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エジプト民主化移行期の政軍関係 ─「政府としての軍」から「制度としての軍」への退出路の模索─

政策提言研究

池内恵 (東京大学先端科学技術研究センター)
2012年3月
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タハリール広場周辺のグラフィティ(落書き)は、世論を先鋭的に反映する。「民衆は政権の打倒を望む」が一年前のデモのスローガンだったが、現在は「民衆は軍政の打倒を望む」というスローガンが増えている。最高権力者の「SCAF(国軍最高評議会)」も名指しで批判される。「Kadhibun(嘘つき)」という言葉があちこちに書かれているが、これはSCAFを指すものと広く認識されている。写真ではタンターウィー元帥(国軍最高評議会議長)の似顔絵がスプレーで描かれた上に大きく×がつけられている。「Mushir(元帥・司令官)」を罵倒する落書きも見える。エジプトの急激な政治社会変容の過程で、軍への批判というタブーも破られつつある。ムバーラク政権崩壊1周年を期して、デモの矛先は内務省から国防省に移った。(2012年2月9日、池内恵撮影)
タハリール広場周辺のグラフィティ(落書き)は、世論を先鋭的に反映する。「民衆は政権の打倒を望む」が一年前のデモのスローガンだったが、現在は「民衆は軍政の打倒を望む」というスローガンが増えている。最高権力者の「SCAF(国軍最高評議会)」も名指しで批判される。「Kadhibun(嘘つき)」という言葉があちこちに書かれているが、これはSCAFを指すものと広く認識されている。写真ではタンターウィー元帥(国軍最高評議会議長)の似顔絵がスプレーで描かれた上に大きく×がつけられている。「Mushir(元帥・司令官)」を罵倒する落書きも見える。エジプトの急激な政治社会変容の過程で、軍への批判というタブーも破られつつある。ムバーラク政権崩壊1周年を期して、デモの矛先は内務省から国防省に移った。(2012年2月9日、池内恵撮影)


2011年の「アラブの春」の政変の行方を左右した決定的な要因として、軍の動向がある。昨年11月に本ホームページに寄稿した「アラブ諸国の政軍関係──分析の視角1 ではアラブ諸国を俯瞰的にとらえ、大規模デモに対する各国の政権の対応の相違や、その帰結の相違を分ける主要な要因として、政軍関係の相違に重点をおいて比較考察した。そこで示されたのは、リビアやシリアなど国民統合の度合いさほど高くなく、宗派・部族・地域主義等の国民社会の亀裂の存在が、権力構造、特に軍の構成に大きな影響を及ぼしている国の場合には、大規模デモによる異議申し立てに対して政権と軍が一体となって国民の弾圧を行い得ること、それによって政治的混乱が長期化しかねないという点である。それに対して、チュニジアやエジプトのように、国民統合がかなりの程度進み、宗派・部族・地域主義などによる国民社会の亀裂がそれほど顕著ではなく、特にそれが権力構造や軍の支配統制に影響を及ぼしていない国の場合は、軍が政権から距離をおき、抗議する国民の側に立つことで、「移行期への移行」が比較的すみやかに起こり得る条件となったといえる。

本稿では、エジプトに重点を置き、その後の政治過程を、特に政軍関係を軸に分析していく。2011年2月のムバーラク政権崩壊時に国軍最高評議会(SCAF)が権限を掌握したエジプトで、現在の政軍関係はどのような課題を抱え、軍の役割と権限は今後どのように推移していくと見通せるのだろうか。

国軍が「移行期への移行」を推進する役割を果たしたエジプトでは、「移行期からの移行」の段階においては、国軍はむしろ障害、あるいは最大の政治課題として現れてきている。軍そのものが「問題解決の主体」というよりもむしろ「解決されるべき問題の一部」となりかけているのである。

このことは権威主義体制の動揺から新体制への移行の過程においては、それほど珍しいことではない。現在のエジプトにおける軍の動向は、民主化過程における軍の役割をめぐる比較政治学の「教科書的」な事例として見ることができる。本稿では南米諸国の民主化移行期を事例とした比較政治学の先行研究で抽出された概念を援用して、ムバーラク政権崩壊から現在までの軍の政治的役割を分析し、民主化プロセスの中での政軍関係の今後の推移を展望する。

