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エジプトにおける予言者冒涜映画と反米デモ

政策提言研究

山田 俊一
2012年12月
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はじめに
2012年9月11日にエジプトとリビアで大規模の反米デモが起きた。イスラーム教の預言者ムハンマドを冒涜する映画が米国で制作され世界的に発信されたことが原因であった。これに抗議する反米デモは中東・イスラーム地域全域に拡大し、多大な犠牲を残した。

2011年のエジプト革命を経て、民主化プロセスの一環としての自由で公正な選挙(人民および諮問議会選挙と大統領選挙)を通じてイスラーム勢力が国政を掌握していく過程でこの事件はおきた。カイロでは一時は市街戦のようなデモ隊と治安部隊との衝突が続いたが、今はこの問題での騒動は沈静化している。この事件がエジプトに与えた影響とその結末を現時点でまとめてみたい。


9.11
9月11日にエジプトとリビアで米国大使館への激しい抗議デモが起きた。理由は米国でイスラーム教の預言者ムハンマドとイスラーム教を冒涜する映画(以下、冒涜映画)がエジプト人コプト(キリスト教徒)の手で制作されたことにあった。カイロでは群集の一部が米国大使館の塀をよじ登り、米国旗を降ろして焼いてしまった。米国旗は9.11(米国同時多発テロ)を追悼し、半旗が揚げられていた。ベンガジでは米国領事館がロケット攻撃を受け、米国大使など4人が死亡した。当初はともに冒涜映画への抗議と報道された(のちにリビアの領事館攻撃は、冒涜映画とは関係ないと訂正されることになった)。米国への抗議行動はまたたく間にモロッコからパキスタンまで20ヵ国以上へと広がった。各国でデモ隊と治安当局とが衝突し、合計で50人以上の死者がでたといわれる。

この9月11日は2001年の9.11の12周年の日にあたった。米国ではその犠牲者を追悼し、「テロとの戦い」を確認する。このテロはイスラーム原理主義者であるオサーマ・ビン・ラーデンが率いるアル・カーイダによるもので、テロはイスラミック・テロを意味している。穏健なムスリム(イスラーム教徒)とその過激派は明確に区分されなければならないが、ムスリムからテロリストが連想される傾向が国際的にあることは否定できない。

他方、イスラーム世界ではこの日は米国の対中東政策を非難する記念日である。9.11がアル・カーイダの仕業とする米国政府発表の説に納得していない人が少なくない。彼らは9.11をアフガンとイラクへのアメリカの軍事攻撃の正当性と結びつける米国の外交・軍事政策を非難するのである。エジプトの前ムバーラク政府もこの米国の軍事行動を批判し、参戦しなかった。エジプトでは2003年の米国によるイラク攻撃以降にヘガーブ(イスラーム社会の伝統的ベール)を着用する女性が急増した。

9月11日のカイロでの反米デモは各政党、イスラーム勢力、革命運動勢力、コプト教会など多くの政治・宗教勢力が参加した。12日、13日にも抗議行動が行われたが、デモ隊は投石と火炎瓶、警察は催涙弾を用いる市街戦が米国大使館周辺で繰り広げられた。これは14日まで続きやっと沈静化した。この間2人が死亡、200人以上が負傷した。逮捕者も200人を越えた。15日になって警察がタハリール広場からデモ隊と物売りを排除し、カイロは平静を取り戻されることになった(政府はこの広場をエジプト革命の発祥地としてエジプト観光の目玉にしたいとする意向がある)。

米国大使館はこの騒動が勃発した11日、互いの宗教の教義や信条に敬意を払うことは、アメリカ民主主義の基礎であるとし、イスラーム教への冒涜を非難した。エジプト政府は在米大使館を通じて米国政府に冒涜映画の制作者への厳重な処罰を要請した。6月の決選投票で勝利し、6月末に就任したばかりのムハンマド・ムルシー大統領はエジプト国民に対して国際条約を遵守し、諸外国の外交官と大使館施設などに危害を与えないよう求めた(ベルギー訪問中のムルシー大統領は国際電話でオバマ米国大統領と米国大使館への抗議デモに関して協議していた)。イスラーム教の最高権威であるアル・アズハルのムハンマド・アル・タイエブ師は抗議の怒りを表現するにしてもイスラームの知性・徳性の範囲内で行うよう呼びかけた。

