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王党派諸党の動きとラナリットの今後

アジアの出来事

カンボジア

地域研究センター 天川 直子
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王党派は再び分裂した。かつて1995年5月、フンシンペック党はノロドム・ラナリットと対立したサム・ランシーを除名した。サム・ランシーはすぐにクメール国民党(現サム・ランシー党)を結成した。それから10年あまり、今回排除されたのはラナリットであった。

2006年10月、フンシンペック党(FUNCINPEC)は臨時党大会を開いて、ラナリットを党首から解任した。この決定に反発したラナリットは翌月にノロドム・ラナリット党を結成し、自ら党首に就任した。なお、ラナリットは同年3月に国会議長などを辞任して以来、フランスなどの海外で過ごしていたが、この時も帰国しなかった。

2007年4月には第2回地方評議会選挙が行われた。人民党が圧倒的な勝利を収め、全国1621村中、1591村で第1党となった。王党派が押さえたのはわずかにサム・ランシー党が28村、フンシンペック党が2村のみであった。得票率で見ると、人民党が約61%、サム・ランシー党が約25%、フンシンペック党が約9%、ノロドム・ラナリット党が約5%という結果であった。

地方評議会選挙の惨敗を見て、シソワット・トミコが「王党派は再集結しなければならない」と主張し、5月には自らが党首を務める人民社会主義共同体戦線党をノロドム・ラナリット党に合流させた。フンシンペック党とサム・ランシー党はこの呼びかけには冷ややかに応えた。フンシンペック党報道官は「一般的な議論は歓迎する」としながらも、「フンシンペック党は連立政権のパートナーである人民党以外の政党と同盟するつもりはない」と発言した。サム・ランシー党首のサム・ランシーも「議論を深めることは歓迎する」としながらも「草の根の人民はフンシンペック党もノロドム・ラナリット党も信頼していない」と批判した。

7月には、トミコがノロドム・ラナリット党を辞めてフンシンペック党に入党し、ラナリットにフンシンペック党への復党を呼びかけたり、ラナリットの復党を認めるようにフンシンペック党内で活動したりしたが、彼のスタンドプレーは両党から明確に否定された。8月末、ラナリットは声明文を発表し、「フンシンペック党に戻るつもりはない」と改めて宣言した。

この分裂の果てに行き着くのは何処か。フンシンペック党は1993年制憲議会選挙で人民党を押さえて第1党となったが、選挙の度に国民の支持を減らしてきた。第2回地方評議会選挙の結果を見る限り、2008年の第4回総選挙ではさらに議席を減らし、おそらくサム・ランシー党の後塵を拝すると思われる。

一方、ラナリットの政治家生命の先行きも暗い。本人の資質もさることながら、カンボジアでは王族というだけでは政治力を持ち得ない時代が訪れつつある。サム・ランシー党はすでに都市部の若者や労働組合等の支持を得ている。フンシンペック党は今回の分裂によって王族ではない政治家が主流を占めるようになった。早晩、「王党派」という政治的カテゴリーは意味をなさなくなるだろう。
2007年10月