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中東政治経済レポート:紅海岸・アフリカの角——中東諸国の紅海岸・アフリカの角地域への進出とその当面の帰結

中東レビュー

Volume 4

池内 恵 著
2017年3月発行
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近い将来において中東地域の政治・経済・安全保障をめぐって注目に値するのが、中東諸国、特にサウジアラビアやUAEなどの湾岸産油国による、紅海岸地域と「アフリカの角」地域1への進出である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧州の列強がアフリカへの植民地進出を競った「アフリカへの殺到(Scramble for Africa)」2が、担い手を変えて新たに展開されているかのような状況が生じている。

中東諸国にとって紅海岸とアフリカの角地域は、経済的な成長の場として、そして政治や安全保障上の協調・団結の機会としての可能性を秘めている。それと同時に、中東諸国による関与は、紅海岸とアフリカの角地域に新たな紛争を刺激することにもなりかねず、中東における既存の紛争・対立構図を、紅海岸とアフリカの角地域に持ち込む危険性を秘めている。

本稿では中東諸国の紅海岸地域・アフリカの角地域への、経済的、そして政治・安全保障面での進出の概略をまとめつつ、そこに秘められた可能性と危険性の両面を指摘したい。



1.「中東」と「アフリカ」の地域概念の不分明化

中東とアフリカは、近代において、画然と分かたれた異なる地域として認識されてきており、両地域に対する世界各国の通商・外交、あるいは安全保障政策も、別個に策定され実施されることが通例であった。しかし近年、中東とアフリカの境界は不分明になっている。

特に、両地域の境界領域である紅海からアフリカの角地域にかけて、両地域の接近と融合を進める、政治的・経済的、そして安全保障上の動きが、表面化している。それに応じて、日本を含む各国の政策の策定と実施においても、中東とアフリカを横断的にとらえて対処する必要が出てきている。

これは地域研究の対象の設定という観点からも見逃してはならない動向である。近代における地域認識が「中東」と「アフリカ」を別個の存在としてとらえてきたという事実を前提として、地域研究も「中東研究」と「アフリカ研究」を分け、それぞれに異なる研究者育成の制度と経路を備え、学部や学科、研究所の部門、学会などのあらゆる段階において異なるセクションを設けてきた。

しかし歴史上は、中東とアフリカを確然と分けることができた時期はそう長くはない。特に、紅海岸からアフリカの角地域にかけては、元来は連続性・不可分性があり、そこにおいて中東とアフリカは活発に交流していた。旧約聖書に登場する「シバの女王」の支配国の所在が、現代の歴史学ではイエメンあるいはエチオピアのいずれかに比定されることや、コーランやハディースに記録されたイスラーム教の草創期の事跡で、アラビア半島の紅海周辺のメッカに設立されたイスラーム教団が、多神教徒との抗争で不利な立場に立たされた時に、その一部がエチオピアに逃れたように、古代・中世においてアラビア半島と「アフリカの角」地域は密接な関係を持っていた。

西欧人が東アフリカに進出した時に見出したのは、海岸都市や内陸の河岸に位置する都市に居留地を築き、通信・輸送ネットワークを張り巡らせ、黄金・象牙・奴隷などのアフリカ産出の産品を国際市場に仲介する「アラブ商人」の姿だった。西欧人による「大航海時代」や近代初期のアフリカ「探検」も、アラブ人あるいはインド人が開拓した交易ルートやインフラを利用して行われたものだった。地理的な条件がほぼ一定である以上、前近代における中東とアフリカのつながりは、近代において一時的に阻害されたとしても、諸条件が前近代の状態に近似したものに変化すれば、容易に復活しうると考えておかなければならない。

近代において中東とアフリカの区分が明確に設定されるに至った政治・経済的条件の最たるものは、西欧あるいは欧米諸国の関与であり、支配である。西欧諸国の植民地進出と、帝国主義的な領土獲得競争の過程で、西欧列強のパワーバランスに基づき、植民地行政の政策と制度に多くを依存して、中東とアフリカは近代において地域として形成された。民族主義と反植民地主義運動を経た主権国家や民族の形成も、それぞれの地域の枠組みの中で進められ、地域単位での国際政治が展開されてきた。米ソが主導する冷戦時代、そして冷戦後の米国単独覇権の秩序の中でも、欧米諸国の関与は、中東とアフリカを別個の地域として存続させる影響を持ち続けて来た。

しかし現在、欧米諸国、そして米国の中東やアフリカ諸国への影響力が相対的に低減することにより、中東とアフリカを分けていた歴史的・制度的な要因も自明ではなくなっており、中東とアフリカを横断した人的・経済的関係が再び前面に出る条件が整いつつある。



