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不透明さ増すミャンマー情勢:2010年総選挙に向けて

アジアの出来事

ミャンマー

地域研究センター 工藤 年博
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この記事はデイリープラネット(CS放送)「プラネットVIEW」でオンエアされた『ミャンマー民主化の遙かな道』(2009年2月2日)及び『ミャンマー少数民族問題の行方』(2009年9月10日)の内容を加筆修正したものです。


軍政の決意を示す2つの出来事

Question ミャンマーでは昨年(2008年)に新憲法が制定され、来年(2010年)には20年ぶりの総選挙が実施される予定になっています。しかし、今年(2009年)の8月に、民主化運動の指導者であるアウンサンスーチーさんに国家防御法違反で有罪判決が下ったり、中緬国境地域の少数民族武装勢力とミャンマー国軍との武力衝突が発生したり、後ろ向きな出来事が続いています。こうした出来事は来年の総選挙に向けた政治動向と関わっているのでしょうか。また、総選挙及びその後の新政権のあり方に影響を与えるのでしょうか。

Answer はい。今年8月に起きた2つの出来事は、2010年に予定される総選挙とその後の政治動向を占う上で、重要な意味を持っています。いずれの出来事も、ミャンマー軍政が是が非でも総選挙を成功裏に実施し、軍政主導の新政権を発足させようとする決意を示すものと思われます。今日は、これら2つの出来事の意味を理解する上で重要な、新憲法の内容、アウンサンスーチーさん拘束を巡る経緯、そして少数民族問題について解説します。

 

新憲法の「からくり」

Question それでは、はじめに2008年の新憲法について、お聞きしたいと思います。新憲法は本当に国民の信任を得て制定されたのですか。

Answer ミャンマー軍政は2008年5月10日と24日に、新憲法の是非を問う国民投票を行いました。その結果、投票率98%、賛成率92.48%という国民の高い信任を得て、新憲法が承認されたと当局は発表しています。

一方で、国民投票直前の2008年5月2日から3日にかけて、大型サイクロン・ナルギスがイラワディ・デルタ及び最大都市ヤンゴンを直撃し、死者・行方不明者約14万人、被災者240万人という大きな被害が出ていました。大型サイクロンが直撃し大きな被害が出た直後でありながら、驚くほど高い投票率、そして賛成率となったわけで、当然この投票結果には疑問符がつきます。

Question ミャンマー軍政は、そもそもなぜ、そのような時に国民投票を強行したのですか。

Answer ミャンマー軍政にはこの新憲法を何が何でも、予定通りに制定する必要がありました。ミャンマーでは1990年に一度、総選挙が実施されています。この時はアウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟(NLD)が議席の8割を獲得し、親国軍の政党は惨敗しました。結局、現在の軍事政権は政権委譲を拒み、選挙結果を反故にしてしまったのです。それ以来20年近くも経つわけですが、事あるごとに、ミャンマー軍政は正当性を持たない権力として民主化勢力や国際社会から批判されてきました。

ミャンマー軍政としては、この批判をかわすためには、もう一度選挙で国民の信を問うしかないわけですが、しかし、今度もまた負けるかも知れない。そこで、新憲法の中に、(選挙結果がどうであれ)国軍が権力を維持できるような、巧妙な仕掛けを仕込んだわけです。当然のことながら、そうした国軍に有利な仕掛けは非民主的な条項として国内外から批判を受けることになる。こうした批判を退けるためには、この新憲法が国民の圧倒的多数で可決されたという、体裁を整える必要があったというわけです。

Question 新憲法における、国軍が権力を維持できる仕組みとは、具体的にどのようなものですか。

Answer いくつもあるのですが、次の6点を指摘したいと思います。
 

(1)人民代表院と民族代表院のそれぞれ4分の1は軍人議席。(2)軍人議員に有利な大統領の選出方法。(3)重要閣僚への軍人の任命。(4)国軍は武力を独占した、独立した組織として存続。(5)非常事態時には国軍司令官が全権を掌握。(6)憲法改正に対する国軍の実質的な拒否権。
 

