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中国・東アジアの経済関係と日本

政策提言研究

2011年7月
※以下に掲載する文章は、平成23年度政策提言研究「中国・インドの台頭と東アジアの変容」第3回研究会(2011年7月20日開催)における報告内容を要約したものです。


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本研究会で分析をめざしている「中国の台頭」の内実を明らかにするには、中国と、日本を含む東アジアの経済関係の変遷を整理しておく必要がある。ここではASEANと日本に焦点をあてる。まず、中国の経済発展がASEANの経済発展にどのような影響を与えたのかをみる。ついで、相互の経済関係が深まる中でACFTA(ASEAN中国自由貿易協定)が締結されるに至ったがその特徴について述べる。さらに、中国の対外経済活動(海外投資、海外援助)についてASEANを中心に概観し、最後に視点を変えて、日本の立場から対中国・対ASEAN経済関係の現状を一瞥し、日本の東アジアにおける立ち位置を確認してみたい。

1. 東アジア国際分業の中の中国とASEAN
経済分野における中国の台頭は、中国が、改革・開放政策の開始(1980年~)によって東アジアに成立していた「日本・(東)アジア・欧米」三角貿易構造に取り込まれることから始まった。三角貿易構造は、(1)日本が主要部品・中間財を東アジアに供給し、(2)(東)アジア内部で部品・中間財を相互にやり取りする産業内貿易を通じて製造された最終消費財が、日本経由であるいは直接に(3)米国、欧州を中心に輸出される、というものである。中国は(2)のリンクに組み込まれたが、急速にASEANに取って代わり「世界の工場」の地位を確保する。

この代替プロセスは、貿易と投資の変化から確認できる。たとえば、日本の主要貿易相手国を見ると、1980年から2009年にかけてASEANのシェアがほぼ14%で変わらなかったのに対し、中国が3.5%から20.5%に急増している。米欧の合計シェアは当初30.6%、2000年には39.8%あったが、その後25.3%に減少した。これは、2000年以降、日本から欧米への直接輸出が中国経由の輸出にシフトしたこと、さらには中国国内市場向け輸出が増加したことを反映したものであろう。同時期のASEANの主要貿易相手国を見ると、日本が25.9%から10.4%と半減以下となり、代わって中国が1.8%から11.7%に急増。ASEAN域内も15.9%から24.3%に増加、米欧の合計シェアは28.4%から20.9%に減少している。

次に、域外からASEAN、中国へのFDI(外国直接投資:国際収支ベース)を見ると、当初はASEAN向けが多かったが、中国の改革・開放政策の分岐点となった1992年(この年、鄧小平がいわゆる「南巡講話」を発し、改革・開放の後戻りはないことを確定付けた)を境に中国向けがASEANを抜き、以後、2004年頃まで両者の差は縮まらなかったことがわかる。

以上の事実だけを見ると、中国の台頭がASEANの発展を阻んだかの印象があるが、実際には、同時に東アジア域内の貿易全体が拡大し、かつその構造も高度化したことを見逃すべきではない。経済産業省がIMF統計を用いて行った分析では、上記期間にほぼ重なる1980~2005年の間に、東アジアの域内貿易比率は35.7%から55.8%とNAFTA(北米自由貿易協定)の43%を超え、EU(25カ国)62.1%に迫っている。貿易構造面でも、東アジアは上述した三角貿易構造の影響で最終財貿易の域内貿易比率が低かった(1980年40%前後)が、これが2005年には50%を超え、EU(25カ国)の60%強に近づいている。

中国とASEANの経済関係の現状を中国の貿易構造から見てみよう。「貿易特化係数」【(輸出-輸入)/(輸出+輸入) で示され、各製品の競争力の強さを示す】を物差しとすると、中国貿易の特化係数は、1980年代の改革・開放当初は発展途上国型(すなわち、特化係数の大きい順に 一次産品>一般製品>機械類)であったが、1992年頃から未成熟NIEs型(一般製品>一次産品>機械類)となり、1999年以降は成熟NIEs型(一般製品>機械類>一次産品)となっている。現在の中国は先進ASEANに伍している段階だと評価できる。

2.中国とASEANのFTA戦略
2010年1月、ACFTA(ASEAN中国FTA)が始動した。両者が同枠組み合意に調印したのが2002年11月であり、7年余の日時を要したことになる。現在でこそACFTAは必然の産物であるかのように思われるが、2000年頃の状況はまったく異なっていた。東アジアの経済統合の将来を展望する上で、当時を振り返っておくことにも意味があろう。

まず、ASEAN側からすると、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の実現こそが当時最優先の課題であった。その代表的なスキームであるCEPT(Common Effective Preferential Tariff)は、域内の関税全体を0~5%水準に引き下げようとするもので、2005年6月に先進ASEAN6カ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)の間で98.4%の品目について実現している。このほかにAICO(ASEAN産業協力スキーム)やAFAS(サービスに関するASEAN枠組み協定)など多様なスキームを通じて経済財統合の実を挙げることが目指されていた。加えて、当時のASEANでは、対外貿易やFDIの誘致においてライバル関係にある中国を「脅威」とする見方のほうが強かった。

