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第7回 アイデンティティを考える(2)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2012年8月
●植民地支配とアイデンティティ
前回の連載で見てきたように、宗教およびカーストといったアイデンティティは、インド社会にきわめて重大な影響を及ぼしている。
しかし、だからといって、宗教やカーストに基づく社会的亀裂の存在をあたかも当然のことのように考えてもよいという訳ではない。なぜなら、このように理解してしまうと、宗教やカーストによる境界が複雑な歴史的経緯を経て形作られてきたという事実が見過ごされ、結果として、アイデンティティをめぐる問題を誤って認識することになりかねないからである。

実際、われわれが当たり前のように意識している宗教やカーストによる境界は、遠い昔から今のような形で存在していたのではなく、イギリスによる植民地支配の下で進行した「近代化」の過程で再構成された比較的新しいものにすぎない。具体的には、以下の四つの点を指摘することができる(より詳しくは、参考文献1~4を参照)。
イギリスによる植民地時代に作成された国勢調査(撮影:真田、所蔵:アジ研図書館)
イギリスによる植民地時代に作成された国勢調査
(撮影:真田、所蔵:アジ研図書館)

第一に、インド社会における宗教およびカーストの役割をイギリスが過度に重要視したため、そのようなインド認識が植民地支配の思想にも色濃く反映された。イギリスはインド支配を正当化するために、「インド国内の相対立する諸グループのあいだを調停する公平なアンパイア」(参考文献1、43ページ)としての自身の役割を強調した。このロジックの背後には、インド社会は宗教・カーストによってはっきりと分断された多様な社会集団で構成されており、それらの属性が個人の考え方や行動を規定しているというイギリス側の誤ったインド認識がある。

この点を最も象徴的に表しているのが、1871~72年から10年ごとに実施された国勢調査(センサス)である。英領インドで行われた国勢調査では、宗教・カーストのカテゴリーが現実から乖離した形で定義される一方、そのようにして特定されたカテゴリーごとに様々な情報が収集され、植民地支配の基礎となる「科学的」で「客観的」な統計データとして活用された。結果的に、集団帰属に固執した調査は、きわめて流動的で曖昧な境界しか存在しなかった社会集団の間に明確な区分と序列を持ち込むことになった。

第二に、このような植民地支配の思想に従って各種の政策が策定・実施される過程で、宗教やカーストに基づく区分が援用されていった。その典型的な例が、高い軍事的適性を持つとされる「種族」—いわゆる「尚武の民」(martial races)—を優先的に雇用するという募兵制度である。19世紀中頃から顕著になり始めたこの政策によって、軍隊への採用が特定の宗教・カースト(例えば、シク教徒)に集中するようになった。さらに極端な例として、犯罪を行う可能性の高い集団をカースト単位で特定した上で、登録や移動制限などを通して監視下に置くという犯罪対策が挙げられる。いうまでもなく、今の目から見れば、これらの政策の根拠となっているのは人種主義に基づく偏見以外の何物でもない。

第三に、植民地政府が宗教やカーストといった集団帰属に基づいて様々な政策を行ったため、それに対応しようとするインド人の間で宗教やカーストを単位とした集団行為を引き起こし、アイデンティティの意識が強められていった。例えば、軍隊への雇用については、「尚武の民」としての認定を勝ち取るためにカースト組織の結成や請願運動などを行い、自らの利益を確保しようとした社会集団が数多く現れた(具体例については、参考文献4の138ページを参照)。

第四に、植民地支配を背景にインド内部から様々な宗教・社会改革運動が沸き起こり、アイデンティティの在り方に重大な影響を及ぼした。特に宗教については、これらの運動によって信仰の純化と標準化が進むとともに他宗教を敵視する言説が広く見られるようになり、宗教間の亀裂が深まっていった。

以上のように、植民地支配の下で進行したアイデンティティの実体化は、支配側と被支配側の間の相互作用の帰結なのである。

●留保制度とアイデンティティ
イギリスによるインド支配が終わりを迎えても、宗教やカーストによる境界が薄らぐことはなかった。むしろ、いくつかの理由から、アイデンティティが再構成されていくプロセスは今もなお続いている。その要因の一つと考えられるのが、独立後により広範に行われるようになった留保制度の影響である。

すでに述べたように、独立後、教育や雇用などの分野で指定カーストに対して留保措置が実施され、「指定部族」(Scheduled Tribes)と呼ばれる集団についても同様の制度が設けられた。さらに、現在では、「その他後進諸階級」(Other Backward Classes: OBC)にも留保措置が導入されている。その他後進諸階級とは、社会進出や教育水準の面で上位カーストと指定カーストの中間に位置づけられる社会集団であり、「階級」と名付けられているものの、カースト帰属によって認定が行われる。

この中で最も大きな摩擦を引き起こしてきたのが、その他後進諸階級への留保である。1990年にV・P・シン首相率いる国民戦線政権がその他後進諸階級に対して27%の公的雇用を留保することを決定すると、これに対して上位カーストが強く反発し、各地で暴力的な抗議活動や焼身自殺が相次いだ。このようなカースト間の衝突は北インドで特に激しく、その理由として、(1)南インドでは、すでに留保政策が長い間行われていた、(2)比較的貧しい北インドでは、公的部門への就職が持つ重要性がより高かった、(3)南インドと比較して北インドでは上位カーストの割合が高く、その他後進諸階級への留保がそれだけ大きな影響を持った、などの点が指摘される。

その後も、その他後進諸階級への留保をめぐって、カースト間の利害対立があらわになる事態がたびたび起こっている。2006年には、その他後進諸階級への留保が中央政府管轄の高等教育機関への入学枠にも拡大されることになり、再び深刻な衝突を招くこととなった。

●「個人」としての国民、「社会集団の構成員」としての国民
さらに、2001年と2011年の国勢調査の準備段階では、カースト帰属に関する調査である「カースト・センサス」(caste census)を行うかどうかをめぐって激しい議論が巻き起こった。この論争の背後には、人口比に応じて各集団の代表性を確保するという名目で留保制度が設けられているにもかかわらず、その他後進諸階級の人口が正確に把握されていないという問題がある。

では、なぜこのような問題が起こるのだろうか。それは、国家がカーストの境界を定義した上で各カーストの人口を数えることへの根強い反発に対する配慮から、1931年の国勢調査を最後に(指定カーストと指定部族を除いて)カースト帰属に関する調査が行われてこなかったためである。国民を「個人」と「社会集団の構成員」という二つの相反する視点から取り扱うことの矛盾がここにはっきりと現れている。

《参考文献》
  1. 粟屋利江『イギリス支配とインド社会』山川出版社、1998年。
  2. 中里成章『インドのヒンドゥーとムスリム』山川出版社、2008年。
  3. 藤井毅『インド社会とカースト』山川出版社、2007年。
  4. Metcalf, Barbara D. and Thomas R. Metcalf. A Concise History of Modern India, 2nd edition, Cambridge University Press, 2006.

(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)