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レポート・出版物

タイ国王の逝去——10月13日後の変化をたどる——

海外研究員レポート

バンコク

小林磨理恵

2016年12月発行

PDF (3.16MB)

「その時」の到来

「その時、私は外で夕食をとっていた。食堂のテレビが突然別の画面に切り替わると、まもなく国王が崩御されたことを知った。それ以降、いっさいの食事は喉を通らなかった」。

ある老女は、プミポン国王が逝去した翌日のテレビで涙をこらえてこう語った。「その時」とは、まもなく時計の針が夕刻の7時を指そうかという瞬間である。何の脈略もなくテレビの映像がぶつっと途切れ、白黒の画面でアナウンサーがプミポン国王の逝去を報じた。

2016年10月13日に逝去したプミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世)は、同年6月に在位70年を迎え、戦後から長期に亘りタイの社会経済的発展に貢献したと知られている。その功績と人徳から、タイ国民の精神的支柱となり、広く敬愛を集めた。多くの国民が口をそろえて「自分が生まれた時にはプミポン国王が存在した。以前の国王の治世を知らないし、国王の崩御に直面するのも初めてのことだ」という。国民は経験したことのない喪失を抱え、老若男女問わず、涙を流して国王の死を悼んだ。今後の行く末に少なからぬ不安も抱いている。

日本を含む外国の報道機関は、国民が嘆き悲しむ姿をもってタイ国王の逝去を報じた。それはタイ国内でも同じである。連日の新聞は、王宮周辺に集結した数千、数万ともいわれる群集や涙を流す国民を写した写真を大きく掲載した。こうした報道を通じて国民は悲しみを他の大勢と共有しているようにも思われた。一方で、タイ人はこの光景が外部の目にどう映っているかを冷静に意識してもいる。「ファラン(=欧米人)には理解されないけれど」という枕詞を添えて、国民がプミポン国王を慕い、その逝去に涙を流す理由を説明するタイ人に幾度となく出会った。もう少し踏み込んで、外部の目を語るタイ人もいた。「ファランに、某国の指導者が逝去した時の国民を見ているようだと言われた。最初は何のことやら分からなかったけれど、その後調べてみて、某国の当時の写真に行き着いた。タイ人の涙は強制されたものではない」。

白黒の街へ

一方、国王——それも絶大な信頼を得ていた——の逝去という国家の一大事を経て、予想された混乱はほぼみられなかったばかりか、まるでリハーサルを重ねていたかの如く数々の変更が首尾よく遂行された。逝去翌日の衣服店では、どこにこれだけの在庫があったのかと驚くほど、黒いTシャツやブラウスだけを大量に売り出していた。翌々日には、主に公的機関の外壁にあった黄色と水色の二色の布の装飾(黄色はプミポン国王の誕生曜日、水色はシリキット王妃の誕生曜日を示す)が取り外され、弔意を示す白黒二色の布に変わった。各所に掲げられていた王室の写真は、プミポン国王単独の肖像画へと徐々に変更された。フアランポーン駅(バンコク中央駅)には美しい祭壇が用意され、記帳の順番を待つ長い行列ができていた。通常は広告を映す大型スクリーンや鉄道車両内のテレビ画面、またATMの画面に至るまで、あらゆるスクリーンはそろって白黒のプミポン国王の肖像と追悼メッセージを表示した。街の風景は、3日も経たずに一変し、色を失った。国民は「その時」が訪れないことを心から願いながら、どこかで覚悟もしていたのだろう。

国王逝去翌々日の国防省(10月15日)

国王逝去翌々日の国防省(10月15日)

フアランポーン駅の祭壇(10月15日)

フアランポーン駅の祭壇(10月15日)

サイアム・パラゴン脇の大型モニター(10月17日)

サイアム・パラゴン脇の大型モニター(10月17日)

祭壇設置を見守る人々(マハーラート船着場、10月18日)

祭壇設置を見守る人々(マハーラート船着場、10月18日)

