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中東政治経済レポート:イラン――イランの第12回大統領選挙をめぐって

中東レビュー

Volume 5

鈴木 均 著

2017年6月発行

PDF (403KB)

はじめに

今回のイラン大統領選挙は昨年1月のイラン核合意(JCPOA)以後初めての大統領選であり、イランの欧米各国との今後の関係を大枠において決定するという意味で国際的な関心を集めた。

それはひとつには昨年11月8日に世界中に驚きをもって受け止められた米国の大統領選挙の結果を受けて、際立った対イラン強硬姿勢を打ち出しているトランプ大統領に対してどのような対応を示すかという点に注目が集まったからである。またフランスのEU脱退への意志を鮮明にしていた親トランプのマリーヌ・ルペンが5月7日のフランス大統領選で当選した場合、JCPOAを支えるEUの立場が大きく揺らぐ可能性があった点により、極右政党である国民戦線のルペン候補の勝利が現実味を帯びていた4月初めまでの段階ではロウハーニー政権にとり予断を許さない状況と捉えられていたことも看過できない。

前大統領の立候補の動き

こうした中で最も顕著な動きを示したのが、前職の大統領であったアフマディネジャードの動向である。実際彼は2016年中のかなり早い段階から大統領選に出馬する意向を漏らしており、これに対して最高指導者のハーメネイーが「国にとって決して良い結果を生まない」と諭したとイラン国内で報じられている。

こうした動きの背景についてどう解釈するかは実は1979年以降「ヴェラーヤテ・ファギーフ体制」の許にあるイランの政治過程を理解するための最も重要な問題に関わっていると言えよう。これを要するにイランにおける国政のプロセスにおいてどこまでが最高指導者(およびそれを中心とするイラン中央権力)の意志であり、またどこまでが通常の政治過程として理解すべき「自然な」流れであるのかが外部者にとって極めて判断のつき難い制度的構造になっているのである。

その意味では現在でもイラン国内でも開発の可能性の埒外にある地方農村部において未だに広範な支持層のあるアフマディネジャード前大統領が実際に立候補の意思表示をなし得たこと、そして4月12日に立候補申請をした後、護憲評議会(Shoura-ye negahban)により却下されたことは今回の選挙における最大の山場であったと考えられる。ロウハーニー大統領にとって潜在的に最大の対立候補であった1アフマディネジャードの退場で、今回の選挙はいわば前半戦が終わったという見方も可能である。アフマディネジャードという選択肢はイランの現体制にとって極めて危険ではあるが、それでも米国の中の反イラン的な議論に対抗するための最終的なカードとして決して手放すことのできない武器になっているのである。

彼の立候補却下の前後にイランがJCPOAに忠実に従っているとの報告書を米トランプ政権が出しているというタイミングについても見逃すべきではないだろう。ただしその直後のティラソン国務長官の発言はイランに対して非常に厳しい内容であり、その振幅は西側の報道すらも混乱している。全体に今回の大統領選挙においてはイランの権力中枢は米国など西側の対イラン政策を見極めながら選挙のプロセスを進めていたと考えた方が整合性を見出せる局面が幾つかあったと考えられる。

選挙期間中の動向

結局4月15日までに立候補申請者は1600人以上を数えたが、その中から護憲評議会は6人の立候補を選別した。この過程は従来と同様に非公開であるが、結果については2009年の第10回選挙後に高揚したいわゆる改革派から立候補者が(ロウハーニー以外には)一人も認められなかった点が指摘できる。これは1月8日にハーシェミー・ラフサンジャーニーが突然死去したことの影響の一つとみることも可能である。

これらの立候補者のなかで注目されたのはマシュハドのアースターネ・ゴドゥス長官であり元検事副長官のエブラーヒーム・ライースィー(56歳)である。保守強硬派的な立場の同氏に対して最高指導者ハーメネイーは明確な支持を表明してはいないものの、その立候補に際しては最高指導者の意向が働いたと考えるのが自然であろう。

