skip to contents.

サウディアラビア王国のシリア政策

政策提言研究

中村 覚 (神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)
2012年2月26日脱稿、8月10日校正
PDFpdf(81.3KB)

対シリア政策でアラブ諸国を先導?
2011年の夏以来、サウディアラビアは、シリアにおける流血や恐怖を制止するためのアラブ諸国による取り組みを先導していると伝える報道や論評が現れている。また、2011年2月10日にはサウディアラビアが対シリア決議に関する草案を国連総会の開催の前に加盟国に配布していたとの報道があったが、同月12日にサウディアラビア国営通信は同国外務省のコメントとしてそのような事実はないと否定したように、サウディアラビア政府は、同国の役割をめぐりいささか過熱してきた国際報道を冷やそうとしているようである。2011年には、サウディアラビア以外のGCC諸国による中東域内政治における役割も行動的なものへと変化したのではあるが、GCCの中心国であるサウディアラビアの外交政策に、どのような特徴を見出すことができるのかは重要な論点であろう。また、従来消極性が特徴とされてきたサウディアラビア外交は、どのような手腕により影響力の行使が可能となってきたのだろうか。本稿では、サウディアラビアのシリア政策に関して焦点を絞り、シリア・サウディアラビア関係の推移や「アラブの春」に対するサウディアラビアの対応を確かめながら、サウディアラビアの外交力に関する適切な評価と視点の構築を試みたい。

アラブ「諸国」による初の断固としたシリア批判
2011年8月7日、サウディアラビアのアブドゥッラー国王は、国営通信を通じ、シリアに対して、手遅れになる前に殺戮機械(Ālat al-Qatl)を停止し、理性を行使するよう、また即時に改革を実施するよう呼びかける歴史的責任を負うと発表した。また協議のために駐シリア大使を召還するとの声明を発表した (以下、「アブドゥッラー声明」と呼ぶ)。確かにこれは、アラブ「諸国の政府」としては、初めてのシリアに対する断固とした非難となった。この声明は、サウディアラビアとしては、イラクのクウェート侵攻の際にも発しなかった程の異例な強い語気であるとも指摘され、各報道で驚きをもって受け止められることとなった。そしてサウディアラビアに続き、クウェート、バーレーンが駐シリア大使を召還し、他のアラブ諸国やアラブ連盟事務総長がシリアに対する非難の声明を続けることとなったことから、サウディアラビアがアラブ諸国による対シリア非難を先導した印象を与えることになった。それまでサウディアラビアについて民主化運動を抑圧し、人権を侵害する国であると見なしていた向きには意外な事態の推移となった。なぜ、サウディアラビアは、対シリア政策で積極的な方針を打ち出すこととなったのであろうか。

先行していた国々と国際機関
アブドゥッラー声明はアラブ諸国の政府による非難としては早いシリア非難声明となったが、国連人権高等弁務官事務所、トルコ、欧米諸国は、2011年3月からシリア政府に対し、弾圧の停止と改革推進への期待を表明していた。シリアでの弾圧が継続する中、聖ラマダーン月開始前日の7月31日にシリアのハマーでは120名以上が殺害される惨劇が繰り返されたが、ホワイトハウス広報官J. カーニーは、「シリアはアサドがいなければよい場所になる」と述べた。オバマ米大統領は、「ぞっとする」と述べ、以後、シリアを外交的に孤立させていくつもりであると発言したと伝えられた。8月2日に、イタリアは駐シリア大使の召還を発表した最初の欧州国となった。また8月3日には、トルコのギュル大統領が、シリアによる弾圧を非難した。このようにアラブ諸国ではなかったが、聖ラマダーンの開始時期にも、国際的なシリア批判の論調はさらにトーンを強めつつあった。