Question たくさんありますね。それでは、第1の点について教えて下さい。

Answer 第1点目は、軍人議席の存在です。新憲法で設置される連邦議会は人民代表院と民族代表院の2院制となっています。人民代表院は人口及び郡に基づき選出され、民族代表院は州・管区から同数選出されます。人民代表院の議席数は最大440人ですが、このうち最大110人は国軍司令官が指名する軍人議員に割り当てられます。民族代表院の議席数は最大224人で、このうち168人は14の州・管区から12人ずつ選挙で選ばれます。残り56人は各州・管区より4人ずつ国軍司令官が指名する軍人議員です。両院合わせて定数は最大664人、うち軍人議席は最大166人となります。

すなわち、全議席の4分の1が選挙を経ずに、国軍司令官が指名することができる軍人議席なのです。親国軍の政党が選挙でもう4分の1の議席を獲得すれば、軍政は連邦議会の過半数を制することができます。実際に、大政翼賛組織の連邦団結発展協会(USDA)が、政党化を目指しているといわれており、来年の総選挙では親国軍政党として出馬する可能性が高いのです。この軍人議席の存在が国軍の統治を実質的に永続させてしまうのではないかと、懸念される最初の点です。

Question 議席の4分の1が自動的に国軍に割り当てられるのですね。第2の点はいかがですか。

Answer 第2に、大統領の選出に際しても、国軍出身者が有利となっています。大統領の選出方法は、次のような手続きになります。


大統領の選出方法


まず、人民代表院の一般議員グループ、民族代表院の一般議員グループ、両院の軍人議員グループの3グループからなる大統領選挙人団が、それぞれ副大統領を1人ずつ選びます。資格審査を経て、全連邦議会議員が投票によって、3人の副大統領のうち1人を大統領として選出します。国軍及び友党が連邦議会の多数を制していれば、軍人議員グループの副大統領が大統領として選出されることになるでしょう。仮にそうならない場合でも、副大統領の1人は自動的に軍人議員となります。

大統領の資格要件としては、国家及び国民に忠実であること、ミャンマー国民であること、45歳以上であること、20年以上連続してミャンマー国内に居住したものであることに加えて、政治、行政、経済、軍事に精通していること、及び大統領とその家族が外国に忠誠を誓うものであってはならず、外国の権利や特権を有しているものであってもならない、と規定されています。軍事にも通じていることが求められている点が、国軍出身者に有利な要件になっているとの批判がありますが、同時に政治、行政、経済の知識も求められており、字義通りに読めばこの条項が国軍出身者に特段に有利というわけではありません。

他方、外国の影響については、国際社会と関わりの深いアウンサンスーチーさんや民主化勢力を排除するための要件ともいわれます。ちなみに、議員への立候補資格に関しては、外国政府や団体から金銭、土地、住居、車などの支援を受けていないことも含まれています。これらの条項は1990年総選挙の際に使われた選挙法と同様であり、アウンサンスーチーさんの立候補資格を剥奪する根拠のひとつとなっています。

Question 大統領にも軍人が就任する可能性が高いのですね。第3の点はいかがですか。

Answer 第3に、重要閣僚への軍人の任命という点があります。大統領は国防相、治安・内務相、国境相については、国軍司令官より適当な軍人の任命リストを入手することが求められています。すなわち、これら3閣僚については国軍司令官が軍人を指名することができると解釈できます。これによって、国軍、警察、国境警備隊など全ての武力が、実質的に国軍司令官の統制下に入ることになります。国軍司令官による全ての武力の独占という状況は、新憲法下でも変わりません。

これと関係しますが、第4に、新憲法では国軍は国軍に関する全ての事項を独立して掌理する権限をもつと規定されています。また、軍人は軍事法廷で裁かれ、そこでは国軍司令官の決定が最終であるとされています。これにより国軍は連邦議会や大統領、司直の監督を受けない、独立した武力組織として存続することになるのです。

Question 国軍の強い自律性が確保されているのですね。非常事態時には国軍が全権を掌握することができる、とも言われていますが。

Answer それが第5点目です。国家の分裂、主権の喪失などの危機に直面した場合、大統領は国防治安評議会と協議し、非常事態を宣言し、全権を国軍司令官に委譲することができる、と規定されています。非常事態時に大統領が全権を掌握するのではなく、国軍司令官にこれを委譲するというところが、国軍優位のミャンマー新憲法の特徴です。