その後イラン国内では4月28日・ 5月5日・ 5月12日の3回に亘りテレビ討論が行われ、JCPOAの経済効果などをめぐって厳しい応酬があったが、5月19日の投票日直前までの世論の動向についてはiPPOグループの報告2が連日の変化をよく捉えている。これによれば5月6日以降においてロウハーニー候補の支持は大方55パーセントから60パーセントのあいだを堅調に推移した。これに対して現テヘラン市長で保守派のモハンマド・バーゲル・ガーリーバーフ候補(前回および前々回の選挙でも立候補)は5月6日から15日までの間に25パーセントから15パーセントへと次第に支持を減らしており、初めての大統領選立候補で当初知名度のなかったライースィーがガーリーバーフへの支持票を取り込むようにして10パーセントから20パーセントへと支持を伸ばしていることが伺える。他の3人の候補については数パーセント程度の支持であり、今回の大統領選挙に対する積極的な影響はほとんど無かったと見られる。

因みにこの間の5月7日にはフランス大統領選挙の決選投票でエマニュエル・マクロン候補が極右政党FN(Front National)のマリーヌ・ルペン候補を破って当選しており、第一期ロウハーニー政権の最大の成果であったJCPOAがEUからの支持を失うという当面の危惧はなくなった。

こうした情勢の推移を踏まえたうえで、5月15日にガーリーバーフ候補が選挙戦からの撤退を表明したことの意味をどのように考えるべきか。それは一つにはガーリーバーフ自身が直前の段階までに支持が伸長する傾向を示していないことで戦意を喪失したこともあるだろう。だがそれに加えて5月4日に米国ワシントン政府がサウジアラビア・イスラエルを含むトランプ大統領の5月19日からの初外遊の日程を公表した3こともイランの権力中枢の情勢判断に影響したものと考えるべきであろう。

つまりかねてイランとの対決姿勢を明確にしているトランプ大統領が第1回投票の直後にサウジアラビアとイスラエルを訪問してイランの選挙結果に言及すれば、もし大統領選挙が決選投票に持ち込まれた場合にはその結果に影響が及ぶ可能性が少なくないことを嫌った可能性があるものと考えられる。

トランプ大統領は訪問初日の20日にサウジアラビアと約12兆円の武器売却で合意し、翌21日にはイスラーム諸国54ヶ国の代表を集めてリヤドで開催された「米アラブ・イスラーム・サミット」の席上でイラン包囲網の形成を訴える演説を行った。大統領外遊の出発直前にロシア疑惑などで国内の政権基盤が揺らぎを見せたため米国側が当初期待した程のインパクトに欠けたとはいえ、こうした動きがイラン側(選挙過程を監督・指導する最高指導者周辺の「宗教的」中央権力)に大統領選の決着を急がせる一因となったと考えるのが現時点からみて自然である。

投票結果と新たな潮流?

5月19日のイラン大統領選の投票結果はすでに報道されているように、投票率70%超、ロウハーニー候補が57%の票を獲得して保守強硬派のライースィー候補(38%)を破り、1回目の投票で再選されることとなった。

これは現在の国民世論を考えれば至極順当なものといえる一方で、マシュハドを中心として新たな保守的潮流が抬頭しつつあることが伺えるとの指摘がある。公開された各州別の投票結果をみると、今回の投票でライースィーへの支持票がロウハーニーを上回ったのは全国31州のうちで北ホラーサーン州、ホラーサーネ・ラザヴィー州、南ホラーサーン州、セムナーン州、ゴム州、中央州、ハメダーン州、ザンジャーン州の8州であり、中でも最大の支持率を示したのは南ホラーサーン州である。

こうした保守派勃興の新たな傾向について事前に指摘していた知られる限り唯一の報道はLe Monde紙の「マシュハド、イランの保守派の拠点」4である。同記事では保守派の2人の主要候補がどちらもマシュハドを基盤としていることを指摘し、またライースィーが「マシュハド市と同様に(アースターネ・ゴドゥスの)機構においても保守派の革命を遂行した」と述べている。

だがトランプ大統領の登場によって米国との歴史的な関係改善の可能性が当面無くなった現状において、外交交渉によるイランの国際的な地位の改善を志向するロウハーニー政権への批判勢力として国内の保守強硬派が新たな支持の拡大を模索することはある意味で当然の流れでもある。これがハーメネイー後をにらむイランにおいて新たな政治的潮流にまで育っていくのか否かについては予断を許さない状況であると言うべきであろう。

