, Amartya, Identity and Violence: The Illusion of Destiny, W. W. Norton, 2006(大門毅監訳・東郷えりか訳『アイデンティティと暴力—運命は幻想である』勁草書房、2011年)。
  2. 鈴村興太郎・後藤玲子『アマルティア・セン—経済学と倫理学』(改装新版)実教出版、2002年。

(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)