手持ちの服を黒く染めるサービスも現れたほど、黒い服の需要は急増し、一時的に黒い服は品薄となった。しかししばらくすると、プミポン国王の肖像やラーマ9世の「9」をデザインした様々な種類の黒シャツが出現した。「私はプミポン国王の治世に生まれた」というメッセージ入りの黒シャツを着ている人もちらほらと見かける。この言葉が、現代のタイ国民の誇りを端的に表現しているように思われる。一般国民の服喪期間は30日間(政府関係機関は1年間)であるが、国王逝去から2カ月が経過した現在もなお、多くの人々が黒か白の服を着用している。自主的に1年間は喪に服すのだという。本来彩り鮮やかな衣服を好むタイ人が多いなか、白黒二色の光景にはある種異様な感覚を覚えるが、しばらくは「黒服特需」が続行する。

王宮に集う

大きな喪失を得て、しかし悲しみにくれて家に閉じこもっていた国民はごく僅かであろう。プミポン国王逝去直後から王宮に弔問に訪れる人々が絶えない。弔問して王宮前広場の祭壇に花を手向けた後は、無料で配布されるお弁当を食べたり、無料の散髪サービスやマッサージを受けたりしてリラックスする。あるいは王宮近辺の路上に大量に売り出されたプミポン国王の肖像画からお気に入りのものを探す。そして、シラパゴーン大学(芸術大学)の壁面に学生が描いた同国王の肖像画の前で記念撮影をする。およそこうした流れを踏んでいる。「撮影無料」の札を提げて記念撮影をお手伝いするボランティアも登場したほど、王宮周辺は写真が大好きなタイ人の記念撮影スポットとなった。王宮周辺には数多くのボランティアが集結し、「国王のために良いことをする」を合言葉に弔問に訪れた人々に各種サービスを提供し、大量に発生するごみの回収なども進んで行っている。写真撮影ボランティアもその一環だ。

夕刻の王宮前広場(10月26日)

夕刻の王宮前広場(10月26日)

シラパゴーン大学の壁面(10月18日)

シラパゴーン大学の壁面(10月18日)

「アイスクリーム無料」(10月18日、王宮周辺)

祭壇設置を見守る人々(マハーラート船着場、10月18日)

王宮周辺に売り出されたプミポン国王肖像(10月18日)

王宮周辺に売り出されたプミポン国王肖像(10月18日)

王宮前広場の学生ボランティア(10月26日)

王宮前広場の学生ボランティア(10月26日)

王宮前広場の散髪ボランティア(10月26日)

王宮前広場の散髪ボランティア(10月26日)

「自粛ムード」?

長蛇の列や人だかりの先にあるものは、まず間違いなくプミポン国王関連の商品である。その多くは、同国王を追悼する新聞や雑誌の特別号、同国王の肖像画や記念切手、または記念紙幣である。こうした商品は「自粛ムード」とは無縁の存在であり、売る方も遠慮なく売り出し、買う方も見境なく買い集める。

プミポン国王逝去以降、街角の新聞屋は活況を呈している。朝7時には、早くもいくつかの新聞が品切れになる。なかでも人気を博したのは、「歴史版」と銘打たれたデイリーニュース紙の特別号である。デイリーニュース紙歴史版は、同国王逝去翌日(10月14日)の紙面内容に若干の変更を加え、用紙を上質紙に変えたもので、同月18日に20バーツで発売された(通常は10バーツ=30円)。この日の早朝、路上で不可解な場面に遭遇した。長い行列の先で、バイクの運転手が荷台に山と積まれたデイリーニュース紙歴史版を直売しているのである。いうまでもなく、新聞は新聞屋やコンビニで売られるものであり、バイク運転手が売っている様子は見たことがない。ここからは推測だが、このデイリーニュース紙は、その30メートルほど先にある新聞屋に届けられるはずだったのではないか。しかしその途上、何かの事情で人に囲まれてしまい、バイク運転手はその場で売らざるを得なくなった。事実、近くの新聞屋は、翌日に「デイリーニュース紙歴史版の予約は全てキャンセルさせてください」というお詫びの看板を掲げた。新聞屋のお怒りは相当なものだと察せられる。以降この新聞屋は、デイリーニュース紙を取り扱わなくなってしまった。デイリーニュース紙を買いたいと訪れる客も何度か見かけたが、もう販売しないのだという。同紙の発行部数はタイ語日刊紙の上位に位置するにも関わらず。

