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ミャンマー総選挙とその後 (2)20年ぶりの総選挙実施

アジアの出来事

アジア

地域研究センター 工藤 年博

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ミャンマーでは2010年11月7日に、20年ぶりに総選挙が実施された。私はその数日前から別の仕事でヤンゴンに滞在していた。投票日は日曜日であったので時間的な余裕もあり、街の様子を見ることができた。ヤンゴンでは、投票は混乱なく行われた。

選挙管理委員会が選挙結果を順次発表するにつれ、軍政が全面的に支援する連邦団結発展党(USDP)の「圧勝」が明らかになりつつある。これに対して、民主化政党や少数民族政党、さらには軍政寄りと見られていた政党もが、総選挙で不正があったとして不服を申し立て始めた。また、投票日の翌日には、少数民族武装勢力のひとつがタイとの国境の町を攻撃し、多くのミャンマー市民がタイ側へと逃げ出す事態となった。さらには、総選挙から6日目の13日(土曜)夕、ミャンマー軍政は民主化運動指導者のアウンサンスーチー(以下、スーチー)氏を、7年半ぶりに自宅軟禁から解放した。ミャンマー政治は総選挙をきっかけに、再び大きく動き出したようにみえる。

本シリーズでは何回かに分けて、2010年総選挙とその後の動向を紹介していく。第2回目の今回は、総選挙当日の様子などを含めて、選挙戦の様子を紹介する。なお、総選挙の仕組みについては、 本シリーズの第1回目 を参照されたい。

ヤンゴンの様子

11月7日(日曜)の投票日、ヤンゴンは快晴だった。格好のお出かけ日和であったが、町はいつもの日曜日よりも静かだった。車や人出が少なく、本来は稼ぎ時のはずのショッピング・センターも閉まっているところが多かった。路線バスや荷台を改造して人を乗せるミニ・トラックの便数が少なくなっており、郊外から都心へ出てくることも難しくなっていたようだ。一部で爆発事件が起きるとの噂があったことも、人々が外出を控えた原因のひとつであったかも知れない。

普段は賑やかなヤンゴン市内の目抜き通りも投票日は車も人も少なかった。2010年11月7日午前9時前、筆者撮影
普段は賑やかなヤンゴン市内の目抜き通りも投票日は車も人も少なかった。2010年11月7日午前9時前、筆者撮影

ヤンゴン郊外には多くの工業団地が設置されているが、この日は休日出勤が禁止されていたようである。ある工業団地では、故郷を離れて出稼ぎに来ており、工場に隣接した寮で暮らす従業員のために、投票日の前日に特設の投票場が設置された。この工業団地の管理人は日本人であったが、投票日に外国人がいるのは良くないとのことで、投票の様子を見に行くことはしないとのことであった。今回の総選挙にあたって、ミャンマー軍政は外国人記者の入国を認めなかった。数日前からインターネットも遮断されていた。このような状況下で、外国人が投票所の周りをうろうろとすることは憚られたのである。

当日の投票時間は朝6時から夕方4時まであった。私はその日、ビルマ人の友人と朝食を一緒にする予定で、朝6時に滞在している街中のホテルで待ち合わせをしていた。ところが、その友人が朝食前に投票したいということで、ホテルから歩いて10分程の学校に設置された投票所へ向かった。外国人ということで何となく居心地が悪かったが、友人が投票している15分くらいの間、私は学校の門の外で待っていた。朝6時過ぎという早い時間にもかかわらず、すでに投票所にはかなりの人が訪れていた。

