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ベトナムのTPP参加-動機と経緯-

アジ研TPP分析レポート

No.4

2016年5月発行
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環太平洋パートナーシップ(TPP)に参加する12カ国のなかで、ベトナムは異彩を放つ存在である。経済発展の水準は群を抜いて低く 1 、共産党による一党支配体制をとる社会主義国という点でも唯一の存在である。市場経済化と対外開放が軌道に乗ったのは1990年代半ば頃からであり、国際通商交渉の経験も浅い。

そのベトナムが、2010年3月の第1回会合からTPP交渉に参加し 2 、2016年2月の協定への署名をもって参加国となった。高いハードルが予想されたにも関わらず、ベトナムが交渉参加に踏み切り、大筋合意・署名にまでこぎつけた背後にはどのような動機や経緯があったのだろうか。

国際経済統合——世界貿易機関(WTO)加盟から「新世代の自由貿易協定」へ

ベトナムはTPPへの参加を、30年来のドイモイ及び国際経済統合の流れのなかに位置づける。国際経済統合は2000年代初頭から打ち出され、ASEANの下での経済統合 3 、アメリカとの通商協定(2001年発効)、WTO加盟(2007年)などを主要なステップとして進展してきた。とりわけWTO加盟は、広範かつ包括的な市場開放や法制度整備を迫ったという点において、重要な意義を持った。

ベトナムのTPP参加決定にあたっては、WTO加盟が実質的な前提条件としての役割を果たした。WTO加盟後のベトナム経済は決して上り調子ではなかったが、外国投資や輸出は着実に拡大し、国内ではWTO加盟は肯定的にとらえられている。12年にわたる困難な交渉をまとめあげたという自信や、乏しかった通商交渉人材がWTO加盟交渉を通じて育ってきたこと 4 も、TPP参加の基盤となったと思われる。さらに、ベトナムが当初からのTPP交渉参加にこだわった背景には、既存の加盟国が定めた原則に従うことを半ば一方的に要請されたWTO加盟交渉の苦い経験を踏まえ、主体的に交渉に参加したいという意図があったようである(Le Mai Thanh 2014)。

ベトナムはTPPを、自らにとっての参照基準ともいうべきWTOよりも高度かつ広範な義務を伴い、将来の自由貿易協定のモデル構築を狙う「新世代の自由貿易協定(FTA)」と位置付ける 5 。ただし、ベトナムが「新世代のFTA」ととらえるのはTPPだけではない。ベトナムは、欧州連合(EU)とのFTA(EVFTA)にもTPPにやや先立ち調印している 6 。TPPとEVFTAへの参加によって、ベトナムの貿易のFTAカバー率(2013年)は、輸入では72%から84%へ若干増加するのみだが、輸出では44%から83%へと大きく跳ね上がる。他のアジアの途上国に先駆けて、最大の市場であるアメリカとEUが参加する高度なFTAに参加する決断を下したことで、ベトナムの国際経済統合はいっそうの深化を遂げようとしている。

TPPへの期待——貿易・投資拡大と改革促進

ベトナムのTPPに対する期待を、より具体的にみていこう。第一は、貿易と外国投資を促進する効果である。近年のベトナムの主要輸出品目は、電子製品、縫製品、靴などである。縫製品や靴などについては、最大の市場であるアメリカの関税の引き下げによる輸出の拡大が期待される。電子製品は、ベトナムのアジア地域の生産ネットワークへの参入に伴い、急速に輸出を伸ばしてきた。ベトナムはTPPへの参加を通じてさらなる多国籍企業のサプライチェーンへの参画を狙っている。

実際、TPP交渉参加の決定に先立つ時期において、輸出促進はベトナムにとって差し迫った課題であった。ベトナムは2008年頃から、年率30%近い高インフレや通貨安といったマクロ経済の不安定化に苦しめられていたが、その一因は中国との膨大な貿易赤字であった。鉱物や農産物など一次産品を輸出し、大量の原料、資本財、中間財などを輸入するというアンバランスな対中貿易構造が問題視され、輸出拡大が急務となったのである。

このような状況下で、マクロ経済の安定化に大きく貢献したのは外国投資であった。携帯電話生産などの大型案件が相次いで稼働したことで、2012年からの3年間、ベトナムは約20年振りの貿易黒字を記録し、経済停滞からの緩やかな回復も実現させた。TPPへの参加を通じて外国投資と輸出をさらに拡大しようとベトナムが目論んだことは想像に難くない。