この規定が国軍のクーデターを実質的に容認することになるのではないか、との批判があるのです。というのは、国防治安評議会は大統領、副大統領2人、人民代表院議長、民族代表院議長、国軍司令官、国軍副司令官、国防相、外相、内務相、国境相という11人のメンバーで構成されており、すでに紹介したように、このうち大統領・副大統領のうち1人、国軍正副司令官2人、国防相、内務相、国境相の合計6人(すなわち過半数)が国軍出身者となると想定されているからです。国防治安評議会は実質的に国軍司令官に牛耳られており、たとえ大統領が文民であった場合でも、国軍はいつでも非常事態の発動を迫ることができる、というのです。

但し、非常事態宣言を発動するのはあくまでも大統領であり、国防治安評議会はそれに承認を与える権限をもつだけと解釈すれば、大統領が国軍出身者でなければ、国軍が思い通りに非常事態を発動できるということにはならないかも知れません。実際にどのように解釈され、運用されるかで事態は大きく異なるでしょう。

Question それでは、最後の点について教えて下さい。

Answer 最後の点は憲法改正に関してです。新憲法では、憲法改正には連邦議会議員の4分の3を超える賛成が必要と規定されています。さらに、国家原則、国家構成、立法、行政、司法、非常事態に関する条項については、国民投票により全有権者の過半数が賛成した場合のみ、改正が認められることになっています(上記以外の条項については、国民投票は不要)。実際には、国軍は連邦議会に自動的に4分の1の議席をもつため、憲法改正に関して拒否権をもつことになります。すなわち、一度この憲法が制定されれば、国軍の同意がなければ、改正は困難となるのです。

Question なるほど。恒久的な国軍の国政関与を、実に巧妙に制度化していますね。新憲法がミャンマー国軍にとって都合の良い内容となっていることが、よく分かりました。

 

アウンサンスーチーさん拘束の背景

Question それでは、次のテーマに行きたいと思います。ヤンゴンの特別法廷は8月11日、アウンサンスーチーさんに禁固3年の判決を言い渡しました。判決直後、軍政トップのタンシュエ国家平和発展評議会議長が、これを自宅軟禁1年6ヵ月に減刑しました。アウンサンスーチーさんは上訴しましたが、判決が覆るのは難しいと見られています。今回の有罪判決は「国家防御法」違反に対する罰ということですが、これはどのような法律なのですか。

Answer この法律は社会主義時代の1974年にヤンゴンで反政府運動が発生したことを契機に、翌1975年に治安維持を大義名分として制定されたものです。同法10条b項は国家や人民の安全を脅かす—あるいはその可能性がある—と当局が判断した人物を、司法手続きなしで最長5年間もしくは6年間拘束することを認めています。拘束期間については、ミャンマー軍政と民主化陣営の間に解釈の違いがあります。軍政の意向を代弁することの多い国営紙の論説記事では、本法による6年間の拘束が可能とする解釈が示されていました。いずれにせよ、当局にとって非常に都合の良い法律であることに違いはありません。

Question 今回、アウンサンスーチーさんが起訴されたのは、彼女がこの「国家防御法」により自宅軟禁下にあったにもかかわらず、5月にインヤー湖を泳いで自宅の敷地に侵入してきたアメリカ人男性と無断で接触したという、「国家防御法」違反の容疑であったわけです。そもそも、アウンサンスーチーさんが「国家防御法」により自宅軟禁に置かれたのは、どのような経緯だったのでしょうか。

Answer 今回、アウンサンスーチーさんが「国家防御法」により自宅軟禁に置かれるきっかけとなったのは、2003年5月30日のディペイン事件に遡ります。この日、地方遊説に出ていたアウンサンスーチーさんを含むNLDの車列が、ディペインという田舎町で暴徒に襲われました。暴徒の多くは先に紹介したUSDAのメンバーであったと言われています。アウンサンスーチーさんはそのまま当局に拘束され、しばらく行方が分からなくなりましたが、その後、自宅に連れ戻され、軟禁下に置かれました。

