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TPPとマレーシア——交渉の経緯とその影響

アジ研TPP分析レポート

No.2

2016年3月発行
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「10年越し」の決着

マレーシアは環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に先だって、2006年から米国との二国間FTA(米馬FTA)の交渉を続けてきた。マレーシアの主要貿易相手のうち、シンガポールとはAFTA(2003年1月発効)のメンバー国同士であり、日本とは日馬EPA(2006年7月発効)が結ばれた。中国ともASEAN−中国FTA(2010年1月発効)がその後結ばれており、消費財の最大の輸出先である米国とのFTAも優先順位が高いものであった。マレーシアにとって、TPPの大筋合意は、米馬FTAの交渉開始からほぼ10年越しの決着といえる。

2006年3月にアブドゥラー政権とブッシュ政権のもとで米馬FTAの交渉が開始された当初、米国側は2006年内にも妥結可能との楽観的な見通しを示していた。一方、マレーシア側には賛否両論があった。マレーシア通産省は米馬FTAを両国の貿易・投資関係を強化する戦略的なものと位置づけ、マレーシア製造業者連盟(FMM)も交渉を支持、繊維・アパレルや陶器などの分野で特に中国に対して競争力を確保できるとの見通しを示した。一方で、いくつかのNGOは、雇用への影響、食料安全保障、安価な薬剤へのアクセスが難しくなる等の懸念を表明していた。

米馬FTAの交渉は、米国側の見通しほどスムーズには進まず、2007年2月には米国側からもマレーシアが資源やインフラ開発分野でイランに協力している点を問題視する声があがり始める。ブッシュ政権下でFTAが発効するための期限とされた2007年7月を過ぎても交渉はまとまらず、2008年7月の第8回交渉を最後にオバマ政権に引き継がれた。結局、オバマ政権は米馬FTAをTPPに統合する方針を示し、マレーシアは2010年8月の第3回会合からTPP交渉に参加することになる。

交渉巧者

2013年7月に第18回交渉が同国サバ州コタキナバルで開催されたのを契機に、マレーシア国内でのTPPへの関心は一気に高まった。同時期、TPPへの反対で注目を集めたのがマハティール元首相である。自身のブログなどを通じ、秘密交渉のTPPには問題があり、政府調達を中心に米国企業の途上国市場への参入を目的とするものであると批判した。また、TPPに批准すればブミプトラ優遇政策や通貨管理が実施できなくなり、「マレーシアは再び植民地化されるだろう」と主張した1

実際、各国の国内規制にも踏み込むTPPにマレーシアが参加する際、ブミプトラ(マレー系国民等)優遇政策は大きな問題になるとみられていた。TPPのもとでも同政策を維持するというマレーシア政府の主張が交渉で受け入れられるかは極めて不透明だった。その一方で、TPP交渉が大詰めを迎えていると報じられた2013年9月、ナジブ首相はブミプトラ優遇政策を拡大する「ブミプトラ経済活性化アジェンダ」を発表し、「TPP批准の可否を議会が判断する」「TPPには柔軟性(flexibility)が必要」などと発言し2、マレーシア政府のTPP参加への熱意は後退したのでは、との疑念を抱かせた。

しかし、2015年10月の大筋合意を受けてTPPの全文が公開されると、「民族融和に配慮」というような婉曲的な表現ではなく、「ブミプトラ優遇政策(Bumiputera Affirmative Action)」と明記したうえで、マレーシアが様々な分野で例外扱いを獲得したことが判明する。マレーシアはTPP交渉で決して「前のめり」になることなく、結果的にブミプトラ優遇政策を概ね例外として認めさせることに成功した。

マレーシアのTPP交渉への姿勢を象徴するのが、ナジル・ラザク氏(ナジブ首相の実弟、有力銀行CIMBグループCEO[当時])の発言である。同氏はマレーシアがホストしたTPPコタキナバル会合に際し、「交渉に参加する際には、もしそれが良いものでなければ撤退(walk away)する意思が重要。それが良い交渉の大前提だ」と述べ、「我々が交渉をホストすることが、合意に向けてより肩入れすることを意味するものではない。落とし穴は細部に潜む(the devil is in the details)」と早急な妥結を戒めている3

