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エジプトのムスリム同胞団—新旧の課題のはざまで

政策提言研究

2012年3月
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はじめに
エジプトは、中東地域におけるイスラーム政治及びイスラーム運動の誕生の地と考えられている。ハサン・アル=バンナーによって1928年に創設されたムスリム同胞団(以下、同胞団)は、エジプトにおいて、イスラーム主義の方向性に影響を与え、80年以上にわたってイスラーム政治の領域を確実に支配してきた。同胞団の方向性は、その歴史の要所要所で転換し、それが同胞団の性格と活動の役割に影響を与えて来た。こうした同胞団の歴史は、大きく4つの時期に分けることができる。(1)1928年から1954年にかけての創設とエジプト社会での組織の確立の後、(2)1954年から1970年代にかけて孤立と体制との対立の時期が続いた。そして(3)1970年代から1990年代にかけて一定の政治的自由の獲得と政治システムへの緩やかな統合がみられ、(4)1990年代からムバーラク大統領の退陣にいたる時期は、組織そのものの強化と社会における存在の強化がみられた。しかしながら、イスラーム政治の最も重要な転換は、ムバーラク政権の崩壊後に起こった。エジプトにおけるイスラーム政治に、以下の3つの変化が起こったのである。第一に、イスラーム主義者が政党を組織することが可能になった。第二に、同胞団はもはやイスラーム政治を代表する唯一の組織ではなくなった。初めて政治の公的領域に参加することを選択し、2011/2012年の議会選挙に政党として参加したサラフィー運動が、同胞団に肩を並べた1。そして第三に、同胞団やサラフィー運動といった既存のイスラーム運動に所属しないイスラーム主義者の活動家が政治の舞台に登場した。

このような歴史上の転換やエジプトの体制との関係の変化を通じて、同胞団は組織を強化してきた。また、多様な考え方や経験を持つメンバーを組織内に抱えることで、同胞団は柔軟な知的・政治的フレームワークに基づく包括的なイスラーム像を取り入れることができた。体制からの抑圧を耐え抜くことができたことで、同胞団は一枚岩の政治勢力であると見なされてきた。しかし、同胞団は実際には、エジプト社会と同様に多様であり、その活動は多様なエジプト社会に深く影響を受けているのである。

1月25日革命は、未だ完了しておらず、継続中であると言われる。しかし、革命の成功・失敗に関わらず、2011年にエジプトの政治情勢は激変した。政治的自由と政治参加が、前例のない水準まで広がったのである。この新しい政治情勢は、エジプト国家の諸機関と反体制政治勢力・社会勢力の両方に異なる影響を与えた。

この1月25日革命後の転換期におけるエジプトの諸機関について言えば、エジプト軍最高評議会(the Supreme Council of the Armed Forces)を代表する軍が、暫定政権とともに「正式に」国家運営を任されることになった。さらにエジプトには現在、1952年の君主制の転覆以来初めてとなる、自由な選挙で選ばれた新しい議会が存在する。つまり、エジプトは引き続き軍の統制下にあるとはいえ、エジプト議会は1952年以降初めて、自由な選挙によって国民の支持を得た議員で占められることになったのである。

社会・政治アクターについて少し詳細に言えば、同胞団が結成した自由公正党(Freedom and Justice Party)がエジプト政治の前面に現れ、イスラーム政治が圧倒的な勝利をおさめたと言えよう。自由公正党への参加者は同胞団のメンバーに限られず、コプト教徒も参加し、党の副代表はコプト教徒のラフィーク・ハビーブが務めている。2011/2012年の議会選挙では、同胞団の確固とした組織、社会的ネットワーク、そしてムバーラク体制へのアンチテーゼとしての一般的イメージが功を奏し、自由公正党が率いる「エジプトのための民主同盟」が過半数を占める結果となった。しかし、同胞団は、エジプトの政治情勢の変化の中で勝利をおさめることができたものの、好機と課題に同時に直面している。現在同胞団が直面している課題を理解するためには、同胞団が抑圧的な政治環境の中で、どのようにして組織を維持して来たのかを振り返ってみる必要があるだろう。

