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データから占う第13回マレーシア総選挙の行方

アジアの出来事

地域研究センター 中村 正志
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2013年4月
4月3日にマレーシア連邦議会が解散され、5月5日に下院選挙の投票がおこなわれることになった。同時に、全13州のうちサラワク州を除く12州で州議会選挙が実施される。今回は与野党の勢力が拮抗する選挙になると見込まれ、日本を含む国外のメディアでは政権交代の可能性が取りざたされている。本稿では、過去の選挙データの検討をもとに、今回の総選挙の見どころを指摘したい。マレーシアに関する基礎情報を必要としている方は、とりあえずこちらdocを参照していただきたい。本稿では、データの裏付けを示しながら、より突っ込んだ話をしていく。まずは前回総選挙を振り返り、与党退潮の要因を検討する。次いで、直近2回の投票結果の詳細な検討にもとづいて、政権交代のためにはどのような選挙区でどの程度の票の動きが必要なのか、政権交代の見込みは高いといえるのか否かを考察する。

1.2008年総選挙の結果とその特徴
マレーシアでは、1957年の独立以来、統一マレー人国民組織(UMNO)を中心とする与党連合が一貫して政権を担っており、半世紀にわたり下院議席の3分の2以上を維持してきた。ところが、2008年の下院選挙では大きな変化が生じた(表1)。与党連合・国民戦線の議席占有率は63.1%で、定数の3分の2に及ばなかった。得票率は51.4%で、選挙後に政党連合・人民連盟を設立した主要3野党の合計得票率との差は4パーセントポイントにすぎなかった。暴動で中断された1969年選挙を例外とすれば、占有率、得票率ともに史上最低であった(図1)。前回選挙の後、去る4月3日の解散までの間に6回の補欠選挙があり、加えて与党議員の離党やサバ進歩党(SAPP)の連立離脱が生じた結果、解散時の国民戦線の保有議席は135議席(占有率60.8%)に減少している。


表1 2008年マレーシア連邦議会下院選挙 政党別獲得議席数・議席占有率・得票率
(2008年3月8日投票,定数222,投票率176.0%)

2008年選挙 解散時
議席数2
候補者数 議席数 占有率 得票率
与党・国民戦線 222 140 63.1 51.4 135
 統一マレー人国民組織(UMNO) 117 79 35.6 30.0 77
 マレーシア華人協会(MCA) 40 15 6.8 10.8 15
 マレーシア・インド人会議(MIC) 9 3 1.4 2.1 4
 マレーシア人民運動(GERAKAN) 12 2 0.9 2.3 2
 人民進歩党(PPP) 1 0 0.0 0.2 ---
 サバ統一党(PBS) 4 3 1.4 0.6 3
 パソモモグン他統一組織(UPKO)3 4 4 1.8 0.7 3
 サバ進歩党(SAPP)4 2 2 0.9 0.4 ---
 サバ人民統一党5(PBRS) 1 1 0.5 0.0 1
 自民民主党(LDP) 1 1 0.5 0.1 1
 サラワク統一ブミプトラ党(PBB) 14 14 6.3 1.7 14
 サラワク統一人民党(SUPP) 7 6 2.7 1.5 5
 サラワク人民党(PRS) 6 6 2.7 0.4 6
 サラワク進歩民主党(SPDP) 4 4 1.8 0.7 4
人民連盟加盟3党ほか 258 82 36.9 48.6 87
 汎マレーシア・イスラーム党(PAS) 68 23 10.4 14.4 23
 人民公正党(PKR) 96 31 14.0 19.3 23
 民主行動党(DAP) 47 28 12.6 13.8 29
 マレーシア人民党(PRM) 2 0 0.0 0.2 ---
 サバ人民戦線連合党(Bersekutu) 2 0 0.0 0.01 ---
 サラワク国民党(SNAP) 3 0 0.0 0.1 ---
 無所属6 40 0 0.0 0.8 9
 マレーシア社会主義者党(PSM)7 --- --- --- --- 1
 サバ進歩党(SAPP)4 --- --- --- --- 2
合計 480 222 100.0 100.0 222
1) 投票率=(有効投票+無効票+回収されなかった投票用紙)/有権者数.
2) 党籍変更(離党)と連立離脱,ならびに6回の補欠選挙の結果をうけたもの。
3) 正式名称はパソモモグン・カダザンドゥスン・ムルット統一組織。
4) 2008年9月17日に国民戦線を離脱。
5) PBRS候補(1名)は無投票で議席を獲得。
6) 選挙後に無所属になった議員の所属元は,UMNOが1名,UPKOが1名,PASが1名,PKRが6名。
7) 総選挙後の2008年6月に内務省より政党認可が下る。所属議員はPKR候補として立候補していた。
(出所)Election Commisiion Malaysia (ECM), Report of the General Election Malaysia 2008, Kuala Lumpur: Percetakan Nasional Malaysia, 2010;  New Straits Times, March 10, 2008等をもとに作成。
図1 与党連合(連盟党/国民戦線)の議席占有率と得票率の推移
図1 与党連合(連盟党/国民戦線)の議席占有率と得票率の推移
(注)暴動で中断された1969年選挙についてはマレー半島部のみを対象とした。与党連合の名称は、1972年までが連盟党、1973年以降は国民戦線。
(出所)ECM [various years]をもとに作成。