TPPのマレーシアへの影響

TPPが発効した場合、マレーシアが具体的にメリットを受けるのはどのような産業だろうか。表1は米国市場について、マレーシアからの関税支払額が高いと推定される(米国のマレーシアからの輸入額×平均関税率)上位10品目をあげたものである。

表1 マレーシアの米国市場での推定関税支払額(2013年、HSコード6桁)
表1 マレーシアの米国市場での推定関税支払額(2013年、HSコード6桁)
(出所)TRAINSデータベースより筆者推定。

ゴム手袋のマレーシアから米国への輸出額は年間10億ドルを超えており、約5700万ドルの関税が支払われていると推定される。このカテゴリーの輸出の約7 割を占める医療用の手袋が既に無関税である一方、他の種類のゴム手袋には3~14%の関税がかかっており、これがTPP発効で即時撤廃される。

上位品目で目立つのが衣類である。衣類は男性用のシャツ(綿製)が14.2%、ジャージ等(綿製)が10.75%と平均関税率が高いため、TPPのメリットが大きい。関税撤廃のスケジュールは、即時撤廃から13年目に完全撤廃されるものまで様々だ。

電子・電機製品でもいくつかの品目がTPPのメリットを受ける。具体的には配電盤(1000v以下)やラジカセなどで、税率はそれほど高くないものの輸出額が多いためメリットが大きくなる。これらの関税は、マレーシアについてはTPP発効後、即時撤廃されることになっている。

こうした関税引き下げはこれまでのFTAでは「主」となるメリットであったが、TPPではむしろ「従」である。より包括的なTPPのマレーシアへの影響については、2015年12月にマレーシア通産省が公表し、2027年時点でGDPが0.60~1.15%上昇するとした4。ただし、関税引き下げ部分だけではGDP上昇は0.20%にとどまり、上積み分は非関税障壁が25~50%削減されることを想定して試算されている。

同国通産省は量的な分析にとどまらず、質的な影響分析も同時に公表した。安全保障、社会的側面、経済的側面から膨大な項目の一つひとつについて好影響・悪影響を検討した資料を作成し、全肯定でも全否定でもなく「TPPは差し引きすると(on balance)国益に叶う」という慎重な表現でその影響を総括している5。105項目、231ページに及ぶ分析を全文公開したことは、分析の慎重な表現とは裏腹に、マレーシア政府が交渉結果について自信を持っていることをうかがわせる。

ブミプトラ優遇政策を留保

TPPは、サービス業を中心に例外として明記されない限り原則自由化という「ネガティブ・リスト」方式を掲げているため、理想として「質の高いFTA」であるという見方は間違っていない。しかし、実態としては、マレーシアをはじめ各国が自国の利益に基づいて様々な分野で自国の市場を相当程度守ったようにみえる。

例えば、TPPでは国有企業が物品やサービスを調達・販売する際に無差別かつ商業的な配慮に基づいて行う必要があるが、マレーシアについてはブミプトラ企業からの調達はその例外として明記された6。もちろん、全く無傷というわけではなく、政府調達については、一定金額以上の公共事業については自由化されることになった。ただし、そうした場合でも調達額の30%がブミプトラのために留保されるなど、優遇政策の余地が残された7

その他、国有石油会社ペトロナスに独占的に付与されているマレーシア国内の資源開発に関する権利8やマレーシア・リンギを「非国際化(non-internationalisation)」する権利9、公企業の民営化についての権利10などをマレーシアは留保している。一方で、ペトロナスの川上部門の調達ついては「例外の例外」というかたちで一部が自由化される11など、交渉が簡単ではなかったことをうかがわせる。

自動車市場では譲歩

これまで、マレーシアがFTA交渉を行う際には、国民車メーカーを擁する自動車市場の開放が常に焦点となってきた。AFTAが2003年に発効した際には、国民車保護のためマレーシアの自動車市場の開放が2005年まで遅れたし、日馬EPAでも自動車市場の開放は交渉の重要なポイントであった。

TPPでは、現在10~30%の自動車に対する輸入関税が協定締結後3~13年かけて引き下げられることになった。ただし、マレーシアはAFTA以降、国民車優遇政策を高率の関税ではなく、自動車販売に高率の物品税(Excise Duty)を課し、国民車が有利になる国産化率などに応じた払い戻しを行うという形で実施している。したがって、TPP発効後も、マレーシア政府が物品税を用いた調整を行えば、国民車優遇政策を継続できることになる。

