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スーチーの自宅軟禁延長

アジアの出来事

ミャンマー

地域研究センター 工藤 年博
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2006年5月27日、ミャンマーの民主化指導者アウンサン・スーチーの自宅軟禁が、1年間延長された。直前に国連幹部がスーチーとの面会を許されたことから、解放観測も流れたが、結局、軍政の強硬姿勢に変化はなかった。

じつは、軍政は拘束延長へ向けて着実に布石を打っていた。スーチーが自宅軟禁に置かれるきっかけは、2003年5月30日に地方遊説先でスーチー一行が暴徒に襲われる「ディペイン事件」であった。スーチーはそのまま当局に拘束され、同年11月27日には「国家防御法」を適用される。この法律は国家や人民の安全を脅かすと当局が判断した人間を、司法手続きなしで最長5年間拘束することを認めている。但し、少なくとも年に1回は拘束期間を見直すべきことが規定されている。

すでに、スーチーの自宅軟禁は2004年11月27日に1年間、2005年11月27日に半年間と、2回延長されていた。今回の3回目の延長(1年間)により、2007年5月27日までの拘束が法的に確定した。ところで、軍政はなぜ、前回の延長期間を半年間としたのだろうか。そこにはおそらく、毎年、11月末という時期に拘束期限を迎え、国際社会の注目を浴びたくないという判断があったものと思われる。この時期は、国連総会第三委員会がミャンマーの民主化・人権状況を懸念する国連決議を出すことが恒例となっているし、翌12月にはASEAN首脳会議が開催される。昨年はASEAN首脳会議に合わせて初めて東アジア・サミットが開催されたことで、ミャンマー問題がとりわけクローズ・アップされた経緯がある。軍政は否が応でも国際社会の注目を浴びるこの時期に、軟禁延長の措置をとることを避けたかったのであろう。そこで、わざわざ半年という中途半端な延長期限を挿入したものと想像される。

軍政が「国家防御法」を適用し、5年間の拘束を可能とする「法的」根拠を整えたことの意味を、我々は深刻に受け止める必要がある。スーチーの解放は2008年11月27日まで期待できないのかも知れない。
2006年6月