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発展途上国における民主主義の危機

調査研究報告書

川中 豪  編

2016年3月発行

表紙 / はじめに / 目次 (159KB) / 川中豪
第1章
1980年代以降、多くの発展途上国がいわゆる「民主化の第三の波」として民主化していったが、2000年代に入って、そうした民主主義が後退傾向にあるという指摘がされるようになった。こうした「民主主義の後退」論を整理し、その妥当性を検証するのが本稿の目的である。確かに民主主義の制度から逸脱した行動が発生したり、権力が強化されて政治的自由が低下したりといった事象が観察されるようになっている。しかし、国際的な潮流として民主主義が世界的に後退していると見るのは早計である。むしろ、民主主義が危機的な状況に陥っている事例をもとに、そのパターンを分類し、どのような要因によってそうした状況が発生しているのかを検討するほうがより建設的な議論を提起できる。

第2章
タイは民主主義が後退した事例としてしばしば引き合いに出される。確かに過去10年ほどの間に、タイは2回の軍事クーデタを経験し、選挙や議会といった民主主義制度が機能不全に陥っている。こうした民主主義の後退は、じつは国民の政治参加の拡大によってもたらされた面がある。本稿は民主主義の基本的要素であるはずの国民の政治参加が、なぜタイにおいて民主主義の後退という結果を生んだのかを考察した。タイでは1990年代に都市中間層が直接的な政治参加の経験を蓄積し、2000年代に農村や都市下層の人々が選挙を通じた政治参加の効果を実感した。両者の間には経済的社会的に大きなギャップがあり、2000年代以降、経済的格差が政治の対立軸になった。しかもどちらが政治的影響力を持つかは、政治参加の方法によって決まるため、政治的意思決定方法の選択が対立軸と重なった。こうしてタイでは国民間の合意形成が難しくなり、軍部の介入を招いた。本稿では以上のような推論と関わる事実の提示をおこなった。

第3章
バングラデシュでは、政治的に中立な暫定政権のもとで自由で公正な選挙を円滑に実施することを目的として、「非政党選挙管理政府」(Non-Party Care-taker Government: NCG)と呼ばれる制度が民主化後に導入された。本稿では、NCG制度が政党間の激しい対立の焦点となった政治的背景を検討することを通して、自由で公正な選挙による権力者の決定という民主主義の基本的な手続きについて主要な政治勢力の間で合意が形成されない、民主化後のバングラデシュの政治構造を明らかにする。そして、民主化後のバングラデシュでは、定着していた民主主義に後退が見られるのではなく、むしろ民主主義が定着することなく一貫して不安定な状態にあることを示す。

第4章
トルコの最近の民主化の後退は、一党優位制が定着する過程で委任民主主義が進行している現象と捉えることができる。すなわち、政権は有権者半数への(垂直的)説明責任のみを果たし、司法府と議会への(水平的)説明責任を放棄している。委任民主主義の進行をもたらしたのは、与党公正発展党(AKP)指導者エルドアンの行動を抑制する国内エリートおよび国際機関からの政治的圧力がAKP政権第2期以降に低下したことによる。

第5章
本稿では、民主主義の後退をめぐる近年の議論の文脈のなかに南アフリカの事例を位置づけるための準備作業として、民主主義をめぐる国際的な議論と南アフリカ政治研究の両面から、ポスト・アパルトヘイトの南アフリカの民主主義をめぐる議論を整理する。
旧白人政権と解放運動組織間の交渉によりアパルトヘイト体制から非人種的民主主義体制への転換に成功した南アフリカでは、民主化交渉の果実である新憲法を新たな体制の基盤として、自由・公正な複数政党制選挙が定期的に行われており、独立したメディアや市民社会による活動も活発である。他方で、1994年以来20年以上にわたり続いているアフリカ民族会議(ANC)の一党優位を背景とした汚職・腐敗や、さまざまなガバナンス上の問題が、民主主義の質にとっての懸念材料となっている。この間、ANC政権の「黒人の経済力強化(BEE)」政策などを通じて黒人ミドルクラスが生み出され、エリートの人種構成には変化が見られるが、不平等で階層化された社会の基本的な構造は変化していない。社会の底辺に取り残された人々の絶望は深く、そうした人々のあいだで、民主主義の制度への信頼が急速に失われつつあるともいわれる。ただし、南アフリカの文脈において、平等な選挙権の行使は民主化の単なる入り口にすぎず、極端な格差や貧困に特徴づけられる南アフリカ社会の構造変化こそが民主化に期待されていたことを考えれば、こうした民主主義への信頼低下は、完成された民主主義の後退というよりは、民主化が未完であることの帰結ととらえられるべきであろう。

第6章
ソ連解体以後、ロシア政治の分析枠組みは、民主制を理想的な到達点とする「移行論」から、競争的権威主義体制論などの新しい権威主義体制論へと変化してきた。この新しい権威主義体制論でも重視されていたのが国家の脆弱性であり、1990年代の一見民主的な状態も、「統治の程度」、すなわち支配の不在による状況として競争性という別の観点から再考察されるようになった。本稿は、既存の研究文献に基づき、この「統治の程度」という観点からソ連解体以後のロシア政治体制の展開を跡付け、プーチン時代におけるロシアの重層的マシーン政治の成立と、ウクライナ危機以降のマシーン政治の変容を分析するものである。

第7章
民主化以後、多くのラテンアメリカ諸国で民主主義体制が維持される中、民主主義の質の悪さや欠陥として指摘される要素の1つが地方レベルの非民主主義体制である。中央レベルの民主主義体制と地方の非民主主義体制の「体制並存」はなぜ可能なのか。本稿での地方の非民主主義体制の維持をめぐる諸説の整理は、地方の非民主主義体制には大きく2つのサブタイプが存在し、それぞれが異なるメカニズムで存続しているという議論の妥当性を支持する。先行研究の検討を踏まえ、本稿は、従来の議論を発展させるうえで、地方の非民主主義体制が選挙を乗り越えるメカニズムへの着目が有効となりうることを指摘し、今後の研究の方向性を示す。