11日のデモに集結した団体からは多くの意見が表明された(『アル・アハラーム(以下、同)』2012年9月12日など)。それらの主要な論点を抽出すると以下のようになる。コプト教会の正教派(主流派)と福音派はこのようなコプトの活動家とは無関係であり、彼らの行動を否定する。米国やヨーロッパなどの在外のコプト教会は、サーデク等はコプト教会をなんら代表する存在ではないことを主張した。ムルシー政権の与党である自由・公正党はこのような冒涜行為には強く抗議した(イサーム・エル・エルヤーン総裁代行)。最も強硬であったのはサラフィー主義者のアン・ヌール(光)党で、「滑稽なもの達」に適切な措置をとらない限り、エジプトと米国は関係を絶たねばならないと主張した。

5月に行われた大統領選の第1回投票で3位と健闘したナセル主義者のハムディーン・サッバーヒーも、これは大罪であり言論の自由とは関係ないと述べた。革命運動のひとつである4月6日運動はエジプト国民の間に憎悪を煽動するものだと批判した。その他多くの団体や個人も表現の自由あるいは芸術上の創作の自由を重視しながらも、他の宗教の教義・信条などを冒涜することを否定することで一致した。

預言者冒涜映画でカイロは一時騒然となったが、この騒動の鎮静化はすべての勢力が合意できるものであった。最後に、ムスリム同胞団指導者のムハンマド・バディーアは今回の事件はエジプト国民を団結させたと論じた。そして、海外の一握りの「愚か者達」の仕業をコプト全体の責任に押し付けることは許されないと戒めた(同2012年9月21日)。

預言者冒涜映画の制作者
この騒動の直前の9月8日に、あるアラビア語週刊誌の「イスラーム教を冒涜する新たなフィルムがコプトにより制作され、配給された」との記事がエジプトの衛星チャンネルで紹介された。コプトとはエジプトの独特なキリスト教の信徒を指す。これを紹介した衛星チャンネル「アン・ナース(人々)」はイスラーム教の(超)保守派であるサラフィー主義者が運営する。この衛星チャンネルはサウジ人実業家が設立したもので当初は歌番組中心であったがすぐに宗教チャンネルへと衣替えした。そのある番組で司会者の保守主義者といわれるハーレド・アブダッラーはくだんのフィルムを紹介した。そのフィルムは英語からエジプト方言に吹き替えられた低俗で悪趣味なものであった。主役の青年はいかにも軽薄なムハンマド青年が何かにとり憑かれたシーンを演じていた(預言者の性的な変質性を描く場面は見るに耐えない)。イスラーム教のコーラン(クルアーン)はユダヤ教の律法とキリスト教の新約聖書の章句を混ぜたものだと誹謗するシーンが続く。そのあとでは好戦的で残忍なイスラーム教徒が他部族を攻撃し略奪するシーンが多出する。その番組ではエジプト人でコプトのモーリス・サーデク(Morris Sadek, 以下、サーデク)や米国人のテリー・ジョーンズ(Terry Jones, 以下、ジョーンズ)など米国在住の反イスラーム活動家が制作に関わったと解説された。この番組の様子は翌日にはYouTubeにアップロードされ、アクセスが殺到したという。

この放映を経て、サラフィー主義者の呼びかけで米国大使館デモが大々的に行われた。これに対応して、エジプト検察当局はサーデクを含む10名近いリストを12日に発表した(同2012年9月13日)。この記事の中にジョーンズは含まれていない。

