レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.169 EUコーポレートサステナビリティ デューディリジェンス指令案の発表

木下 由香子

2022年3月31日発行

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正誤表 (152KB)

  • 非欧州企業もデューディリジェンスを義務化する法案の対象に
  • 法案対象にならずとも取引先・投資家からの要請が法案施行前から増加する
  • コンプライアンスのためではなく、積極的な取り組みと準備が今から必要

2022年2月23日、欧州委員会はEUコーポレートサステナビリティデューディリジェンス(CSDD)指令案を発表した。2020年4月のレンダース司法担当欧州委員の発言から約2年間かけて発案にこぎつけたことになる。ここに至るまでの道のりは平たんではなく、そして今後もかなり厳しい道のりが続く気配がする。本稿では、法案策定に至る背景、法案の特徴、そして今後の議論ポイントなどを筆者の視点からまとめたい。

遅れに遅れた発案

このCSDD指令案の発表は当初昨年6月になる予定であった。その予定から大幅に遅れての発表となった理由は、規制精査委員会(Regulatory Scrutiny Board: RSB)に2度も却下されたためである。RSBは立法プロセスの初期段階において、欧州委員会が行うインパクトアセスメントの質を評価し、助言を与える役割を持つ。最終的に欧州委員会は、RSBを通さずにいわば押し切る形でこの法案を発表した。気候変動に関する条項や取締役の責任に関する条項などについては最後の最後まで欧州委員会内での調整あったとの話もあり、法案の完成度がそれほど高くないと批判を受ける所以はこうしたぎりぎりの調整があったからだと推察する。今後、欧州議会と理事会(加盟国)が膨大な修正をかけて法文の完成度を高めていくであろう。

法案の背景と策定の目的

欧州委員会を法案策定に導いたのは、何よりも強力な市民社会の声とデューディリジェンス(DD)の義務化を望む企業の声だ。欧州委員会が昨年2月に実施したパブリックコンサルテーションにはおよそ50万の回答が集まり、詳細に分析された回答のうち8割以上がDDの義務化を望むという結果となった。さらにフランス、オランダ、ドイツなどのEU加盟国が独自に法律を策定し始めたために調和のとれた法的枠組みが必要だという考えが政策担当者側に、市民社会に、そして先進企業にも広まった。また、ボランタリー(企業の自発性)のままでは企業の取り組みの進みが遅くバラバラ(“slow and uneven”)であるために法律が必要だという理由も挙げられている。法案の要請事項に企業が応えることで欧州企業は将来のリスクに対応する力がつくとレンダース欧州委員はコメントしている。このような背景を反映し、法案策定の目的として、以下を列挙している。域内市場における法律のパッチワーク化を回避し、法的確実性を高めること、コーポレートガバナンスの実践を改善し、人権や環境に関するリスク管理および影響緩和のプロセスを企業戦略にうまく組み込ませること、悪影響に対する企業のアカウンタビリティと、責任ある企業行動に関する他のEUイニシアチブとの一貫性を高めること、悪影響を受ける人々の救済へのアクセスを改善すること、そしてビジネスプロセスに焦点を当てた水平的な制度をつくることで、現在施行されている、あるいは提案されている他の措置を補完することなどである。

法案の特徴と今後の議論のポイント

法案の特徴としてまず挙げるべきは、「規則」ではなく「指令」であるという点だ。指令の内容は通常、ミニマムスタンダードとなり加盟国には国内法に導入する際に内容をさらに厳しくする裁量が与えられる。EU非財務情報開示指令の際に経験したように、27の加盟国ごとに要請内容が若干違う状況になるのは必至だ。域内市場の調和を目標に掲げる同法であるが、指令を用いて域内市場を調和させることはできない。そのために欧州委員会は、できるだけ要請内容を明確にし、法の執行に責任をもつ加盟国の監督当局をまとめる欧州ネットワークを立ち上げ、域内の情報共有とアプローチの調和を図る意向だ。この欧州ネットワークの有効性も含め如何に域内調和を図るかは今後の議論の大きなポイントとなるであろう。

