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コートジボワール基礎データ:コートジボワールの憲法

アフリカ情勢

 

地域研究センター 佐藤 章

コートジボワール共和国では1960年の独立直後に、独立国として最初の憲法が制定されたのち、2000年と2016年に新たな憲法が制定されている。新憲法になるたびに全体の分量が増えていることに加え、原文はいずれもフランス語であり、日本語での公定訳も存在していない。このような状況に鑑み、コートジボワールの歴代3憲法の私訳を、ここに基礎データとして公開するものである。

以下、各憲法に関し、簡単な紹介と底本などについての情報を記す。

1.コートジボワール共和国第1憲法

コートジボワール共和国が主権国家としての独立を達成したのは1960年8月7日のことであり、その3カ月あまりのちの同年11月3日に、同日付け法律第60-356号(Loi no 60-356 du 3 novembre 1960)として最初の憲法が制定された。この憲法は、1999年12月23日に軍事クーデタによって停止が宣言されるまでの40年近くにわたり、コートジボワール共和国の最高法規であった。この憲法を、便宜上、ここでは第1憲法と呼ぶことにする。

研究の基礎資料として第1憲法を取り扱うときに注意が必要なのは、計12回にわたり、一部条項の改正が実施されてきたことである。改正は、高等法院(閣僚の犯罪を裁くために国会が設置する裁判所)の管轄の制限、国会議員選挙の実施方法の変更、副大統領ポストの設置・廃止、首相ポストの設置、大統領職空席時の移行期や後任選出手続きなど、政治制度の根幹にかかわるものばかりで、いずれも初代大統領であるF・ウフェ=ボワニ(在職1960~1993年)の権力維持策をめぐるものであった。これらの改正は、1963年、1975年(2回)、1980年(2回)、1985年、1986年、1990年、1994年、1998年、1999年に行われており、結果として時期によって、憲法の条文が異なる。しかし、第1憲法の条文のテキストデータを掲載した資料(印刷資料やインターネット上の資料)は、たいていの場合、いつの時点の条文かを明記していない。

この問題を念頭に置き、本資料では、1960年の制定当初の条文を全訳して提供することにしたい。現時点においてコートジボワール共和国の官報に直接にアクセスできていないため、ここでは代替的に、1961年にラブロフとペイゼルが編纂した『アフリカ諸国の憲法』に掲載されているテキストを底本として利用した(D.-G. Lavroff et G. Peiser 1961. Les constitutions africaines: l'Afrique noire francophone et Madagascar; texte et commentaire. Paris: A. Pedone.pp.61-70)。1960年憲法の最初の改正は1963年なので、1961年に刊行されたこの書籍に掲載されているテキストが制定時の条文を採録したものであることは間違いない(このテキストに存在する可能性がある誤植・誤記は、後日、官報に直接当たることで確認することとしたい)。

また、第1憲法に加えられた改正の詳細については、追って資料の公開を目指すこととする。

(2017年3月22日記; 2017年6月29日 翻訳PDF第2版公開)

2.コートジボワール共和国第2憲法

1999年12月23日に発生した軍事クーデタにより第1憲法は停止され、軍事政権である国家安全保障評議会(CNSP)による統治が始まった。CNSPは早期の民政移管に前向きであり、主要政党が参加した起草委員会によって新憲法の草案が作成された。草案は2000年7月23~24日の国民投票で採択され、2000年8月1日付け法律第2000-513号(Loi no 2000-513 du 1er août 2000)として成立した。この憲法は、共和政体の復活に対応しているため、第2共和制憲法と呼ばれることもあるが、これは正式な法的根拠のある呼称ではなく、あくまで通称である。ここでは、便宜上、第2憲法と呼ぶ。

第2憲法は、2016年10月に新たな憲法が国民投票で採択されるまでの16年あまりにわたり、コートジボワール共和国の最高法規であった。第2憲法の時代の大半は、コートジボワールにとって内戦の時代であった。2002年9月に始まった内戦は、激しい戦闘そのものは早期に収束したものの、その後、新たな大統領選挙が実施されるまで実に8年あまりもの時間を費やすという、長期にわたるものとなった。さらに、ようやく2010年11月に実施された大統領選挙の決選投票も、本来であれば内戦からの完全脱却を画するイベントとなるべきところが、敗北を不服としたバボ大統領が政権に居座ったことで、新たな武力衝突が発生することとなった。この事態が収束し、国際的に当選を認められた、挑戦者のワタラ元首相が大統領として正式に就任したのは2011年5月のことであった。

このように不安定な状況が続いたこともあり、第2憲法には一切改正が加えられなかった。本訳は、コートジボワール憲法院ウェブサイト*に掲載されたテキストを底本とした。底本に見られる誤記は、A. Aggrey n.d. Codes et lois de Côte d’Ivoire: La nouvelle Constitution de la Côte d’Ivoire. Abidjan: Juris-Editions. に掲載されているテキストを参考に補った。