ジョーンズはコーランを焼くといった行動で知られてきたが、2012年の9.11には「預言者ムハンマドを裁く国際デー」という活動を計画していた。サーデクは9月6日、この計画を知らせる電子メールを世界中のジャーナリストに宛てたが、それに冒涜映画のファイルを添付した。それに即座に反応したのが上述のエジプトのサラフィー主義者の番組であったことになる。

サーデクは自分が主催する米国コプト協会(American National Coptic Assembly, ワシントンDC)のホームページにReal Life of Prophet MuhammadとMuhammad Movie Trailer という二つのファイルを掲載していたが、アップロードはサム・バシール(Sam Bacil, 以下、バシール)という名前で行われていた。エジプトでの抗議暴動のさなかの13日、コプトの青年であるアルバート・サーベル(Albert Saber、以下、サーベル)が逮捕された。くだんの冒涜映画のフィルムを彼のFacebookにアップロードしイスラーム教とその預言者を冒涜した容疑である。

もともとの映画を制作し、ファイルをアップロードした人物を追跡するなかで情報が錯綜した。新聞報道などによると、当初はバシールとナクーラという人物が共同制作者と思われた。Muhammad Movie Trailerをアップロードしたバシールとの電話では本人はユダヤ人で不動産開発業者であると名乗ったという。この情報はすぐに国際的に発信された。イスラエル当局は直ちにこのバシールを確定しようとしたが、電話帳やインターネットで検索したがそのような人物は見つからなかった(反イスラーム活動はイスラエルの謀略という説があるので、イスラエル当局はその疑いを晴らすため真剣に捜索したものと思われる)。イスラエル人がこの映画制作に寄付としたとのことであったが、後に嘘と判明した。

あるジャーナリストがバシールの携帯番号から住所を突き止めて、連絡するとナクーラという人物に突き当たった。ナクーラはバシールとは別人と言ったが、すぐに身元は割れた。銀行口座を使った詐欺などの犯罪で21カ月の有罪の判決を受け、2011年7月に保釈されていた。やがて、このナクーラ・バーシリー・ナクーラ(Nakoula Basseley Nakoula)が保釈されてから12日で映画を制作したことが明らかになった(米国紙などによる)。そして彼はバシールの偽名も使うエジプト人のコプトであることも判明した。彼はカルフォルニアでのガソリン・スタンドの経営で大きな負債を抱え、金融詐欺で逮捕されるなどしていた(覚せい剤製造容疑で逮捕されたこともある)。彼は牢獄の中でこの冒涜映画のシナリオを書いたという。この反米デモの直後に彼は身を隠したが、9月半ばにロサンゼルス警察の手で保護観察違反の容疑(偽名使用、パソコン使用)で逮捕され、直ちに1年の懲役刑を言い渡された。映画制作の関与で嘘をついた以外は宗教冒涜映画での罪はなかった。

YouTubeと表現の自由
ナクーラは砂漠の戦士ジョージというタイトルの映画で出演者を募ったという。この英語のタイトルは「イノセンス・オブ・ムスリム(Innocence of Muslims) 」と知られるようになっているが、映画界ではこのタイトルは登録されていないという。

この映画は2時間にわたるもので2011年にナクーラの手で制作され、2012年7月には上述のサーデクの団体が掲載した。映画自体はそのころ一度だけ映画館で上映されたが、そのタイトルはInnocence of Bin Ladenであった。事件後にインターネットでアップロードされたそのポスターには「彼らテロリストがパレスチナ、イラク、アフガニスタンでの子供や兄弟の殺戮の原因を作った」とアラビア語で書いてある。この映画の趣旨は米国内のテロリストを怒らせることにあったという。低俗な映画で、観た人は途中で退出したという。米国社会で特別な反応はまったく起きなかったという。

エジプト検察当局は、上述したように、騒動後に逮捕する人名のリストを発表した。しかし、その後の進展を経て18日までには7人のエジプト人と1人の米国人(上述したフロリダ教会のジョーンズ)に逮捕状を出すことに変更された。エジプト人の中にサーデクとナクーラ(ニーコーラー・バーシリー・ニーコーラーというアラビア語表記)が含まれている。ナーデル・ニーコーラーというもうひとりの容疑者のカイロ近郊の留守宅には抗議の群集200人が集まり、家族は警察に身の安全を図ってもらうことになった。本人は10年前に米国に移住している(同2012年9月19日)。

