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原油価格下落とマレーシア経済:もっともらしいが誤ったロジックが危機を引き起こす

海外研究員レポート

マレーシア

2014年12月発行
PDF (481KB)

1. 原油価格下落でマレーシア経済は
2014年11月17日、Wall Street Journal紙電子版に、"Falling Commodity Prices Hammer Malaysia: Economy of Asia’s Largest Oil-and-Gas Exporter Hit"( http://on.wsj.com/1xRLWdc )と題した記事が掲載された。「商品価格の下落でマレーシアは大打撃:アジア最大の石油ガス輸出国に打撃」とでもいうところだろうか。

この記事の要旨は以下のようなものだ。

  • マレーシアは他のアジア諸国と異なり、資源輸出国である。したがって、昨今の原油価格の下落や一次産品価格下落で大きな打撃を受けるだろう。2014年第3四半期の経常収支黒字は53%減少し、経済成長率は前四半期の6.5%から5.6%に低下している。
  • ペトロナスに歳入を頼るマレーシア政府は収入減に苦しむ。国債価格も下落している。
  • マレーシアの債権・株式市場からの資金流出が始まっており、リンギは4年ぶりの安値をつけている。この流れは、米国が利上げを開始すれば、さらに強まる可能性がある。

記事は、マイナス要因を大きくクローズアップし、投資家の不安を煽るものになっている。

短期のマーケットは、必ずしも事実をもとに動くわけではない。「もっともらしいが誤ったロジック」であっても、多くの人々がそれを信じること、あるいは「多くの人々がそれを信じるだろう」と多くの人々が信じることで、マーケットは自己実現的に推移する。実際には走らず、人気で順位が確定する競馬では、ぱっとしない馬体の名馬よりも見かけが立派な駄馬が勝つ。マーケットとは、そういうものだ。

図1は、マレーシア・リンギを含む主要通貨の対ドルレートについて2014年6月2日を100としてみたものである。細線は上から人民元、ユーロ、円、緑色の太線がマレーシア・リンギである。マレーシアは、自国通貨を貿易額で加重平均した主要通貨のバスケットにペグしているが、その内容は公開していないため、推測するしかない。オレンジの太線は、2013年の貿易額で加重した主要通貨バスケットの推移となっている。バンク・ネガラの7月の利上げを受けて、8-9月は再利上げの期待からややリンギ高にふれたものの、その後は、リンギはほぼバスケットと同様の動きをしていた。ところが、12月に入ってから、リンギはバスケットと比較して、大きく下落した。
図1 対米ドル為替レートの推移(2014年6月2日=100)
図1 対米ドル為替レートの推移(2014年6月2日=100)
(出所)Bank Negara Malaysia Webページのデータより作成

つまり、11月末までのリンギの下げと、12月に入ってからの下げは別物であることが分かる。

2. 財政への影響:ややマイナスも、十分対応可能
原油安のマレーシア政府の財政への影響には2つのルートがある。ひとつは、ペトロナスの財政貢献を通じたもので、原油安は明確にマイナスである。これについては同社シャムスルCEOが見通しを示している( http://www.thesundaily.my/news/1249029 )。もし、原油価格が2015年を通じて1バレル=70ドル台前半で推移すれば、ペトロナスから政府への財政貢献は約250億リンギ減少するというものである。250億リンギは政府予算の約10%に相当する大きな額である。ただし、これはペトロナスの配当性向がこれまでと同様であれば、という前提に基づいていると思われる。ペトロナスの財政貢献の約半分は配当を通じたものであり、この部分については自由度がある。今後、政府とペトロナスの間で、配当額をめぐって駆け引きがあるとみる。

一方で、財政へのプラスの影響は、燃料補助金の減少である。近年、政府がガソリンの小売価格を段階的に引き上げ、補助金を削減してきたことと原油安が重なり、2014年12月以降、ガソリン(RON95)に対する補助金ゼロが実現している。イドリス・ジャラ首相府相は、自らのブログの中で、2015年の燃料補助金は190億リンギ削減されると述べている( http://idrisjala.my/charting-choppy-waters/ )。やや見積もりが過大にも感じるが、最大でこの程度削減されてもおかしくはない。

この2つの要素に、マレーシア政府が2015年予算で既にペトロナスからの財政貢献の減少を30億リンギ程度見込んでいたことを勘案すると、1バレル70ドル台前半の原油安の財政への影響は30-90億リンギ程度となる。これは予算規模の約1-3%で、十分マネージ可能な額であろう。マレーシアの財政に占めるペトロナスの貢献分は決して小さくないが、歳入のほとんどを石油収入に占める国々と比較すれば、十分にコントロールできる範囲内と言える。

3. 貿易収支への影響:貿易黒字は維持されるが、経常収支は赤字化も
2013年のマレーシアの輸出に占める一次産品・関連製品(SITC0-4)のシェアは約36%、製造業部門(SITC5-9)が64%である。表1はマレーシアの一次産品輸出上位5品目で、合計すると一次産品輸出の85%を占める。

表1 マレーシアの一次産品輸出額上位5品目(2013年)
SITC 品目 輸出額(100万ドル) 輸入額(100万ドル) 純輸出額(100万ドル)
33 石油・石油製品 30,340 29,713 627
34 天然ガス・LNG 20,372 1,737 18,635
42 植物油脂 13,465 1,175 12,289
43 動植物加工油 3,396 345 3,051
23 天然ゴム 2,460 3,266 -806
(出所)UN COMTRADE データベース

