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ボストンのチャイナタウン

海外研究員レポート

米国

2015年8月発行
PDF (1.0MB)
ボストンのチャイナタウン *

1. はじめに
ボストン市のチャイナタウンは街の中心の一角にあり、近くにはアメリカの建国史にゆかりのある観光名所も多い。中華料理をはじめとしたアジア料理を楽しむため、チャイナタウン以外の住民もたくさん訪れる活気ある街だ。しかし、相対的に所得の高い層が多く移り住んで来ることで、家賃相場が上がってしまい、既存の住民が住み続けられなくなるという現象(ジェントリフィケーション)が、ボストン市のチャイナタウンにおける中国系住民のあいだで問題になっている。なお、本稿における中国系住民とは、中国国籍を保有したままアメリカに暮らす華僑と、アメリカ国籍を有する華人の双方を含んでいる。中国系住民の数そのものはアメリカ全体で見れば急増しているが、居住エリアを個別に見ていくと、その範囲の維持に問題を抱えているところもあるようだ。ジェントリフィケーションという当該エリアの高級化は、立場が異なれば、その意味も異なってくる。多くの都市で発生しているジェントリフィケーションについて、本稿ではボストン市のチャイナタウンから見た立場をその一例として紹介したい。

2. 概観
チャイナタウンの範囲については様々な主張があるため、誰もが納得する面積を示すことは難しいが、約0.3~0.4平方キロメートルの縦長のエリアである 1 。これは東京ディズニーランド(0.51平方キロメートル)とくらべると、6割弱から8割弱の大きさだ。北側にはレストランや商店が多く、中国系以外もよく訪れるエリアである(図1、図2)。チャイナタウンにおける店舗として、レストラン(ファストフードを含む)の数はとくに多く、1階に店舗を構える113店のうち、中華料理を提供するのは44店、中華料理以外のアジア料理(日本料理など)を提供するのは21店ある(Asian American Legal Defense and Education Fund, 2013)。一方、南側にはアパートメントなどの住宅が建ち並び、中国系住民が多く暮らしている(図3、図4) 2 。南側は中国系以外が訪れることは少ないかもしれないが、こちらにも中国語の看板を掲げた店舗や学校、教会などが点在している。

図1 ビーチ通り
図1 ビーチ通り
出所:筆者撮影
図2 タイラー通り
図2 タイラー通り
出所:図1に同じ
図3 タイタン・ビレッジ
図3 タイタン・ビレッジ
出所:図1に同じ
図4 キャッスル・スクウェア
図4 キャッスル・スクウェア
出所:図1に同じ

このチャイナタウンにおける中国系住民の数は約5,000人である(表1)。チャイナタウンには中国系住民以外も多く住んでおり、全住民数が約12,800人であることから( Boston Globe 紙、2015年4月1日付)、中国系住民は全体の約40%を占める。白人をはじめとした中国系以外の流入は増えているものの、チャイナタウンの中国系住民の数は1990年代から微増あるいはほぼ横ばいで推移しているため、全体に占める割合は下落傾向にある。中国系住民が組織する団体の努力もあって(後述)、中国系住民の減少という事態には陥っていないものの、手ごろな家賃の空き物件は少ないため、中国系住民が増えていく見込みはほとんどない。一方で、チャイナタウンを除くボストン市や、周辺都市の中国系住民の数は急増している。とくに、1980年代以降は、移住目的や生活様式が多様化するようになったこともあり、生活拠点の分散化は勢いを増している 3 。その結果、1990年にはボストン市やその周辺の全中国系住民のうち14.0%がチャイナタウンに住んでいたが、2010年には6.9%にまで減少した 4 。とくに、ボストン市の南に位置するクインシー市と、北に位置するモールデン市で、中国系住民の数が急増した。ともにチャイナタウンの近くから地下鉄一本でアクセスできるため、チャイナタウンに職場のある者や、共用施設(コミュニティセンターなど)を頻繁に利用する者にとっては利便性が高い(Chinsen氏へのインタビュー) 5

表1 中国系住民の数、1990~2010(単位:人)
表1 中国系住民の数、1990~2010(単位:人)
出所:1990年および2000年はLo (2006)、チャイナタウンを除く2010年はLo (2012)、2010年のチャイナタウンはLiu研究員へのインタビューより。

つぎに、世帯収入を見ると、チャイナタウンに住むアジア系(多くは中国系)のそれは相対的に低く、2005~09年の中央値で13,057ドルであった(Asian American Legal Defense and Education Fund, 2013)。パートタイム労働者としてレストランやホームヘルスケア、ホテルなどに従事する者が多いことが一因である。また、退職した高齢者が多いということも関係している。退職者の子ども世代の多くは住環境の良い郊外に引っ越してしまうが、自身は友人・知人も多く、この住み慣れたチャイナタウンに留まることも多い。