次に議論が想定されるポイントは、対象企業、DDの対象などがOECDや国連指導原則で定めるスコープに比べ、限定的であることだ。対象企業は大企業(EU と域外企業を含む)と主に3つのリスクセクターに限定されており、またDDの対象は、自社、子会社そして「確立したビジネス関係(Established Business Relationships)」を築いているバリューチェーンにおける人権および環境のリスクである。国際スタンダードに準拠し、中小企業も含むすべての企業を対象とすべきとの意見が先進企業やNGO側には多いなか、あえて対象企業を限定した背景には、法案発表にこぎつけるために加盟国への配慮があったと想像できる。また、レベルプレイングフィールドの確保の観点から、EU 加盟国以外の法律に基づいて設立された域外企業でもEU企業同様に売上高(EU域内で1.5億ユーロ)やリスクセクターでの売上高(EU域内で0.4憶ユーロ)により対象となることも明記したい。DDの対象をビジネス関係で定義づけたのは、企業に民事責任を負わせる際に義務の対象を明確にしなくてはならないという考えからと思われるが、この法案で新たに生まれた「確立したビジネス関係」の定義をめぐる議論は避けて通れないものとなるだろう。

制裁と民事責任に関しては加盟国の国内法で定めることになるが、指令案では、企業がDD義務を遵守せず、悪影響の軽減に努めなかったことが原因で悪影響が発生し、損害につながった場合には、損害賠償責任を負うと定めている。しかし直接の取引先から契約上保証を得ており、適切な検証措置を講じている場合、責任が免除されるというセーフハーバー措置が設けられている。さらに指令案は契約上の保証をとる方法としてモデル契約を挙げており、これに関するガイダンスを欧州委員会が作る予定だ。こうしたビジネス関係、契約関係に依存するDDの実施と民事責任のあり方に対し、先進企業やNGOは国際スタンダードに合致しておらず、DDプロセスの負担をサプライヤーに転嫁しやすく、また「確立したビジネス関係」をあえて避けるケースも増えるのではないかと懸念を示し始めている。このほか、気候変動対策に関する条項、取締役に対する責任、人権リスクと環境リスクをリストアップしたAnnex(付属文書)の有効性、既存スキームの利用方法なども今後の論点となると思われる。

法案の日本企業への影響

同法案が日本企業に与える影響として第一に理解すべきは、EUレベルでのDDを義務化する法案ができたことにより、今後DDの実施がEU域内における操業の条件となるということである。第二に法案の対象企業は限定的であるが、その影響が及ぶ先は法律の対象企業より広いということだ。法案の対象となる取引先または投資家などからDDの実施についての要請が増加することが予想される。欧州委員会はこの法案の対象から外れた中小企業にも影響があることを予測している。それと同様に域外企業にも影響は波及すると考えるべきである。また要請内容はリスク回避の考えから法律が完成する前から増加し、さらに多様化するであろう。同法案の発表と同時に欧州委員会は、EUにおける強制労働関連製品の上市を禁止する法案の策定を予告したことも付け加えておきたい。第三に同法案により、誰もがどの加盟国当局にも通報できるようになる。このため企業に届く通報数は増加し、訴訟リスクの増大にもつながるであろう。企業側としては欧州のどの当局に苦情が届いても対応ができるよう社内における人と環境へのリスクの認知力、判断力、そして対応力を全世界で高めていく必要があると思われる。積極的な準備が企業をリスクからも守ることにもつながるのだ。

まとめ

同法案は今後多くの修正が欧州議会と加盟国により追加されていく。議論は通常18カ月程度続き、さらに施行後加盟国への導入期間があるために実際に企業に義務が発生するのは2026年頃になると欧州委員会は予想している。域外適用を求める同法案は、EU域外にある日本企業にも大きな影響を与えるので、法案修正過程への積極的な関与が不可欠だ。また、DDの体制を整えるのには時間がかかるため、早めの取り組みが企業には必須である。

(きのした ゆかこ/JBCE(在欧日系ビジネス協議会)CSR委員会)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。©2022年 執筆者