一般に、ミャンマー国民は今回の総選挙に無関心であると言われていた。ミャンマー軍政が全面的にバックアップするUSDPの勝利がほぼ確実で、投票日の時点では自宅軟禁下にあったスーチー氏らが率いる最大野党の国民民主連盟(NLD)が参加しない総選挙に、国民は冷めていた。実際、私の友人の中には、投票に行かないと言う人も多かった。しかし、この投票所への出足の良さをみると、もちろん一箇所の観察に過ぎないものの、意外と投票率が高くなる可能性もあるのではないかと印象を持った。実際、投票時間終了の2時間前の午後2時に投票所へ行った友人の話では、その時点で既に有権者名簿の7~8割にサインがなされていたとのことであった(※有権者は投票所へ行くと、有権者名簿にサインをした上で投票券を受け取る)。午後2時を過ぎると、大きなスピーカーを載せた車が「選挙へ行きましょう!」と連呼しつつ、街を走り回っていた。

投票率の高低は、今回の総選挙の成否を占う大きな要因であった。ミャンマー軍政は総選挙の有効性を訴えるために、高い投票率を獲得しようとしていた。一方、総選挙をボイコットしたNLDは「国民は投票する権利も、投票しない権利もある」と訴え、実質的に棄権を呼びかけていたのである。投票率が高ければ軍政の勝ち、低ければNLDの勝ちとの構図ができあがっていた。投票率の高低は、スーチー氏解放後の彼女やNLDの政治活動にも影響すると見られていたのである。

総選挙の概要

表1に2010年総選挙と1990年総選挙の概要を示した(今回の総選挙の仕組みに関しては、 本シリーズの第1回目 で書いたので、詳しくはそちらを参照していただきたい)。

表1 2010年と1990年の総選挙の概要
  2010年 1990年
選挙区総数 1163 492
実施選挙区数 1157 485
登録申請政党数 47 235
参加政党数 37 93
有権者数(概数) 2900万 2082万
立候補者数 3072人 2296人
(内無所属) (88人) (87人)
平均競争率 2.7倍 4.7倍
(出所)選挙管理委員会、各種報道。

今回、有権者は2院制の連邦議会と地方議会のそれぞれの議員を選ぶために、原則として3票を投じた(但し、少数民族代表を選ぶ投票権がある場合は4票)。当初の議席数は、連邦議会を構成する人民代表院の民選議員330人と民族代表院の民選議員168人、及び14の地域・州議会の民選議員665人の、合計1163人であった。しかし、選挙管理委員会が治安上の理由からいくつかの地域で投票を実施しないことを決めたため、人民代表院の議席が4つ、地域・州議会の議席が2つ減り、合計1157人となった。この内、人民代表院の10選挙区、民族代表院の8選挙区、地域・州議会の37選挙区では立候補者が1人しかいなかったため、無投票で議員が選出された。最終的に、今回の投票で選ばれる議員は1102人であった。

今回の総選挙には、37の政党から2984人、無所属で88人の、合計3072人の候補者が出馬した(表2)。但し、選挙管理委員会から全国的な立候補者の統一名簿が発表されず、確定した数字を知るには開票結果を待つ必要がある。出馬した37政党の内、1990年総選挙時からの継続政党は4、新規政党が33であった。継続政党は10政党があったが、NLDを含む5政党は規定された期日内に政党登録を行わなかったため、解党させられた。なかでも、NLDは2008年憲法が非民主的であること、スーチー氏を政党から排除しなければならない選挙法となっていることなどを不服として、総選挙への参加をボイコットした。

結局、継続政党5つを含む47の組織が選挙管理委員会に設立を申請し、42政党が設立及び登録を認められた。政党設立を許可されなかった政党には、少数民族の3つの政党—カチン州進歩党(KSPP)、北シャン州進歩党、連合民主党(カチン州)—が含まれていた。これは軍政がこれらの政党と少数民族武装勢力との関係を疑ったためである。例えば、KSPPはカチン独立機構(KIO)の副議長であった、トゥージャ氏が党首を務めている政党である。ミャンマー国軍は2009年4月以降、停戦合意を結んでいる少数民族武装勢力に対して、国軍が指揮権をもつ国境警備隊に編入するよう求めてきた。しかし、多くの少数民族武装勢力がこれを拒否しており、KIOはその筆頭株であった。政党登録を拒否された少数民族リーダーは無所属での立候補を試みたが、選挙管理委員会はこれも拒絶した。