1.同胞団と国家の抑圧—防御から生まれた結束
同胞団の創設以降の歴史を振り返ってみると、大部分は抑圧的な環境にあり、同胞団は組織の存続を維持するために防御的なメカニズムを構築する必要があった。同胞団が創設以降80年以上にわたり国家の抑圧を耐え抜くことが出来たのは、同胞団員のイデオロギーの結束や組織の強固さだけによるものではなかった。バンナーは強い影響力を持つ同胞団のイデオローグであったが、それでも同胞団は一枚岩の組織ではない。同胞団の中では、様々な見解を持ち、それぞれの体制下で異なる経験をしてきた人々が共存してきた。支配体制がその立場を守るために全てのイスラーム主義を過激なものとして描くという政策をとったことで、同胞団は結束を維持できたという側面がある。体制は、イスラーム政治が国内の安定への脅威と敢えて誇張することで、国内の反対勢力を封じ込め、抑圧することに成功して来た。さらにエジプトの体制は、自らの体制が無くなればイスラーム主義者がエジプトを支配するようになると主張し、米国や西欧諸国からの支援も取り付けることができたのである。

国家の抑圧に対する同胞団の防衛メカニズムには、二つの目的があった。一つは組織的な団結を維持することを目的とし、もう一つは、同胞団のメンバーが政治と奉仕活動に関わることで、エジプト社会と他の政治勢力からの孤立を避けることを目的としていた。組織内の団結は、政治志向が弱い保守派によって強められた。これらの保守派は、ナーセル体制下で抑圧を経験し、支配者との対立を回避したいと考えていたのである。保守派よりも若い「70年代世代」と呼ばれる中堅世代は、政治志向がより強く、同胞団の政治参加の中心となっていた。この中堅世代は、選挙や市民社会の諸機関に積極的に参加し、豊富な政治経験を積んでいたため、同胞団内で政治的指導力を発揮し、他の世俗的な勢力との協力も積極的に進めたのである。

組織の団結と孤立の回避という二つの目的を達成するために、同胞団は、多様なメンバーが一致して同意できるような方針を数多く採用した。包括的な政治・社会・経済システムとしてイスラームを信仰する、政治変革の手段としての暴力を拒絶する、政治的エンパワーメントの唯一の方法として民主主義を尊重し体制からの抑圧に耐えるというような方針である。さらに同胞団は、ムスリム共同体(ウンマ)が政治的権限の源であるとし、民主主義をイスラームに基づいて正当化したのである。同胞団は他のジハーディストや急進的グループとは異なり、徐々に政治的エンパワーメントを進めるという戦略により、革命的なメカニズムの登場をおさえることができた。このようにして同胞団は、1950年代及び60年代の厳しい弾圧の中で生まれたサイイド・クトゥブの急進的思想が組織内で広まることを防ぐことができたのである。

また、同胞団はエジプト社会への影響力を広め、人々からの支持を獲得したことによって、孤立を防ぐことが出来た。この間選挙参加を通してエジプト国内における最も有望な反対勢力であると広く認知されるようになったことで、独裁という政治情勢下であっても同胞団のメンバーは民主的なプロセスをより強く信じるようになった。さらに同胞団は、福利厚生協会や専門職協会、青年や女性の諸グループ、医療機関などの市民社会の諸機関での存在感を徐々に強め、大学、教育機関や他の社会空間における活動を活発に行うことで、支持を広げ、より強固なものにしていった。このような努力を通じて、同胞団は組織の団結を保ち、国家の抑圧を耐え抜くことができた。これらの機関と共に活動を行うことで、同胞団のメンバーは、いかに非イスラーム主義勢力と連携し、支持者に対するサービスを提供するかを学んでいったのである。非イスラーム主義勢力との連携の例として、2000年以降、同胞団が変革を求める多様な政治運動に参加したことが挙げられる。これらの運動にはイデオロギーの壁を超えた多様な活動家が参加し、これらの運動への参加を通じて、同胞団は改革を強く求めるようになったのである。さらに、広いアジェンダとその柔軟性により、同胞団は変化する国内情勢と体制からの抑圧への対応力を高めることができた。従って、ムバーラク政権に対する挑戦の内実は、広く平和的な活動と民主化要求、そして同胞団が他の反対勢力と共に強く要求した政治改革だった。また、同胞団はその政治的・社会的影響力と存在感をエジプト社会の重要なセクターの内部で拡大し、徐々にエジプト社会における体制の存在感を弱めていった。このことも同胞団の政治改革の要求を後押しすることになった。

