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内戦後のスリランカ経済

調査研究報告書

2014年3月発行
第1章
これまでのスリランカ経済を振り返るために、歴史的・地理的背景を同じくする他の南アジア諸国とスリランカの比較を行う。スリランカでは独立以来の福祉政策が功を奏し高い社会指標を達成できていたものの、政権交代によって持続的な経済政策が実行されず、経済構造も経済成長も停滞していた。外的ショックに脆弱で、国内のマクロ経済指標もコントロールできていなかった。しかし1978年の経済自由化以降は政権交代があっても政策の継続性は保たれた。停滞期もあったが、90年代以降は内戦下にもかかわらず成長が続いている。特に2009年の内戦終結後は高い成長を実現している。

第2章
スリランカではシンハラ人多数派とタミル人分離主義組織の間での内戦が2009年にスリランカ政府軍の勝利で幕を閉じたが、両民族の亀裂は深い。独立以降、シンハラ人多数派仏教徒の民族主義は、いわゆる「シンハラ・オンリー」主義を1950年代に生み出し、タミル人、特に古くから北部、東部に居住するスリランカ・タミルの権利を圧迫した。しかし、シンハラ人が人口の約7割を占める中では民主主義的プロセスを通じてのタミル人との妥協はならず、それが過激な分離主義の成長を促した。問題を複雑にしたのは同じタミル人を抱える隣の大国インドの存在であった。インドは、タミル・ナードゥ州のスリランカ政府による対タミル人政策に対する反発を無視できず1987年に介入するが、それは結局失敗におわる。スリランカ政府は、タミル人分離主義組織の「タミル・イーラム解放の虎」との内戦、インドの介入という歴史的経験を経た今や、シンハラ人の「多数派の専制」を貫くことはできず、分権化を軸に政治社会の安定化を模索している。その起点となるのが1987年に行われた第13次憲法改正による州(Province)への権限委譲による分権化である。本稿は民族紛争のなかで揺れてきた分権化の展開を分析し、現状を整理する。

第3章
本章では内戦終結後のスリランカの労働市場の基本特性と、労使関係の輪郭を明らかにすることを試みている。データ制約はあるが、統計資料より、スリランカでは若年層、女性、高学歴者の間で失業が顕在化しやすいこと、産業別では第2次産業が雇用吸収面でそのGDPシェアの停滞以上の貢献をしているが、対照的に第3次産業の雇用吸収力が弱いこと、また地域間での産業構造や経済・産業発展の偏りがうかがわれること、等を指摘している。賃金水準については都市農村間格差が大きく、また日雇い労働者という非正規労働に対する需要が拡大していることも示唆された。さらに本章では、賃金の決まり方、団体交渉・労使協定、使用者団体と労働組合、そして社会的対話の機構としての全国労働諮問評議会(NLAC)を取り上げ、労使関係の輪郭を描写している。

第4章
スリランカの国際労働移動は2009年の内戦終結後も拡大傾向を示している。スリランカ経済は海外送金に強く依存した経済構造である。スリランカ人労働者の9割は中東湾岸諸国へ向かう。しかし近年、徐々に渡航先に多様性がみられるようになった。近年、韓国が国内の労働力不足を補うために明確な単純労働者受入れ策を打ち出し、労働力の獲得に成功している。また、スリランカの韓国に対する評価は良く、国際的な評価を高めている。一方、日本はあいまいな労働者の受入れ策である技能実習制度を続けていることから、スリランカでの評価は低下傾向にある。本稿はこれらの現状を把握し、スリランカの海外就労促進政策とアジア諸国の受入れの状況を整理し、今後の課題について検討する。

第5章
津波と内戦という2つのカタストロフィを経験したスリランカ漁業の復興に向けての課題と克服の可能性を論じる。漁獲の大半が沿岸漁業によるものであり、津波被災漁民の再定住地の場所は今後の漁業に大きな影響を与える。また内戦終了により再開された漁業が新たな確執を生み出す可能性がある。漁村が村落単位で発展するためにはローカルエリートであるリーダーの存在が不可欠で、今後は複数の積極的なリーダーと、質的に村落を発展させる核となる漁協の整備が必須である。
スリランカ漁民が潜在的に有する自己快癒力(resiliency)が、壊滅的な被害を受けた漁村を新たに復興させる限度力となるであろう。

第6章
スリランカにおける民間企業は,歴代政府の国有部門重視や政治的なプレッシャーなどがあり,十分な発展を遂げられなかった。ポピュリスト的な政治にスケープゴートとして利用され,政権交代のたびに変更される政策に翻弄されてきたからである。自由化以降,この構図に変化が見え始める。保護がなくなったことで国有企業が立ちゆかなくなるなか、それまで困難な状況下で生き延びてきた地場の民間企業が独自の強みを発揮し始めた。

第7章
As a result of the free education policy (1947) and introduction of Sinhala and Tamil languages as the medium of education, Sri Lanka achieved universal primary education by 1964, then 92% of literacy rate, gender parity and the third Millennium Development Goal of eliminating disparities in enrolment in education. However, present education system faces several major challenges related to poor quality, mismatch of curriculum with existing labour market demands, lack of training for school teachers and inefficient administration. Not only the limited government expenditure on education, but also factors like lack of clear national/state educational policy, un-planned policy changes done by the political leaders from regime to regime, politicization of recruiting procedures of school teachers and administrative staff, lack of proper teacher training, and some recent educational reforms mainly based on foreign donor agencies but not on real needs of the country have been pointed out as main factors for the deterioration of the education system by moderate educationist, researchers and policy makers in Sri Lanka.