その後、当局は同年11月27日に「国家防御法」を適用しています。国家防御法では1年間に最低1回は、拘束期間を見直すべきことが規定されています。この規定に基づき、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁は2004年11月27日に1年間、2005年11月27日に半年間、2006年の5月27日に1年間、2007年の5月27日に1年間、2008年5月27日に1年間、延長されてきてきました。

ある意味、ミャンマー軍政は律儀に拘束期間の見直し(すなわち、延長)を実施してきたわけですが、そのため延長の度に「ミャンマー問題」が国際社会の注目と非難を集めることになってしまいました。当初は11月27日に拘束期間が延長されていましたが、国連総会やASEAN首脳会議が開かれるこの時期に国際社会の注目を集めるのを嫌ったためか、ミャンマー軍政は途中で「半年間」という拘束期間を挿入し、延長のタイミングを5月27日にずらしています。しかし、この時期にもNLDが圧勝した1990年総選挙の記念日などが重なっており、結局軍政の目論見ははずれ、拘束期間の延長の度に、国内外の注目と非難を集めることに変わりはありませんでした。

このような状況下で、今回の米国人男性のアウンサンスーチーさん宅の侵入事件が起きたのが、2009年5月27日の拘束期間の見直し(=延長)を目前とした時期であったこともあり、ミャンマー軍政が口実作りのためにこの事件をでっち上げたとする見方さえあったのです。

Question なるほど。アウンサンスーチーさんの自宅軟禁の拘束期限の問題に頭を悩ませていたミャンマー軍政にとっては、この時期にアメリカ人男性がこうした事件を起こしてくれて、好都合だったということですね。ところで、ミャンマー軍政はなぜ、そこまでしてアウンサンスーチーさんを拘束しておきたいのですか。

Answer それは2010年に予定している選挙期間中、アウンサンスーチーさんに政治活動をさせないためです。2003年5月のディペイン事件が起きたのも、アウンサンスーチーさんが地方遊説に行くと多くの市民が集まって来ることを、当局が嫌ったからだと言われています。アウンサンスーチーさんの国民の間での人気には、根強いものがあります。

Question これから1年半の自宅軟禁というのは、2010年の選挙期間中は外に出さないぞ、と言う意味なのですね。

Answer その通りです。しかも、軍政はそれが過ぎてもアウンサンスーチーさんを解放しない「オプション」を持っています。今回のタンシュエ議長の減刑措置を詳しくみてみると、(実際の判決がどうであれ)刑期を半分にし、残りの半分の刑期は執行猶予とする、という構成になっています。そして、アウンサンスーチーさんが定められた規則に則り「品行方正」に過ごせば、残りの刑期を赦すという措置になっているのです。すなわち、1年半後のアウンサンスーチーさんの自宅軟禁からの解放が決まっているわけではなく、軍政は拘束期限をさらに1年半延長するオプションを持っているということなのです。来年の総選挙を巡って何らかの混乱が生じたり、万が一新政権の発足が遅れたりした場合でも、アウンサンスーチーさんに政治活動をさせないという、ミャンマー軍政の意図が伺われます。

Question アウンサンスーチーさんの政治活動が、封じ込められたことは分かりました。このような状況で、NLDは2010年の選挙に参加するのでしょうか。

Answer そこが重要なポイントです。NLDは2009年4月29日に採決した「シェエゴンダイン宣言」において、総選挙に参加する条件として、3つの要求を掲げました。すなわち、(1) NLD幹部を含む全ての政治犯の釈放、(2) 新憲法の非民主的条項の改正、(3) 国際監視の下での包括的、自由、公正な選挙の実施です。しかし、いままで議論してきたとおり、これらのいずれに関しても軍政が譲歩する可能性は低いと思われます。また、NLD創設者の一人で有力メンバーのウィンティン氏は今年9月9日のワシントン・ポストへの寄稿のなかで、「我々はビルマ国民の自由—我々はそれを求めて闘ってきたのだ—を奪ってしまうような、致命的な欠陥のある政治プロセス(新憲法に基づく総選挙:筆者注)に、脅されたり強制されたりして、参加することはない」と言明しているのです。