上述のサーベルの彼の裁判は9月末に開始したがその後何度か延期されていく。同じくその映画を衛星チャンネルで放映し米国大使館への抗議デモを煽動したことなどで、上述のサラフィー主義者のハーレド・アブダッラーも批判されていく。彼は米国大使館への抗議を組織したのはコプトや政党など各団体と協調したもので、自分たちだけの責任ではないと自己弁護した。また、衛星チャンネルでの放映はムスリムに情報提供することを目的としたものであり、これは教育でもあると主張している。

米国政府はエジプトの要請を受けて、YouTubeの親会社のGoogle社にこのフィルムのアップロードに関して法律上の違反があるかどうか問い合わせた。しかし、Google社側はこれに違法性はないと回答した。

ナクーラに安い出演料で雇われた出演者たちはYouTubeにアップロードされたフィルムを見て愕然とした。セリフは後で吹き替えられ、こんな映画になるとは想像もしなかったという。出演した女優はこの映画をYouTubeから削除するよう法廷で争ったが、その訴えは地方レベルと連邦レベルで却下されている。米国では表現の自由を優先する立場からアップロードには問題ないと結論している。ただし、Google社は異なる刑法の体系を持つとしてエジプトとリビアに関しては直ちにブロックした。

コプトとムスリム
コプトとは古代・ファラオ時代からのエジプト人の子孫であり、キリスト教の伝道にともない古代宗教からキリスト教に改宗した人々を総称する。そのキリスト教の教義はファラオ時代の宗教観や習慣を含んだものであった。451年のカルケドン公会議でイエス・キリストの神性・人性などの点で合意できず、ヨーロッパのキリスト教と関係を絶つことになる。やがて、7世紀のイスラーム軍のエジプトへの進入でからイスラーム教に改宗したものが増えた。イスラーム教の中に寛容さをみいだしたものが多かった。他方、税(人頭税、ジズヤ)を払う余裕のあるものはキリスト教を守り、非イスラーム教徒のままで保護される民(ズィンミー)の身分を選んだ。以降1400年もの間、対立と平和を繰り返しながら両教徒は共存してきた。

1798年のナポレオン軍のエジプト侵攻以降、コプトがヨーロッパ勢力に協力したためにイスラーム教徒との軋轢が高まったが、大きな対立にまでいたるものではなかった。その後の1950年代と60年代にアラブ社会主義の実践とイスラエルとの戦争での敗北などの国内政治の混乱や経済苦境などが主な原因で海外に移住するコプトが増えた。ただし、これはイスラーム教徒でも共通することが多い。

コプトは統計上、約8500万人のエジプトの人口の5%を占めるといわれるが、コプト側は10%あるいはそれ以上の数字をあげる。エジプトの人口センサスでは宗教の欄はあるが回答は強制されていない。コプト側は「統計」よりも高い数字を示すが、実態は不明である。コプト教会が信徒数を把握しているのでコプト側のほうが実態に近いという説もあるが、はっきりしない。

コプトとムスリムとの近年の関係をみると、1970年代にサダト大統領がイスラーム勢力を左派勢力への対抗勢力として復興させたことから両教徒間で緊張が高まった。そのサダト大統領が1981年にイスラーム過激派に暗殺されると、ムバーラク政権は直ちにイスラーム過激派を粛清するとともに、すでに穏健化路線を取っていたムスリム同胞団を抑制した。この間一部の過激派分子による観光テロが1990年代にあったが、全般的にイスラーム勢力は穏健化していった。相対的にムバーラク時代にはコプトは優遇され、有力な政治家、官僚、学者、実業家などが活躍するようになった。

