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クルド人問題への多様なアプローチ:イラン・クルディスタン近況

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.83

山口 昭彦

2017年3月29日発行

PDF (636KB)

  • クルド人問題を「独立を求めるクルド人とそれを弾圧する中央政府」という二項対立でのみ捉えるべきではない。
  • 独立(あるいは自治、連邦制)か弾圧かという二者択一ではない、また、一般の報道では気づきにくい状況として、この地域で日常的に行われている越境的な人や物の移動にも目を向けるべきだ。
  • イランのクルド地域の動向はほとんどメディアでは伝えられないが、イラン=イラク関係やクルド地域間の越境的なつながりを考える上で重要なファクターとなりつつある。
クルド人問題への関心の高まり

混迷を極める中東地域にあって、クルド人への関心が高まっている。かつてクルド人と言えば、トルコ、イラク、イラン、シリアなどの国境地帯にまたがって暮らす「悲劇の民」としてかろうじて知られる程度であった。しかし、21世紀に入って中東政治が大きく流動化するなかで、クルド人の存在感は確実に増している。一つの分水嶺が、2003年のイラク戦争によるサッダーム・フセイン政権の崩壊であった。すでに湾岸戦争後から実質的にイラクのクルド地域を統治していたクルディスタン地域政府(KRG)はこれを機にイラク国内では例外的な安定した政治・社会秩序を作り上げ、日ごと複雑化する中東政治の主要なプレーヤーとしても振る舞うようになっている。トルコにおいても、かつてはタブーとされたクルド人問題が今や公然化し、トルコの将来を左右する課題の一つとして認識・議論されるようになった。このように広く国際社会にクルド人の存在が認知され、その動向には日本国内でも徐々に目が向けられるようになってきた。

とはいえ、クルド人問題として焦点があてられるのは、もっぱらトルコやイラクの場合、そして最近ではシリアの場合に限られる。それにはもちろん理由がある。トルコやイラクでは、過去半世紀近くにわたり、さまざまな政治組織が自治要求(あるいは独立)運動を展開し、時に激しい武装闘争を繰り広げてきた。その結果、イラクでは上記クルディスタン地域政府が誕生し、最近では独立をうかがうまでになっている。トルコでも、1980年代半ば以降、クルディスタン労働者党(PKK)が政府に対する激しいゲリラ戦を展開し、双方に多くの犠牲者を生み出しつつも、クルド人問題の存在を内外に知らしめることに成功した。アサド政権の徹底した抑圧によってクルド人の存在さえほとんど知られなかったシリアでも、2011年以降の内戦を背景にクルド系ゲリラ組織が台頭し、シリア北部に一種の解放区を作って連邦制を主張するなど、その動向がシリアの将来に影響を与える可能性も秘めている。

イランのクルド人問題

他方、イランのクルド人問題はといえば、ほとんど報道されることはない。むろん、イランでもクルド人の民族主義運動は長い歴史をもっている。むしろ、トルコやイラクに先駆けて第2次世界大戦中に民族主義組織「クルディスタン民主党」を立ち上げ、1946年には小さいながらも自治政府「クルディスタン共和国」を樹立することに成功している。この政権自体は1年足らずで中央政府によってつぶされてしまうが、その後も、イラン・クルディスタン民主党などの政治組織が、イラン革命(1979)やイラン=イラク戦争(1980-88)など流動的な状況が生まれるたびに自治を要求してきた。とはいえ、1990年代以降は、散発的な動きはあるものの、クルド系組織による目立った武装闘争は報告されていない。

このように、現在、イランにおいてクルド人問題が大きな政治問題として先鋭化することはなく、海外のメディアで取り上げられることもまずない。もちろん、このことが、イランにおいてはクルド人の民族的権利が十分に保障され、彼らが現在のイランの体制を進んで受け入れている証左であると言うことはできない。実際、あまり注目されないが、クルド人活動家が捕らえられて処刑されるなど、民族主義的な権利要求が制約を受けているのもまた事実だからである。

イラン・クルディスタンの越境貿易とイラン政府の自信

他方、現在のイランのクルド地域を歩いてみればすぐに気づくが、政治的にも社会的にも安定し、経済的にはむしろ活況を呈しているとさえ言える状況が生まれている。とくに、イラクのクルド地域との間で国境を越えた人や物の移動がいっそうさかんになっている。実際、個人的な経験からしても、イランのクルド地域の中心都市サナンダジュの発展は目覚ましい。過去30年近く、とくに近年は毎年のようにこの町を訪れているが、1989年、イラン=イラク戦争直後にはじめてこの町を訪問したときには、経済的に立ち後れたイランの田舎町といった印象しかなかった。しかし、ここ数年、ショッピングモールがいくつも作られ、新たに高級ホテルが建設されるなど、少なくとも表面的には経済成長が著しい。この背景に、越境貿易が大きな役割を果たしていることは言うまでもない。

2016年秋、マハーバード(西アゼルバイジャン州)とサナンダジュ(コルデスタン州)を訪れた。いずれもイラン・クルディスタンを代表する都市である。マハーバードではマハーバード県庁、サナンダジュではコルデスタン州庁を訪問し、職員らと議論する機会があった。そこで強調されていたのも、国境を越えた経済活動の重要性である。イラク・クルディスタンへの食品等の輸出、イラク産原油の精製と再輸出、イラクからの観光客誘致などが、この地域の経済発展の柱として位置づけられていた。しかも、こうした地域振興のための政策立案については、中央政府からある程度の裁量が地方自治体に認められているという。従来、クルド人問題の背景の一つとして経済的停滞や失業率の高さなどに対する不満があげられてきたが、この地域の現状は、そうした不満を一定程度、和らげる機能を果たしているようであった。

イラン政府としては、自治要求運動などは断固として容認せず、非合法の密貿易も厳しく取り締まるものの(実際、クールバールと呼ばれる荷担ぎ人夫が国境警備隊によってしばしば射殺されることが社会問題化している)、地方行政機関を主体とする越境的な経済活動や、クルディスタン地域政府との関係構築については、この地域の安定やイランの利害に資する限り、これを容認しているのは明らかだ。また、こうした「寛容な」対応は、ロウハーニー政権になってから、サナンダジュにあるコルデスタン大学などでクルド語教育が認められるようになっていることとも軌を一にする。 クルド人の分離主義的な動きには常に警戒を怠らないものの、その民族文化の維持には一定の配慮を示すなど、イランが多民族国家としての国民統合に相当の自信をもっていることがうかがえる。

おわりに

こうした状況は、クルド人問題を「独立を希求する少数派とそれを弾圧する中央政府との対立」という視点から捉える限り、見えてこないものである。しかし、イラク側との人や物の往来は、イランのクルド社会や周辺のクルド地域との関係を確実に変化させるだろうし、今後のイランにおけるクルド人問題の動向をも左右するであろう。同時にまた、越境的な経済活動の容認は、イラン政府が、国内のクルド人はもとより、イラクやクルディスタン地域政府など周辺地域に対してどのような立場や戦略で臨もうとしているのかを知るための重要な手がかりとなるにちがいない。

(やまぐち あきひこ/聖心女子大学・文学部)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。