1.移行過程における軍部の役割──分析概念

南米諸国、特にブラジルを分析の対象として、民主化過程における軍部の役割について分析したアルフレッド・ステパンは、軍主導の権威主義体制における軍部を、以下の3つの構成要素(components)に分節化して分析した。
  1. 政府としての軍部(The Military as Government)
  2. 制度としての軍部(The Military as Institution)
  3. 国内治安機構(The Security Community)
1. は軍部の中で、「政治組織としての政府を指揮する中核部分の軍人たち」を指す。2. は「基地にいて毎日訓練を受けている要員」「情報部門を除いた軍部の教育機関網の運営や日々軍部の官僚機構を維持している人員」「予備役の軍人」といった軍の制度上の大部分を含む。3. は「国内秘密軍事作戦に主として直接関与する体制内グループ」を指す2

政治に深く関与した軍・治安機構をこのように分節化することで、軍政が民主性へと移行する過程や、場合によってはその逆の過程に働く、政軍関係の力学を概念的に把握することが可能になる。すなわち、1. から3. の諸要素が合体し、一体性を保つ場合や、3. の国内治安機構が自律化して1. の「政府としての軍部」や2. の「制度としての軍部」の要素を支配するような事態は、軍政の安定・強化の状態と言えよう。

ステパンはこのような民主化の経路として次のようなケースを想定する。例えば「政府としての軍部」としての役割を長期間担い続けることでかえって国民の反発を買い長期的には「制度としての軍」の結束や利益さえも損なってしまうことを恐れるがゆえに、「制度としての軍」の中枢メンバーが主導して、軍部が政権から離脱するための「脱出クーデター」を演じる展開が挙げられる。あるいは「政府としての軍部」の首脳の側が、反政府運動の弾圧で過度な暴力の行使や権限の拡大を進めがちな国内治安機構を統制下に置き、「制度としての軍」の利益を守るために、体制を自由化していく経路も考えられる。

ステパンは軍部が重要な役割を担った権威主義体制の終焉期においては、中心課題は「新生文民民主政権が軍部を統制できるかどうか」であるとする。その際に特に課題となるのが次の二点であるとする。
  1. 異議申し立て
  2. 軍部が持つ制度上の特権
1.は「新生文民民主指導層の政策に対する軍部の明白な異議の申し立て」であり、特に争点となるのが、旧体制下での軍・対内治安機構が関与した人権侵害への追及が新体制においてなされるか否かという問題であるという。2. は軍事予算や軍備計画、人事や軍事法廷など軍の専権事項に関する、文民政権の統制からの不可侵性や、現役軍人の入閣、国営企業幹部職への現役・退役軍人の任命といった政治・経済権益の保持に関わる。これらに関する軍部の特権を保持すれば、民主化の実質が失われかねないが、これらの特権を剥奪する動きはともすれば軍部からの強い反発を招き、民主化過程そのものの崩壊があり得る。

2.ムバーラク後のエジプト政軍関係

南米諸国の事例から抽出されたステパンの分析概念は、2011年1月末にムバーラク政権の崩壊過程が始まってから現在に至る過程での、エジプトの軍部の動向を分析的に記述する際に援用すると有益だろう。

(1)「制度としての軍」から「政府としての軍」へ──突然の授権
まず、2011年1月25日から2月11日にかけての大規模デモを受けたムバーラク政権の急速な崩壊によって、国軍最高評議会(Supreme Council of Armes Forces: SCAF)が暫定的に統治の権限を掌握したことで、エジプトの軍は「制度としての軍」としての安定的で快適な特権を享受していた状態から、不意に、おそらくはさほどの準備なく、「政府としての軍」としての役割を担わされたと言えよう。