シリア支援に関するイスラーム的見解の表明
アブドゥッラー声明の前となる時期に、サウディアラビアやシリアでは、イスラーム系知識人や詩人がシリア支援を訴えていた。2011年4月29日、サウディアラビアの知識人45名が連名で、シリアの同胞に対するシリア政府による犯罪的行為に関するイスラーム的な人道上の立場を表す公開書簡を公開した。まず預言者ムハンマドの言葉に関する伝承を引用し、シリアが祝福される土地であることを論じた。またシリアの人々は権利を求めているが、彼らにはイスラーム法的権利が神より授けられていること、シリア政府による行為は犯罪であるとの見解を示した。そしてシリアの治安関係者は弾圧行為を停止して人々を保護するべきであること、ムスリムたちは同胞を支援する義務が課せられていること、そしてシリアの人々は試練においては避難した方がよいことを提言していた。

この宣言に署名した知識人たちは、サウディアラビアの最高水準のウラマーではないが、対シリア批判に正当性を付与するには十分な宣言である。2011年4月末、シリアにおける状況は、イエメンやリビアに比べた場合、事態が長期化し始めていたのにも関わらず国際的な支援や人道的干渉が実施されることのないままに過酷な弾圧が放置されていたのだが、このような状況に関して告発し始めたのが、知識人だったということになる。

シリア支援を訴えるテレビ演説
サウディアラビア国内では、人気演説師が、熱い口調でシリアへの支援を呼びかけていた。ムハンマド・アリーフィー師は、2001年にイマーム大学で博士号を取得、2006年からリヤドのバワールディー・モスクの演説師であるが、40代初めながらテレビ番組での出演を通して注目されるようになったサウディアラビアでは新世代の演説師である。過去4~5年の間に次第に人気を高めてきたが、強い口調でシリアの人々への支援を訴えることでも有名になった。2011年5月6日の金曜礼拝では、アサド大統領を「ファラオ(独裁者)」と呼び、シリア当局による逮捕や殺戮を批判した。そして、抑圧された者への支援を呼びかけ、「ウンマ(イスラーム共同体)の指導者は、アサドに蛮行を止めるよう提言しなければならない」と呼号した。この様子は、衛星放送のウィサールTVで放送され、2012年2月時点でもYouTubeで閲覧できる(以下、本稿で「YouTubeで閲覧できる」としてものは、2012年2月時点で確認されたものである)。

先のシリア支援に関するイスラーム法的見解が大衆に対してどれほど強い影響力をもったのかは定かではないが、アリーフィー師は、衛星テレビの様々な番組に出演したことから、ムスリム大衆に対して、シリア支援の重要性に関する認識を強く喚起したであろう。

シリア支援を訴えるアラビア詩
また2012年6月には、詩人が、アブドゥッラー国王に対して、シリア支援を請願するアラビア詩(カシーダ)を発表し、YouTubeで詠唱していた。ハヤール・ワーヒド・シャンマリーという詩人が、シリアの苦境を支援するよう、アブドゥッラー国王に宛てたアラビア詩を吟じ、それが2011年6月15日付YouTubeに掲載された。その中では、シリア治安当局によって弾圧に遭う子供たちや、破壊したモスクの後で踊るシリア兵の様子が取り上げられた。彼は、アブドゥッラー国王の通り名で「アブー・ミトイブよ」と20回以上、語りかけた。詩の中でも最も強い口調の部分としては、「ヌーラの兄よ、〔弾圧される者たちを〕保護してくれ」、「あなたは真実の盾」、「あなたの統治下で人々は公正を享受している」などの節がある。その節では、シリアで女性たちも被害に遭っている状況を想起させると同時に、アブドゥッラー国王は姉妹を持つ身としてその痛みを理解できるだろうと、暗に語りかけている。また今でもサウディアラビアでは、貧しい者や助けを求めてくる者には、それに応じなければならないという昔ながらの価値観が強く残されているが、その感性に訴えかけている。また、詩が国王への賛辞となっていることは言うまでもない。

この詩人は、シャンマル族を名乗っているが、シャンマル族はアブドゥッラー国王の母方の部族であり、この部族は、サウディアラビア、シリア、ヨルダン、イラクに広がっているのだが、アブドゥッラー国王に語りかけるには最適の部族的連帯が活用されていることとなる。またこのアラビア詩は、サウディアラビアの方言とアラビア詩の形式を使用しており、サウディアラビア人の感性に強く訴える。このアラビア詩に関するYou Tubeの閲覧数は16万回でしかないが、口コミ社会のアラブでの波及効果は増幅されるものであり、影響力を侮ることはできないだろう。