隣駅の新聞屋ではどうだろうかと足を延ばしてみたところ、やはりデイリーニュース紙歴史版に人が群がり、10部以上購入する人もあった。テレビ局がその様子を取材していたほどである。後日の王宮周辺では、古い記念紙幣と共に、包装された同紙歴史版が丁寧に売られていた。

人々は国王逝去を伝えた新聞の歴史的価値を充分に理解し、美しい状態で長く手元に残して、生まれくるプミポン国王の治世を知らない子や孫に継承したいと願っている。12月に入り、百貨店サイアム・パラゴン内の会場で、長期保存のために新聞に薬品加工を施すイベントまで開催された。液体薬品をスプレーし、アイロンを当てる。この加工により、向こう10年は美しい状態が保たれるそうだ。防水効果を証明するため、その場で新聞に水をかける実演もしてくれた(加工済みの新聞紙は見事に水を弾き、集まった人々を感嘆させた)。多くの人が後世に残したいお気に入りの新聞を持ち込んだ。薬品加工は、ラーマ9世にちなんで先着999名に2ページまで無料だが、全ページに施すと890バーツ=2700円となり、少々高額である。バイク運転手から購入した新聞を持参した筆者は無料サービスを受けるに止めたが、全ページの加工を希望し、長時間の順番待ちに耐える人の姿もあった。

バイク運転手による新聞の直売(10月18日)

バイク運転手による新聞の直売(10月18日)

新聞購入者に街頭インタビュー(10月18日)

新聞購入者に街頭インタビュー(10月18日)

新聞もきれいに包装されて売られる(10月25日)

新聞もきれいに包装されて売られる(10月25日)

長期保存のための加工(12月10日)

長期保存のための加工(12月10日)

ある女性誌の終焉

11月のある朝、いつもの新聞屋で新聞を眺めていると、ご主人が小声で「これを良く見てごらん」と言って、真っ白な雑誌の表紙を見せてくれた。何の雑誌か一目では分からない。しかし良く見ると、凹凸でプミポン国王の肖像が表現されている。『a day』誌の国王追悼特集号であった。「これは白くて何だか分からないからまだ誰も気づいていないけれど、いずれすぐに売れてなくなってしまう。もし欲しければ、早く買った方が良い」。なかには厚手の紙に描かれた同国王の肖像が何枚も入っていた。この付録はタイ人にとって何より嬉しい特典だろう。ご主人のおっしゃるとおり、夕方には店から姿を消していた。新聞屋で同誌に再会したのは、初版から1カ月以上を経て第二刷が発行された最近のことである。

新聞と同様、国王追悼特集を組んだ雑誌は飛ぶような売れ行きをみせている。全ページで同国王を特集した『プレーオ』誌特別号や『サーラカディー』誌が特に人気を集めているが、これら特定の数誌に限らず、あらゆるジャンルの雑誌が表紙に同国王の肖像を選んだ。書店の雑誌コーナーを訪れれば、雑誌を開かずともプミポン国王の若かりし頃から近年までの肖像を拝むことができるほどだ。

書店B2Sの雑誌コーナー(12月10日)

書店B2Sの雑誌コーナー(12月10日)

大人気の『サーラカディー』誌(12月2日)

大人気の『サーラカディー』誌(12月2日)