(2)国軍と国内治安機構との懸隔
国軍と、内務省傘下の国内治安を司る諸組織は、一般にムバーラク政権を支える「軍・治安機構」として一体と見られてきたが、その間に懸隔があることが大規模デモに直面して表面化した。1月25日にデモが「警察の日」に合わせて行われ、拷問による「尊厳」の剥奪に抗議するものであったように、デモの矛先は主に国内治安機構に向いていた。内務省傘下の治安部隊や秘密警察が1月25日の大規模デモ勃発から、28日の大規模な衝突にかけてさらに抑圧の度を深めたのに対して、国軍は距離をおき、デモの群衆が体現するエジプト国民の側につくという姿勢を表明し、それが政権崩壊を加速した。ムバーラク政権崩壊後、2月17日にハビーブ・アードリー内相は逮捕され、その後訴追された。4月初頭から、内務省系の秘密警察の代表格である国家治安調査庁(Mabahith Amn al-Dawla; State Security Investigations Service; SSIS)の各地の建物へのデモ隊の攻撃を黙認し、5月12日にはこの組織そのものの解体を宣言した。

このことは一時的に国民の軍に対する信頼を増したものの、窮地に追いやられた治安機構・警察諸組織による意図的な撹乱やサボタージュが疑われる治安悪化の事例が多く現れ、軍の統治能力への信頼性の低下を中長期的にはもたらしかけているのが、一年を経た現在の状況であると言える。2月1日のポート・サイードのサッカー場で起こった、70名を超える死者を出したアハリー・クラブのサポーターへの襲撃事件は、背後に旧政権派の工作を疑う国民世論の疑念を呼び覚ますと共に、国軍最高評議会の統治の実効性を疑わしめた。

また、長期化・先鋭化するデモに対しては国軍最高評議会も、治安部隊や軍の部隊を動員した弾圧を行っており、それに対する国民の反発は徐々に国軍そのものに向かうようになっている。当初から基本的にはタハリール広場とその付近にある内務省に対して行われてきたデモが、政権崩壊1周年を期した2月10日から11日にかけてのデモでは国防省に対して行われたことが、この変化を象徴している。つまり国軍最高評議会は、「政府としての軍」の役割を担うことで、従来は負っていなかった国内治安をめぐる責任を負い、かつ国内治安機構の行為の責任をも負う立場になったと言える。

3.エジプト政軍関係のあり得る展開と争点

以上のように分析したエジプトの軍部が置かれた状況を踏まえて、今後の政軍関係の展開を見通してみたい。

(1)「政府としての軍」をいつまで引き受けるか
まず、「政府としての軍」の役割を突如担わされた形の国軍が、それをいつまで担う意思と能力を有しているかが、当面のエジプト政治の主要な課題であると言えよう。混乱や無秩序、対外関係の悪化を恐れるいわば責任感から、あるいは前政権崩壊の際に手にした政治的権限を保持しようとする意欲から、軍が民政移管を遅らせるか、移管する権限の実質を最小限に留め、特に軍の特権への干渉を憲法上も実態上も阻害するシナリオが一方にある。

他方で、「政府としての軍」の役割を担い続けることで、経済の停滞や治安の悪化やデモ隊への弾圧などへの責任の多くを軍が負うことになり、国民の信任を失って「制度としての軍」が保持してきた特権すらも喪失することになりかねないと国軍の首脳が判断すれば、「政府としての軍」の権能を、選挙された国民の代表に早期に移譲していく道筋が考えられる。軍は政権掌握の最初期においては、2011年6月に人民議会選挙を、同年9月には大統領選挙を行って文民統治への権限移譲を進めるという極めて迅速な工程表を示していたが、これは実現せず、その意味では統治を長期化させたと言える。しかし人民議会選挙が2011年11月末から2012年1月初頭にかけて円滑に行われてからは、また2011年11月以降に先鋭化の度合いを強めた若者主体のデモが全面的な軍政批判を掲げるようになった2012年2月以降は特に、2012年6月末での文民大統領への権限移譲という期限を、前倒しにこそすれ延期する姿勢は見せていない。少なくとも形式的には権限移譲をこの行程表の下に行う意向を固めたと考えられる。