以上のように6月までに、知識人による正当化、テレビ説教師による大衆への演説、詩人による国王への語りが揃っていた。彼らは、ウェブサイト、衛星テレビ、YouTubeといった最新機の情報機器を駆使している。アブドゥッラー国王は、若いときから庶民派で激情家と指摘されることもあったが、シリアでの弾圧を無視できないと感じてしまうには十分過ぎるほどの訴えかけが、遠隔地から国王に耳に届けられただろうと考えられる。

サウディアラビア国内でのデモ
以上の演説や語りは、サウディアラビア政府に対する国民の期待感を高めていたと言えるであろう。アブドゥッラー声明の直後、サウディアラビア国内では、首都、西部、東部の各都市でシリアを批判するデモが少なくとも5件、発生した。首都リヤドでは、8月7日夜、サウディ人若者によるデモとシリア人滞在者による二つのデモがあった。サウディ人若者は、アサド大統領を「アラブ共同体の犬」と叫んだり、「アラブ人民は一つ」と合唱したりした。西部のジェッダでは、8月8日夜、数十人のシリア人滞在者によるデモがあった。サウディアラビアの旗を振りかざし、君主に対する献辞「あなたのために身を捧げます」を叫んだ。東部のフバルでのデモでは、映像の一部は明らかにカメラ目線であった。

いずれのデモに関しても参加者が気勢をあげている様子がYouTubeで閲覧できるが、そもそも映像の公開を意図したデモだった可能性は高い。これらのデモに関しては、サウディアラビア当局が許可したのではないかと観測したサウディ国外の報道があったが、短時間であっても、許可されていたと見るのは妥当であろう。ただし映像を見る限り、デモが政府によって組織化されていたのか、自然発生的だったのかを判別する材料は不足している。だがいずれにしても、サウディアラビア当局にとっては、シリア政府による殺戮は正当化できるものではなく、デモを禁止する口実を見つけにくいと言うことはできる。

サウディアラビア政府にとっては、シリアでの弾圧に関する宗教者による演説や街頭デモは、パレスチナ問題と同種のリスクを生み出す。パレスチナ問題は、サウディアラビア政府が適切な政策を遂行できるのなら、国民の支持を獲得し、国民の関心を国内問題から逸らす機会となる。だが、もしも占領や抑圧の責任論がイスラエルに向けてではなく、それを阻止できないサウディアラビア政府に原因があるなどの世論が醸成されてしまった場合、サウディアラビア政府の体面を傷つける問題となる。シリア問題も同種の危険を内包する問題に発展しつつあったのであるが、アブドゥッラー声明は、サウディ国内の世論を味方に付けることに成功した。以後、サウディアラビア国民の間で、政府のシリア政策に関する信任は篤い。サウディアラビア政府によるシリアの人道危機に対する取り組みでは、サウディアラビア政府による全力の対応にも関わらず、国際社会の遅れや限界のためにシリアの危機が放置されてしまっているという認識を国内世論に形成することが、最低限の目標となる。

欧米やイスラーム世界と足並みを揃える
アブドゥッラー声明の数日前となる8月3日に国連事務総長は、アサド大統領は人間性を喪失していると非難した。また、8月5日に米国は、英仏とシリアによる弾圧を阻止するための追加措置に関して協議した。翌日となる8月6日に、GCCは、暴力と流血の即時停止を呼びかける声明を発表した。アブドゥッラー声明は、その翌日となったが、米国を含む主要国による対シリア政策の論調が強硬となりつつある機を的確に捉えていた。またGCCと足並みを確認し、その一歩先を進んだ案配となっていた。

8月7日には、アズハル大学のアフマド・タイイブ師が、沈黙を破り、シリアの悲劇を制止するよう呼びかけた日となったが、アブドゥッラー声明を一段と有意にするタイミングとなった。また、アブドゥッラー声明は、ラマダーン中に発せられたので、イスラームの精神に則り、またイスラーム世界全体に向けたメッセージであるという印象を与えた。以後、サウディアラビア国内では、アブドゥッラー声明は「ラマダーンに発出された声明」とも称されるようになった。シリアでは、アブドゥッラー声明の直後となる8月9日にホムスでデモが発生し、「アブ-・ミトイブ」と叫びつつアブドゥッラー国王の長寿を祈念し、サウディの国旗を振りかざした。また、「あなたたちの沈黙が私たちを殺している」と国際社会に対する批判を叫んだ。