2.ポスト・ムバーラク体制のエジプトにおける同胞団—政治的自由と政治権力の課題
以上のように体制の抑圧により、同胞団には逆に組織の結束を維持する重要なインセンティブが生まれた。独裁体制下での政治参加は、体制や社会との関係構築や政治参加の戦略を再検討することにつながり、政治改革を求める公約やプログラムが同胞団の要求の中核となった。過去数十年の経験を通して同胞団はイスラーム主義の考え方を超え、他の世俗的な勢力とも共有できる概念を取り入れるようになり、平等な市民権やコプト教徒の市民権などを含む市民国家(ダウラ・マダニーヤ)を推進するようになった。

ポスト・ムバーラク体制のエジプトにおいて、同胞団は、非合法組織から合法組織となり、政党を結成した。ムバーラク政権下では多くのメンバーが投獄されていたが、今や議会の議席の大半を占めるという大きな転換を迎えた。そしてムバーラク体制を崩壊させた民衆蜂起の結果として得られた政治的自由は、同胞団の組織の団結と、エジプト社会との関係に対して新たな課題をもたらすこととなった。

過去のエジプトの体制による抑圧的環境によって、同胞団は組織の団結を守るために内部の批判的な声を封じてきた。そして自らの組織は棚に上げつつ、政権に対して政治改革と民主化を要求してきた。また過去数十年間を通じ、同胞団は独裁体制に対抗する民主的勢力として自らを演出することが出来た。しかし、同胞団内の民主主義という問題は、政権による弾圧という状況下では進展しなかった。この間運動を持続させて来た組織内のコンセンサスや団結は、新たな政治情勢下では以前のような意味をなさないだろう。新しい政治情勢下ですでに多様な意見が出て来ており、これらの意見は、ムバーラク政権の抑圧下において正当化されて来た統制はとれているが非民主的な同胞団の体質に挑戦するものである。政治的自由は、新しい議論を活性化させ、異なる考え方や経験を持つメンバーがより自由に意見を表現するようになり、同胞団の指導部に対する意見を述べたり、組織内部の問題を議論したりすることも以前より顕著となった。同胞団の路線と活動は独裁体制下において変化してきたが、新たにもたらされた政治的自由によっても変化するだろう。また同胞団の指導部やその中心である保守派は、政治志向より強い若い世代によって、変化を受け入れ妥協することを余儀無くされるだろう。独裁体制下で運動を結束させて来たこれまでの方針は、もはや同胞団内の異なる世代や思想を結束させるには不十分となるだろう。

2000年代初頭からの街頭政治の復活は、中心的指導部がなく水平的に組織された新しいかたちの抗議運動とイデオロギーに縛られない政治活動を生み出した。これらの運動は、既存の政党と同胞団の枠外で発展した。またこれらの活動家には、改革主義者が多い同胞団の青年世代が多く含まれている。この青年世代は、同胞団の保守派や過去数十年において同胞団の選挙参加を率いて来た中堅世代とは異なる経験と背景をもっている。彼らは、同胞団内部の改革を要求したり、透明性の向上を強く求めたり、意思決定プロセスに関わる問題をより広く協議をすることを求めている。つまり、この青年世代は、同胞団の組織の在り方に対する満足度が低く、他の世代に比べてより革新的だと言える。

同胞団の青年世代は、同胞団内部の改革と言論の自由や政治における同胞団の役割などを議論するために、会議やセミナーを組織してきた。例えば、「内からの新たな展望(A New Vision from Inside)」と題した会議を組織し、政治と布教活動を分離し、同胞団の運動と自由公正党としての政治活動を区別するよう呼びかけ、同胞団と自由公正党の関係を議論した。また、同胞団の青年世代は、自由公正党への参加が制限されていないのと同様に、同胞団のメンバーも自由に他の政党に参加できるよう要求している(Ahram 2011年3月27日)。さらに、彼らは同胞団が抱える問題として、腐敗した財政や組織管理、忠実な近親者の優遇、革新の疎外などを取り上げ、これらの問題や組織の秘密主義を公に自己批判することを求めている(Ahram Online 2011年4月6日)。