上述のサーデクは人権派弁護士としてエジプト国内におけるコプトの擁護のために活動してきた。治安当局によるコプトの迫害に関連し、検察当局と法廷で争ってきた。やがて、1999年に米国への移住が内務省により許可された。米国では人権団体に所属し、2002年に上述の米国コプト協会を創設した。この協会はエジプト内でのコプトへの迫害を糾弾するとともに、イスラーム勢力の政策や行動を批判している。彼らの活動などにより、キリスト教徒の迫害に関して米国政府が動かされ、エジプト政府にコプトの安全を要求することもある。なお、エジプトの北部にコプト国家を建設することもその目的としている。

この間にコプトとムスリムとの間には、教会とモスクの建設などに絡んだ紛争が断続的に起きている。2011年1月のアレクサンドリアでの教会爆破事件、同10月のマスペロ事件(コプト教会取り壊しに抗議するコプトのデモ行進が治安警察の攻撃を受け28名もの死者がでた)など大きな事件もある。しかし、これまで小さな衝突が過大に報道されてきた傾向があったことには留意する必要がある。

エジプト革命後、穏健派のムスリム同胞団ばかりでなく保守派のサラフィー主義者や、かつてテロ集団として粛清されたイスラーム集団(アル・ガマーア・アル・イスラーミーヤ)までが議会制民主主義に参加するようになった。イスラーム集団はサダト暗殺に関与し、その後の観光テロなどを実行してきたとされるが、革命後には建設・発展党を創立し、前回の議会選挙に参加した。そして、今回の事件で「ムスリムとコプトはともに冒涜映画に反対」というシンポジウムを開き、双方の指導者の講演を聞いたという。

このようにエジプト国内での宗教的な要素を含んだ政治・社会情勢は急激に変化しつつある。ただし、コプトはサラフィー主義者の圧迫を受けていることは否定できない。

宗教への冒涜
イスラーム世界ではイスラームへの冒涜には厳罰が科せられる。預言者の映像化は許されず、預言者を冒涜した映画を制作することは重大な罪である。この意味で預言者ムハンマドが冒涜されたシーンを放映したサラフィー主義者の意図には疑念が湧くのも自然であろう。コーランを毀損することなども告訴の対象となり有罪となりうる。最近、コーランのページを破った幼児・少年が訴えられた事件もあった(無罪となった)。

宗教の冒涜は言論の自由あるいは表現・創作の自由と直接に関連する。エジプトは他のイスラーム諸国の先頭に立って、国連の場などで宗教への冒涜に関して言論の自由に一定の規制があってしかるべきだと主張している。そして、各国の事情に配慮した法的な制裁が必要と主張している。

他方、今回の事件で敵役となった米国は、宗教への冒涜などには寛大である。キリスト教あるいはイエス・キリストへの冒涜があったとしても、米国は言論の自由、表現の自由を優先させる。

宗教への冒涜は現行のエジプトの刑法ではどう扱われるかをまとめておきたい。エジプトの刑法では、98条、160条、161条などで、宗教への冒涜は懲役・禁固や罰金刑がある。

宗教的な建物・施設、宗教行事などへの冒涜行為は逮捕や罰金100エジプト・ポンド以上500エジプト・ポンド未満の罰金刑が科せられる(1エジプト・ポンドは13円程度)。ただし、重大な違反があると最高で6年の懲役が科せられる。罪状に殺人などの要素が加わると死刑もありうる。最近でもイスラーム教を冒涜した漫画を広めたことで3年の刑を受けたコプト青年もいる。

ただし、頻発するイスラーム教冒涜訴訟に関しては寛大な措置がとられることもある。近年の有名な例では、ディズニーのキャラクターであるミッキーとミニーにイスラームの服装を着せた漫画を掲載したコプト系の大実業家が告訴されたが、二つの裁判で無罪となっている。イスラーム・テロリスト役を演じたエジプト最高の役者も告訴され一時は有罪判決を受けたが、最近無罪となった。たとえ真意からではないとしても、イスラーム教への冒涜ともとれる行為には細心の注意が必要である。他方、ムスリムがキリスト教を冒涜した場合には扱いは寛容といった指摘もある。

