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共同創業が拓くシリコンバレー・アジア人技術者の起業への道:Chia-Chee Kuan氏の歩み

インタビューシリーズ 「シリコンバレーのアジア人企業家」

アジア

新領域研究センター 川上 桃子
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2016年1月
Chia-Chee Kuan(管家琪)氏
Chia-Chee Kuan(管家琪)氏

Chia-Chee Kuan(管家琪)氏は1961年、台北市生まれ。台湾大学を卒業後、スタンフォード大学でコンピュータ・サイエンスの修士号を取得。シリコンバレーのネットワーク技術のスタートアップ企業での勤務経験を積んだのち、2001年に、友人のマイルス・ウー氏、ウー氏の事業パートナーであったディーン・アウ氏とともにワイヤレスネットワークの測定・診断・トラブルシューティングのソフトウェアを手がけるエアマグネット社を創業し、Fortune100のなかの75社を顧客にするなど、高い技術力で成功をおさめる。2009年に同社をFluke Networks社に売却したのち、2013年に再びウー氏、アウ氏とネットワーク仮想化技術のUila Networksを創業。

シリコンバレーのアジア人技術者による起業は、互いの能力と人格に信頼を寄せあう仲間どうしの共同創業というかたちをとることが多い。Kuan氏も、「よりよい生活」をめざして渡米し、スタートアップ企業で働くなかで「起業」という目標を抱くようになり、志を同じくする台湾出身の仲間と力を合わせることで、シリコンバレーでの創業を実現した移民起業家の一人である。Kuan氏らの物語からは、「良き共同創業チーム」を結成することがスタートアップの成否を強く規定する要因であることがみてとれる。インタビューは2015年7月21日、サンタクララで行った。

Q まず、Kuanさんが留学のため渡米するまでの経緯についてお話しくださいますか。渡米したとき、将来自分が起業するかもしれないと考えていましたか?
私は1961年、台北市の生まれです。台湾大学で情報工学を学んだ後、兵役を終え、1985年にスタンフォード大学大学院に留学しました。将来、少しでもいい生活ができるようになりたい、という一念からの留学で、「いずれは起業したい」なんていう考えは全くありませんでした。それに、あの頃の台湾では、アメリカへの留学というのは、幼い頃からの進学競争のレールの延長線上にあったのです。何せ私の時代には、大学の同級生の半分以上がアメリカに留学しましたからね。アメリカへの留学というのは自然な選択だったのです。

Q スタンフォード大学のコンピュータ・サイエンス学科での日々はいかがでしたか?
学生時代の私は、起業への関心もなかったし、社会的なスキルや言語面での能力もまだまだ低かったので、スタンフォード大学が持っていた様々なコネクションを卒業後に活用するという機会はありませんでした。このことは、今振り返ると惜しかったなぁと思います。でも、スタンフォードで学んだおかげで、私はシリコンバレーで働くこととなりました。

Q 修士課程を終えてすぐに就職されたのですね?
はい。2年間の修士課程を1年半で終え、コンピュータ・サイエンスの修士号をとりました。台湾からの留学生には、博士課程へと進む人も多かったのですが、私自身は、勉強を続けるうちに、自分は博士課程までいくほどの才能ではないと思ったので、就職を選びました。

私が最初に就職したのは、Wollongongという、パロアルトにある中堅規模のスタートアップ企業でした。ここはソフトウェア志向の極めて強いネットワーク技術の会社でした。私が入社した頃の従業員数は100人くらい、年商7~8000万ドル位の会社だったと思います。

当時の私はアカデミックな志向が強くて、「新しい技術を学びたい」という気持ちでいっぱいでした。けれども、シリコンバレーの内側で働いているうちに、周りの環境の影響で、スタートアップという現象への関心が湧いてきました。1980年代後半以降のシリコンバレーでは、スタートアップが増え始め、ストックオプションで大成功をおさめた人の話も耳に入ってくるようになっていたのです。

Q Wollongongには何年勤めたのですか?
5年ほど勤めたのち、さらに規模の小さなスタートアップに転職しました。最初に勤めたのは5人くらいの小さなスタートアップでした。これ以後、私は多くのスタートアップ会社で、「低い給料と多額のストックオプションの組み合わせ」という条件のもとで働くことになりました。もっとも、これらの企業の多くは、惨めな失敗に終わりましたけれどね(笑)。

それでも、この時に知り合った人たちの多くは、スタートアップの世界でやっていきたいと考えている人たちでした。その後の私のキャリアの展開は、この時期に知り合いになった人たちと深い関わりを持っています。