さらに、今回の総選挙に参加するためには、少なくとも3つの選挙区に候補者を擁立することが求められた。政党設立・登録を認められた42の政党のうち37の政党が、この要件を満たし、11月7日の総選挙に参加したのである。継続政党のひとつ連邦カレン連盟は3選挙区に候補者を立てられずに、失格となった。結局、継続政党4、新規政党33が参加した。

表2 政党別立候補者数
   

政党名

 

民族(注1)

継続(90年議席の有無)/新規  

合計

立候補者数
人民代表院 (326) 民族代表院 (168) 地域・州議会 (663)
地域・州 (634) 少数民族代表 (29)
1 連邦団結発展党 ミャンマー 新規 1112 315 158 612 27
2 国民統一党 ミャンマー 継続(有) 995 294 149 535 17
3 国民民主勢力 ミャンマー 新規 162 104 36 22  
4 シャン民族民主党 シャン 新規 156 45 15 93 3
5 民主党(ミャンマー) ミャンマー 新規 47 23 9 15  
6 ミャンマー連邦国民政治連盟 ミャンマー 新規 46 25 11 10  
7 ラカイン民族発展党 ラカイン 新規 44 12 8 23 1
8 カレン人民党 カレン 新規 41 7 5 24 5
9 チン進歩党 チン 新規 40 9 12 18 1
10 88世代学生青年党(ミャンマー連邦) ミャンマー 新規 39 28 6 5  
11 全モン地域民主党 モン 新規 34 8 9 16 1
12 新時代人民党 ミャンマー 新規 30 7 4 19  
13 ワ民主党 新規 25 8 1 16  
14 チン民族党 チン 新規 22 6 7 9  
15 国民発展民主党 ロヒンギャー 新規 22 6 5 11  
16 パロン・サウォー民主党 カレン 新規 18 5 4 9  
17 タアン(パラウン)民族党 パラウン 新規 15 4 2 9  
18 ラカイン州民族の力 ラカイン 新規 14 2 2 10  
19 国民政治同盟 ミャンマー 新規 13 7 3 3  
20 パオ民族機構 パオ 新規 10 3 1 6  
21 民主平和党 ミャンマー 新規 9 8 1    
22 統一民主党(カチン州) カチン 新規 9 2 3 2 2
23 ムロ(カミ)民族連帯組織 ムロ/カミ 継続(有) 9 1 1 7  
24 ラフ民族発展党 ラフ 継続(有) 9   2 7  
25 連合民主党 ミャンマー 新規 8 4 3 1  
26 コーカン民主統一党 コーカン 継続(無) 8 3 1 4  
27 平和・多様党 ミャンマー 新規 7 3 2 2  
28 カマン民族進歩党 カマン 新規 6 2 1 3  
29 カヤン民族党 カヤン 新規 5 1 1 2 1
30 イン民族発展党 インダー 新規 5 1 1 2 1
31 ウンターヌNLD(ミャンマー連邦) ミャンマー 新規 4 4      
32 ワ民族統一党 新規 4 3 1    
33 カレン州民主発展党 カレン 新規 4   2 2  
34 連邦民主党 ミャンマー 新規 3 2 1    
35 カミ民族発展党 カミ 新規 3   3    
36 国民発展平和党 ロヒンギャー 新規 3   2 1  
37 少数民族発展党 チン 新規 3   1 2  
政党候補者合計(37政党) 2984 952 473 1500 59
無所属候補者合計(注2) 88        
立候補者合計 3072        

(注)1) 「ミャンマー」の場合は民族色のない政党を含む。ミャンマー(もしくは民族色のない)政党が13政党、少数民族政党が24政党。
   2) 無所属候補者の議会別内訳は不明。
(出所) 選挙管理委員会、各種報道より作成。但し、選挙管理委員会は立候補者の統一名簿を発表していないため、数字は確定したものではない。