国営放送によると、預言者冒涜映画に関してエジプトの法廷は2012年11月28日、上述の米国在住の7人のエジプト人と米国人ジョーンズに欠席裁判で「死刑」の判決を下した。反イスラームの映画の制作に関わり、イスラーム世界で暴力行為を煽動した罪である。(ただし、彼らのへの刑の執行に関してはエジプト当局には権限がなく、実効性はないと思われる。)

現状ではエジプト人の多くはもうこのフィルムを見る気はなく、社会全体でこの話題に触れたくないといった雰囲気が強い。現在、エジプトでは憲法問題の国民投票とそれに続く議会選挙など民主化へのプロセスが続いている。国内がムルシー大統領支持派と反対勢力との間で二分化されようとしている。

このような政治情勢の中で冒涜映画問題は些細のものとなっている感がある。上述のサーベルは12月12日に3年の懲役の判決を受けた(彼の弁護士は控訴の予定)が、1000ポンドの保釈金で保釈された。この記事(同2012年12月13日)はきわめて小さく報道されただけで、当日の紙面の大半は新憲法案の国民投票(12月15日投票予定)に向けての賛成派(イスラーム勢力など)と反対派(世俗派・リベラリストとコプトなど)のデモンストレーションに関する記事であった。

むすびにかえて
この一連の事件から3カ月以上が経って、ある程度落ち着いた見方ができるようになっている。第一に反米デモにいたる騒動を起こしたのは一握りのコプト個人であり、尊敬に値する人物ではなかった。エジプトでコプトが圧迫を受けていると国際的に発信した効果はあったかもしれないが、他宗教の教義・信条を冒涜する行為はコプト自身への信頼をなくす。今回の事件でエジプト国内のコプトは多大な迷惑を蒙った。エジプトでは反米デモは短期間に燃え盛ったが、容疑者がエジプト人であったため反米デモは早々に鎮火した。

第二にムスリムは欧米等で反イスラーム教あるいは嫌イスラーム教感情が強まっていく傾向を強く認識する必要がある。イスラーム教を冒涜して寄付を受ける業界(Islamophobia Industry)は盛んになる傾向にあり、9.11の記念日などでイスラミック・テロリストの恐怖を煽る映画界やシンポが催される。彼らに操縦されるのは避けなければならない。イスラーム教の側では冒涜映画にサラフィー主義者が直ちに反応して反米デモを煽動したが、結果的には彼らに批判の目が向けられるようになった。イスラーム関係機関はイスラーム教への冒涜には強く抗議すべきであると主張するが、それは平和的な方法でなければならないと注意している。「愚か者」に煽動されて暴力行為に走れば国際的な反イスラーム感情を増幅させてしまうリスクを考えなければならない。

第三に今回の騒動で米国大使館が襲われたが(被害は軽微なものであった)、ムルシー大統領は文明国家の国民として諸外国の外交官・外交団施設の保護を強くエジプト国民に要求した。革命後にエジプトの治安は悪化し、そのネガティブなイメージから外国投資や観光が停滞している。経済活動は悪化し、社会サービスも悪化している。

第四にエジプトでは革命後に表現の自由は保障されるようになったが、宗教への冒涜には重い刑罰が科せられている。エジプトがイスラーム化していく中でコプトはさらに不利な立場に置かれるという危惧を否定できないが、両教徒は相互の教義を尊重しながら平和に共存していくことが望まれる。

最後に、11月にコプト正教会の総主教(「教皇」と訳す場合もある)としてタワードルス(Tawadros II)が選出されたが、彼は最初のインタビューでこう述べている。「ムスリムとは戦争、平和などの期間を経ているが、われわれは1400年一緒に生活してきた。ムスリムからの脅威で海外に移住したものいるが、エジプトはかけがえのない母国である(同2012年11月6日)」。

(2012年12月25日脱稿)