第二に挙げられるのは、国内経済改革の推進である。ベトナムは、「WTO加盟交渉上の必要性」という論法を用いて法制度整備などを加速させた実績があり(藤田2006)、TPPへの参加についても、自らが目指す社会主義志向市場経済の制度の形成、行政改革や投資・ビジネス環境の改善に資するとの認識を示している(Bo Cong Thuong 2015)。ただし、交渉過程において、各国固有の政治体制や経済発展の状況に見合った公約実施のロードマップが認められるべきだという主張を繰り返してきたことからは、自らの意図を超えた改革や自由化は回避したいという意図がうかがわれる。

無視できない外交的要因

以上のような経済的要因に加えて、見逃せないのは外交的要因である。ベトナムのTPPへの参加の決定において、経済的要因はむしろ「従」であり、政治的・戦略的要因の方が「主」であるとする見方すらある 7

2009年頃から、南シナ海の領有をめぐる中国との衝突が目立ちはじめ、2014年には中国によるオイルリグ設置を契機とする大規模デモが勃発して一気に緊張が高まった。他方、中国との衝突が表面化したのとほぼ並行してアメリカとの関係は緊密化している。2013年にはベトナムとアメリカの間の全面的パートナーシップの確立が決定され、2015年にはベトナム共産党書記長による初めてのアメリカ公式訪問が実現した。

ベトナムはしばしば、諸大国との関係を巧みにバランスさせることで自らの立場を守るというアプローチをとってきた。ベトナム自身、TPPへの参加は「アジア太平洋地域におけるベトナムの役割や政治的地位を高め、独立・自主外交、(外交の)多角化・多様化の道を実現するとともに国防・安全保障を強化する」(Bo Cong Thuong 2015)としている。ベトナムのTPPへの参加は、近年の対中関係における緊張の高まりという文脈のなかで、外交関係を「多角化・多様化」する試みとしてとらえられよう。

交渉戦略と結果——大掴みな総括に終始

以上のようにベトナムがTPPに期待する効果は多様であるが、政府は、最高の国益を確保すること、あまりに高い対価を払う必要があるならば署名の断念も辞さないこと、交渉相手に対し自らの政治制度を尊重し、柔軟な対応を認めるよう促すことなどを原則として交渉に臨んだと説明した 8 。数々の先進国との交渉にあたっては、ベトナムは途上国としての立場を強調することで、柔軟な対応と公約実施にあたっての技術支援を引き出そうとする戦略をとった。

現実の交渉は、必ずしもベトナムの思惑通りに進んだとはいえないようである。分野横断的事項のうち労働や環境などは第1回会合から取り上げられていたが、国有企業は交渉開始後1年以上たってからアメリカの提案によってアジェンダに加えられることとなった。ベトナムはこれに強く反発し、交渉過程では膨大な例外リストを提示したと伝えられている 9 。ベトナムは最大の関心対象である繊維品について、(1)紡ぐ、(2)織る、(3)裁断・縫製の三つの工程を域内で行うことを求める厳格な原産地規則(ヤーンフォーワード・ルール)の取り下げ、ないし実施の延期を訴えたが、最終的には、TPP域内での供給が不足する原料については例外を認めつつも、ヤーンフォーワード・ルールが適用されることとなった。労働や知的財産などについても、最終局面まで交渉がもつれたようである。

交渉結果については、2015年10月の大筋合意後、さまざまな形で伝えられている。交渉を指揮した工商省は、協定全文の越語版とあわせて、「TPP協定——機会、挑戦と戦略的解決」と題した全体的総括とベトナムにとって関心が高い8分野(貿易救済、原産地規則、繊維、労働、国有企業、競争政策、環境、環境章における漁業補助金と資源保全)について合意内容の概要を紹介する文書を公表した。予想される影響についての綿密な分析はほとんどない。全体的総括のメッセージは、TPPは輸出と投資を促進する一方で、市場開放による国内企業・生産者の淘汰というリスクも伴うことから、経営環境の改善と競争力の向上による対処が必要だ、というきわめて大掴みなものである(Bo Cong Thuong 2015)。

ただしこの総括は、交渉結果の全貌を反映したものとはいえない。ベトナムはTPPへの参加によって、制度的調整をも迫られることになったからである。たとえば、労働について、TPP参加国は国際労働機関(ILO)が1998年に採択した宣言に基づき労働者の諸権利を採択・維持することを求められるが、ことにベトナムは、アメリカと締結した「貿易と労働関係の向上のための計画」の下で、労働者組織(労働組合)の設立や活動にかかわる要件を緩和することを約束している 10 。国有企業については、非商業的援助の禁止や他締約国の企業や物品・サービスに対する無差別待遇の付与などが定められた。幅広い適用除外は認められているものの、国有企業の役割が大きく、また多様であるベトナムにおいては、今後の政策オプションや国有企業の活動に及ぼしうる影響は少なくないと筆者はみている。