USDPに有利な選挙戦


今回の選挙戦は、ミャンマー国軍がバックアップするUSDPという体制政党、これに挑む小規模な民主化政党及び少数民族政党、そして第3極の形成を目指す旧ビルマ社会主義計画党(BSPP)の継承政党である国民統一党(NUP)という三つ巴の構図となった。NLDが総選挙をボイコットしたため、民主化勢力はいずれも組織力、知名度をもたない小政党ばかりとなってしまった。USDPが全国に1112人、NUPが995人の候補者を擁立したのに対し、NLDから分派して設立された国民民主勢力(NDF)162人、ウ・ヌ前首相の娘などいわゆる「3人のプリンセス」を擁する民主党(ミャンマー)は47人の候補者を立てるに留まった。

少数民族政党では、シャン民族民主党(SNDP)が地域・州議会を中心に156人の候補者を立てた。党首のサイ・アイ・パオは1990年総選挙でNLDに次ぐ第2党となった、シャン民族民主連盟(SNLD)の書記長を努めた人物であった。政党のロゴからホワイト・タイガー(白い虎)と呼ばれ、シャン州を中心に国民に人気がある。USDPのロゴがライオン(獅子)であったので、虎対獅子の戦いといわれた。

こうした選挙戦の構図は、USDPに有利に働いた。USDPは連邦団結発展協会(USDA)という全国に1万5000の事務所を持ち、全人口の4割に相当する2400万人の会員を有する大衆組織を母体とする政党である。党首のテイン・セイン首相をはじめ、形式上は退役した軍政幹部がずらりと名を連ねている。しかし、USDAあるいはUSDPはその大規模なメンバーシップにもかかわらず、国民からは軍政の傀儡団体・政党とみられており、根本的に不人気である。

もしNLDが総選挙に参加していれば、たとえスーチー氏が自宅軟禁下に置かれていても、有権者がNLDという政党に投票した可能性は高かったであろう。1990年総選挙の際は、(スーチー氏の自宅軟禁という)同様な状況下でも、NLD候補者であれば誰でも当選できる状況であった。しかし、NLDが不参加となった今回の総選挙では、他の民主化政党には知名度も組織力もなく、USDPに対抗するために全国に候補者を出すための資金力もなかったのである。

USDPは資金力と組織力を使って、選挙戦を有利に進めた。例えば、USDPの母体組織のUSDAは地元の生活道路を整備することで、住民の歓心を得ようとしていた。下の写真をみていただきたい。この道路は整備されたばかりであるが、道端にライオンのロゴが刻まれた石柱が立てられている。この石柱には、USDAが自己資金で2010年3月21日から4月9日にかけてこの道路を舗装したと書かれている。このような、USDAによる小規模な開発事業は各地で観察された。開発プロジェクトを途中で止めて、USDPの候補者が当選したら建設を再開するといった、露骨な選挙戦略も取られたという。

ヤンゴン市内の道路。2010年11月3日、筆者撮影
ヤンゴン市内の道路。2010年11月3日、筆者撮影

意外な伏兵はNUPであった。USDP以外では、NUPのみがほぼ全ての選挙区に候補者を擁立した。NUPは農民に農地の所有権を与えることを柱とする新農業政策を打ち出し、農村部で一定の認知を得ていたともいわれる。また、USDPとNUPとの一騎打ちとなる選挙区が、人民代表院で84議席(全体の26%)、民族代表院で48議席(同29%)、地域・州議会で141議席(同32%)あり、これらの選挙区でNUPが善戦すれば、USDPの勝利を脅かす恐れがあった。しかし、これまでの開票結果をみると、NUPは惨敗に終わったようである。旧社会主義時代の苦境を覚えている世代はもとより、若い世代にもNUPは軍政一味の政党と映ったのであろう。

続く