しかし一方で、NLD党員の中には、総選挙に参加して20年に及ぶ政治的膠着の突破口を開きたいと考える人もいます。国際社会の意見も割れているのが実状です。本当のところ、NLDもまだ姿勢を明確にはしていません。今後、軍政とNLDの間で、水面下のぎりぎりの駆け引きが続けられると思います。

 

再燃する少数民族問題

Question それでは最後のテーマの少数民族問題について、お聞きします。

Answer この問題も非常に重要なイシューです。まず注目すべきは、先月(2009年8月)中国との国境地域の「特区」を実効支配するコーカン族の武装勢力(ミャンマー民族民主同盟軍、MNDAA)と、ミャンマー国軍との間で発生した武力衝突です。この武装衝突の結果、コーカン地区の住民約15万人のうち約3万7000人が中国雲南省に逃れるという事態に至りました。結局、8月29日にはコーカン軍の兵士700人が中国当局に身柄を預けるかたちで投降し、武力衝突は鎮静化しました。コーカン軍(MNDAA)のリーダー彭家声(ポンチアーシェン)は行方をくらませています。今回は本格的な戦闘に発展することなく、ミャンマー国軍の圧勝に終わったといってよいでしょう。

少数民族武装勢力の支配地域


Question ミャンマーの少数民族紛争というと、タイ国境のカレン族との歴史的な確執が知られていますが、中国との国境にも少数民族紛争があったのですね。ところで、「特区」という言葉が出てきましたが、これは何ですか。

Answer 「特区」と言いますと普通は「経済特区」などをイメージされるかも知れませんが、ミャンマーにおける「特区」というのは、ミャンマー国軍と停戦合意を締結した少数民族武装勢力に与えられている地区を指しています。この地区では少数民族武装勢力が武器を保有することが許されており、ミャンマー政府や国軍の力が及ばないか、非常に弱いのです。例えば、中国と国境を接する「特区」が国境貿易を行う場合、そこを支配する少数民族グループが独自の関税や通行料を課すことが出来ます。このように徴税権を含めて非常に強い権限が少数民族グループに与えられており、あたかも治外法権を認められた国の中の「国」のような存在になっています。

Question なぜ、そのような「特区」がミャンマーに設置されたのですか。

Answer その背景を知るためには、1988年のミャンマー軍政の誕生に遡って、歴史をひもとく必要があります。ミャンマーには人口の7割を占めるビルマ族を含めて、135とも言われる多くの民族が住んでいます。1948年のミャンマー(ビルマ)の独立以来、いくつかの少数民族は分離独立、あるいはより大きな自治を求めて武装闘争を戦ってきました。

さて、1988年9月にミャンマー国軍が全国規模でわき起こった民主化運動を武力弾圧し、権力を掌握したわけですが、その時、学生を中心として1万人ともいわれる民主化活動家がタイ国境へと逃れました。彼らはカレン、モン、カレンニー、パオなどの少数民族武装勢力との共闘を模索します。ところが、当時これらの反乱軍には充分な武器がありませんでした。


1989年までのミャンマー武装勢力図


Question ミャンマーの民主化勢力と少数民族武装勢力との共闘は、有効ではなかったということですか。

Answer そうですね。しかし、じつは当時、もう一つ大きな反政府勢力がありました。それは、シャン州北東部の、中国とミャンマーの国境地域に拠点を置くビルマ共産党です。そして、ビルマ共産党は1970年代末まで続いた中国共産党の武器援助のお陰で、当時はまだ強勢を保っていました。もし仮に、ミャンマーの民主化勢力、少数民族武装勢力、ビルマ共産党の3者による「大同団結」がなければ、ミャンマー国軍にとって本当の — すなわち権力を失いかねない — 脅威となる可能性があったのです。




1989年以降のミャンマー武装勢力図


Question 反ミャンマー軍政の3つの武装勢力による「大同団結」はなったのですか。

Answer いいえ、なりませんでした。翌年の1989年4月にビルマ共産党が謀反により内部分裂してしまうという、ミャンマー軍政にとってはじつに「幸運」な事件が起きたのです。この謀反によって、ビルマ共産党は崩壊し、民族ラインで分裂した4つの武装勢力が誕生しました。今回、ミャンマー国軍と戦火を交えたコーカン軍(MNDAA)も、そのひとつでした。