3. チャイナタウンの形成とジェントリフィケーションの波
ボストン市におけるチャイナタウンの形成は1870年代にはじまった(Chu, 1987;To and Chinese Historical Society of New England, 2008)。このころ、マサチューセッツ州西部の工場における機械化や、アメリカ西海岸における余剰労働力の問題などが起きたため、当地の中国系労働者がボストンやアメリカ東海岸にチャンスを求めてやってくるようになった 6 。チャイナタウンがある場所はもともと干潟であった。ボストン市の人口増に対応するため、19世紀前半に埋め立てが行われた。はじめは白人中産階級が住んでいたが、鉄道の開業などで住環境が悪化すると郊外に移り住んでいった。その後、ヨーロッパからの移民が流入したり、移民をおもな労働力とする皮革・縫製産業が進出してきた。しかし、ヨーロッパからの移民も所得水準が向上すると、住環境があまり良くなかったこの地を離れた。そこに、中国系移民が移り住むようになって、チャイナタウンは次第に大きくなっていった。

しかし、中国系移民が何の支障もなく増加したわけではなかった。19世紀末から1965年の移民法改正までは移民の流入が強く管理・制限されていた。とくに、中国系移民の場合には、19世紀末から1943年まで続いた排華法により、アメリカへの移住が厳しく制限された。中国系移民は、1943年の排華法廃止や1965年の移民法改正などを経て、段階的に増加していった。

それと軌を一にして、住宅の問題も大きくなっていった。ボストン市は戦後、地域経済の発展のため、大規模な再開発に乗り出すようになった。ボストン中心地の北西にあるウェスト・エンドでは、街が広範囲にわたって取り壊され、その後は複数のビルが建設された 7 。チャイナタウンでも、高速道路や病院などの建設によって、すでに手狭になっていた住宅エリアはさらに縮小した(Chinsen氏へのインタビュー;Liu研究員へのインタビュー;Asian American Legal Defense and Education Fund, 2013)。そこで、チャイナタウン側の代表とボストン市などが協力し、新たな住宅としてタイタン・ビレッジ(前掲図3)やマスパイク・タワーといったアパートメントを開発した。しかし、再開発により立ち退きを迫られた全員が入居できたわけではなく、ボストン市西部のブライトンやフォレストヒル、フェンウェイなどに移り住んだ家族も多かった。ボストン市経済は都市の再開発や産業構造の転換によって発展していった。

そして、今はジェントリフィケーションの波がチャイナタウンに押し寄せている(図5)。チャイナタウンの周縁部や隣接エリアでは高級マンションやオフィスビルなどが増えており、前掲図2のように工事現場を目にすることも多い。チャイナタウンの住宅価格はボストン市の中心部のなかでは割安なため、ディベロッパーなどにとっては再開発によって大きな収益をあげることが期待できる。

図5 チャイナタウンの周縁部に建つマンション
図5 チャイナタウンの周縁部に建つマンション
出所:図1に同じ。

住宅の販売価格(中央値)を調べることができるウェブサイト (Trulia社、2015年8月9日閲覧)を見ると、チャイナタウンの住宅価格が周囲のそれにくらべて低いことを確認することができる。著作権の関係でエリアごとの価格帯を示した地図を本稿に貼ることができないため、可能であれば上記リンク先をご覧いただきたい(ただし、以下では地図なしでも状況をイメージできるような記述を心がける)。チャイナタウンの中心部は、地図中央部にある(90)と(93)(それぞれ州間高速道路の番号)のあいだの薄橙色のエリアである。このあたりの販売価格は475,000~629,000米ドルである。この薄橙色のエリアは、より高い価格帯の小豆色のエリアに取り囲まれており、その価格帯は779,000~996,500米ドルにまで上昇する。チャイナタウンの周縁部のなかには小豆色になっているところもあり、すでに住宅価格が大きく値上がりしたところもあるようだ。また、チャイナタウンの北側には、このあたりではもっとも高い価格帯の薄紫色のエリアが広がっている。ここは、チャイナタウンから西側に少し離れたところに広がっている薄紫色のエリアとともに、ボストン経済の中心地である 8 。この立地条件の良さから考えてみても、チャイナタウンの住宅価格が割安になっていることが分かる。したがって、今後も不動産市況の好調が続けば、チャイナタウンの中心部の価格帯が、周囲のそれに収斂していく可能性は高い。