しかし、米国はその点についても十分に把握していて、TPPに付随するマレーシアとの二国間レター12の中で、マレーシアが新たな物品税の体系を導入する際には透明性がありWTO準拠のものにすることや、最終的な公表の前に新たな体系を精査し、コメントする機会を確保するよう求めた。さらに、2021年以降は輸出実績や現地調達率、現地付加価値に基づいて物品税を課すことを許さず、現在輸入許可証(AP)に基づいて実質的に数量制限されている輸入車について、TPP発効以降は米国生産車について輸入数量制限を禁止した。こうした詳細な要求からは、米国がTPP交渉において何を獲得するのか、事前に十分な研究を行って目標を定めていることが推測される。

複雑化する国益と分析力・交渉力の重要性

現在、先進国・途上国を問わず、関税の引き下げが相当程度進み、FTA/RTAで関税が撤廃されることによる経済効果は徐々に小さくなってきている。一方で、関税率に換算すると数十%から数百%にも及ぶとされる非関税障壁の引き下げや、貿易・通関の円滑化が持つ重要性が益々大きくなってきている。マレーシアの場合も、TPPの影響については関税引き下げの効果が「従」となり、「主」は非関税障壁に関わる様々な国内規制がどの程度撤廃されるのか、維持されるのか、あらたに導入されるのか、という点にあった。

こうした意味で、FTA/RTA交渉は自由貿易に向けた足並みを揃える場というよりも、各国の国内規制の存廃をめぐる駆け引きの場としての色彩を強めている。複雑化した国益を明確に整理して分析し、様々なケースを想定して交渉戦略を組み立てる「事前研究」なしには、FTA/RTAから十分な成果を得ることができない時代の到来をTPPは象徴しているように思われる。


脚 注
  1. “The Trans Pacific Partnership”(Chedet 2013年7月12日付)(http://chedet.cc/?p=1020
  2. “Najib expresses concerns over TPPA at APEC Summit dialogue”(The Sun Daily 2013年10月7日付)
    (http://www.thesundaily.my/news/849313)
  3. “Walk away if TPPA terms unsuitable: Nazir”(The Sun Daily 2013年7月13日付)
    (http://www.thesundaily.my/news/773346)
  4. “Study on Potential Economic Impact of TPPA on the Malaysian Economy and Selected Key Economic Sectors”
    (http://fta.miti.gov.my/miti-fta/resources/TPPA_PwC_CBA_-_Final_Report_021215_FINAL_(corrected).pdf)
  5. “National Interest Analysis of Malaysia’s Participation in the Trans-Pacific Partnership”
    (http://fta.miti.gov.my/miti-fta/resources/ISIS_The_Grand_Finale.pdf)
  6. TPP, Annex IV: State-owned Enterprise, Malaysia
    https://ustr.gov/sites/default/files/TPP-Final-Text-Annex-IV-State-Owned-Enterprise-Malaysia.pdf)参照。
  7. TPP, Annex 15-A: Government Procurement, Malaysia
    (https://ustr.gov/sites/default/files/TPP-Final-Text-Annex-15-A-Government-Procurement-Malaysia.pdf) 参照。
  8. TPP, Annex II: Non-Conforming Measures, Malaysia
    (https://ustr.gov/sites/default/files/TPP-Final-Text-Annex-II-Non-Conforming-Measures-Malaysia.pdf) 参照。
  9. TPP, Annex III: Financial Services, Malaysia
    (https://ustr.gov/sites/default/files/TPP-Final-Text-Annex-III-Financial-Services-Malaysia.pdf)参照。金融サービス自由化の例外として、マレーシアはリンギの非国際化について以下の三つの政策を行う権利を留保するとしている。すなわち、1)国際決済を外貨で行うことを求めること、2)マレーシア国外で利用するために非居住者がリンギにアクセスするのを制限すること、3)非居住者のリンギの使用を制限すること。これらは、1998年にアジア通貨危機への対応として管理為替制度を導入した際の政策と同種のものである。
  10. TPP, Annex II: Non-Conforming Measures, Malaysia参照。
  11. TPP, Annex IV: State-owned Enterprise, Malaysia参照。
  12. TPP, US-MY Letter Exchange on Auto Imports
    (https://ustr.gov/sites/default/files/TPP-Final-Text-US-MY-Letter-Exchange-on-Auto-Imports.pdf)参照。