多種多様な雑誌が、内容の多少に差こそあれ、自誌の専門分野を切り口に同国王の生涯を活写する。例えば男性誌の代表格である『GM』誌や『ELLE MEN』誌では、同国王が音楽やカメラ、絵画など多様な趣味に興じた様子が描かれたり、同国王の思い出を語る男性——著名人から一般市民まで——が様々に登場したりする。旅行誌の『ニーグルン』誌は、美しく自然豊かな農村の写真を次々と並べ、そこが同国王の主導の下に農村開発プロジェクトが実行された地であると説明する。なかでも印象的な特集号は、『スッサプダー』誌であった。通常は若者のファッションや生活文化を取り上げる雑誌だが、本号では、地方に暮らし様々な職業に従事する幅広い年代の「普通」の人々に着目し、かれらの人生とプミポン国王との接点を描写した。色鮮やかな写真の数々は、同国王を語る人物とその生活空間——主に自宅、職場——であり、そこには必ず同国王の肖像画が掲げられている。タイ国民の日常に同国王の存在が深く浸透している様相を読み取れた。こうした雑誌の国王追悼特集は、いずれも永久保存版を目指して編集されており、一冊の単行書に匹敵する充実した内容を誇る。

プミポン国王の逝去から遡ること約1カ月、2016年9月14日に『サグンタイ』誌が10月31日号をもって終刊することを予告した。実に61年もの歴史を有する女性誌である。同誌に限らず、いくつもの雑誌が、情報のオンライン化に伴う冊子体の売り上げ減少を背景に廃刊に追い込まれている。伝統ある雑誌も時代の流れに抗えなかった。

『サグンタイ』誌終刊号の発売日に新聞屋を訪れると、そこには終刊号を求めて何人もの女性が集まっていた。ご主人いわく、「もう品切れ」。隣の女性はいかにも残念そうな目でこちらを見遣った。予約しておくべきだったと後悔先に立たず。しかし、翌朝に同じ新聞屋に出かけると、ご主人が奥からこっそり終刊号を持ってきてくれた。「昨日は人が集まりすぎて、全員に売る分はなかったけど、本当は少し残っている」。長年の愛読者を差し置いて外国人が手にしてしまうことにいささかの躊躇いを感じつつ、ありがたく購入した。通常の3倍ほどの厚さの終刊号は、「永遠に心に刻む」と言葉を添えてプミポン国王の肖像を表紙に据え、国王追悼特集を兼ねた。同国王が登場した過去の表紙を並べて、同国王の生涯と『サグンタイ』誌の歩んだ歴史を重ね合わせる。同誌の終刊は、時代を共にした国王の逝去と重なることで、一つの時代の終焉を一層印象づけることとなった。

そして次の時代へ

バンコクでは、大きなブックフェアが例年3月末~4月初旬と10月中旬の計2回開催される。2016年10月のブックフェアは、開催期間中にプミポン国王が逝去し、その時点で中止になるかと思われたが、通常と変わらず多くの本好きが足を運び、最終日まで賑わいをみせた。日を追って会場の雰囲気は国王追悼ムードを色濃くしていく。どのブースでも同国王に関する書籍を一番目立つところに置いた。最終日までに、マティチョン社のブースには立派な祭壇が設けられ、手を合わせる人の姿も見受けられた。一方その隣では、国王逝去翌日の日刊マティチョン紙や追悼特集を組んだ週刊マティチョン誌が販売され、相変わらず盛況を博していた。

国内最大規模のブックフェア(10月19日)

国内最大規模のブックフェア(10月19日)

マティチョン社による新聞・雑誌直売(10月21日)

マティチョン社による新聞・雑誌直売(10月21日)

ところで、バンコクでは、その後に同年3回目となるブックフェアが開催された。その名も「国王のブックフェア」。12月1日からの5日間に亘って開催された本イベントでは、プミポン国王や王室に関連する書籍、同国王の追悼特集を組んだ雑誌などが多数販売されたほか、同国王関連の書籍の著者が次々と登壇し、自著を語るトークイベントも同時開催された。同国王の生涯を描いた漫画の編集者は、「漫画は子どもたちにプミポン国王の偉業を伝えるため」「漫画なら楽しく読める」と繰り返し述べて、漫画が果たしうる役割の重要性を強調した。続いて登壇した『国王と王族の遺体の伝統』(2016年10月に第三版刊行)の著者は、ラーマ8世以前の国王の葬儀を写した貴重な写真を披露しながら、王族の葬儀の伝統様式を丁寧に説明した。プミポン国王の葬儀はおよそ1年後に予定されている。多くの国民は国王の葬儀を経験したことがなく、今後の推移には関心も高い。