2008年選挙における与党連合の得票率51.4%に対して、占有率は63.1%と両者の乖離が著しいが、これにはいくつかの理由がある。まず、選挙制度が単純小選挙区制(1人区相対多数制)である。この制度は、一般に多数の死票をもたらす(理論的には、得票率51%で占有率100%も起こり得る)。ついで、一票の格差がきわめて大きく、かつ過大代表されているサバ州、サラワク州の議席を与党がほぼ独占している。一票の格差は、行政都市であるため極端に居住者の少ないプトラジャヤを除いても1、最大で7.14倍に及んだ。有権者数がもっとも多い選挙区はクアラルンプール近郊のKapar選挙区(11万2224人)、最少の選挙区はサラワク州のLawas選挙区(1万5717人)である。さらに、定数222のうち8議席(3.6%)が無投票で国民戦線の手に渡ったことも、得票率と占有率との乖離の一因になっている。

州ごとの投票結果をみると(図2)、国民戦線が完勝した州(占有率75%以上)と完敗した州(占有率25%未満)にはっきりと分かれる傾向にあり、与野党の議席が拮抗した州は少ない。おおよその傾向としては、大都市圏では野党が強く、農村部では与党が強い。
図2 州別に見る与党連合・国民戦線の下院議席数(2008年選挙時と解散時)
図2 州別に見る与党連合・国民戦線の下院議席数(2008年選挙時と解散時)
1. 連邦領のクアラルンプール(定数11)とプトラジャヤ(定数1)。
2. 正しくはヌグリスンビラン州。
3. サバ州(定数25)と連邦領のラブアン島(定数1)。
(出所)表1記載のデータをもとに作成。



国民戦線が完敗したのは、連邦領の首都クアラルンプール(図2の⑨)とその近郊のスランゴール州(⑧)、ならびにマレー半島部北部に位置するペナン州(⑤)、クランタン州(③)である。同じく北部のクダ州(②)でも占有率はわずか27%であった。上記の4州では、中央政界における主要3野党、すなわち汎マレーシア・イスラーム党(PAS)、民主行動党(DAP)、人民公正党(PKR)が州議会の過半数を制し、選挙後に連立して今日まで州政権を担ってきた。ペラ州(⑥)では与野党が伯仲し、下院議席は国民戦線が5割強を得たが、州議会は人民連盟が制した。ところが、のちに人民連盟から離党者が出て、2009年2月に州政権が国民戦線の手に渡った。