従来からサウディアラビアは、単独でリスクのある外交政策を実施しようとしない特性があるが、実はアブドゥッラー声明もそのような慎重さに裏付けられつつ、大胆さが発揮されたものだったと言えるであろう。とはいえ、以後、サウディアラビアによるアラブ連盟を舞台とした外交は、行動的なものに変質した。

ダブルスタンダード批判を静める効果
サウディアラビアは、2011年にGCC統合部隊に兵士を送ってバーレーンの無抵抗のデモを鎮圧し、サウディアラビア東部州でシーア派の活動を取り締まっているが、なぜサウディアラビアに対しては、対シリア政策と国内弾圧は「矛盾した基準(ダブルスタンダード)」であるという批判が拡大しないのだろうか。シリアの人道危機を非難することにより、サウディアラビア政府は、国内では、国民の多数派であるスンナ派の間に人道主義を支援しているイメージを確立することに成功した。また、中東諸国には、サウディアラビアを公式に批判できるような人権状況の政府は存在していない。欧米諸国は、サウディアラビアとは、民主主義や人権問題に関して異なる見解を有しているが、シリアの体制転換に関しては立場を共有している。また中東域内外の政府や専門家には、石油の生産や流通のみならず、世界経済、テロ対策、中東域内の安定や福祉への影響を考慮した結論として、サウディアラビアに革命を期待するものはいない。サウディアラビアは、3月のGCCによる介入の後にはバーレーンの民主化運動にはもはや介入していないが、このことは批判の材料を少なくしている。情報操作の意図があるのであろうが、サウディアラビアの雑誌『外交』には、GCCによるバーレーン介入は事実ではないと記述されていた。

シリア・サウディアラビア関係とリアルポリティーク
サウディアラビアは、地域政治の大枠では、シリアとは、反イスラエルと地域の安定を望む立場を共有してきたものの、スンナ派の保護やレバノンの勢力争いではライバルでもあった。

1981~82年にシリア政府がハマーで数千人~2万人と言われる住民を虐殺した際に、サウディアラビアは沈黙したままであった。なぜ1982年にはサウディアラビアはシリア政府による住民虐殺に関して沈黙したのか。当時シリアは、サウディアラビアに対する反乱を画策するアラビア半島におけるイスラーム革命機構などを匿っていたので、報復を恐れたサウディアラビア政府は沈黙したのではないかと見られている。ただし、2011年までにサウディアラビアは、反体制派の弱体化やテロ対策の強化により、シリアによる内政干渉を恐れる必要はそれほどなくなっていたので、アブドゥッラー声明が可能となったと考えられる。

サウディアラビアは、2005年の故ラフィーク・ハリーリー首相暗殺事件(ハリーリー氏はレバノンの中の親サウディ派であった)や2006年のイスラエル・レバノン戦争等をきっかけに、シリアとの関係が悪化したことが知られている。だが2009年にシリア・サウディアラビア関係は、安定に向かうかのように見えた。オバマが米大統領に着任した際にシリアとの宥和政策を開始したことから、サウディアラビアは親シリア政策に転換し、米国と歩調を合わせたと言われる。そしてアブドゥッラー国王は、ダマスカスを2009年12月に訪問した。他方、レバノンのサアド・ハリーリー首相が率いる3月14日連合は、2005年と2009年に選挙で勝利しても、ヒズブッラーの影響力には徐々に押され気味となり、ベイルートなどの勢力範囲分割に合意し、ヒズブッラーの入閣を認めるしかなかった。また2011年には選挙で敗れ、新首相にシリア寄りのナジーブ・ミカーティーが指名されたが、サウディアラビアはシリアとイランの影響力にレバノンでは屈するしかなかったという評価がある。このようなサウディアラビアの政治的資源の限界が、2011年に急に強化されていたわけではないが、国内弾圧を続けるシリアの「敵失」により、アブドッラー声明が可能となったと言えよう。