そこで、チャイナタウン側はジェントリフィケーションへの対策として、低・中所得層でも賃借・購入可能な(アフォーダブル)住宅の開発を推進している 9 。アフォーダブル住宅とは、一般に、住宅費を家計収入の30%以内に抑えることができるような物件のことである 10 。ボストン市でも、ディベロッパーに各種インセンティブをあたえ、アフォーダブル住宅の供給を増やそうとしている。チャイナタウン側の代表もマサチューセッツ州やボストン市の取り組みに積極的に関与・協力することで、アフォーダブル住宅の供給を加速させようとしている。このような努力もあって、前述のとおり、中国系住民の数を維持することができている。現在(2015年6月)開発中のアパートメントを見てみると、まず、図6のワン・グリーンウェイの場合、217戸が高級賃貸物件ではあるが、95戸のアフォーダブル賃貸物件と51戸のアフォーダブル分譲物件も供給されることになっている( Boston Globe 紙、2015年4月1日付)。また、チャイナタウンの団体である華人経済発展協会(Chinese Economic Development Council)はマサチューセッツ州やボストン市などと協力しながら、67戸のアフォーダブル賃貸物件を含むオックスフォード平安アフォーダブル住宅を開発している(図7)。

図6 ワン・グリーンウェイ
図6 ワン・グリーンウェイ
出所:図1に同じ。
図7 オックスフォード平安アフォーダブル住宅の工事現場
図7 オックスフォード平安アフォーダブル住宅の工事現場
出所:図1に同じ。

アフォーダブル住宅の供給も増えているものの、需要には追いついておらず、また、高級マンションの建設といった再開発も着実に進んでいる。2010年時点におけるチャイナタウンの住宅の47%はアフォーダブル住宅だったが( Boston Globe 紙、2015年4月1日付)、1990年以降新たに建設された住宅に占めるアフォーダブル住宅の割合は28%のみであったことからも(Chinatown Master Plan 2010 Oversight Committee, 2010)、高級物件が相対的に増えていることが分かる。その結果、前述のとおり、チャイナタウンの全住民に対する中国系住民の比率は下落し続けてきた。これに対して、チャイナタウン側では華埠社区土地信託(Chinatown Community Land Trust)を設立し、より自立的なかたちでアフォーダブル住宅の維持・開発に取り組んでいこう動きも生まれている。しかし、そのための資金が十分に確保されているわけではないため、チャイナタウンのあり方をみずからコントロールするだけの力はまだない(Liu研究員へのインタビュー) 11 。チャイナタウン側がその境界線を完全に維持することは難しい状況にあり、範囲の縮小を最小限に食い止めるための努力が続けられている。

4. おわりに
チャイナタウン側がジェントリフィケーションにどのように対応しようとしているのかを調べると、上述の華人経済発展協会や華埠社区土地信託をはじめ、様々な団体が活躍していることに気づく。中国系移民はもともと、慣れない土地で生活の基盤を築き、社会的・経済的地位の向上を図るため、数多くの団体を形成してきた。データは古いものの、1999年時点で様々な目的の団体が75存在していた(Liu, 1999)。中国系住民の社会は一般に、シンプルな一枚岩を構成しているわけではないものの、密に絡まった支え合いのネットワークのなかで大きく発展してきた。ジェントリフィケーションの波に対しても、様々な団体を介して、なんとかチャイナタウンの境界線を護ろうとしている。それが今後どの程度奏功するのかを予測することは難しいが、将来、チャイナタウンの歴史を振り返ったときに、団体が果たした役割を無視することはできないだろう。したがって、ジェントリフィケーションがコミュニティにあたえる影響を理解するためには、このような団体があるのかないのか、また、団体がどのような特徴を持っているのかなど、団体の役割を軸にいくつかのコミュニティを比較していくことが重要となる。本稿ではそこまで立ち入ることはできなかったが、ユニークな文化を有するチャイナタウンや、多くの都市で見受けられるジェントリフィケーションを理解していくうえで、本稿の例が少しでも参考になれば幸いである。

《参考文献》
Asian American Legal Defense and Education Fund (2013) Chinatown Then and Now: Gentrification in Boston, New York, and Philadelphia , New York: Asian American Legal Defense and Education Fund.
Chinatown Master Plan 2010 Oversight Committee (2010) Chinatown Master Plan 2010: Community Vision for the Future .
Chu, Doris C.J. (1987) Chinese in Massachusetts: Their Experiences and Contributions , Boston: Chinese Culture Institute, Boston.
Liu, Michael Chung-Ngok (1999) Chinatown’s Neighborhood Mobilization and Urban Development in Boston , Doctoral dissertation, University of Massachusetts Boston.
Lo, Shauna (2006) “Profiles of Asian American Subgroups in Massachusetts: Chinese Americans in Massachusetts,” Institute for Asian American Studies Publications , Paper 12.
Lo, Shauna (2012) “Asian Americans in Massachusetts: A Census Profile,” Institute for Asian American Studies Publications , Paper 31.
Medoff, Peter, and Holly Sklar (1994) Streets of Hope: The fall and Rise of an Urban Neighborhood , Boston: South End Press.(大森一輝・森川美生訳[2011]『ダドリー通り:破壊された街の再生の物語』東洋書店)
To, Wing-kai, and Chinese Historical Society of New England (2008) Chinese in Boston: 1870–1965 , Charleston: Arcadia Publishing.