第三世代とも呼べるこの世代は、これまでの方針に異議を唱えることを通じて改革を推進することに熱心であるが、同胞団の中央集権的な意思決定が組織内の意見の相違につながっている。例えば、同胞団の指導部がメンバーに対して、自由公正党以外の政党への参加を許可しなかったため、同胞団を去り自らの政党(アッタイヤール・アル=マスリー党)を結成した者もいた。さらに、同胞団が大統領選挙に候補者をたてないと宣言したにも関わらず、同胞団幹部で改革論者のアブドゥルムナイム・アブー・フトゥーフが大統領選への出馬を表明した。アブー・フトゥーフは同胞団から追放され、同胞団の総指導局のメンバーでスポークスマンのマフムード・ガズラーンは、アブー・フトゥーフの出馬を支持し、シューラー(諮問)議会の決定に逆らったメンバーも同胞団から追放されると発表した(Ahram Online 2012年3月11日)。同胞団が公的な政治領域に参加し、多様な考え方を持つメンバーが同胞団の外で自らを表現することができるようになったことで、組織内の意思決定プロセスに対し、必然的に深刻な政治的課題が出てくるだろう。これらの課題には、同胞団内の役職選挙に関する問題や組織の総指導局への青年や女性メンバーの参画の問題などがある(Roz al-Yusuf 2011年6月10日)。また市民国家を標榜しながらイスラーム国家を樹立し、カリフ制を復活させようという運動の目標を掲げることの問題も生じてくるだろう。

おわりに
政治的な自由を得たことで、同胞団はこれまでの独裁体制下での経験とは異なる新しい現実を突きつけられることとなった。この現実によって、組織的団結よりも内部改革の問題が急務となった。以前の独裁体制下では、同胞団は組織の結束を守り抑圧に耐えるために、運動のプログラムや展望を詳細に議論することを避けてきた。しかし、政治的自由が手に入ったことで、同胞団はその訴えと政治活動をより明確に打ち出す必要に迫られている。同胞団の運動にとって、自由公正党が多様なメンバーと思想を含む組織をいかに代表するのかという点も課題となるだろう。独自の確固とした政治プログラムを持つ同胞団がいかに「市民国家」の姿を打ち出すのか、この「市民国家」が政治・社会活動にどの程度干渉するのか、どのような経済システムを導入するのか、またコプト教徒、女性、非ムスリムなどに関する多くの問題にいかに取り組むのかといった課題もある。同胞団内にはこれらの課題に対する多様な見解が存在する。このことはやがて同胞団内に異なるグループが誕生することにつながるだろう。

ポスト・ムバーラク時代の今、エジプトのイスラーム主義には様々な変化が起こっている。イスラーム政党が多数誕生し、自由かつ積極的に政治に参加している。さらに、2000年以降の街頭政治の復活とともに生まれた非イスラーム主義の社会運動と同様、イスラーム主義政党や運動に所属せず、既存の政治制度の外で活動することを好むイスラーム主義者も多く存在する。既存の政治制度の外で活動することで、より自由な運動が可能となり、組織的責任も軽くなり、イデオロギーを超えたネットワークを構築することができ、より広範な支持を獲得することができるのだ。このような新しいイスラーム主義者たちは同胞団とは異なり、社会のイスラーム化を目的とはせず、権力者が同胞団、軍、もしくは他のアクターであるか否かに関わらず、権力者に対抗して個人と社会をエンパワーメントすることを目的としている。このようなイスラーム主義者の活動は、同胞団やサラフィー運動などの組織されたイスラーム主義運動とイスラーム主義の政治領域を争う非組織的なイスラーム主義の登場につながるものである。

ムバーラク体制崩壊後のエジプトは、民主化への移行期にある。この移行期の中、同胞団や他のイスラーム主義者たちは自由に活動することができた。しかし、軍が民主化のプロセスに干渉したり、同胞団をはじめとするイスラーム主義者、軍、非イスラーム主義者、革命の継続を求める勢力といったエジプト政治の中心的アクター間で対立が起こったりすれば、民主化への移行が阻まれる可能性もあるだろう。


(2012年3月15日脱稿)
ダルウィッシュ ホサム





脚 注
  1. サラフィー主義とは、「サラフ」と呼ばれる初期イスラームの時代の原則に回帰すべきだという考え方であり、これまでの体制下では政治への関与を否定していた。ムバーラク体制の崩壊後、「ヌール党」を結成し、2011/2012年の議会選挙では同胞団の自由公正党に次いで第二党となった。