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「アラブの春」と日本の対応

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.3

2012年8月31日
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2010年12月のチュニジアでの若者の焼身自殺を契機に始まった、中東・アラブ世界のいわゆる「アラブの春」は2011年を通じて様々に展開し、チュニジア・エジプトおよびリビアにおいては各々政治体制の転換に至った。この政治的な変動は2012年に入ってもシリアおよびイエメン等を揺るがし、予断を許さない情勢が続いている。

事態の展開を簡単に振り返ると、まずチュニジアでは1月14日にベン・アリー大統領が国外逃亡して体制が崩壊した。その後1月25日にはエジプト・カイロのタハリール広場で抗議デモが拡大、2月11日にはムバーラク大統領が退陣してエジプトの体制も崩壊した。リビアでは2月15日にベンガジで最初の反政府デモが勃発、28日には政府による反体制派への空爆が開始された。

こうした動きは2011年初頭の段階で北アフリカのアラブ各国からシリア・ヨルダン方面、またアラビア半島や湾岸各国にも飛び火し、1月4日にはレバノンのサアド・ハリーリー内閣が総辞職、14日にはヨ ルダンで、また18日にはイエメンで反政府デモが勃発している。2月10日にはイラクの各都市でデモ、2月14日にはバハレーンでシーア派住民の抗議デモがあったが、3月14日にはGCC合同軍がバハレーンの デモ隊を鎮圧している。他方3月中旬からはシリアの地方都市で反体制デモが行われ、これに対してアサド大統領は国軍・諜報機関を動員して徹底的な弾圧に踏み切った。

その後リビアでは8月23日に反体制派が首都トリポリの全域を制圧、10月にはシルトが陥落してカッザーフィー大佐らを殺害、全土の開放が宣言された。他方チュニジアでは10月23日に制憲議会選挙が実 施され、穏健イスラーム政党アンナハダが勝利している。またエジプトでは11月28日には人民議会選挙の第1回投票が始まり、3回に分けた選挙の結果が2月25日発表され、組織力に勝るムスリム同胞団 系の自由公正党(58%)とサラフィー主義のヌール党(25%)が議席の8割以上を占めた。

こうしたアラブ世界における政治体制の変化は国や地域による違いも大きいとはいえ、全体としてイスラーム政党の発言力を増大させる結果になっており、中東地域全体の従来の政治システムに対する大きな揺さぶりを意味している。その事が象徴的に表れているのがシリア情勢をめぐる現在の動きであり、アサド体制の国民に対する容赦ない武力弾圧に対して国際社会の声を代弁すべき国連の安全保障理事会は、未だに見解を統一して有効なメッセージを発すること すら出来ていない。

さらにこうした閉塞状況に輪をかけるようなかたちで11月以来、イランの核問題をめぐる情勢が緊迫の度を深め、中東情勢は先行きが極めて不透明な現状になってきている。これは11月8日にIAEAがイラ ンの核開発疑惑に関して新たな報告書を提出したことにより米国およびEU 各国が新たな制裁の強化に踏み切ったことから始まった。

イラン国会はこの動きに対抗して11月27日にイギリス大使の追放を決議、若者を中心とする抗議団が英国大使館を襲撃した。その後イラン側は12月末にはペルシャ湾岸で大規模な軍事演習を行うとともにホルムズ海峡の封鎖を示唆、イラン国内の核施設への先制攻撃を検討するイスラエルとの軍事的な緊張がエスカレートしている。

他方でアメリカは2001年以来のアフガニスタンにおける「テロとの戦い」で現在13万人規模で駐留している米軍の兵力を、2014年までに数万人規模にまで撤退することを計画しており、2011年5月1日のオサーマ・ビン・ラーディン殺害作戦の成功はそのための戦略的な転機になった。アフガニスタンのカルザイ大統領は2014年以降も一定規模の米軍の駐留継続と同国の国軍・警察への経済的支援を求めているが、この地域におけるアメリカの軍事的なプレゼンスが全体として縮小の傾向にあることは明らかである。

日本では2011年3月11日に東日本大震災に見舞われ、福島第一原子力発電所が深刻な事故に至った。その結果2012年3月26日現在で国内に54基ある原子力発電所のうちで稼働しているのは泊原発1基のみである。こうした現状を背景に現在エネルギー政策の見直しが行われているところであるが、ひとつ明らかなことは、石油・天然ガスといった化石燃料への依存を維持・強化する以外に少なくとも今後当面 は選択肢がないということである。

それ故日本の安全保障の根幹的な部分が中東地域の政治情勢と切り離せないという現状は、今後とも長期的に続くものと思われる。その場合日本として中東の情勢について情報を収集・分析することの必要は明らかであるが、それに加えて日本が積極的に関るべき外交的な課題は2点ほどあると考えられる。

(1) ひとつはペルシャ湾岸地域における石油の安定的な供給を確保するために、イラン・イラク・GCC諸国・アフガニスタン・パキスタンなどの中東地域の東側部分における安定した国際的な平和システムの構築に関与することである。このための日本の外交的な資源として、日本はイラン・パキスタン・GCC諸国のいずれとも良好な関係を保っており、またイラク・アフガニスタンの復興事業にも積極的に関わってきたということがある。

日本としては今後、とりわけイランとイスラエルとの紛争勃発を回避するよう外交的に努力していくことが求められるであろう。またアフガニスタンの復興についても経済・社会的な分野での支援、また教育の普及や女性の社会参加を促すための支援を継続していくことが不可欠であろう。

(2) もうひとつの課題は、エネルギー供給のペルシャ湾岸地域への依存を逓減させることである。日本は近年イランからの原油供給量を減らしているが、この部分をGCC諸国からの輸入増に頼るだけでは日本のエネルギー政策として十分とはいえない。これではホルムズ海峡という戦略的な要地の政治的安定に左右されるという構造的な問題は解決しないからである。

これは一面で日本が化石燃料に依存する限り宿命的について回る問題ではあるが、それだけにそのリスクを分散させるという不断の努力が不可欠であることは疑いない。その意味で中東地域の産油国として現在国際的な支援を最も必要としているリビアの国家建設のプロセスに、日本としても積極的に関わっていくことの意味は少なくないものと思われる。

リビアについてはマグレブ地域随一の産油国としてこれまでEU 主要国との関係が強かったが、体制崩壊後の現状はチュニジアやエジプトと比べても部族主義的な傾向が強く、国家としての統一の維持すら危ぶまれている状態である。日本としてリビアの復興に貢献することは両国関係の将来的な発展にとって有益であり、それは日本のエネルギー政策にも資するところがあるのではないか。

日本の中東地域との関わりは、以上のようにエネルギー政策と切り離すことが出来ない。だがそこを出発点として相手国の必要とする広義の資源、例えば水資源や都市環境、農業技術、教育・保健制度を提供していくという双方向の関係を構築していくことが重要であり、これによってこそ中東地域における日本の存在もより確固たるものになるであろう。

(すずきひとし/地域研究センター主任調査研究員) 

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。