この他では、スランゴール州に隣接しクアラルンプール国際空港(KLIA)の位置するヌグリスンビラン州(⑩)で比較的与野党勢力が拮抗しているのを除けば、依然として国民戦線が優位を維持している。国民戦線がなお定数の6割を保持し得た要因としては、大票田のジョホール州(⑫)、サバ州(⑬)、サラワク州(⑭)で議席を独占できたことが大きい。ジョホール州は、第2次大戦後まもなくUMNOの前身となる組織が結成された地であり、これまで一貫して与党が強かった。サバ州、サラワク州の政治状況はマレー半島部とは大きく異なり、どちらの州でも地方政党が乱立する状況が長年にわたり続いている。現在はその多くが国民戦線に加盟しており(表1)、多数の政党がほぼ総与党化した状態にある。

では、2008年選挙における歴史的な与党の退潮は、なぜ生じたのだろうか?

2008年選挙では、華人、インド人の与党離れが顕著だった。図3は、マレー半島部の各選挙区における2008年総選挙での主要3野党の得票の伸びと、選挙区のマレー人有権者の比率との関係を示したものである。それぞれの点の縦軸上の位置は、3野党の2008年選挙の得票率と2004年選挙の得票率との差分2を示し、横軸上の位置は当該選挙区における2008年選挙時のマレー人有権者比率を表す。つまり、点の高さが高いほど2008年選挙で野党の得票率が伸びた選挙区であり、左右の位置が右寄りであるほどマレー人の比率が高い選挙区である。大半の選挙区で野党の得票率が伸びた(差分がプラスになった)が、一見して、点が右肩下がりに分布していることがわかる。つまり、マレー人の比率が低い、すなわち華人やインド人の比率が高い選挙区ほど、2004年選挙に比べて2008年選挙で野党の得票率が伸びている3。このデータが示唆するのは、マレー半島部における劇的な与党の退潮が、おもに華人・インド人の与党離れによって生じたということである。

図3 人民連盟(PR)加盟3党の得票率の伸び(2008年実績マイナス2004年実績)と 選挙区のマレー人有権者比率の関係
図3 人民連盟(PR)加盟3党の得票率の伸び(2008年実績マイナス2004年実績)と 選挙区のマレー人有権者比率の関係
(出所)表1記載のデータをもとに作成。


では、2008年選挙における歴史的な与党の退潮は、華人・インド人が多数を占める選挙区が与党の手から野党に渡ったことによって生じたのだろうか。表2は、1959年の第1回総選挙から2008年の第12回総選挙まで(データのない3回を除く)を対象に、マレー半島部における選挙区の民族構成と与党の議席数との関係を示したものである。マレー人有権者比率が25%未満の選挙区をノン・マレー区、25%以上75%未満の選挙区を民族混合区、75%以上の選挙区をマレー区とカテゴライズした。

表2 選挙区の民族構成別にみる与党連合の下院選挙獲得議席数(マレー半島部のみ)
ノン・マレー区 民族混合区 マレー区 民族混合区÷半島部定数 与党議席数÷半島部定数
1959年 1 (9) 49 (57) 20 (34) 57.0% 71.2%
1964年 8 (14) 56 (56) 22 (31) 55.4% 85.6%
1969年 2 (14) 44 (56) 19 (31) 55.4% 64.4%
1986年 1 (15) 71 (76) 40 (41) 57.6% 84.8%
1990年 0 (15) 73 (76) 26 (41) 57.6% 75.0%
1995年 8 (15) 80 (81) 35 (48) 56.3% 85.4%
1999年 7 (15) 76 (80) 19 (49) 55.6% 70.8%
2004年 4 (15) 97 (97) 46 (53) 58.8% 89.1%
2008年 0 (15) 51 (95) 34 (55) 57.6% 51.5%
(出所)本稿の注5文献を参照(中村[2011: 17])。
(注)かっこ内は定数。ノン・マレー区はマレー人有権者比率が25%未満の選挙区。民族混合区は同比率が25%以上75%未満の選挙区。マレー区は同比率が75%以上の選挙区。選挙区の民族構成が公表されていない1974年選挙,1978年選挙,1982年選挙は除外した。また,1959年選挙については民族構成がわからない4選挙区を,1964年選挙と69年選挙については3選挙区を除外した。ただし半島部与党議席占有率はこれらの議席も含めて算出した。