(2017年6月2日脱稿)

[追記]

筆者はイランのテヘランで上記レポートを脱稿後、調査地のエスファハーン州に入った。選挙から2週間ほどを経たイラン現地で知人との意見交換を行った印象は大方においてレポートで書いた内容と変わるものではなかったが、幾つかの点について認識を新たにしたので以下に列挙しておくこととする。

  1. 既述のようにイランでは「ヴェラーヤテ・ファギーフ体制」の許で体制側からのある種の制約を前提とした選挙が行われているが、それだけに選挙における国民の参加意識の高さは日本などと比較して極めて高いものがある。そのことを前提に、今回の大統領選挙(および同日に実施されたイラン全国市町村のショウラー選挙)においては改革派の新たな指導者としてモハンマド・ハータミー元大統領が現在イランで最も普及しているSNSサービスである「テレグラム」5を駆使しての選挙運動を積極的に展開していた。具体的にはライースィー候補の第二夫人の父親であるアラモル・ホダー師のマシュハドの金曜礼拝での講話の一部を流通させて改革派を支持する有権者の警戒を促すなど、かねてからメディアへの登場を規制されているハータミー元大統領の周辺がラフサンジャーニー没後の改革派の後見者として積極的に行動していた様子が伺える。
  2. イランの地方農村部では改革派を支持する町村とアフマディネジャードを支持する町村に明確に色分けされているという現状を以前に報告したが6、今回の選挙ではアフマディネジャードを支持する町村の票の多くがライースィー候補の側に流れたものと思われる。その上で今回の選挙期間中、イラン国内では全国の町村において革命防衛隊およびバシージュ(革命防衛隊の下部組織)が保守強硬派側のライースィー候補に投票するよう促すキャンペーンに動員されていたようである。筆者はこれの一端をエスファハーン州ナーイン近郊のある村において確認した。そこの住人の証言によると上記のような住民への圧力が実際に行われたが、それにも拘らずその村では多くがロウハーニー候補に投票したとのことである。ここからは革命防衛隊の統帥権がある最高指導者ハーメネイーの今回の大統領選挙における意志がどこにあるかを(具体的な発言の形ではなくとも)イラン国民が選挙期間中におしなべて看取していたことが理解される。

(新領域研究センター 鈴木均)

脚注


  1. この点についてはIran Poll(www.IranPoll.com)の報告が1000人程度の標本数とはいえ選挙開始直前の世論の動向をよく捉えていると思われる。
  2. iPPOグループの世論調査は1000人前後の標本数であるが、Wikipediaに掲載された世論動向の要約表はこの間の推移を比較的よく反映しているものと見られる。iPPOグループは各種リサーチを実施する国際的な民間調査企業グループであり、米国ワシントンDCに本部を置いている(同グループのウェブページによる)。
  3. Washington Post, 2017年5月4日付記事
    https://www.washingtonpost.com/world/national-security/trump-plans-first-presidential-overseas-trip-to-israel-vatican-and-saudi-arabia/2017/05/04/e5de3e76-30db-11e7-9534-00e4656c22aa_story.html?utm_term=.7226364b02b3
  4. Le Monde, 2017年5月10日付記事、Le Monde selection hebdomadaireの5月13日付に再録。
  5. 「テレグラム」はロシアの起業家が創始した携帯向けの簡便なソーシャルメディアで、アジアを中心に普及しており、イランでは遠隔地に散らばった家族間のコミュニケーション手段として広く使われているという。
  6. 拙稿「イランの地方社会とイラン人のトランプ観」『中東レビュー』第4号(2017年3月)12-14頁。

この論稿は暫定版であり、本年度末に掲載予定のウェブ雑誌『中東レビュー』第5号において最終的なテキストおよびページ打ちが確定されます。したがってそれ以前の段階で本論稿を引用される際には振られているページ数が暫定的であることに留意し、またテキストをウェブ上から入手された日付けを必ず明記するようにしてください。