他方、中国の側にしても、2000年当時の最大の課題はWTO(世界貿易機関)加盟であった。その実現は2001年12月のことであり、それ以前には、周辺国との個別の貿易協定に目配りする余裕はなかったといえる。また、中国外交は伝統的に二国間協議を重視し、多国間協議を忌避する傾向がある。ASEANという多国間協議体との交渉は、こうした性向もあってなかなか取り組まれなかった。

状況を変えるきっかけとなったのは、「ASEAN+3」サミットであった。時あたかもWTO加盟のメドをつけた中国は、2000年、2001年の同サミットで、「ASEAN中国FTAの2010年までの実現」を呼びかけ、「昆明~バンコク道路」、「パンアジア鉄道」などの具体的協力プロジェクトを提案するなど積極姿勢に転じた。
ASEANの側でも、こうした中国の働きかけに加え、WTO加盟を果たし目覚しい経済発展を遂げる中国に対して、「脅威ではなくチャンス」と捉える見方が強まったことから交渉が開始され、2002年11月にはACFTAに向けた枠組み合意にこぎつけた。なお、2000~2005年頃の両者の経済関係やFTA戦略の実態については、拙編『中国・ASEAN経済関係の新展開』(アジア経済研究所、2006年)において、詳しく分析している。

同合意では、全品目を「ノーマルトラック」と「センシティブトラック」(一部はさらに「高度センシティブトラック」)に分け、ノーマルトラック品目の関税を規定年(ASEAN6は2010年、CLMV=インドシナ諸国は2015年)までに撤廃する、としている。ノーマルトラック品目の貿易額は全体の90%に達しており、CLMVを別扱いとしているものの、GATT24条に整合した「厳格なFTA」といえる。

そして、両者は、合意達成後も、農産物(HSコード1~8)の関税引き下げを先行させる、いわゆる「アーリーハーベスト」を2004年1月から実施、2005年7月からは鉱工業製品など約7000品目の関税引き下げを開始するなどFTA実現の機運維持に努力し、2010年1月を迎えたのである。

ACFTAの効果は大きい。先に、改革・開放の本格化とともに対中国FDIが対ASEANを超え、その後両者の差が開いたことを指摘したが、2005年のACFTAの関税引き下げ開始とともに対ASEANのFDIが増加し、中国に迫る趨勢を見せた。2008年秋のリーマンショックによりFDIは両者とも激減したが、ACFTAの発足後、両者間の貿易、FDIはともに急増した。2010年の中国の対ASEAN輸出は対前年比で30%増(リーマンショック前の2008年比21%増)、同輸入は45%増(同32%増)、ASEANは中国にとって第4位の輸出相手、第3位の輸入相手となった。FDIは、ASEANの対中投資が63.2億ドル(前年比35%増)、中国の対ASEAN投資は25.7億ドル(同42.7%増)で、前者の数字は日本の投資額42億ドルを大きく凌駕している。

3.中国のFDIと対外援助
中国の対外的影響力を測る物差しとしてそのFDIと海外援助の概要をみておこう。中国がFDI統計を発表するようになったのは2002年だが、同年27億ドルだったFDIは年によって倍倍ゲームの勢いで増加し、2010年には590億ドルとなった。2009年末時点の累積投資額は2457.5億ドルである。途上国として最大の投資ドナー国であり、現在の趨勢からして、この額が国内向けFDI(2010年1057億ドル)に追いつく日もそう遠くないと思われる。

累積ベースでその仕向け先を見ると、アジアが75.5%(うち香港66.9%)と圧倒的で次いでラテンアメリカ12.4%。これらタックスヘーブン向け投資のほとんどはさらに第三国にむかったはずで、追跡して分析する必要があるが、うちAEAN向けは3.51%と中国の投資・海外援助重点地域のアフリカ3.8%に迫る規模となっている。

ASEAN向け投資の業種別内訳は、シェアが多い順に、(1)電力・ガス・上水道19.4%、(2)卸売り・小売17.1%、(3)製造業15.5%、(4)リース・ビジネスサービス10.9%、(5)探鉱9.5%などとなっており、製造業向け投資よりもサービス産業向けや資源向けの投資が目立つ。報道によれば、2010年末の累計投資額は100億ドルを超えた。

次に対外援助を見よう。中国はDAC(開発援助委員会)に属しておらず、その実態を捉えることは容易でない。4月に初めて発表された『中国の対外援助』から得られる概観は、2009年末の累積援助額2569.9億元(現在レート換算で約375億ドル)、うち無償援助1062億元、無利息借款765.4億元、優遇借款735.5億元。供与先の中心はアフリカ(シェア45.7%)、アジア(同32.8%)となっている。次に中央財政支出の「対外援助」の項を見ると2009年132.96億元(19.46億ドル)である。同年の日本のODAは94.57億ドル、アフリカ向けが23.1%、アジア向け36.5%だった。