* URL: http://www.conseil-constitutionnel.ci/index.php?y=const2(2016年10月12日アクセス)

(2017年3月22日記; 2017年6月29日 翻訳PDF第2版公開)

3.コートジボワール共和国第3憲法

2011年に正式に就任したワタラ大統領は、紛争の再発防止と国民和解の促進という観点から憲法を改正したいという意向を、就任当初からもっていた。ワタラは任期1期目には、憲法改正に向けた具体的な動きを取らなかったが、2期目の出馬に際して、再選の暁には新憲法の制定に着手することを公約として掲げた。ワタラは2015年10月に再選を果たし、2016年に入ってから草案作成の作業を開始した。当初は起草委員会の発足を拒んでいたことや、起草委員会が設置されたあとも、国民投票の直前まで草案が公にされなかったことなどがあり、新憲法制定過程が幅広い政治勢力から支持されたものであったとは言いがたいところがある。とはいえ、新憲法案は、2016年10月末に実施された国民投票で採択され、新たな憲法として成立した。これを便宜的に第3憲法と呼ぶ。

第3憲法でのもっとも重要な改正点は、大統領選挙での被選挙資格である。第2憲法は、大統領選挙の立候補者に、「生まれながらのコートジボワール人である父と母のあいだに生まれた、生まれながらのコートジボワール人」であることを求め、加えて、他国の国籍を取得したことがないことと、一定期間の継続的・累積的な居住歴を求めていた。このような規定は、1990年代半ば以降のコートジボワールで深刻化した、特定の民族や周辺諸国出身者に対する差別の問題と深く関連するもので、内戦の和平プロセスにおいても、この規定の持つ問題性は議論の的となってきた。それがこの第3憲法では、大統領選挙の被選挙資格は、「父もしくは母が生まれながらのコートジボワール人である、コートジボワール国籍のみを持つ者」という規定に簡略化されている。コートジボワール社会の多元性に照らし、第2憲法よりも緩やかな条件に改められたといえる。

次に大きな改正点は、大統領の死亡などによって大統領職が空席になったときの手続きである。第2憲法では、大統領職の空席時には、一院制の国会(国民議会)の議長が大統領代行を務め、90日以内に大統領選挙が実施されるという規定であった。それが、第3憲法では、新たに副大統領職が設置されることとなり、大統領職の空席時には、副大統領が正式の大統領に昇格して、残り任期を務めるという規定となった(初代の副大統領は、暫定的措置として大統領が指名するが、次回の選挙から、大統領候補と副大統領候補を一組とした立候補方式となる)。第2憲法下では、大統領の死亡を契機に政権交代が起こりえたが、第3憲法ではそのような事態は抑止されることになったといえそうである。また、この制度は、コートジボワール政治において独立以来、つねに難問であった「権力の継承」――だれが次の大統領になるか――に関して、新しい制度的条件を提供するものといえる。

さらに、もう一つ見逃せない改正点は、憲法改正がしやすくなったことである。第2憲法、第3憲法とも、国家の非宗教性と共和政体であることは変更不可だが、それ以外の条項の憲法改正は認められている。票決の方式は、第2憲法では、国民投票での絶対多数もしくは国会(一院制)での5分の4以上の賛成が必要であった。これが第3憲法では、国民投票での絶対多数もしくは国会(従来からの国民議会に加え、新たに設けられた元老院も参加する両院合同会)での3分の2以上の賛成という、よりゆるやかな条件となった。加えて、第2憲法では、国会の議決でなく国民投票が必須である主題として、大統領の選挙手続き、大統領職の空席時の規定、憲法改正手続きなどが明記されていた。だが第3憲法では、国民投票への付託が必須とされるものへの言及はいっさいなくなった。すなわち、第3憲法下では、国会の3分の2を占めさえすれば、ほとんどすべての条文の改正が可能となったのである。ちなみに、元老院が設置されたことで、国会での票決に必要な母数が増えはしたものの、元老院議員の3分の1は大統領の指名議員であることを考えれば、憲法改正の障害となることはあまり考えにくい。

このほかにも第3憲法では、国家が行うべき人権面に関する義務の明記、司法機構改革(最高院の再設置など)、伝統的首長を代表する新たな国家機関(伝統的王・首長全国会議)の設置、など、新しい試みが盛り込まれている。本憲法は、2016年11月9日に、ワタラ大統領の親署により発効した。この新憲法が、コートジボワール共和国における紛争の再発防止と国民和解の促進にどのように寄与していくものか、注視される。

(2017年3月22日 記; 2017年6月29日 加筆修正・翻訳PDF公開)