トップダウンの決断

国有企業や労働など、社会主義体制の根幹とかかわりかねない問題も含め、実質的にアメリカ主導での国際ルール構築を掲げたTPPへの参加は、ベトナムにとって容易な決断ではなかったはずである。それにもかかわらず、ベトナムが第1回会合から交渉に参加し、初期参加国となりえたのは、指導層の強い決意と政治体制によるところが大きいと思われる。

2015年10月の大筋合意後に公表された情報からは、TPP交渉参加は、党中枢による政治的決断であったことがうかがわれる。2016年2月、政府ウェブサイトに公開されたグエン・タン・ズン首相(当時)の論説 11 によれば、「新世代のFTA」たるTPPの交渉への参加は、政府が提案を行い、これに党政治局が同意したことで実現した。政治局が交渉の原則を定め、交渉の過程において政府は何度も政治局へ状況を報告し、政治局の指示に忠実に従って交渉を進めてきた 12

国内における報道は、2015年初め頃までは簡潔に事実や公式見解を伝えるものが中心であったが、交渉が終盤に入った頃からは、TPPの意義や予想されるインパクトに関する国内外の識者のコメントも増えてきた。国内企業の淘汰など厳しい影響を予想するものも少なくないが、それらもほぼ一貫して、いかに改革を推進し、競争力を高めることで悪影響を軽減するかを論じており、TPPへの参加そのものを疑問視する議論はほとんどない。

TPPによって影響を受けるのは企業、自営業者、農民などであるが、ステークホルダーとの協議も、WTO加盟交渉の時期と比べて限定的であったようにみえる。ベトナム商工会議所(VCCI)や主要な業界団体などとの協議は行われたとされる(Le Hong Hiep 2015)が、報道などから判断する限り、党の方針としてのTPP参加を前提とし、個別の交渉案件についての意見表明や提案が中心だったとみられる。

党・政府は、すでに批准と協定実施の準備に向け動き出している。2016年1月、第11期共産党中央委員会第14回総会は、TPP協定への署名に賛成し、国会における審議と批准に向けた準備作業の指導を政治局に委ねることとした。これを受けて、政府は7月に予定されている第14期第1回国会でTPPの批准を審議する計画を発表し、準備に着手している。TPP協定の実施に伴う法制度改正を担う司法省は、10の法律を含む34の法規文書の改正が必要となること、最も多くの改正が必要になるのは知的財産と労働の2分野であることを発表した 13

展望——外資優位がさらに進むか

ベトナムは、アジア地域の他の途上国に先駆けて、TPPとEVFTAに代表される「新世代のFTA」への参加を打ち出した。しかし、新世代のFTAへの参加が必ずしも明るい展望を約束するわけではない。ベトナムの指導者らが繰り返し訴えているとおり、TPPがもたらすさまざまな機会を現実のものとし、痛みを軽減するためには、改革を推進するとともに、企業や自営業者ら国内のアクターが競争力を向上させるための行動をとることが不可欠である。

WTO加盟後、ベトナム経済における外資企業のプレゼンスは上昇傾向にある。GDPにおける比率は17% (2013年)だが、企業部門の税引前利益総額の43% (2013年)を占め、輸出に占める比率は2015年には71% (速報値)にも及んだ。TPPへの参加が、外資企業に生産の場を提供し、自国市場を開放するだけに終わるならば、外資企業のプレゼンスがさらに高まることは避けられないだろう。

だが、中長期的な発展戦略などから判断する限り、ベトナムが目指す経済の将来像は、外資企業に高度に依存する経済ではない。国有企業や国内民間企業も成長の牽引力となる経済構造が実現できるかどうかは、国内企業の行動に加え、新世代のFTAという「外圧」を梃子とした国内経済改革の進捗に依拠すると思われる。

<参考文献>
  • 伊藤一頼(2016)「19 労働」Web解説TPP協定ver.2 (2016/3/28)、独立行政法人経済産業研究所
    http://www.rieti.go.jp/jp/projects/tpp/pdf/19_labor_v1.pdf )。
  • 藤田麻衣(2006)「ベトナムのWTO加盟への歩み——交渉の経緯と課題への対応——」(坂田正三編『2010年に向けたベトナムの発展戦略——WTO時代の新たな挑戦』情勢分析レポートNo.3、アジア経済研究所)。
  • Le Hong Hiep (2015) “The TPP’s Impact on Vietnam: A Preliminary Assessment,” ISEAS Perspective No. 63, Singapore: Institute of Southeast Asian Studies.
  • Le Mai Thanh (2014) “Hiep dinh doi tac kinh te chien luoc xuyen Thai Binh Duong va tac dong doi voi Viet Nam”’(環太平洋経済戦略パートナーシップ協定とベトナムに対する影響), Tap chi cong san (共産雑誌), so 864 (864号), pp.107-111.
  • Bo Cong Thuong (工商省) (2015) “Hiep Dinh TPP – Co hoi, thac thuc va giai phap chien luoc” (TPP協定——機会、挑戦、戦略的解決), ( http://trungtamwto.vn/tpp/bo-cong-thuong-tong-quan-co-hoi-thach-thuc-cua-tpp-va-giai-phap-chien-luoc ).