サウディアラビアのシリア批判は、イランのシリアへの影響力に打撃を与える目的が影の争点となっていることは言うまでもない。だが、国際的イラン包囲網の形成をサウディアラビア政府が公式に提唱することは外交上無理であると見られている。なぜなら、アラブ諸国の中には、イランの報復を恐れるものがある一方、イランとは外交で融和できると考えるものがあり、サウディアラビアとは足並みが揃わないであろう。またサウディアラビア国内では、2011年末には、イスラエルよりもイランの方が深刻な脅威であるという国内メデイアでの新しい論調が現れたが、それでもムスリム国家に対する敵対的な外交方針に反対する勢力はまだ国内で根強いために、イランに対する強硬姿勢をサウディアラビア政府が明示すれば、サウディアラビア国内で波紋を呼び起こしてしまうだろう。

サウディアラビア政府は、イスラーム外交を国是としているのではないかという印象をもたれているが、実際には、明言することはないものの、外交活動を宗教から分離する外交術を基本としてきた。先に挙げたアリーフィー師の演説は、スンナ派のみを助けようなどとは呼びかけないが、シリア政府によるハマーやホムスでの弾圧に関して語るように、スンナ派ムスリムの連帯を前提にしてシリア支援を呼びかけるレトリックを駆使しており、これがサウディアラビアの現在の宗教家の言い回しである。他方、サウディアラビア外交の責を担うアブドゥッラー国王が国内の演説などでシリアを批判する際には、宗教については、殺戮や流血は宗教に相容れない、などの一段とシンプルな表現を選んでいるが、これは実務的な外交問題と宗教問題は分離したいというサウディアラビア政府の方針に基づいている。

サウディアラビア政府は、国連総会の場ではGCCの代表として発言したが、シリア危機に関しては人道支援の枠組みで主張し、スンナ派としての同情や反イランの姿勢を国際的な討論の場に持ち込むわけではない。このように外交と宗教を分離する立場を操作することにより、サウディアラビア政府は、イラン問題の争点化による紛糾を回避したり、ワッハーブ主義の立場ではないのかという国際的な懸念を打ち消したりしながら、普遍的人道性に立脚する立場でシリア問題の取り組みを構築しようとしてきた。

サウディアラビアの外交は、公式外交とイスラーム系知識人の活動が、二元的な効果を発揮していると考えられる。サウディアラビア政府による外交は、国際社会の枠組みの中で人道的支援を訴える。しかし、イスラーム系知識人や詩人は、イスラームの知性と感性に訴える宣言や演説を繰り広げる。アラブやイスラーム世界の知識人は、サウディアラビア政府によるシリア批判もまた、サウディアラビア系イスラーム知識人による訴えと同様に、スンナ派的感性に基づく、シーア派への批判なのだと見なしてしまうものである。シリア政府やその支持者たちもまた、イスラーム的干渉がシリアに対して扇動されていると危険視することになるだろう。シリア政府がスンナ派居住区への弾圧を重点的に展開するようになると、シリアにおける2011年からの政府・反政府闘争の構図は、人道や人権をめぐる闘争という枠組みから、宗派闘争に変質してしまう危険がある。

国際協調、監視団と経済制裁
2011年11月27日、アラブ連盟加盟国の中の19カ国は、シリア中央銀行との取引を停止する対シリア経済制裁を発動した。同年10月~11月、アラブ連盟では、欧米による中東地域への干渉を嫌うエジプトの見解が優勢となり、アラブ連盟単独での対シリア監視団を派遣することとなった。アラブ監視団はシリア国内に派遣されたが、シリア政府による市民に対する弾圧を効果的に監視できない事態に直面した。1月22日、アラブ連盟は、アラブ監視団の拡大と延長により、シリア政府の抑止を目指す新しい決定を可決したが、数分後、サウード外相は、サウディアラビアの監視要員の引き上げを発表したと報じられた。そして1月28日、アラブ連盟は、監視団の引き上げを決定した。アラブ連盟の中では、サウディアラビアは影響力の行使に成功した。