基本的に、エジプトの軍は、「制度としての軍」の保持する膨大な特権に長期間浴してきた経緯があり、それをある程度正当なものと認める多くの国民の信頼に支えられてきてもいることから、文民への権限移譲を全面的に拒否することはないだろうと推測できる。 しかし治安の大規模な混乱や、米国をはじめとする主要な国際関係との関係断絶をもたらすような勢力が議会や大統領選挙で台頭した場合には、安易に権限を移譲することは、国家安全保障を最終的に担う組織としての責任感からも、軍の保持する権益の保持という観点からも、なしえないことと考えられる。現状では、議会選挙で最大勢力のムスリム同胞団が米国との軍事的・経済的関係を維持し、イスラエルとの平和条約も継承する意思を示しており、軍が介入して政治プロセスを止める動因はあまりないと見られる。

(2)国内治安機構との距離の取り方
ムバーラク政権の動揺と崩壊の際に、軍が国内治安機構から距離をおいて見せたことは、移行過程における軍の権限を正当・不可避なものとする、国民の側からの信頼を醸成する大きな要因となった。しかし「政府としての軍」の役割を負った後では、この手法を採用し続けることは難しい。国民から評判の悪い対内治安機構を「罰する」ことを繰り返せば、治安維持を担う組織の士気の低下や、場合によっては反乱・撹乱工作を惹起しかねず、全般的な治安の低下をもたらして、国民一般からの信頼も失うことになる。また、政権の崩壊によって現れてきた多種多様な勢力が、大小さまざまな抗議行動において、暴力的な手段も用いて主張を行っている現在、実質上の統治の主体である軍が国内治安機構を動員しないのであれば、軍自身が、軍警察など傘下の部隊を投入して、抗議行動と直接対峙しなければならなくなる。それは軍そのものが国内治安機構の役割を負うことを意味し、国民からの反発を直接受けて、軍への信頼を一層速やかに摩耗させていくことになりかねない。このことからも、「制度としての軍」は「政府としての軍」の役割を、可能な限り速やかに返上しようとする志向性を持つものと考えられる。

4.軍の退出の条件

以上のような分析と見通しに基づき、エジプトの国軍は「制度としての軍」の権限や声望を維持するために、「政府としての軍」の役割を比較的早期に返上しようとしていると基本的には考えることができる。国軍の「政府としての軍」の役割からの「出口戦略(safe exit)」がいかなるものかが、次に考察すべき課題となる。

重要なのは、「制度としての軍」が譲れない条件とは何かを検討することである。

ここで現時点で最も端的に軍の意向を示していると見られるのが、2011年11月1日に、当時のアリー・セルミー(Ali al-Selmi)副首相(民主化担当・当時)が発表した「憲法のための基本諸原則」という文書であり、特にその中の軍の権限をめぐる項目である。「憲法のための基本諸原則」では、新憲法に盛り込まれるべき22項目が列挙された上で、新憲法制定会議の構成が示されている。そのうち第9項目と第10項目が軍の不可侵の権限を規定したものである。

その中で特に第9項目において、軍の求める不可侵の権限が明示的に規定されている。この項目では、まず軍の国民軍としての性質が示され、国軍以外のいかなる軍や並行軍事組織の設立をも禁じている。そして「軍に関する全ての事柄、そして軍事予算についての議論は、国軍最高評議会のみが管轄する。軍事予算は国家予算に総額のみが記載される。軍に関するいかなる立法措置も、国軍最高評議会の同意なしには公布されない」と入念に軍の不可侵性が盛り込まれている3

このような国軍最高評議会の意向をそのまま受け入れた形での憲法が恒久化されるならば、エジプトの民主化は大きな制約を課されることになる。

5.軍の正統性・実効性の低下と相対化

ムバーラク政権の突然の動揺によって、それほどの準備なく「政府としての軍」の役割を担い、国内治安機関から超然とした立場を示したことで信頼性を維持・向上させたのが一年前の国軍だったが、一年間の「政府としての軍」の役割を担った過程において、国軍はその正統性と実効性の双方を低下させていると考えることができる。その要因は第一に、人民議会選挙が大きな混乱や不正常なく、高い投票率を記録して行われたことであり、それによって投票によって選ばれた国民の代表が実際に現れ、人民議会の場で議論を開始したことである。ムバーラク政権崩壊当時は、広く国民から将校・一般兵卒を募り、比較的公正に実力主義によって選抜がなされているという評判によって国民を代表し得る数少ない組織としての正統性を保持し、他の官庁と比して高い統率力・組織力によって実効性を示していた国軍であるが、公正に選挙された人民議会の登場によってその正統性は相対化され、治安の悪化を防げないことでその実効性への信頼は薄れかけている。