脚 注
  1. 2015年の1人あたりGDPは2,088ドル(IMF推計値)で、2番目に低いペルーでも6,021ドルと3倍近い開きがある(IMF, World Economic Outlook Database , April 2016 Edition, https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2016/01/weodata/index.aspx )。
  2. 当初はオブザーバー(associate member)としての参加であり、2010年12月の第4回会合から正式メンバーとなった。
  3. ベトナムは1995年ASEANに加盟し、ASEAN自由貿易地域の共通実行特恵関税(CEPT)スキームの下で2006年までに関税率を0~5%に引き下げることとなっていたが、多くの除外品目があった。2000年代に入ってから、ASEAN共同体(AEC)の創設が打ち出され、「AECブループリント」でベトナムを含む新規加盟4カ国は2015年までに原則的にすべての関税を撤廃する(ただし7%の品目については2018年までの経過措置あり)こととなった。
  4. TPP交渉の主席交渉官を務めたチャン・クオック・カイン工商省次官は、WTO加盟交渉の副主席交渉官の一人であった。WTO加盟交渉において重要な役割を果たし、2013年からTPP交渉の高級顧問を務めたチュオン・ディン・トゥエン元商業省大臣(加盟当時)は、インタビューのなかでTPP交渉における若い交渉官らの活躍に言及している(“Fresh impetus for economic reforms,” Nhan dan (人民), 2014年1月3日,
    http://en.nhandan.com.vn/business/economy/item/2243302-fresh-impetus-for-economic-reforms.html )。
  5. 第11期共産党中央委員会第14回総会(2016年1月11日~13日開催)通報全文
    ( http://dangcongsan.vn/dua-nghi-quyet-dai-hoi-dang-vao-cuoc-song/toan-van-thong-bao-hoi-nghi-lan-thu-14-ban-chap-hanh-trung-uong-dang-khoa-xi-366520.html )。
  6. 2015年8月4日に大筋合意、同年12月2日に交渉の終了が発表された。高度かつ包括的な自由化を掲げるとともに、政府調達、国有企業、競争政策、知的財産、労働、環境、気候変動などの分野横断的事項についてルールを定めたという点において、TPPと共通している。
  7. たとえば、Truong-Minh Vu and Nguyen Nhat-Anh, “The Potential of the TPP for Vietnam”
    ( http://thediplomat.com/2014/09/the-potential-of-the-tpp-for-vietnam/ )。
  8. “Chinh phu bao cao Quoc hoi ve TPP” (政府がTPPについて国会に報告), Bao dien tu Chinh phu Nuoc cong hoa xa hoi chu nghia Viet Nam (ベトナム社会主義共和国政府電子ニュース)( VGP News ), 2015年10月20日
    ( http://baochinhphu.vn/Tin-noi-bat/Chinh-phu-bao-cao-Quoc-hoi-ve-TPP/239178.vgp )。
  9. “TPP Countries Face Vietnamese Demand for Extensive SOE Exceptions,” Inside US Trade , September 12, 2014.
  10. TPPの一部ではないが、TPPと並行して合意された二国間条約である(伊藤2016)。
  11. Nguyen Tan Dung, “Hiep dinh Doi tac xuyen Thai Binh Duong, co hoi va thach thuc-Hanh dong cua chung ta” (環太平洋パートナーシップ協定、機会、挑戦——我々の行動), VGP News , 2016年2月16日
    ( http://baochinhphu.vn/Viet-Nam-va-TPP/Hiep-dinh-Doi-tac-xuyen-Thai-Binh-Duong-co-hoi-va-thach-thucHanh-dong-cua-chung-ta/247811.vgp )。
  12. “Chinh phu bao cao Quoc hoi ve TPP” (政府がTPPについて国会に報告), VGP News , 2015年10月20日
    ( http://baochinhphu.vn/Tin-noi-bat/Chinh-phu-bao-cao-Quoc-hoi-ve-TPP/239178.vgp )。
  13. Viet Nam se ap dung cam ket TPP cho them 40 nuoc”(ベトナムはTPP公約を40カ国に追加で適用), VGP News , 2016年5月5日。
    ( http://baochinhphu.vn/Kinh-te/Viet-Nam-se-ap-dung-cam-ket-TPP-cho-them-40-nuoc/253418.vgp )。