中国の対外援助を評価する場合に無視できないのが、「対外経済合作(経済協力)」である。具体的には「建設請負、労務提供、設計コンサルティング」などで、純然たる政府援助の枠組みと市場取引の枠組みの双方にまたがった経済活動であり、金額的には2009年に1337億ドル(同年の対外援助支出の69倍)と巨額である。中国の援助プロジェクトで、実際の建設やオペレーションを担っているのは中国企業(ほとんどは国有企業)だが、「対外経済合作」においては、中国企業が中国政府による優遇借款などの資金サポートを得、また他国のドナー、金融市場から資金調達しつつ投資、貿易を行う。こうした活動は、中国からすると、資金的な余裕が乏しい中で自国にも裨益する方式として多用されてきたわけだが、被援助国から見ると「援助」(の一環)と受け取られており、中国の外交的影響力を支えていると評価できよう。ただ、こうしたやり方は、「中国の援助プロジェクトは、実行主体が中国企業、労働者は中国からの派遣であり、被援助国が得る経済的果実はごく小さい」という批判を生む原因ともなっている。

4.日本と東アジア
冒頭で述べたように、中国は「日本・(東)アジア・欧米」三角貿易の中で「世界の工場」の地位を確保した。日本側からこのプロセスを見ると、当初の対中貿易は「日本から中間財・部品を輸出し、中国でこれを組み立てて日本に輸入、日本から欧米市場向けに完成品を輸出する」という「持ち帰り型」=垂直分業関係であったが、その後、日本が次第に川上部門を中国に移転する投資を行い、加えて中国地場企業が成長してくるにつれて、両者間の分業関係は高度化した。2010年の品目別輸出入構造(対中輸出、輸入シェア)を見ると、電気機器(23.5%、25.9%)、一般機械(22.4%、16.8%)で、細目を見ると相互に製品・部品をやり取りする水平分業関係となっている。

次にFDIをみると、日本の投資先としては、アメリカが1位を占め続けているものの中国が2位となっており、そのシェアも16.2%対12.6%と接近してきている(2010年日本財務省統計)。投資業種別では、依然として製造業が7割前後と太宗を占めるが、最近は非製造業の比率が高まってきている。この傾向が続くか否かについて即断はできないが、報告者(大西)が上海に駐在した3年間(2008年春~2011年春)に、上海での日本企業の新規投資の7割は非製造業部門であった。JETROの調査『2010年度在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査』からも、日本企業が中国を見る視線が「工場=生産基地」から「市場」へとシフトしつつあることが確認できる。日中経済関係は日本の対中国依存が深まる方向で進んでいるといえる。

貿易総額において2004年(輸入は2003年、輸出は2009年)以降、中国は日本にとって最大の貿易相手国で、「代替の利かない」パートナーである。それは間違いないが、今後の日本の立ち位置を考える上で、無視できない動向も出てきている。まず、中国側から見た日本の重要性は相対的に低下している。貿易額で見て、日本はEU、アメリカに次ぐ第3位であり、金額ベースではASEANがすぐ後ろに迫っている。日本の対中国FDIは先進国の中では最も多いが、シェアは4~5%である。多いときには年10億ドル超に達した円借款も今はない。

他方、日本企業の視線で見た中国は、製造基地としての魅力が低下している。労働紛争が頻発、労賃が急上昇していることに加え、2010年9月の尖閣諸島問題とそれに引き続いた突然のレアアース輸出規制、日本企業職員の拘束、など予測できない政治的リスクが存在するからだ。また、ACFTAなどによって東アジア全体の経済統合度が進み、事業展開の選択肢は広がっている。日本の対ASEAN、対中国FDI(国際収支ベース)の動向を見ると、2003~05年は対中国投資が対ASEANを上回っていたが、ACFTAによる関税引き下げが開始された2005年頃を境に対ASEAN投資が増え、2009年には中国69億ドル、ASEAN70億ドルと拮抗している。ちなみに同年の対全世界投資は746.5億ドルで中国のシェアは9.2%、ASEAN9.4%だった。

長年にわたる海外投資の結果、日本はアジア域内に大規模な産業集積を形成してきた。日本銀行統計で日本の2010年末における対アジアFDI残高を見ると、2168億ドル(統計数値は円表示のため、同年の為替レートで米ドル換算)。うちASEAN6カ国921億ドル、中国678億ドルである。上述したFDIの動向は、各種のFTA網を前提に各業種、企業レベルで進むアジア域内での国際分業再編を反映していると思われるが、今後、この動きは強まろう。東日本大震災は、全世界やアジアに広がる製造業のサプライチェーンの中で、日本が占める役割の大きさを再認識させるきっかけとなった。日本政府のイニシアチブが弱いことは残念だが、こうした再編の中で日本(企業)が主導性を発揮するための条件は既に整っているのである。

(2011年7月)