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第3回 政治とカネとメディア(1)

秩序としての混沌—インド研究ノート

インド

地域研究センター 湊 一樹
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2012年3月
●情報源としてのメディア
インドの政治経済を研究対象としているという仕事柄、毎日少なくとも一紙は現地の新聞を読むようにしている。また、雑誌についても、現在取り組んでいる研究テーマに関連する記事や今後の研究につながる可能性のありそうな内容の記事を中心に、できるだけ目を通すよう心掛けている。

やはり、インドでいま何が重要な問題として注目されているのかということを知ろうと思えば、現地の新聞や雑誌を読むというのが最も手っ取り早く確実な方法である。実際、この連載の執筆のためのネタ探しや関連情報の収集を行う際にも、インドの新聞・雑誌は欠かすことのできない貴重な情報源のひとつとなっている。

●「民主主義の柱石」としてのメディア
インドは、わずかの例外的な期間を除いて、独立から現在に至るまで民主的な政治体制を維持してきた数少ない開発途上国の一つである。そして、「世界最大の民主主義」を維持してきたというインドの来歴は、報道の自由の下で多種多様なメディアが発展してきたことと表裏一体の関係にある。

いくつかのデータから、この点を見てみることにしよう。図1は、アジアの6カ国について、成人人口千人あたりの日刊紙の発行部数と日刊紙数を表したものである。また、図2は、米国の調査機関であるフリーダム・ハウスが作成した報道の自由に関する指標を用いて、同じ6カ国を比較したものである(この指標はゼロから100までの値を取り、値が小さくなるほど報道の自由がより保障されていることを意味する)。
図1 アジア6カ国の日刊紙の発行(2009年)
図1 アジア6カ国の日刊紙の発行(2009年)
(出所) World Association of Newspapers and News Publishersによって発行されているWorld Press Trends 2010を基に筆者作成。

図2 アジア6カ国の「報道の自由」(1994~2011年)
図2 アジア6カ国の「報道の自由」(1994~2011年)
(出所) Freedom Houseのデータ(http://www.freedomhouse.org/report-types/freedom-press)を基に筆者作成。
(注) この指標は0から100までの値を取り、値が小さくなるほど報道の自由がより保障されていることを意味する。各国における報道の自由の現状については、上記URLを参照。

これらの図から、次のような点を読み取ることができる。まず、中国、マレーシア、(ここ数年の)タイといった国々では、新聞の発行部数はインドと同様に非常に多いものの、メディアは報道の自由が大きく制限される中で活動することを余儀なくされている。また、インドネシアとフィリピンについては、上記の3カ国よりも比較的報道の自由は尊重されているが、新聞という媒体がそれほど社会に広く行き渡っているとはいえない。一方、インドでは、他の国々よりも報道の自由が保障された環境の下でメディアが報道を行いながら、多種多様な新聞が大量に発行されていることがわかる。

●非常事態下のメディア
「民主主義の柱石」としてのメディアの役割は、歴史的な視点からも確かめることができる。

前節の冒頭にある「わずかの例外的な期間」というのは、1975年6月から1977年3月まで続いた非常事態のことを意味している。これは、辞任要求運動の激化によって窮地に立たされた当時のインディラ・ガンディー首相が強行した「上からのクーデター」である。この非常事態の下で、反対勢力の政治家や活動家の拘束、基本的人権の制限、強制断種やスラムの一掃といった強権的な政策が矢継ぎ早に実行された。もちろん、言論の自由や報道の自由も無傷ではいられなかった(なお、以下の記述については、参考文献1の501~503ページを参照)。

非常事態の一環として、報道機関への圧力が強められ、厳しい情報統制が敷かれた。非常事態宣言が発令されたその日から、すべての報道機関に対して事前検閲が行われるようになり、さらにその半年後には、「反社会的出版物」の発行を禁止する大統領令が出された。また、大手通信社の統合と国による管理、法律によって定められた独立的な監視機関である「報道委員会」(Press Council)の廃止、ジャーナリストの逮捕なども次々と行われた。

ただし、情報統制の手段として用いられたのは「ムチ」だけではなかった。例えば、報道機関を手なずけるための「アメ」として、政府広告が積極的に利用された。つまり、政府は「友好的な新聞」には気前よく政府広告を出す一方、政府に批判的な新聞に対しては政府広告を掲載しないことで無言の圧力をかけていたのである。

以上のように、非常事態という「逸脱事例」から、報道の自由の下で発展を遂げたメディアという存在が、権威主義的な政府にとっていかに大きな脅威として認識されていたかがよくわかる。なお、このようなメディアに対する抑圧も長くは続かなかった。インディラ・ガンディーの退場とともに、報道の自由が回復し、メディアの活動は再び活発になる。

●インドのメディアの問題点
確かに、「世界最大の民主主義」を維持していく上でメディアがいかに大きな貢献をしてきたかという点については、強調してもしすぎることはない。しかし、インドのメディアにまったく問題がないのかといえば、決してそうではない。インドを代表する知識人の一人である経済学者のアマルティア・センは、インドのメディアが果たしてきた役割を賞賛しつつも、次のような問題点を指摘している(参考文献2)。

第一に、講演で話した内容が完全に誤った形で報道されてしまうという経験を立て続けにしたことを例として挙げながら、インドのメディアの報道内容の正確さに大きな疑問を投げかけている。誤報の詳細についてはセン自身のコラムに譲るが、このような不正確な内容の記事が堂々と新聞に載り、それを多くの読者が読んでいると考えただけでも背筋の冷たくなる思いがする。

第二に、メディアの報道が経済発展の恩恵に浴している一部の恵まれた人たちにより大きな焦点を当てる傾向にあるため、インドに暮らす大部分の人たちが経済発展から取り残されたまま貧困にあえいでいるという厳しい現実が読者に十分伝わっていないと主張する。そして、メディアによって取り上げられる内容が明るい側面ばかりに大きく偏ることで、貧困層が置かれている悲惨な状況を改善するために不可欠な政策への政治的無関心が助長されかねないとセンは警鐘を鳴らしている。

このような懸念は、農村問題について健筆を振るってきたジャーナリストのP.サイナートによっても表明されている。サイナートは、最近の傾向として「メディアと普通の人々が直面している現実の間の乖離がますます大きくなっている」ことを強調する。特に、ほとんどの新聞社が農村問題を専門に扱う記者を置いていないのは、全人口の約70%を占める農村に暮らす人々などどうでもよいといっているに等しいと指摘し、このようなメディアの姿勢を厳しく批判している(参考文献3)。

実は、インドのメディア、そして、そこから情報を得ている私たちのような一般読者が直面している問題は、これだけにとどまらない。最近になって、「民主主義の柱石」としてのメディアの役割を脅かしかねない重大な問題が、様々な形で現れてきている。


《参考文献》
  1. Guha, Ramachandra. India after Gandhi: The History of the World’s Largest Democracy. Picador, 2008.
  2. Sen, Amartya. “The Glory and the Blemishes of the Indian News Media,” Hindu, January 7, 2012.
  3. “The Editor? Do We Need the Fellow?” Outlook, October 15, 2007.


(みなと かずき/アジア経済研究所 在デリー海外派遣員)