2.湾岸諸国の紅海岸・アフリカの角地域への進出

近年に顕著なのは、紅海岸・アフリカの角地域への中東諸国、特に湾岸諸国の進出である。紅海・アフリカの角地域には、経済的な発展の可能性が多く秘められている。中東諸国が、外部のアクターとともに、この地域の開発に関与していくことは、中東諸国の政権の動揺や内戦などの混乱の根本的な要因と見られる低成長や貧困や高失業率を打破し、経済成長の実現、機会の創出と社会的配分の原資を得るために一助となると期待しうる。サウジアラビアやUAEなどの湾岸産油国の資源・資本は、エジプトからエチオピア、さらには「拡大アフリカの角」地域のケニアやウガンダも含めた東アフリカの豊富な労働力と拡大する市場との間に相互補完性があり、それらの地域の産業化を推進する要因となると共に、そこから利益をうるいわゆるwin-winの関係になりうる。ここに、中国が資源や市場を求めて人的資源や技術力や資本を注ぎ込んで進出し、道路・鉄道などインフラ開発を推進していることは、中東諸国の紅海岸・アフリカの角地域への経済進出にとって追い風となる。

例えば、2016 年 1 月には、サウジ西部の紅海岸のヤンブーでサウジアラムコが中国石油化工(シノペック)と合弁で進める大規模石油精製施設YASREF(Yanbu Aramco Sinopec Refining Company Project)の竣工式典が行われた。同年10月に中国はジブチ−アジスアベバ間を結ぶ電化鉄道の完成式典を行った。中国はこれを皮切りにエチオピアの全土に及び、南スーダンやスーダンとの国境地域に至る鉄道網の敷設事業の多くを担うと見られている。これは農業部門を中心にエチオピアとの経済関係を強化するサウジに必要なインフラを提供する形になる。

特筆すべきは、湾岸産油国のアフリカの角地域への進出が、経済面に限定されず、安全保障に関わるものを含むようになっていることである。その背景には、イエメン内戦にサウジアラビアやUAEが介入し、イエメンとバーブル・マンデブ海峡を挟んだ対岸のジブチやエリトリア、ソマリランドの有用性が増していることがある。また、サウジアラビアとイランとの地域覇権競争が激化しており、紅海岸やアフリカの角地域からイランの支配が及ぶことを排除する、あるいは予防的に阻止することが、サウジの安全保障上の優先的課題となっていることがある。

サウジアラビアはジブチと安全保障協定を締結し、ジブチに軍事基地を建設する計画を推進している。2016年1月のサウジ・イランの外交関係断絶に追随して対イラン断交を行った国は、スーダン、ジブチ、ソマリアであり、いずれも紅海に面した諸国であった。それ以前からイランとの国交を(それぞれの理由で)断絶していたエジプトとイエメンを加えると、紅海岸とアフリカの角地域の沿岸諸国は、エリトリアを除いて、全てイランとの距離を置いたということになる。サウジの紅海岸・アフリカの角地域への外交攻勢は、イランに対抗する陣営の結成努力の一部であり、最も成功している部分と言える。

これと並行してUAEは、その国家の規模に比して顕著な海外基地展開を開始しているが、それらは紅海・アフリカの角地域に集中的に分布している。UAEは元来ジブチの港湾開発に密接に関与してきたが、その外交関係は2015年4月に急速に悪化し、5月には国交断絶に至っている。それに対して同年9月以後、UAEはジブチの北方の隣国エリトリア最南部のアッサブの港湾を租借し、大規模な軍港と飛行場を整備している。また、2017 年2月には、ジブチの南方の隣国ソマリア北西部の未承認国家ソマリランドの議会が、ベルベラ港をUAEが軍港として利用することを承認した。

これらの湾岸諸国の紅海岸・アフリカの角地域への進出は、イランを共通の敵として想定した、ある種の地域的な集団的安全保障の枠組みとして発展する可能性を秘める。特に、サウジが安全保障面で紅海岸の地域大国としてのエジプトと協調すれば、アラブ諸国の団結や、産油国と非産油国の協調といった積年の課題の解決に向けて進むための機会ともなるだろう。この点で2016年4月のサルマーン国王によるエジプト訪問の際の数々の合意は、サウジとエジプトの間の、スエズ運河からティラン海峡を経てバーブル・マンデブ海峡に至る一帯における包括的な安全保障上の協調の進展を期待させるものだった。特に、ティーラーン海峡で両国を結ぶ大橋の建設の合意や、ティーラーン島とサナーフィール島の帰属問題の決着は、紅海の安全保障をめぐってサウジとエジプトが一体となって進む姿勢を共に示したものに見えた。