しかしアラブ連盟による国連安保理決議の要請は、2月4日、ロシアと中国の拒否権の発動により、否決された。翌週、2月12日に国連総会決議は可決されたことから、シリア、ロシア、中国の国際的な立場に対して一定の打撃を与えたことにはなったが、シリアの弾圧を制止するための現実的な政策に関しては次の政策が明確にされたわけではなかった。

2月12日、アラブ連盟会合は、国連安保理に平和維持軍の派遣を要請する決議を可決した。会議の開催に先立ち、サウード外相は、シリアの人々に対する事態をいつまで傍観するのか、またシリア政府に虐殺を続ける猶予を与え続けるのか、と発言していた。アラブ連盟としては、リビア飛行禁止区域の設定を求めた2011年3月の決定に続き、国連による域内問題への関与を求めたこととなった。

アラブ連盟は、アサド大統領の退陣、シリアの制度的民主化移行を目標としている。1月22日のアラブ連盟によるアラブ監視団の拡大決議の際には、シリア民主化の行程表が示されていた。まず二週間以内に反対派が集結し、さらに二カ月以内に国民統一政府を結成する。その後、アサド大統領は退陣し、三カ月以内に総選挙が実施されることとなっていた。サウディアラビアも、シリアの民主化には賛成である。しかし、その実現の方法は、確定的ではない。これまでにシリア政府は、弾圧を停止して改革を実行に移すと何度も発言したが、それらは裏切られてきた。

アラブ・国連PKO合同派遣案が可決されたと言っても、2011年2月のシリア情勢は、PKO派遣が可能となる要件を満たしていない。すなわち、シリア政府がPKO部隊を受け入れる見込みは低いと見られ、またシリア国内で停戦が成立する見込みも明白ではない。またシリアの場合、コソボやリビアのような欧米諸国やNATOによる強制的な人道的介入の実施可能性に関しては、2011年の前半から、欧米諸国やNATOは軍事的に困難であると判断してきた経緯がある。アラブ連盟は独自の軍事力を有していないし、現在のところ、サウディアラビアやアラブ諸国の政府は、欧米との協調を欠いたままで、シリアに介入する能力を保有していない。エジプトとチュニジアは、軍事力の行使よりも、外交的手段の活用を優先すべきだと考えていると言われる。またヨルダン、レバノン、イラク、トルコなどのシリアの近隣国は、シリアの内戦化やシリアに対する過剰な国際干渉を回避したい思惑をもっている。特にヨルダンは、シリアからの輸入が高い比率を占めることから、対シリア経済制裁には参加しない意向であるという。アラブ連盟がアラブ・国連PKO合同派遣案が可決したといっても、実行に移すまでには、アラブ諸国側には課題が山積みである。

国際社会は、シリアにおける流血の事態を制止する目標では一致しているが、未だに有効な手立てを見つけていない。シリアには経済制裁や国内不安定化の経済的効果が及び始めており、通貨価値の下落は急激となり、貧困地域やシリア軍による攻撃を受けた地域では水、燃料、食料、生活必需品等が不足し始めているという。だがアサド政権は、レバノンでの内戦や監視を経験しており、軍事力や警察力を容赦なく行使して反体制派を弾圧し、政権を持続しようとするであろう。

サウディアラビアが、シリアにおける弾圧を阻止するための行動で発揮した主体性は、過去の中東政治が域内紛争に関する効果的な対応を欠いてきた過去と比較すると特筆に値する変化となった。だがサウディアラビアを含むアラブ諸国が、シリアを体制打倒に追い込む行程表に関して、中東諸国や国際社会が実行に移せる青写真を持っているのかは不明な段階である。また国際社会は、シリアの体制打倒を目指す目的と、シリア国内の宗派闘争を抑制するという目的を二重に達成することが難しいためにこれまでシリア政策に苦慮してきたという構図を考慮した際には、サウディアラビアのイスラーム系知識人の活動は、人道支援を求める正当なものであり、サウディアラビア外交を積極化させた意義があったものの、シリア国内の宗派対立を静かに煽ってしまう副次的な危険を伴う点では問題含みである。

(2012年2月26日脱稿、8月10日校正)