過去の結果を振り返ってみると、与党は伝統的にノン・マレー区で苦戦しており、2004年選挙の戦績もふるわなかったことがわかる4。したがって、2008年の歴史的な「惨敗」が、ノン・マレー区を失ったことによって生じたわけではないのは明らかだ。もともと与党が負けていた選挙区でいくら得票率を下げたところで、議席の数は変わらない。

過去との決定的な違いが生じたのは民族混合区である。1959年の第1回総選挙から2004年選挙まで、与党連合は民族混合区において例外なく圧勝していた。なおかつ、民族混合区が半島部の定数に占める割合は6割弱と高い水準で安定していた。したがって、これまでは民族混合区における構造的な優位が与党連合の地位を保障していたのだといえる。2008年選挙と好対照をなすのが、やはり苦戦した1990年選挙である。この時も与党はノン・マレー区で完敗し、マレー区の勝率も2008年と同水準だった。加えて、サバの主要政党が選挙直前に連立を離脱し、同州で惨敗を喫した。それでもなお定数の3分の2を超える議席を獲得できたのは、民族混合区でほぼ完勝したためであった。この民族混合区の構造的与党優位が消失したことこそ、過去の選挙と比べて際だって異質な2008年選挙の特徴である。


2. インターネット・メディアがもたらした投票行動の流動化

では、これまでの民族混合区における与党の圧倒的優位は何によってもたらされ、それはなぜ突然失われたのだろうか。この問いに対して、論拠を示しながら詳しく答えるには長大な紙幅を要する。ここではごく簡単に要点を示そう5

マレーシアの主要政党は、与野党を問わず、特定の民族の支持に頼る民族政党としての性質をもつ。野党側は、とりわけ異民族住民の目から見ると、エスニシティにかかわる問題について与党よりも急進的、排他的な立場をとっているように映る。PASはイスラーム刑法の実施を目指す原理主義政党であり、一方のDAPは非マレー人、とりわけ華人の権利擁護に力を注いできた。それゆえ、DAPは非マレー人が多い選挙区に、PASはマレー人が多い選挙区に候補者を立てる傾向が強い。与党連合は常に全選挙区で統一候補を立てており、やはりマレー人有権者が多い選挙区はマレー人政党のUMNOに、非マレー人が多い選挙区は非マレー人政党のマレーシア華人協会(MCA)とマレーシア・インド人会議(MIC)、マレーシア人民運動党(Gerakan)に分配される。その結果、大半の選挙区ではマレー人与野党間(UMNO対PAS)ないしノン・マレー与野党間(たとえばMCA対DAP)の競合になってきた。

マレー人与野党間競合となった選挙区の華人とインド人の有権者は、自分と同じ民族の候補に投票することはできない。ノン・マレー与野党間競合となった選挙区のマレー人有権者も同様である。民族問題が重要争点であるなら、自らと同じ民族の政党に投票できない有権者にとっては、相対的に穏健な立場をとる与党の候補が相対的に好ましい候補となる。このような、自民族を代表する政党には投票できないがゆえに与党候補への投票を選択する有権者の比率は、民族混合区で高くなる。こうしたメカニズムが働いたために、民族混合区で与党が圧倒的に優位な地位にあったのだと考えられる。この仕組みは、エスニシティという短期間では変化しにくい社会の特質によって成り立っているために、景気の変動などにはほとんど左右されることなく、半世紀にわたって民族混合区の与党優位が続いてきた。

では、民族混合区における与党の構造的優位が2008年選挙で失われたのはなぜだろうか。ひとつには、華人・インド人の与党離れがそれだけ著しかったということが考えられる。マレー人が45%、華人・インド人が55%の選挙区で、もしマレー人が全員与党に投票しても、華人・インド人が全員野党に投票すれば野党が勝つ。実際2008年選挙では、ノン・マレー有権者が過半数を占める選挙区を分担したMCAとMIC、Gerakanが惨敗を喫した。だから2008年選挙の後には、外国メディアを中心に、華人・インド人のブミプトラ政策(マレー人優遇政策)への不満の高まりが与党の退潮をもたらしたとする見方が広まった。