3.対立の萌芽

しかし中東諸国の紅海岸・アフリカの角への進出は、逆に様々な紛争を新たに引きこすか、中東で既に存在する紛争を現地に持ち込む可能性がある。まず、サウジアラビアとエジプトの協力関係が、進みかけながら頓挫し、むしろ対立が表面化していることがある。

ティーラーン島とサナーフィール島のサウジへの帰属確認はエジプト国民の強い反発を招き、これを違憲とする司法判断によって先行きが不透明になっている。エジプトは2017年1月5日、新たに南方艦隊を設立し、紅海岸の海上覇権を譲らない姿勢を見せる。

この背後には、サウジがエチオピアとの関係を強化している点があるものとみられる。サウジがエチオピアとの関係を強化する過程で、エジプトが強く反対してきたルネッサンス・ダム計画3を黙認する方向性を示しているのに対して、エジプト側の反発が強まっている。サウジは従来から、スーダンやエチオピアで農業開発に投資し、食の安全保障を確保しようとしてきた。これに対してエジプトはナイル川の水源の確保を水の安全保障上死活的と捉えている。ルネッサンス・ダム問題をきっかけに、ナイル川の水源をめぐるエジプトとエチオピアの紛争において、サウジの国益がエジプトの国益と背反しかねないことが浮き彫りにされた。サウジの紅海岸・アフリカの角地域への進出は、対イランという文脈でのアラブ諸国・スンナ派諸国の団結をもたらす可能性があるが、それ同時に、むしろサウジとエジプトの国益の衝突と、それに起因する対立を招きかねなくなってきた。

また、湾岸産油国の間でも足並みは揃っていない。サウジアラビアがジブチに進出したのに対して、UAEはジブチとの対立を深めており、国交断絶にまで至っている。

ジブチ政府がUAEとの関係を冷却化させた背景には、ジブチの中国との関係強化があると見られる。中国と湾岸産油国がアフリカの角へ進出するに際しては、アフリカの角諸国が中国と湾岸産油国を「競わせる」局面が今後も出てくると見られる。

UAE はジブチの拠点を失った直後から、エリトリアのアッサブ、ソマリランドのベルベラへの進出を加速させ、それらの国を港湾開発や基地の提供国としてジブチと競合させる姿勢を示している。湾岸産油国の進出がアフリカの角諸国の間の競合や摩擦の原因となる場面もまた多くなるだろう。

未承認国家ソマリランドの政府・議会がUAEにベルベラの軍港開発を許可しているのに対して、ソマリア中央政府はサウジに対してUAEの進出を食い止める仲介を求めている。UAEの進出がソマリアの国際的に承認された政府と未承認のソマリランド政府の間の紛争の原因となり、それがまたサウジアラビアとUAEの間の立場の相違を明らかにする。紅海岸とアフリカの角地域への中東諸国の関与は、新たな紛争を胚胎しながらも着実に進んでいる。



(2017年3月7日脱稿、東京大学先端科学技術研究センター 池内恵)


脚注

  1. 「アフリカの角(Horn of Africa)」という概念は、狭い意味では、スーダン、南スーダン、エチオピア、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ソマリランドの6カ国(未承認国家を含む)を含むが、より広く、ケニアとウガンダを加えた8カ国を「拡大アフリカの角(Greater Horn of Africa)」と呼ぶこともある。本稿では主に狭い意味での「アフリカの角」を主に対象としているが、今後の展開によっては「拡大アフリカの角」全体を中東との連関においてとらえる必要性が出てくることも否定しない。
  2. Scramble for Africaという事象を日本では「アフリカ分割」と記すのが通例である。
  3. エチオピアがナイル川上流の、スーダンとの国境付近に建設を計画しているダム。エジプトは英植民地時代の協定からナイル川の水利用に関して極度に有利な条件を確保し、既得権を譲るいかなる交渉も拒否して来たが、これに対してナイル川上流のアフリカの角諸国が一致して現状変更を進める動きが出ており、エチオピアのルネサンス・ダム建設はそのうち最大規模のものである。


この論稿は暫定版であり、本年度末に掲載予定のウェブ雑誌『中東レビュー』第4号において最終的なテキストおよびページ打ちが確定されます。したがってそれ以前の段階で本論稿を引用される際には振られているページ数が暫定的であることに留意し、またテキストをウェブ上から入手された日付けを必ず明記するようにしてください。

巻末の表紙写真:<背景>アブダビ、シェイク・ザーイド・グランド・モスクのメインホールの壁装飾、<右下>UAE建国記念日に行われた航空ショー(以上、齋藤純 撮影)、<左下>リヤド市内の王族の肖像(石黒大岳 撮影)