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環境政策形成過程の国際比較

調査研究報告書

2011年3月発行
この報告書は中間報告書です。最終成果は
寺尾 忠能 編『環境政策の形成過程——「開発と環境」の視点から——』研究双書No.605、2013年2月発行
です。
第1章
はじめに
第1節 環境政策史という研究戦略
第2節 1980年代中期ドイツにおける環境政策の展開
第3節 おわりに

1990年代以降のドイツは、「環境先進国」と評されることが多い。しかし、少なくとも1970年代から1980年代にかけてのドイツが環境先進国とみなされることはほとんどなかった。そうであるとすれば、ドイツはいつ、どのようにして「環境先進国」へと転換したのであろうか?そこで、本稿は、比較的に注目されることが少ない1980年代に焦点を当てて、ドイツ環境政策の転換期解明のためのてがかりを得ることを目的とする。具体的には、1982年から1986年まで環境政策担当の連邦内務大臣であったフリードリッヒ・ツィママンに焦点を当てて、「環境先進国」への転換期にあったドイツ環境政策の展開を、特に容器包装廃棄物政策に注目して環境政策史の立場から探る。そして、ツィママンは地元ビール産業保護をも目的として、容器包装廃棄物政策を推進したことを示す。

第2章
はじめに
第1節 革新主義時代の保全
第2節 大衆社会における保全
第3節 新保全運動—衡平性と「つながり」の確保
第4節 おわりに

アメリカ合衆国の連邦政府では、そのトップレベル(=広義のホワイトハウスのレベル)に一つ、省庁レベルにもう一つの中央環境行政機関を擁している。設置レベルの異なる二つの中央行政機関の連携による環境行政の推進というアイデアの原型が同国政治史上初めて示されたのは、いわゆるニューディールの時代(1930年代)のことであった。本稿では、このアイデアが発展をみた主要な背景事情の一つとして、20世紀初頭の革新主義時代(progressive era)から1920年代後半にかけての保全概念の変容が保全をめぐる省庁間関係へ影響を及ぼしていたことを示す。近年、さまざまな学問分野で1920年代の同国環境政策に関する史的考察が進み、この時代には、保全(conservation)概念の中身が、資源の経済開発から、野外レクリエーションや社会全体の衡平性(equity)の確保へ拡大し、それがニューディール期の環境(保全)政策の背景となっていたことが指摘されている。複数の学問分野で蓄積されたこれらの知見を「つなげる」作業を通じて、「アメリカの環境(保全)行政組織がいかに誕生したのか」という大きな課題の輪郭が浮かび上がってくる。

第3章
はじめに
第1節 第1期および第2期国務院環境保護委員会の組織と制度
第2節 第1期国務院環境保護委員会の活動
第3節 第2期国務院環境保護委員会の活動
第4節 おわりに

中国では1970年代以来、政府による環境問題への取り組みにあたって、環境行政機構の整備と改革が進められてきた。しかしながら、環境行政機構の発展のみによって環境問題が解決されるわけではないことは、中国の現状のみならず、日本を含めた先進諸国の歴史から見ても明らかである。行政レベルに限って見ても、部門間の総合調整や政策間の調整・統合が必要とされる。しかし、中国の環境政策をめぐる行政部門間の総合調整過程を系統的に明らかにするような研究はまだなく、基礎的な資料の整理にも欠いているのが現状である。本稿では、1984年に国の環境政策に関する部門間調整機関として設置され、1998年に廃止された国務院環境保護委員会の組織と政策活動に注目して検討した。ここではその前史にあたる1984年から1993年までの第1期および第2期委員会の組織と政策形成に関する資料の整理と検討を行ったところ、国務院環境保護委員会は、環境保護局を中心としながら、第1期から第2期委員会にわたって、組織構成員を拡大して、より多くの関係部門を取り入れ、国の環境政策や具体的な環境政策措置に関する審議・発布、各地方・部門の取り組みのヒアリングから、環境外交方針の審議、地方レベルの環境政策実施に対する指導へとその活動範囲を拡大してきたこと、他方で、第2期委員会では具体的な環境政策措置に関する審議の比重が第1期に比べて下がったことなどが明らかになった。

第4章
はじめに
第1節 環境行政の発達過程と環境影響評価法の制定
第2節 環境影響評価法の形成
第3節 環境影響評価制度の概要
第4節 環境影響評価の政治化と環境政策への市民の参加
第5節 環境政策をめぐる社会変動と市民参加

台湾においては、環境政策の進展のためには、政治的自由化と民主化が不可欠であった。行政院環境保護署の設立以後は、個別の汚染規制だけではなく、より包括的な環境管理政策も打ち出されるようになった。環境影響評価制度に代表されるような、新たな開発による環境破壊を予防すると同時に、開発計画予定地周辺の地域や環境保護運動団体等の市民の意見を開発計画に反映し、必要な情報を公開しながら広範な議論にもとづき多様な利害を調整する仕組みが、環境政策、開発政策の中に採り入れられつつある。このように、台湾の環境政策の形成は、市民の意見を採り入れながら経済開発政策に関わる利害を調整する制度が公共行政の一部として定着する過程として、一貫として描き出すことができる。本稿では、民主化以後の環境政策の中で、特に環境影響評価制度の形成とその政治化の過程を見ることによって、以上のような調整過程の形成を明らかにすることを目指す。

第5章
はじめに
第1節 タイにおける公害行政アクターの推移
第2節 マーッタプット工業団地の環境問題-長期にわたる紛争とその経緯
第3節 まとめ

タイの環境政策は、2009年の環境裁判を経て、ひとつの節目を迎えた。2000年代初めにおけるタイの主要な環境問題の解決には、政治家や中央省庁に訴え政治・行政的介入を求めるか、住民団体による激しい異議申し立て行動のほか、対策を迫る訴えの手段が存在しなかった。
しかし2007年前後から、環境法や2007年憲法を根拠に、住民団体などが法的手段に訴えた環境訴訟が相次いで結審した。2009年6月、最高行政裁判所が2007年憲法を根拠に判決を下した環境訴訟では、国家環境委員会・関連大臣5名・工業団地公団など、国の主要な環境機関8カ所が住民団体に敗訴する結果になり、大きな注目を集めた。本章は、タイの環境政策がこのように訴訟を通じて節目を迎え始めた背景を概観し、現在の環境政策の特徴について、タイの事例をもとに報告する。