アフリカの土地と国家に関する中間成果報告

調査研究報告書

武内 進一  編

2014年3月発行

この報告書は中間報告書です。最終成果は
武内 進一 編『 アフリカ土地政策史 』研究双書No.620、2015年11月発行
です。

序章
本報告書の母体となった「アフリカにおける土地と国家」研究会がどのような問題意識で構想されたのかを説明するとともに、中間報告の各章の内容概略を紹介する。武力紛争の背景要因、ランドグラブ、土地法改革など、近年アフリカの土地をめぐる関心が高まりを見せているが、本研究会では土地に反映される国家社会関係に着目し、その変遷を長いスパンで明らかにすることを基本的な問題関心に置いている。

第1章
タンザニアの土地政策に関する先行研究を整理し、それらに依拠しながら、19世紀末から現在までの1世紀強にわたる同国の土地政策史を再構成した。同国の土地問題の専門家が指摘するごとく、土地法の改革が行われてきたが、それらは土地改革そのものではないという印象が強い。なお、本稿は来年の最終稿に向けた草稿であり、内容については今後修正を必要とする部分も存在することに留意願いたい。

第2章
本稿は、現代ケニアの土地問題を考察するための準備作業として、イギリス領植民地統治下で採用された土地制度について、植民地化初期の制度構築期に焦点を絞り、その変遷を整理して記述する。1963年の独立以前のケニアの土地制度は、大別すれば、植民地化以前(19世紀末まで)、植民地化とヨーロッパ人入植のための制度構築、いわゆる「ホワイト・ハイランド」の形成、そして「ホワイト・ハイランド」の撤廃とアフリカ人の土地調整・登記開始という流れをたどった。本稿はこのうち、植民地化以前と植民地化後のヨーロッパ人入植者のための制度構築を射程とし、具体的作業では、まずケニアの農耕適地について概要を把握した後、旧ケニア保護領Protectorate of Kenyaと旧ケニア植民地Kenya Colonyのそれぞれについて土地に関する法制度を整理し、その変遷を跡づける。

第3章
本稿では、北ローデシア(現在のザンビア)における1890年から1947年までの土地制度の変遷を検討した。南アフリカの金やダイアモンドの鉱山から莫大な収益を得たセシル・ローズが1889年に大英帝国の特許を取得し、イギリス南アフリカ会社(British South African Company:BSAC)を設立した。ケープタウンからカイロまでの鉄道を敷設することを目的に、BSACは1890年に北西ローデシア、1891年に北東ローデシアの領土を占領した。北西ローデシアの領有は、BSACが1890年にロジ王国のパラマウント・チーフと結んだバロツエ条約にもとづいていた。また、北東ローデシアの領有については、BSACが各民族のチーフと交渉し、ときに武力をもちいながら、コンセッションや条約が結ばれ、領土の占領がすすめられた。1911年には北西ローデシアと北東ローデシアは北ローデシアとして統合したが、BSACの統治は継続し、ヨーロッパ人入植者に対して土地の売却をすすめた。ヨーロッパ人入植地の周辺部には、アフリカ人用の原住民居留地が設定された。1923年にはBSACの統治はイギリス植民地政府に引き継がれ、北ローデシアの土地はBSACではなく、イギリス王室に帰属するようになった。イギリス植民地政府により、ヨーロッパ人の農場や鉱山などの用地は王領地となり、アフリカ人むけの原住民居留地と原住民信託地が設けられた。王領地はイギリス本国の法律にもとづき、自由保有権と定期借地権が設定される一方で、原住民居留地と原住民信託地は各民族社会の慣習法にのっとり、チーフをはじめとする伝統的支配者に裁量がゆだねられた。原住民居留地と原住民信託地ではアフリカ人の居住が優先され、ヨーロッパ人に対する土地譲渡には規制がかけられたが、ヨーロッパ人による土地の使用が完全に排除されたわけではなく、北ローデシア総督の判断に任せられていた。

第4章
シエラレオネには、西部地域とプロヴィンスにおいて異なる2つの土地制度がみられる。そして、前者の主要な法源が一般法であるのに対して、後者のそれは慣習法となっている。
本章の目的は、こうしたシエラレオネの土地制度をめぐる2つの法源のうち一般法に注目し、その主要な土地関連法の仮訳を試みることにある。具体的には、国有地法、非市民(土地権利)法、公共用地法、プロヴィンス土地法の4つの土地関連法を訳出する。

第5章
ソマリアにおける植民地期から独立後、1969年のクーデタを期に樹立されたシアド・バーレ政権期までの土地政策とその運用を概観するとともに、1975年に制定された農業土地法などの翻訳作業を通じて、これまでのソマリアの土地政策に関する基礎的な資料を提供する。

第6章
国家の土地への介入やそれに対する社会の反応を国家・社会関係の観点から分析し、アフリカにおける近年の動きを解明するねらいのもと、本稿ではコートジボワールにおける土地政策の変遷を整理する。土地をめぐる問題は近年のコートジボワールにおいて政治的不安定化のひとつの背景をなしてきた経緯があり、今後の安定と和解を考えるうえでも最重要課題のひとつである。コートジボワールにおいてとられてきた土地政策の歴史的変遷を押さえることは、土地をめぐる問題を正しく理解し、今後の解決策を探る上で欠かせない基礎的な作業となる。本稿では主に先行研究に依拠し、とくに植民地期に力点を置きながらコートジボワールでの土地政策について法制度面を中心に整理する。

第7章
コンゴ民主共和国における土地政策を史的に跡づけるための準備作業として、当国の土地法制を振り返り、その変遷を解説するとともに、2014年2月の現地調査で明らかになった土地法改革に関する現状を報告する。その上で、関連する重要な法律条文を訳出した。コンゴ自由国の時代以降、当国では民間コンセッション企業が主導する開発を想定した土地法制度が整備された。独立以降はナショナリズムの下で土地法制の枠組みが大きく変化し、土地はすべて国有化されたが、コンセッションを通じた開発という考え方は今日に至るまで残存している。土地法改革に当たっては、慣習的な土地に対する権利をどのように保障し、安定化させるかが重要な課題となる。

第8章
ブルンジとルワンダの独立後の土地関連法制への理解を深めるため、主要な土地法について簡単に解説するとともに、重要な条文について訳出した。植民地期にはルアンダ=ウルンジとして一つの行政単位とされた両国だが、別々の主権国家として独立した。ブルンジでは1986年と2011年に、ルワンダでは1976年と2005年に主要な土地法が制定されているが、大きな内戦を経た2000年代以降の法律の内容は両国でかなり異なっている。この差異には、両国における国家の社会統制の違いが反映されている。

第9章
第二次世界大戦後のエチオピアの政治体制は、帝政期、社会主義政権期、EPRDF政権期の三つの時代に区分できる。二度の政変を経験したエチオピアでは、そのたびに異なる土地法が制定されてきた。土地法の改正は、国家の政治体制の変化と密接な関係がある。本章では、各時代に制定された土地に関する法律を紹介する。