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ムシャラフ大統領に訪れた最大の危機

アジアの出来事

パキスタン

地域研究センター 小田尚也
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5月12日カラチで行われたイフティカル・ムハンマド・チョードリー最高裁長官停職処分に反対する抗議デモは、連立与党の一角を担うMQM(統一民族運動)支持者の発砲等により、最終的に野党支持者ら40人以上の死者を出す惨劇となった。ムシャラフ大統領は、チョードリー判事による職権乱用があったとし、3月9日に同氏の最高裁長官としての職務停止を発表した。これに対して国内で強い反発が見られることは既に政治経済レーダー『パキスタン:大統領、最高裁判所長官を停職処分に』で報告したとおりである。

カラチでの抗議デモに先立つ1週間前の5月5日午前7時45分、チョードリー判事を乗せた車がイスラマバードを出発した。ラホールで開かれる弁護士会主催の抗議集会に参加するためである。通常、イスラマバードからラホールは高速道路を使えば4時間、一般道路でも6時間ほどで到着するが、同氏を乗せた車がラホール手前のラヴィ川に到着したのが、翌6日朝5時であった。道中、沿道の支持者たちからフラワー・シャワー等、熱烈なる歓迎を受けての移動であったが故である。イスラマバード出発時に30台あったチョードリー判事の隊列は、ラヴィ川到着時、200台、数キロに膨れ上がったと報道されている。6日午後、ラホール高等裁判所前で開かれた抗議集会には5万人が参加、7千人の治安部隊が配置された。このような盛り上がりから、すでにこの時点で今回のカラチの惨劇はある程度予想できたものであったと言える。事実、政府はチョードリー判事に対し、カラチ訪問を差し控えるよう通告していた。

チョードリー判事の職務停止の背景として、今秋、大統領選挙を迎えるムシャラフ大統領が事前に不安要因と成り得るチョードリー長官を取り除こうとしたとの見方が支配的である。しかし、選挙前にこのような強権的な行為に出ることが大きな反発を招くことは容易に想像できたわけで、ムシャラフ大統領の真意を測りかねる。国内の反発の度合いが大統領の想像を遥かに超えてしまったと考えることもできるが、チョードリー判事が取り組んでいた数々の捜査、特にISI(3軍統合情報局)によるとされる国内行方不明者の調査過程において、ムシャラフ政権の存在を脅かす証拠を見つけ出したのではと深読みすることもできる。いずれにせよ停職処分問題はムシャラフ大統領がクーデターで実権を握って以来、最も深刻な脅威となった。死者を出した野党側による報復の可能性もある。さらにカラチ特有の民族問題も絡み会い、停職問題は混迷の度合いを深めている。今後の対処によっては、ムシャラフ大統領の再選に赤信号が灯る可能性は大いに考えられる。
2007年5月