《ニュース記事》
“Chinatown, immigrant haven, fights for its future,” Boston Globe , April 1, 2015 (2015年6月7日閲覧).
“Organization forms community land trust for Chinatown,” Sampan , January 23, 2015 (2015年7月28日閲覧).

脚 注


  • 本稿の執筆にあたって、紐英崙華人歴史協会(Chinese Historical Society of New England)のSusan Chinsen氏(Managing Director)と、マサチューセッツ大学ボストン校(University of Massachusetts Boston)のMichael Liu博士(Institute for Asian American Studies研究員)にインタビューの機会をいただいた(それぞれ、2015年5月27日、6月5日)。また、紐英崙華人歴史協会では各種資料を閲覧させてもらった。ここに記して感謝の意を表す。もちろん、残された誤りは筆者に帰する。なお、筆者は、ヨハネスブルグのチャイナタウンで少しインタビュー調査をしたことがあるものの、本稿に関わる華僑・華人やジェントリフィケーションについて専門的に研究しているわけではない。しかし、筆者がボストン市郊外に1年間滞在するなかで、チャイナタウンの成り立ちに興味を持ったため、事実関係を整理してみた。本稿をきっかけに、当該分野の専門家の方とディスカッションする機会を持つことができれば幸いである。
  1. おおよその範囲は、北はエセックス通りから南はイースト・バークレー通り、東はサウス通りやオルバニー通りから西はワシントン通りにいたる部分である。ボストン市が主張するチャイナタウンの範囲と、チャイナタウン側のそれは異なっており、前者は後者にくらべて狭い。それぞれのエリアについては、参考文献に掲げた Boston Globe 紙(2015年4月1日付)を参照のこと。また、本稿で引用したデータなどについても、文献によってチャイナタウンの範囲が多少異なっていることに注意して欲しい。
  2. ここではニーランド通りを境にして北側、南側と呼んでいる。
  3. これは多くの都市で見られる現象である。ニューヨーク市でも、マンハッタン区(ダウンタウン)にある古くからのチャイナタウンに加えて、クイーンズ区のフラッシングなど複数のエリアで中国系住民の数がとくに急増するようになった。ちなみに、ダウンタウンには 美国華人博物館(Museum of Chinese in America )があり、アメリカにおける華僑・華人の歴史を体系的に学ぶことができる。
  4. ボストン市の周辺都市として、ここでは表中の8都市だけを対象とした。ボストン大都市圏にはより多くの都市が含まれる。
  5. クインシー市へはチャイナタウン近くのダウンタウン・クロッシング駅から地下鉄レッドラインで、モールデン市へはチャイナタウン駅から地下鉄オレンジ・ラインでアクセスできる。
  6. 華僑・華人の歴史については、各種文献のほかに、中国福建省厦門(アモイ)市の 華僑博物館(Overseas Chinese Museum )でも豊富な展示資料とともに学ぶことができる。
  7. ウェスト・エンドの歴史については、ボストン史に関する文献以外に、 ウェスト・エンド博物館(The West End Museum) でも学ぶことができる。
  8. なお、この2つの薄紫色のエリアに挟まれたところには価格帯を示す色がついていないが、ここは街の中心の公園(ボストン・コモン)であるためそもそも住宅がない。
  9. その他にも、チャイナタウンの代表はボストン市とともにチャイナタウンの基本方針に関わる Chinatown Master Plan 1990 を作成した。しかし、マスタープランとは異なる開発が進んだり、改訂版がボストン市にオーソライズされなかったりと、課題も多い(Liu, 1999;Liu研究員へのインタビュー)。
  10. なお、現在の月額家賃は約700~800米ドルである( Boston Globe 紙、2015年4月1日付)。ボストン市や周辺都市では家賃の値上がりが続いているため、また、上述のとおりチャイナタウンはボストン市の中心部に位置しているため、家賃が特別に安いわけではない。
  11. 土地信託によるコミュニティ開発は、近隣のダドリー通り地区再生運動(Dudley Street Neighborhood Initiative;DSNI)の成功に着想を得たものである( Sampan 紙、2015年1月23日付)。DSNIは住環境と治安の悪化したダドリー地区を再生させるため1980年代半ばに設立された組織で、大規模な清掃活動や違法に操業しているゴミ処理場の閉鎖にはじまり、ボストン市から地域のために土地を収用・管理することのできる特別な権限を獲得したり、アフォーダブル住宅の開発を行ってきた(Medoff and Sklar, 1994)。
本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。