しかし、与党が大勝した2004年選挙から2008年選挙までの間に、ブミプトラ政策が強化されたわけではない。また、データを詳しく検討してみると、ノン・マレー与野党間競合となった選挙区ではマレー人の与党離れも同時に生じていた可能性が高いことがわかる6。さらにブミプトラ政策に要因を求める説では、マレー人与野党間競合となった選挙区でも華人・インド人の著しい与党離れが生じた理由をうまく説明できない。

新たな野党・人民公正党(PKR)の登場が与党退潮の原因だと見る向きもある。PKRは民族混合区を中心に候補を擁立し、2008年選挙で躍進した。同党は民族にこだわらない(non-communal)ことを党是とする政党で、2008年選挙では候補者の約3割を華人・インド人が占め、マニフェストでは民族の違いにかかわりなく格差是正政策を実施するとの方針を掲げた。それゆえ華人やインド人の有権者にとっては、MCAやMICよりもPKRの方が非マレー人の利益増進に熱心に見えたのかもしれない。一方でPKRの指導者は、マレー人の青年層に人気のアンワル・イブラヒム元副首相である。PKRはマレー人向けの顔と華人・インド人向けの顔を使い分けることで、双方からの支持を伸ばしたのかも知れない。

しかし、PKRの前身である国民正義党が設立されたのは1999年のことであり、同年の総選挙と2004年選挙にも参加していて、すでに新鮮味はなかった。過去との大きな違いとしては、1998年に投獄され2004年選挙後に釈放されたアンワル・イブラヒム元副首相が初めて率いた選挙だった点が挙げられるが、アンワル氏が華人やインド人のあいだで高い人気を得ていたわけではない。

こう考えてくると、与党の退潮の理由をブミプトラ政策への不満や新党の登場という「わかりやすい」現象に求めるのは無理があることがわかる。では、民族混合区の与党優位はなぜ2008年選挙において失われたのか。筆者は、民族混合区の与党優位が崩れたのは「争点が多元化したから」であり、「争点の多元化」をもたらしたのはインターネット・メディアの発展・普及だと考えている。

先に述べた民族混合区での与党優位をもたらす投票パターンは、多くの有権者が民族問題をきわめて重視しているからこそ生じるのであり、ほかに重要な争点が浮上し、各人が民族問題とそれらの問題を天秤に掛けたうえで投票先を決めるようになれば、固定的な投票パターンは失われて結果は流動化する。与野党のあいだには、与党連合は各民族のエリート連合であり、野党側はそれぞれの民族の中下層の声を代弁してきたという階級的な違いもある。DAPとPASは、とりわけ宗教政策について鋭く対立する一方で、どちらも長年にわたって最低賃金制度の導入を要求するなど、階級的争点では近い立場にある。野党が惨敗した2004年選挙以降、DAPとPASはどちらも民族的な主張を抑える一方で、PKRと3党共同で公共料金の値上げに反対するデモを実施するなど、階級的争点で共闘してきた。

ただし、野党が共闘するのはこれが初めてではない。通貨危機のさなかにアンワル副首相(当時)が逮捕されたのをきっかけにPASとDAPは距離を縮め、PKRの前身である国民正義党とともに野党連合オルタナティブ戦線を旗揚げした。1999年選挙で3野党は、最低賃金制導入や所得税非課税枠拡大などを求める統一公約を掲げて全面的な選挙協力を実施した。これに対して当時のマハティール政権は、政府統制下にあるマスメディアをフルに活用して、オルタナティブ戦線を民族的過激派(extremist)の野合と評して徹底批判する一大キャンペーンを張って対抗した。当時の野党は、自らの主張を広めるための手段に乏しく、有権者の理解を得ることができなかった。

しかし、その後のインターネット・メディアの発展によって、政治的コミュニケーションのための環境は一変した。情報通信産業を育成したい政府は、インターネット利用の自由を保障している。このメディア環境の変化と、2004年選挙後の野党の穏健化があいまって、民族の垣根を越えた格差の是正や「持てる者」の不正である汚職の解消、政治的自由化の促進などが重要争点として浮上し、争点の多元化とそれによる投票パターンの流動化をもたらしたのだと考えられる。

3. 政権交代は実現するか?

