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北朝鮮と国交回復

アジアの出来事

ミャンマー

地域研究センター 工藤 年博
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ミャンマー仏教徒の篤い信仰を集める国内最大の仏塔シェダゴン・パゴダの裏手の丘に、独立の父アウンサン将軍ら殉難者が眠る廟がひっそりと佇んでいる。現在、一般国民がアウンサン廟への参拝を許されるのは、7月19日の殉難者の日のみである。それも厳重な身体検査を受けた上で、短時間の参拝のみが許可される。こうした厳重な警戒態勢が敷かれるようになったのは、1983年10月のアウンサン廟爆発事件がきっかけであった。韓国の全斗煥大統領(当時)一行がここを訪れた際、爆弾が爆発し、副首相ら21人が死亡、多数が負傷した。ミャンマー政府はこれを北朝鮮の犯行と断定、殉難者を冒涜する暴挙に激怒、国交を断絶した。この事件はアメリカが北朝鮮をテロ国家に指定する根拠の一つにもなっている。

それから25年近く経過した2007年4月26日、北朝鮮とミャンマーはついに国交回復に合意した。今回の合意は両国政府の思惑が一致したためである。北朝鮮は国交回復により事件の解決を国際社会に印象付けテロ国家指定解除を狙うとともに、ミャンマーからコメなどの食糧を輸入する狙いがあると思われる。一方、ミャンマー軍政はアメリカから同じく「圧政国家」と非難される北朝鮮と連携し、反米共闘態勢を築くとともに、同国からの武器供与を期待していると言われる。

さて、国交回復を成し遂げた金永日外務次官を初めとする北朝鮮の使節団は、ヤンゴンに到着後、まず、アウンサン廟にほど近いシェダゴン・パゴダを詣でた。これは両国政府の「手打ち」を象徴する参拝となった。しかし、事件の舞台となったアウンサン廟は、相変わらず国民に閉ざされたままである。のみならず、アウンサン将軍の娘のスーチーは2003年5月以来自宅軟禁下に置かれており、父の命日にすら廟を訪れることはできない。爆発事件から四半世紀、事件の「解決」はアウンサン廟に眠る殉難者にどのように受け止められたのであろうか。
2007年7月