また、従来は軍に対する批判や客観的論及はタブーであったものが、若者を主体とした先鋭的なデモによってそれが破られている。2012年2月半ばのタハリール広場周辺の道路の壁には「民衆は軍政の打倒を望む」「タンターウィー元帥はムバーラクの犬だ」「軍は嘘つきだ」といった軍政批判のスローガンが多数落書きされ、最高司令官であるタンターウィー元帥・SCAF議長の似顔絵があちこちにスプレーで描かれてその上に大きく「バツ」を書かれるなど、嘲りの対象にさえなっている。このような街頭の軍政批判の表現が必ずしも国民の多数の意思を表出したものではないとしても、軍の無謬・不可侵性は損なわれ、威信の低下は避けられない。

文民への権限移譲が進む以前に、軍に対する公然とした異議申し立てが、若者を中心に顕在化し、軍がそれを全面的に退けてもなお広範な支持を得る確証がないほどに正統性と実効性を失いかけている2012年2月現在の状況からは、軍が「政府としての軍」の役割をなるべく早期に手放し、「制度としての軍」に回帰して権益保持を図ろうとする動きは加速していくと見ることができる。



Satoshi Ikeuchi, Associate Professor of the University of Tokyo-Research Center for Advanced Science and Technology,
“Civil-Military Relations in Egypt in a Transitional Phase: Searching for Safe Exit from ‘Military as Government’ to ‘Military as Institution,’” a paper submitted to the Institute of Developing Economies-JETRO, on February 28, 2012.




脚 注
  1. 池内恵「アラブ諸国の政軍関係──分析の視角」(2011年10月31日脱稿)
    http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Seisaku/1111_ikeuchi.html
  2. アルフレッド・C・ステパン著・堀坂浩太郎訳『ポスト権威主義──ラテンアメリカ・スペインの民主化と軍部』同文館、1989年、44頁。本稿での引用は基本的には堀坂訳に依拠しているが一部概念の順序を変え、訳語を補っている。また、“security community”の訳語は訳書の採用した「治安集団」ではなく、明確さを重視して「国内治安機構」を用いている。
  3. エジプト各紙は2011年11月1日に各党に正式に示された憲法諸原則の全文を掲載していない場合が多い。これはそれまでの議論で多くの部分が明らかになっていたがゆえに、この日示された文書のうちの、それまでに周知されていたものに新たに加わった異なる要素、特に軍の超然的な立場・権限に関する詳細な条項に関して集中的に議論がなされたためと見られる。アラビア語原文は下記のウェブサイトに掲載されている。
    http://www.masrawy.com/news/egypt/politics/2011/november/2/4559080.aspx
    英訳は下記がよく参照される。
    http://www.constitutionnet.org/files/2011.11_-_constitutional_principles_document_english.pdf
    ムスリム同胞団のウェブサイトIkhwanwebでもアラビア語原文と独自の英訳が掲載されている。
    http://www.ikhwanweb.com/iweb/index.php?option=com_content&id=32662%3Athe-basic-principles-of-the-new-constitution&Itemid=692 
    2011年8月14日にリベラル派の独立系紙『マスリー・アル・ヨウム(Masry al-Yowm)』のアラビア語版ウェブサイトが掲載した、その当時の叩き台となっていた文面には、軍の国民軍としての性質は記されているものの、不可侵の権限についての詳細な規定はない。“Masry al-Yowm tanshr nass wathiqa al-mabadi’ al-asasiya li al-dustur,” http://www.almasryalyoum.com/node/486367