skip to contents.

枯葉剤処理で越米政府間の協力が実現

アジアの出来事

ベトナム

地域研究センター 寺本 実
PDFpdf (18.4KB)
2012年9月
2012年8月9日、ベトナム中部のダナン空港でベトナム戦争時に残された枯葉剤の処理に向けた、ベトナム政府とアメリカ政府初の協力計画の開始式典が行われた。式典にはグエン・チ・ヴィン国防省次官、アメリカのD.シアー駐ベトナム大使ら関係機関代表が出席した(Nhan Dan2012年8月10日付)。同空港はベトナム戦争時、アメリカ軍による枯葉剤散布のランチハンド作戦の基地のひとつとして、1964~1971年に使用された(Young[2009:62])。戦後、ドンナイ省のビエンホア空港、ビンディン省のフーカット空港などと並ぶ、枯葉剤汚染ホットスポットとして指摘されてきた。
ベトナム戦争中、枯葉剤は実験も含めると、アメリカ軍により1961年8月10日~1971年10月31日まで、その後はベトナム共和国(南ベトナム)軍により散布が行われた。解放勢力側の拠点、物資輸送ルート、戦闘員が潜む南ベトナム地域を覆う鬱蒼としたジャングルは、任務遂行上の脅威であると認識されたことが、同作戦が始められる大きな起因となった。枯葉剤は容量208リットルのドラム缶に入れられ、種類ごとにピンク、グリーン、パープル、ブルー、オレンジ、ホワイトの色が帯状に塗られており、それが呼び名として用いられた。グリーン剤、ピンク剤、パープル剤、オレンジ剤には、ダイオキシンの中でも最も毒性が強く、高い発癌性、催奇形性を持つ2,3,7,8-TCDDが含まれていた。1965~1970年に散布されたオレンジ剤は、散布された枯葉剤の6割ほどを占める。ベトナム国内の枯葉剤被災者は数百万人に上ると見られ、世代を超えて被害は広がってきた。

ダナン空港内には3つのダイオキシン高濃度地域が確認されている。最も高濃度の地域では365,000pptに至る。ダイオキシンは雨で流され、空港近くのセン湖に流れ込み、その濃度は140,000pptにも達するという。また、空港南端を調査した結果、許容濃度の数倍ものダイオキシンが確認されている(Huu Bac[2009:26])。ダナン空港における処理作業では、空港周辺の土を掘り起こし、その土を鉄などの絶縁体で覆い、高温で加熱することにより、ダイオキシンを二酸化炭素、塩化物、水に分解するという(NHKワールドワイドWave特集まるごと[2012])。Nhan Dan(2012年8月10日付)によれば、今回の計画により、ダナン空港地域におけるダイオキシン汚染の危機を取り除き、同計画が終了する2016年までに経済、商業目的に使用するための土地29haを生み出すことを見込んでいる。同紙は、今回のダナン空港における汚染除去作業の成功が、両国によるこれ以降の汚染除去プロジェクト継続の前提になると伝えている。

越米関係は、交戦の歴史、イデオロギーの問題など、さまざまな問題を抱えながらも、1995年7月の外交関係樹立、2000年7月の越米通商協定締結(2001年12月発効)と、着実に交流を進めてきた。現在では政治、国防、人権問題に関する2国間対話が継続的に行われるまでになっている。とはいえ、ベトナム戦争中、肉親、恋人、友人が殺された地で今も暮らし続けるベトナムの人たちにとって、深く刻まれた記憶、感情を乗り越えることは容易ではない。過去は歴史となっても消えさることはない。それでもなお、その他の思惑の有無にかかわらず、かつて戦争の当時者であった両国政府が力を合わせ、戦時の負の遺産を克服しようとする今回の試みは、枯葉剤の毒性克服への挑戦という側面はいうまでもなく、過酷な歴史を乗り越えて前に踏み出そうとする未来志向の取り組みという観点からも、意義を持つと考えられる。



[参考文献]
  • Huu Bac[2009]No luc cua Viet Nam trong viec khac phuc Hau qua Chat doc Hoa hoc DIOXIN, Tap Chi Lao Dong&Xa Hoi, so 357 tu16-30/4/2009.
  • Alvin L.Young [2009] The History, Use, Disposition and Environmental Fate of Agent Orange, Springer.
  • NHKワールドワイドWave特集まるごと[2012]ベトナム戦争から37年 ようやく始まる枯れ葉剤除去(http://www.nhk.or.jp/worldwave/marugoto/2012/08/0814.html)