Q Wollongongを離職したときには、もう創業への関心が芽生えていたのですか?
ええ、その頃にはもう、いずれは創業したいと思うようになっていました。けれども、経験もコネクションも資金もなかったので、まずは人が立ち上げたスタートアップに参加することを選んだのです。

一生懸命に仕事に取り組んでいるうちに、ささやかながら評価を得るようになり、様々なスタートアップが声をかけてくれるようになりました。その中から、1995年にプリセプト(Precept Software)という会社の起業に参加したときのことをお話ししましょう。

ロールモデルとなった起業家夫妻との出会い

プリセプトは、Judy EstrinとBill Carricoという夫妻が創業したインターネット動画配信技術のスタートアップでした。この2人はブリッジ・コミュニケーション(1981年創業)、NCDネットワーク(1988年創業)といったスタートアップを立ち上げたこともある著名な起業家夫妻で、シリコンバレーのネットワーク技術業界では大変よく知られた存在です。

ジュディは、プリセプトが1998年にシスコに買収されたのち、シスコのCTOとなりました。アメリカの著名な女性起業家の一人です。ビルは、後に3COMの会長となりました。

この夫妻がプリセプトの設立にあたって、どこかから私のことを聞いて創業に誘ってくれました。私はこの会社でソフトウェア開発担当のfounding technical staffとなったのですが、この2人からは非常に大きな啓発を受けました。特にジュディは、人々をまとめ、統率することのできる才能を持つ非常に優れた経営者で、私にとって彼女の下で働けたことは幸運なことでした。

Q プリセプトでの経験からは何を学びましたか?
早い段階からスタートアップの設立に参加できることは、2つのメリットをもたらしてくれます。私はこれを、プリセプトで経験しました。

第1に、私は、ビルとジュディという優れた起業家たちが会社を立ち上げていく過程を、ごく間近で逐一観察することができました。そこから学んだものは、非常に大きかったです。第2に、会社成立の早い段階、すなわちリスクの高い段階から創業に参加したので、より多額のストックオプションをもらうことができました。これは、会社が成功した場合には多額の経済的報酬につながります。そして、自分が創業する番となったときの重要な資源になります。

Q シリコンバレーではよく「共同創業者co-founder」と「共同創業チーム co-founding team」という言葉を耳にしますが、これはどう違うのでしょう?プリセプトでのKuanさんの役割はどちらでしたか?
どちらの概念も、法律的に定義されているわけではありませんが、一般に、シリコンバレーで「共同創業者」という場合には、起業時に無給で自分の時間資源を投じるだけではなく、資金も出した人のことを指しますね。これに対して「共同創業チームのメンバー」と呼ばれる人は、起業の非常に早い段階、会社の形がまだ定まらない段階から一緒に働くメンバーを指しますが、メンバー自身が自分の資金を投じることはあまりありません。

プリセプトの場合、ビルとジュディは自己資金を少額出資しました。彼らはすでに業界で高い評判を築いており、ベンチャーキャピタルから十分な資金を調達することができたので、彼ら自身の出資分はわずかですみました。私は、会社の黎明期からオペレーションに参加しましたがプリセプトに自己資金を出資することはしませんでした。

Q プリセプトは後にシスコに買収されましたね。
はい。プリセプトが創業から3年でシスコに買収されたので、私もシスコに移り、2年間シスコで働きました。この2年はシリコンバレーの大企業について学ぶ良い機会となりました。同時に、自分は大企業で働くタイプの人間ではないなあとも実感しましたね。

プリセプトのシスコへの売却に伴い、私もシスコの株を取得しましたが、その値上がりは、私の創業を随分と助けてくれることになりました。こうして私は2001年に、友人らと初めての創業に挑みました。

エアマグネットの創業

Q Kuanさんの初めての創業は、2001年のエアマグネットの創業ですね。その経緯をお聞かせください。
2001年に私は、マイルス・ウー、ディーン・アウとともにエアマグネット社を創業しました。私とマイルスは、台湾の小学校時代以来の、実に長い付き合いの親友なんです。中学・高校は同じ私立の学校に通い、寄宿舎生活を共にした仲です。マイルスはアメリカに留学して森林学を学んだのち、就職を考えてコンピュータ・サイエンスの世界に転身し、ジョージアで勉強したあと、就職のためカリフォルニアにやってきました。私は彼を誘って、Wallongongで一緒に働いていたこともあります。