では、長期政権を下支えしてきた民族混合区の構造的与党優位が崩れたいま、政権交代の可能性はどの程度あるのだろうか?

長期的な傾向をみると、図1が示すように、与党の得票率・占有率は上げ下げを交互に繰り返しており、2回連続して下がったことは1度しかない。与党にしても野党にしても、支持を拡大した後には失政を犯すリスクが高まり、議席をさらに積み増すのは困難だということだろう。しかし、独立以来の固定的投票パターンが崩れたいま、過去の長期的傾向はあまり参考にならないだろう。以下では、2004年選挙と2008年選挙における与野党の惜敗率の分析を通じて、政権交代が実現するための条件を考えてみる。

惜敗率とは、勝者の得票を1としたとき、敗者がどれだけの票を獲得したかを表す指標であり、

〖惜敗率〗_i=(〖敗者〗_i の得票数)/勝者の得票数


で表される。数字が大きいほど、勝負が僅差だったということである。勝負が僅差であるほど、次の選挙で勝者と敗者が入れ替わる確率が高いと予想される。

まず、2008年選挙での野党の成績と2004年選挙の実績との関係をみてみると(表3)、2004年選挙での惜敗率が高い選挙区ほど2008年に高い確率で野党が勝利していることがわかる。大敗した2004年選挙でも野党が勝った21選挙区は野党側の地盤であり、2008年選挙でも野党が20議席を獲得した。2004年の惜敗率が0.9以上だった選挙区については、8選挙区のうち6選挙区で野党が勝った。2004年の惜敗率が0.6以上0.9未満だった選挙区は五分の戦いとなり、48選挙区のうち25選挙区で野党が勝利した。

表3 2004年選挙における野党候補の惜敗率と、2008年選挙における野党の戦績との関係
野党候補惜敗率*(2004年) 議席数(A) 2008年選挙で野党候補が当選(B) B/A (%)
当選 21 20 95.2%
0.9以上1.0未満 8 6 75.0%
0.8以上0.9未満 13 7 53.8%
0.7以上0.8未満 13 6 46.2%
0.6以上0.7未満 22 12 54.5%
0.5以上0.6未満 28 8 28.6%
0.4以上0.5未満 34 14 41.2%
0.3以上0.4未満 29 9 31.0%
0.3未満 34 0 0.0%
立候補見送り 17 0 0.0%
合計 219 82  
* 野党候補のうち、最多得票を獲得した者の惜敗率。「野党」は無所属含む。
(出所)ECM [2006; 2010]より算出。


2004年の惜敗率が0.6未満の選挙区では2008年の勝率は低いが、それでも2004年惜敗率0.3以上0.6未満の91選挙区のうち31区で野党が勝った。大逆転となった31選挙区のうち、17区はクアラルンプールと同市を取り囲むスランゴール州の選挙区である。2004年惜敗率が0.3未満の選挙区と無投票だった選挙区の計51区は与党の地盤であり、与党が完勝した。

このような傾向を念頭において、今回の選挙について考えてみよう。野党連合・人民連盟が、2008年選挙で得た議席をすべて維持すると仮定すると、30議席を積み増すことができれば政権交代が実現する。2008年選挙で惜敗率0.9以上だった選挙区は8区、0.6以上0.9未満だった選挙区は58区である(表4)。今回も前回同様、前者で7割5分、後者で5割の勝率をあげるとすると、人民連盟の議席数は82+6+29=117で、惜敗率0.6未満の選挙区で全敗しても下院定数222の過半数に達し、政権交代である。現実味のある数字といえそうだ。


