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ジェシー・ロブレド内務自治長官(フィリピン)の急逝

アジアの出来事

地域研究センター 川中 豪
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2012年8月
8月、不慮の飛行機事故によってフィリピンのジェシー・ロブレド内務自治長官が亡くなった。54歳の若さだった。
内務自治長官は、国家警察と地方政府というフィリピン国内統治の要を管轄する重要なポストであり、政権の柱とも言うべき立場にあったロブレド氏の急逝は、アキノ現政権にとって大きな痛手である。しかしながら、ロブレド氏の逝去が意味するのは、単に現職閣僚が亡くなり政府の活動に支障が出ることが懸念されることにとどまらない。有能な市長として長く地方行政の世界で注目されてきたロブレド氏は、2年前の内務自治長官就任によって国政に登場し、今後、その手腕を大きく発揮することを期待されていた。さらに、清廉で勤勉な彼の人格は、これからのフィリピンにとって必要な政治家のモデルとして、多くの人々の尊敬を集めていた。フィリピンの政治にとって大きな資産が失われたと言っても過言ではない。

マニラから南東に約270km離れたナガ市に生まれたロブレド氏は、マニラのデラサール大学、フィリピン大学で学び、フィリピンでも有数の大企業サンミゲール社での勤務を経て、29歳でナガ市の市長に当選した。2010年に現大統領のベニグノ・アキノ三世によって内務自治長官に任命されるまで、途中ハーバード大学への留学期間を除いて、計6期19年もの間、市長を務めてきた。この間、アジアのノーベル賞とも呼ばれるラモン・マグサイサイ賞の受賞をはじめ、その市政運営の手腕はフィリピン国内のみならず、国際的にも高く評価されてきた。税収拡大と歳出見直しによる市財政の建て直し、フエテンと呼ばれる違法賭博の取り締まり、土地所有権獲得事業や小規模生業への低利融資など貧困層への様々な支援プログラム、NGOや住民組織との積極的な対話、商業活動振興のためのインフラ整備、いずれも市長としてのロブレド氏のイニシアティブによって始まり、途上国における地方政府運営のモデルとして認知されるようになっていった。

ロブレド氏が傑出していたのは、汚職と無縁で政府運営の技術に長けていたからばかりではない。彼はフィリピン政治の本質を熟知し、そこで展開される権力闘争、政治競争に対処するタフさをもっていた。ナガ市長時代には、貧困層を中心として住民を組織化し、効率的に住民の利益・情報を集約して資源配分を進めた。一方で、対抗勢力の関係者は徹底してそうした資源配分から排除し圧力をかけていった。政治マシン、集票マシンと呼ばれるものがかなり純化した形で運営されていた。こうした政治動員によって、自らが再選を繰り返しただけでなく、2回目の選挙以降は市議会の全議席を自陣営で独占してきたのである。

とはいえ、彼は非情な政治家とは対極にあった。筆者が1996年から1998年にかけてナガ市の政治を調査したときに見たのは、ロブレド氏の人間としての許容度の大きさ、人懐っこさ、そして開放的な性格であった。市長執務室は常に住民に開放されており、アポイントメントなしで市長と話をすることができた。長いテーブルの端に座ったロブレド氏と話すため、多くの住民たちがテーブルの両端に並んで座り、自分の順番が来るのを期待と緊張の面持ちで待っていた光景は忘れられない。また、夜は必ず大きめのバンタイプの自動車に乗って市内の様々な集会に顔を出していた。訪れる場所ごとに要請される下水・道路の修復などには、翌日には必ず市政府の担当者を派遣して何らかの対処に努めていた。よく一つ一つ陳情を覚えていられると感心した筆者に対し、まだ、そちらの記憶力だけは大丈夫だと笑っていたのが印象的だった。何よりも人々と接すること、話をすることをこの上無く好んでいた。

政府運営の効率性を高め、公共サービスの提供を通じて人々の生活を向上させること。違法な経済活動、特に違法賭博には徹底して対決していくこと。こうした目的を果たすためには政治的競争に圧勝すること。ロブレド氏の中にはビジネスで培った組織運営の倫理、敬虔なクリスチャンとしての強い道徳感、そして、タフな政治家としてのプラグマティズムが同居していたように思われる。

フィリピンにおいてあるべき政治家を語るとき、今後、ロブレド氏は必ず言及される存在であり続けるだろう。