ディーン・アウは私たちよりも9歳年上の、非常に優れたビジネスマンです。広東系ですが、台湾の成功大学の出身です。

私がプリセプトの立ち上げに関わっている間、マイルスとディーンは別の企業を共同創業し、これを成功裏に売却していました。そして今度は、当時急速に興隆しつつあったワイヤレスネットワーキング技術の世界で、3人で一緒に起業することにしたのです。

Q 2001年の会社設立というのは、大変なタイミングでしたね。9.11テロやITバブルの崩壊に直撃されて大変ご苦労されたのではないですか?
いや、実はそんなことはなかったですよ。むしろ人材を探すのに苦労しないで済んだ点で、良いタイミングだったといえるくらいです。それに比べると、今のシリコンバレーの労働市場は、過熱状態です。

Q 3人の共同創業者はどのように仕事を分担したのですか?
会社の経営面は、経験豊かなディーンに任せて、私とマイルスは技術開発に力を注ぎました。3人の分業関係という点では、マイルスがいちばん技術寄りで、私は3人の中間的なポジションでした。

Q 会社経営は順調に軌道に乗りましたか?
創業後の最初の1年は、投資者もなく、私たち自身も無給でソフトウェアの開発に集中しました。1年ほどたち、ある程度製品ができたところで、ベンチャーキャピタルから資金を調達しました。

顧客の大部分は企業で、主な業務は、ワイヤレスネットワークのトラブルシューティングとディプロイメントです。私たちはなるべく保守的に、無理のないよう、会社を育てあげていきました。3年目には黒字になり、2009年の売却時には従業員70人くらいに成長していました。われわれはエアマグネットを8年間経営したのち、2009年にフルーク・ネットワークスに売却しました。

Q エアマグネットの売却後はどうされましたか?
売却先のフルークに4年間勤めました。シリコンバレーでは、会社の売却後、創業者が引き続き買収先に残り、売り上げに連動した報酬を得る、という契約を結ぶことが多いのです。しかし、私たちはこの方式が嫌いでした。既に会社の経営権は手放しているのに、報酬が売り上げに連動するのは不合理ですからね。そこで私たちは、エアマグネットの売却にあたり、売り上げ連動分をできるだけ低くしてもらうよう交渉し、実現しました。

ディーンはエアマグネット事業部のGeneral Managerを2年間務めて引退しました。私がその後を引き継いで、GMになりました。GMとして実際にビジネスを経験してみると、側で見ているのと、実際にやるのとではずいぶん違いましたね。この2年で、ビジネスの世界にさらされることとなったことは、私にとって意味のあることだったと思います。

もうひとつ、フルークでの経験で勉強になったことがあります。フルークはデナハ(Denaher)と言う巨大コングロマリットの傘下企業です。デナハは様々な業界のほどほどの業績の企業を買収し、独特の経営方式でその収益性を高めると言う大変興味深いビジネスモデルをとっています。デナハビジネスシステムといって、ハーバード大学ではこれを教えているくらいです。これを実際に経験することができたのも、勉強になりました。

二度目の創業

Q その後、Kuanさんとマイルス・ウーさん、ディーン・アウさんは、再びUila Networksの起業へと結集しました。
私とマイルスは、2013年にフルークを退職し、2013年にUila Networksを創業しました。今度は私がCEOをやることになりました。実は、エアマグネットを3人で創業したときと同じく、私とマイルスはディーンのところにCEOをやってくれと頼みに行ったのですが、彼に断られてしまったのです。

エアマグネットは非常にnetwork-orientedな会社でした。しかしネットワーク技術の市場が既に成熟化しているなか、次の創業のためには、何かしら新しい要素が必要であることは明らかでした。そこで今回の創業にあたって私たちが注目したのが仮想化技術です。Uilaでは、この仮想化技術に重点を移しました。

顧客は前回と同様、企業向けの市場が中心です。まだ創業して間もないシード期の局面ですので、顧客は多くはありません。顧客構成としては、エアマグネットと同様に、アメリカが70%、ヨーロッパが15~20%、アジアが10~15%程度と見込んでいます。現在の従業員数は、非常勤のコンサルタントなども入れて約30人です。

アジアとのリンケージ

Q シリコンバレー企業、特にアジア系移民が起業したスタートアップは、極めて早い時期からアジアとのつながりを形成していますが、Uila Networksの場合はどうでしょうか。
日本や台湾にセールスのエージェントは置いています。ただ実は、Uilaを創業した時に、台湾にもR&Dセンターを設立したいと考えていたのですが、不首尾に終わってしまったんですよ。