ミャンマー国軍の対応は素早く、当時のキンニュン第1書記がすぐに中緬国境に入り、新たに誕生した4つの少数民族勢力との停戦合意に成功したのです。これを鏑矢としてミャンマー国軍は次々と他の少数民族反乱勢力とも和平し、1997年までに17の少数民族武装勢力と停戦合意が締結されました。独立以来はじめて、国内に大きな戦闘のない平和が実現したのです。そして、停戦合意グループには大きな自治が認められる「特区」が与えられることになりました。したがって、停戦合意を結んでいないカレン民族同盟(KNU)などには「特区」は与えられていません。

Question 「特区」の成り立ちは分かりました。しかし、なぜ今になって停戦合意を結んだ「特区」の少数民族武装勢力とミャンマー国軍が、再び戦火を交えることになったのでしょうか。

Answer これは昨年制定された新憲法、および来年に予定される総選挙と関係しています。すでにみてきたように、ミャンマーでは2008年に新憲法が制定されました。新憲法では現行の7州7管区に加えて、6つの自治区が設置されています。来年の総選挙を経て樹立される新政権の下で、停戦合意グループに与えられている「特区」は、新憲法に規定される「自治区」へと再編・統合されることになっています。

また、停戦合意グループが保持する武力は、国境警備隊としてミャンマー国軍の指揮下に入ることが求められています。新憲法ではミャンマー国軍のみが武力を保有することが明記されています。しかし、実際には多くの少数民族武装勢力が、この国軍の提案を拒否していました。コーカン武装勢力のリーダーである彭家声も、これをきっぱりと拒否していた1人でした。今回、ミャンマー国軍が彼をターゲットとしたのは、この反軍政的な態度に加えて、コーカン武装勢力の兵力が推定1500~2000人と小さく、しかも内紛によって力が衰えていたことが背景にあったと思われます。

Question ミャンマー国軍は、停戦合意グループに与えられた「特区」を解体し、少数民族勢力の武装解除を目論んでいるということですか。

Answer その通りです。しかし、停戦合意した少数民族武装勢力の中には、大きな武力を持っているところもあります。例えば、コーカンの隣の第2特区のワ州連合軍(UWSA)は、兵力2万人以上と強力な武器を保有していると言われます。


ワ州(第2特区)の州都パンサンで開催された、和平建設20周年記念式典で演説する鮑有祥(パオ・ユーチャン)。2009年4月17日、中国関係者撮影。
一例を挙げましょう。今回の事件に先立つ2009年2月と4月に第1特区と第2特区において、それぞれ和平建設(停戦合意)20周年記念が開かれました。その際、前者では彭家声に加えてミャンマー国軍幹部が挨拶したのに対し、後者ではワ州連合軍のリーダーの鮑有祥(パオ・ユーチャン)のみが挨拶し、ミャンマー国軍幹部の登壇はありませんでした。ミャンマー国軍に対するコーカンとワの力の差が、如実に示された出来事といえます。しかも、鮑有祥は大規模な軍事パレードを披露した兵士を前に、ワ州(第2特区)は「自治区」でなく、ミャンマー本土の7州7管区のひとつである「シャン州」と同様な地位を要望すると発言しました。明らかに新憲法に反する内容でした。

Question 今後、ミャンマーの少数民族問題はどうなるのでしょうか。

Answer ミャンマー国軍は今回のコーカン武装勢力との戦いで、1989年以来20年間にわたって封印してきたパンドラの箱をついに開けてしまったように見えます。ミャンマー国軍も少数民族武装勢力も、お互いに厳戒態勢に入ったはずです。ミャンマー国軍は来年の総選挙をにらんで、停戦合意グループに政治的、軍事的な圧力を強めていくでしょう。

しかし、この20年間で戦力を強化したミャンマー国軍といえども、17の停戦合意グループと同時に戦火を開くわけにはいきません。政治的妥協か戦争かの狭間で、ぎりぎりの駆け引きが行われると思います。今後しばらく、ミャンマーの少数民族問題から目が離せない状況が続くでしょう。


 

2009年9月