「国王のブックフェア」初日は、ワチラロンコン新国王(ラーマ10世)即位の発表と重なった。現在のところ、新国王を詳しく紹介する書籍は数少ないものの、新国王誕生を伝える新聞や、同国王の肖像を表紙に据えた週刊マティチョン誌を手に取る人の姿も見られた。同イベントを振り返って、主催したマティチョン社の社長はこう語っている。「人々は現在もラーマ9世を深く思い、偲んでいる。しかし、それと同様に、国王陛下(ラーマ10世)の肖像を探し求める人も数多く見受けられた。これは、タイ人が変化を良く理解できているということだ」。(Matichon Raiwan 2016.12.9

新国王誕生を伝える日刊紙・週刊誌と共に(12月4日)

新国王誕生を伝える日刊紙・週刊誌と共に(12月4日)

『国王と王族の遺体の伝統』著者(左)が語る(12月4日)

『国王と王族の遺体の伝統』著者(左)が語る(12月4日)

30日間の喪が明けた後、街中にあるスクリーンは、追悼メッセージから通常の広告に戻った。久しぶりにカラー映像を見たような気がした。色を黒に落としていた新聞の題字は、数紙を除いて本来の色を取り戻した。忘れかけていたが、タイポスト紙の題字は青で、バーンムアン紙のそれは赤である。黒い服ばかり売っていた衣服屋は、黒い服の間に他の落ち着いた色の服を交えるようになった。11月29日に暫定議会がワチラロンコン皇太子の王位継承を承認し、12月1日に新国王の即位が発表されると、新聞や週刊誌は新国王の肖像を大きく掲載し、祝福ムードを漂わせた。街のそこかしこには、ワチラロンコン新国王の肖像が掲げられ始めた。映画館で映画上映前に流れる国王賛歌の映像は、同新国王の肖像に切り替わった。タイ社会も、前国王を偲ぶタイ人の気持ちも、静かに、しかし着実に変化している。

プミポン前国王(左)とワチラロンコン新国王(右)(12月11日)

プミポン前国王(左)とワチラロンコン新国王(右)(12月11日)

新国王とその姉妹の写真を表紙にした三大週刊誌。同じ写真が使用されることは珍しい。(12月10日)

新国王とその姉妹の写真を表紙にした三大週刊誌。同じ写真が使用されることは珍しい。(12月10日)

(注)本稿に掲載した写真はすべて筆者の撮影による。

参考文献


新聞

  • เดลินิวส์ ฉบับประวัติศาสตร์ (Deliniu Chabap Prawatisat) 2016.10.18.
  • มติชน รายวัน (Matichon Raiwan) 2016.12.9.

雑誌

  • A Day (Vol.17 No.195)
  • Elle Men (Vol.38)
  • GM (Vol.31)
  • หนีกรุง (Ni Krung) (Vol.47)
  • แพรว ฉบับพิเศษ (Phraeo Chabap Phiset) (Vol.38 No.893)
  • สกุลไทย รายสัปดาห์ (Sakun Thai Raisapda) (Vol.62 No.3237)
  • สารคดี (Sarakhadi) (Vol.32 No.380)
  • สุดสัปดาห์ (Sutsapda) (Vol.34 No.812)

図書

  • นนทพร อยู่มั่งมี, 2016, ธรรมเนียมพระบรมศพและพระศพเจ้านาย พิมพ์ครั้งที่ 3 (Thamniam Phraborommasop lae Phrasopchaonai phim khrang thi 3), มติชน.(『国王と王族の遺体の伝統 第三版』)
本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。