表4 2008年選挙における与野党の惜敗率
惜敗率 野党・人民連盟等* 与党・国民戦線
当選 82 140
0.9以上1.0未満 8 20
0.8以上0.9未満 19 20
0.7以上0.8未満 21 10
0.6以上0.7未満 18 10
0.5以上0.6未満 19 8
0.4以上0.5未満 19 7
0.3以上0.4未満 12 5
0.3未満 16 2
立候補見送り 8 0
合計 222 222
* 野党候補のうち、最多得票を獲得した者の惜敗率。無所属含む。
(出所)ECM [2010]より算出。


ところが、2008年選挙での与党連合・国民戦線の惜敗率に目を向けると、別の側面がみえてくる。国民戦線が敗れた82選挙区のうち、20選挙区では惜敗率が0.9以上に達していた。これらの選挙区では、わずかに票が動いただけで勝者が入れ替わってしまう。しかも20区中9区は、2004年選挙での野党惜敗率が0.5に満たず、2008年に大逆転が生じた選挙区である。もともと野党が強かった選挙区ではないため、すべてを維持するのは非常に難しいはずだ。国民戦線の惜敗率が0.8から0.9のあいだにあった選挙区の数も20区にのぼり、野党がこの20区すべてで再選を果たすのも困難であろう。

州別に与野党の惜敗率をみると、野党・人民連盟がもっとも議席の積み増しを期待できるのは、2008年選挙が五分の戦いとなったペラ州である。ペラ州で野党が敗れた13選挙区のうち、7選挙区では惜敗率が0.8以上に達していた。4月初頭にはPKRのアンワル・イブラヒムがペナン州の地元選挙区からペラ州の選挙区へ移るのではないかとの噂が流れたが、結局アンワルは地元に留まることになった。

クダ州とスランゴール州では、人民連盟が現有議席を守れるかが焦点になる。国民戦線が敗れた選挙区のうち、クダでは11区中7区で、スランゴールでは17区中10区において、惜敗率が0.8以上に達していた。国民戦線は、とりわけスランゴールでのキャンペーンに力を注いでいる。

総合的にみると、人民連盟が今回の下院選挙で過半数議席を獲得する可能性は低いといえそうだ。与党不信から野党に投票するタイプの有権者は、その多くがすでに前回選挙で野党支持に回っており、前回と同程度の規模で新たに与党から野党へ投票先を変更する有権者が出現するとは考えにくい。政策面では与野党ともにバラマキ志向を強めていて、大きな違いはない。ゆえに、野党にとっては政策の違いを訴えて支持を伸ばすのも困難である。

ただしここでの考察は、過去の経験を敷衍して今回の選挙の行方を占ったものであり、このたびの選挙が従来の傾向とは違う「外れ値」になる可能性は否定できない。インターネット・メディアには、政権交代を期待する言説があふれている。「とにかく政権交代が見たい」という気分が、クアラルンプール周辺やペナンという大都市圏を越えて、地方小都市や農村部にまで達するかどうかが、選挙結果を大きく左右することになるだろう。



脚 注
  1. 2008年選挙時のプトラジャヤ選挙区の有権者数は6608人で、Kapar選挙区との格差は16.98倍である。
  2. 3野党が重複して候補を立てた選挙区については、3党のうちの最多得票候補の得票率を使用した。
  3. 選挙区のマレー人有権者比率(2008年選挙時)と、3野党の2008年選挙得票率と2004年選挙得票率との差分には、統計的に有意な負の相関がある(r=-0.6298、 n=163、 p<0.01)。
  4. この選挙は、全体としてみれば与党がきわめて好調で、占有率は過去最高の9割超に達した(図1参照)。
  5. 詳しくは、以下の拙稿をご参照いただきたい。中村正志「言論統制は政権維持にいかに寄与するか——マレーシアにおける競争的権威主義の持続と不安定化のメカニズム」(『アジア経済』52巻9号、2011年)、2-32ページ。pdf
  6. 中村正志「データでみる第12回マレーシア総選挙結果の特徴と投票行動の変化」(山本博之編『「民族の政治」は終わったのか?2008年マレーシア総選挙の現地報告と分析』JAMSディスカッションペーパー)、19-35ページ。pdf