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南部分離独立後の南北スーダン情勢と日本の役割

政策提言研究

栗田禎子 (千葉大学文学部教授)
2011年11月
※以下に掲載する文章は、2011年度政策提言研究「中東・南アジア地域の平和システム構築に向けて」研究会における報告内容を要約したものです。


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スーダンでは今年1月、南部での住民投票で分離独立が決定、7月には新国家「南スーダン」が成立したが、その後も南北両国家をめぐる情勢は緊迫している。以下では、現在の状況を概観するとともに、これに対する日本の関与のあり方について考えたい。

 〔南部分離独立と矛盾の噴出〕
スーダン南部の分離独立という事態は、1989年にクーデタで成立したウマル・バシール体制のもとでの強権政治、また特に国内の低開発諸地域への暴力的弾圧によって引き起こされた。「イスラーム主義」を掲げる軍事政権バシール体制のもとでは南部のみならずほとんど全国民が辛酸を嘗めたので、1990年代には北部の諸政党・労組・市民による民主化運動と、(南部等を基盤とする)「スーダン人民解放運動」(SPLM)率いる低開発地域の抵抗闘争との組み合わせによって体制を打倒し、国政全体を民主化し、地域間の開発格差をも是正して、「新しいスーダン」を建設しようという動きが存在した。しかし、アメリカをはじめとする国際社会は、スーダン全体の民主化は必ずしも支援せず、むしろ問題を(宗教・人種等に基く)「南北」内戦という次元に限定して狭く捉えた上で、「和平」プロセスを促進し、最終的には南部の分離独立への道筋を整える、というアプローチをとった。このような姿勢の背後には巨視的に見れば、南部スーダンが有する石油その他の天然資源、さらには(「アフリカの角」と「大湖水地帯」を結ぶ)この地域の戦略的・地政学的重要性に対する、先進諸国の関心があったと言えよう。結果として2005年にバシール政権とSPLMの間で「包括和平協定」(CPA)が成立し、6年間の移行期ののちに、南スーダンの独立という展開がもたらされることになる。

だがCPAは、スーダンが抱える問題の構造をトータルに捉えて抜本的に解決することを放棄し、「南北」の分離という結着に逃げ込んだという意味では「包括」的とは程遠いものだったので、南部分離後の現在は、その矛盾がさまざまな形で噴出しつつあると言える。

第一は、北部におけるバシール独裁政権の温存と民主化の遅れという問題である。1990年代のスーダン国民自身による変革のプログラムがスーダン全体の民主化をめざすものだったのに対し、国際社会が後押しした「南北和平」プロセスはこの点は置き去りにして南部の分離独立のみを実現する結果に終わった。CPAの一方の当事者として国際社会によって意図的に温存されたとも言えるバシール政権は今も存続し、南部分離後はむしろこれまで以上に北部の市民に対する締めつけを強めている(ジャーナリストの逮捕や検閲の強化など)。論理的には南部の分離をもって1956年の独立以来存在してきた「スーダン共和国」の枠組みが消滅し、これまでの国家体制、政治制度の正統性も失われたと言えるので、北部の民主勢力はこれを機会にバシール政権に退陣を要求し、全政治勢力が参加する「憲法会議」を開いて今後の国家のあり方を議論すべきだと要求している。チュニジア・エジプト等の政変にも力づけられる形で、物価上昇等に抗議する市民のデモも頻発している。しかし政権側はこれらの動きに対しては強権的弾圧で応え、他方で民主統一党(DUP)、ウンマ党などの中道・保守政党に対しては、個別に政権参加を持ちかける等の形で切り崩しを図っている。

第二は、南部が分離独立した結果、従来SPLMにおいて南部と共闘していたその他の低開発諸地域(南コルドファーン州、青ナイル州)の人々がいわば北部内部に取り残された形となり、これらの地域に対するバシール政権の武力弾圧が激化しているという問題である。南コルドファーン州(ヌバ山地)は6月以降、青ナイル州は9月以降、(それぞれ知事選における政権側の不正や、SPLMメンバーの武装解除問題等が引き金となって)政府軍と現地SPLM勢力——南北分離後は「北部SPLM」(SPLM-N)と呼ばれるようになった——の間の戦争状態に陥っているが、その過程では多くの民間人が犠牲となり、これらの地域の住民に対するジェノサイドに近い状況が生じ始めているとされる。両州の事態は、同じく北部スーダン内部における低開発地域であるダルフールの危機とも連動する可能性がある。また、南北境界線上にあるアビエイは歴史的に生業・文化の異なる住民が混住しており、その帰属をめぐっては別途住民投票を行なうことがCPAでも定められていた地域であるが、5月にバシール政権側による一方的占拠という事態が生じ、現在も南北間で緊張状態が続いている。