エアマグネットでは、インドや中国への外注を利用していたのですが、台湾はこれらの国より環境が安定しており、コスト的にも、インドや中国に比べて高くはありません——台湾人としては残念なことですけれどね(笑)。ですので、多くの人から、台湾へのR&D拠点の設立を勧められました。私がこの目的で台湾に戻ったときには、政府も大いに協力してくれました。

しかし困ったことに、いい人が見つからなかったのです。第1に、ソフトウェア畑の優秀な人材がTSMC(台湾積体電路、世界最大の半導体ファウンドリ)とメディアテック(聯発科技、台湾の大手半導体設計企業)に高給でとられてしまっていることが分かってきました。第2に、TSMCやメディアテックへの就職にさほど関心を持っていない人たちにもインタビューをしたのですが、分かったのは、我が社の事業のような純粋なソフトウェアに対する関心が高くないということでした。

むろん、台湾にもネットワーク関係の企業はたくさんあります。しかし、台湾企業のビジネスモデルは、基本的にソフトウェアをチップや完成品の形にして販売する、というもので、私たちのようなソフトウェアそのものの技術を追求するタイプの企業は、台湾のハイテク人材の関心とはマッチしないことが分かってきました。結局、残念ながら台湾では適切な人を見つけられませんでした。

Q インドや中国の活用の可能性はいかがですか?
インドについては、外注というかたちで活用を試みました。しかし、私たちは運が悪かったのかもしれませんが、あまり成功しませんでした。先方が官僚的すぎて、スペックに定められたことはきちんとこなすけれど、スペックで明文化されていないところについては、仕事の質が悪かったのです。これは、自分で直接マネージするのでない限り、難しいと感じました。

現在は、上海の活用を試みているところです。Wallongong時代の同僚だった台湾人にマネジメントをお願いし、外注チームのリーダーになってもらっています。適切な管理と訓練の成果もあって、ユーザーインターフェイスの開発で、良い成果を得ることができています。中国人エンジニアの多くは20代から30代で、起業家精神に富み、学習能力も高いですね。ただコストは決して安くありませんし、賃金も毎年上げて行かなくてはならないです。

シリコンバレーのアジア人コミュニティ

Q シリコンバレーでは、中国人、インド人の起業家が急増し、台湾系のプレゼンスが下がっています。アジア系移民の起業パターンはどのように変わってきたのでしょうか。
全体的な印象として、技術畑には台湾人と華人が多く、インド人はなかでもビジネス(営業)の領域で活躍しているという印象です。シスコの上級幹部の95%はインド系だと言われていますよ。

私もWollongongに勤めていた時にはインド人の同僚がたくさんいました。お互いに人数の少ない移民同士、インド人の同僚たちと「一緒に創業しないか」という話をしたこともあります。でもざっくりとした印象ですが、同胞の数が拡大してくるにつれて、インド人同士、華人同士で共同創業をすることが増えるようになってきたと感じます。私も、今会社を立ち上げるとなったら、わざわざインド人に相談しないかなぁと思うんですよね。やはり、バックグラウンドを共有している相手の方が、摩擦が少ないからでしょうね。最近は、シリコンバレー企業のなかでも、インド人系、華人経営系、というように、ある程度はっきりしたカラーを持っているところが多いように感じます。もちろん従業員には様々なバックグラウンドの人がいますし、混合型の会社も少なくはないのですが。

また、白人との協力の必要性も、以前に比べてずっと減ったと感じます。かつては、アジア人系の企業だと見られると「品質が悪いのではないか」と見られがちでした。しかし今では、もしかしたらアジア系の企業家のスタートアップのほうが有利かもしれません。少なくとも、不利ではないと言えます。むろん、会社が一定の規模に達した時、例えば上場する段階になり、ウォールストリートの人々と交渉するようなときには、白人のCEOが有利になるのかもしれませんが。

ここシリコンバレーには、技術者が起業家に転身していく過程を支えるエコシステムが存在する。ここには実に様々なタイプの人がいて、会議で集まってふと周りを見渡してみると、実に多様な人が集まっています。それがシリコンバレーです。

ウーさん、アウさん、Kuanさんというトリオは、単独では不利になりがちな移民エンジニアが、志を同じくする仲間との共同創業を通じて目標を達成することができた典型的なケースですね。シリコンバレーのスタートアップの中核にある「良きチーム」の重要性を強く示唆していると感じました。本日はありがとうございました。


本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。