第三は、独立後の南スーダン共和国内部において反乱や「部族紛争」が拡大し始めているという問題である。これは一面では、上述の第二の問題とも関連しており、南コルドファーン州や青ナイル州でSPLM-Nとの戦争を行なっているバシール政権が、南スーダン政府に無言の圧力をかけ、SPLM-Nへの支援を停止させるために、逆に南スーダン内部の反乱分子(「南スーダン解放運動 SSLM」なる組織が結成された)を支援・訓練しているという背景があると考えられる。他方で新生南スーダン国家の体質に関わる側面(政権を担うSPLMが基本的には軍事組織であり、また内戦の結果として政治プロセス全体が軍事化しているという問題、独立後急速に外資が流入する中で利権やポストをめぐる競争が激化しているという事情)も存在していると思われる。

〔日本の関与のあり方——PKOへの自衛隊部隊派遣をめぐって〕
日本政府は、南スーダンにおける国連平和維持活動(UNMISS)に自衛隊部隊を派遣することを決定(11月1日)した。新しい国づくりを応援するため、主として道路等のインフラ整備に従事するのだという報道がなされているが、以上のような情勢を考えると、自衛隊派遣という決定には大きな問題があると考えられる。

第一に確認しておくべきなのは、今回国連によって設定された平和維持活動はやはり基本的には、現在の南北スーダンをめぐる厳しい緊張状態を前提とした、軍事的任務の遂行を目的とするものだということである。UNMISS発足を定めた国連安保理決議1996(7月8日採択)は、南スーダンは依然として、「国際社会の平和と安全を脅かしかねない状況」にあると規定している。同決議に定められている任務内容は「平和の確立」「紛争予防」「法の支配の確立」であり、この中には(民主化応援、独立したメディア創設等の)政治的課題も含まれるが、根本は、南北国境での監視活動、南部内部の反乱分子対策、ウガンダから流入する武装勢力(「主の抵抗軍 LRA」)対策、治安部門創設、といった軍事的任務である。任務遂行過程では、市民保護のための武力行使も認められている。また、南北国境での監視活動と関連して、アビエイ、ダルフール等に既に展開中の国連部隊とも緊密に連携することが定められている。ちなみにこの安保理決議には、インフラ整備という任務への言及は一切含まれていない。

上記のような軍事的活動に、平和憲法を持つ日本が参加することは難しいと考えられる。既に見たように南コルドファーン州、青ナイル州等、南北両国国境に接する地域での戦争が深刻化し、また南部内部でも北部政府の支援を受けた反乱分子の活動が拡大しつつある状況下では、任務の軍事的性格は安保理決議採択時に比べても格段に色濃くなっている。巨視的に見ればUNMISSは、スーダンの抱える問題を「南北分離」という形で強引に結着させた「国際社会」が、今度は南北間の緊張状態を名目に、さらにこの地域に対する軍事的関与を深めようとする動きと捉えることもできる。アメリカの「アフリカ軍」(AFRICOM)は南スーダンとの関係緊密化をめざしており、同時に米政権は最近、ウガンダのLRA対策を名目にアフリカ内陸部への軍事的介入を進める方針も表明している。UNMISSへの自衛隊の参加は将来的には、東アフリカをめぐるアメリカのこのような軍事戦略との連携という方向に発展していく可能性がある。

第二に、日本政府は、自衛隊はあくまでインフラ整備のため、治安面でも最も安定した首都ジュバ周辺で活動する、等の方針を示しているのであるが、だとすればなぜ自衛隊という軍事的組織を送る必要があるのか、という疑問が生じることになる。インフラ整備が主眼ならば、これらの事業は国連PKOへの自衛隊派遣という形にこだわらなくても、文民の派遣や民間企業の活動によって実現できるであろう。

南スーダンでは既に多くの日本の機関やNGOが民生支援のために地道な活動を続けてきているが、自衛隊が派遣されることで、逆にこれらの組織・団体の活動がやりにくくなる恐れはないだろうか。国際協力機構(JICA)が進めている川港拡張工事や架橋工事に自衛隊が協力するというプランの存在も報じられており、軍民がタイアップする形で今後の日本の国際貢献を構想していく、という方向性も窺えるが、このような動きは、長期的にはJICA等の活動自体を変質させていくことになるのではないだろうか。影響は南スーダンに留まらず、アフリカ・中東地域における活動全般に及ぶだろう。

南北スーダンをめぐる情勢が緊張を増す中、日本の関与は、今後も非軍事的分野に限られるべきだと考えられる。

2011年11月5日