輸出額では石油・石油製品が最大である一方で、輸入を差し引いた純輸出額では、天然ガス・LNGと植物油脂(パームオイル)がその大半を占める。石油・石油製品は輸出入がほぼ拮抗しており、天然ゴムは既に輸入が上回っている。つまり、貿易収支という点からは、原油そのものはニュートラルであり、天然ガス・LNGとパームオイルの動向が左右する。

LNGもパームオイルも、その価格はかなりの正確さで原油価格のトレンドを追う。したがって、この2つの商品価格もかなりの程度下落することは避けられない。マレーシアのLNG輸出の過去の数量と価格を見ていくと、数量は、価格にかかわらず毎年伸びる傾向にある。需要側の要因があるので断言はできないにせよ、価格下落の一部は数量増加によってカバーされうる。パームオイルの場合、ここ数年、輸出数量は頭打ちになっており、数量でのカバーは期待できない。

いずれにしても、一次産品部門が稼いでいる貿易黒字は価格下落分を上限として減少するが、赤字になることはない。2013年の一次産品部門の黒字は約260億ドルで、たとえ40%減少しても150億ドルの黒字となる。一方で、2013年の製造業部門(SITC5-9)の貿易赤字は約35億ドルで、これはリンギ安や景気減速で好転すると考えられるが、仮にこのままだとしても、両部門合計で貿易赤字とはならないことが分かる。つまり、マレーシアの貿易収支については、一次産品価格の下落のみを要因として赤字になることはない。

ただし、マレーシアの所得収支は常に赤字が続いており、貿易黒字の縮小は経常収支赤字に繋がる。例えば2013年の貿易黒字がゼロだったと仮定すると、経常収支赤字は165億ドル程度、これに資本収支の赤字が加わると、210億ドル程度の赤字となる。2013年末の外貨準備が1349億ドルであるから、こうした状況が続いても、外貨準備が枯渇するのは6年半後である。また、マレーシアの経常収支は、資本財輸入に左右されるため、投資が好調な時に赤字化し、不調時に黒字化する傾向がある。したがって、マレーシアが何らかの経済危機に見舞われれば、経常収支は黒字化する。

一方で、マレーシアの政府債務のほとんどはリンギ建てであるものの、その約4割は海外投資家が保有している。外貨準備高は短期対外債務残高の1.1倍とさほど余裕があるわけではない。よって、異常な規模で投資が引き揚げられれば、盤石とは言えない、という点で、投機的な思惑がつけいる隙がある。

4. 長期的な影響:「伝統的」な製造業の復権
原油価格の下落は、より長期的にはマレーシア経済の構造に影響を与えうる。特に、近年好景気を享受してきた資源関連産業の投資が滞る可能性がある。また、連邦政府の財政も、緊縮気味で推移せざるを得ないだろう。

一方で、ガソリン価格の下落は、家計の可処分所得を増やすため、景気にプラスに働く。マレーシアの消費者物価はガソリン価格との連動性が高いため、リンギ安を考慮しても、全般に物価上昇に歯止めがかかる可能性もある。さらに、為替レートが下落し、原材料価格が下がることで、製造業の中には競争力が高まり、輸出が増加する産業も出てくるだろう。2000年以降続いてきた、一次産品および関連産業へのシフトが止まり、電子産業などの「伝統的」な製造業が見直されるかもしれない。

5. 結語
総合すれば、マレーシア政府の財政は、原油価格が通年で1バレル=70ドル以下の水準になればやや苦しいが、ペトロナスに配当を増やす圧力を掛ける、財政再建目標を数年先送りにして借入を増やすなど、いかようにも対応できる。その場合でも実体経済全体についてはプラス面が上回ると考えられる。経済に占める電子・電機産業などの伝統的製造業と資源関連産業の重みが、原油価格の下落を機に変化する可能性はあるが、マレーシア経済の全部門が壊滅的なダメージを受けることはない。

もちろん、状況は原油価格がどこで下げ止まるかによる。2008年の原油価格(ブレント、月次)は8月に130ドル台にまで上昇した後、リーマンショック後の12月には41ドル台にまで下げたが、2009年末までに70ドル台に戻している。2009年のマレーシアの経済成長率はマイナス1.5%、このときは、一次産品と製造業品の両方が不調に陥った。主要一次産品の輸出額は31%減少、製造業品輸出額は11%減少したものの、貿易黒字は維持された。今回の原油価格下落を含むマーケットの変動は、元をたどれば米国の景気回復、利上げ観測に端を発している。また、原油価格の下落は非資源輸出国の可処分所得を増加させ、製造業品の需要を押し上げるとみられている。つまり、世界不況が招いた資源安ではなく、マレーシアの輸出の3分の2を占める製造業部門にとってはプラスである。一時的に原油価格が40ドル台にまで下げたとしても、2009年よりも状況はずっと良い。マレーシアは資源輸出国である以上に、電子・電機製品を中心とした製造業品の輸出国である。

もし、原油価格が40ドル台で長期低迷すれば、マレーシア政府の財政への影響は大きい。また、一次産品部門も、事業計画の大幅な見直しを迫られるだろう。ただ、こうした原油価格の長期低迷は考えられなくはないとしても、可能性は低い。しかし、まさに、この「考えられなくはない」という万が一のリスクが、スペキュレーションを可能にする。2010年からマレーシア政府が進めてきた財政赤字削減は、今回の原油価格下落に「ぎりぎり間に合った」。カナダのシェール・ガス関連の開発を計画中のペトロナスも、投資の大部分は実行されておらず、事業計画の見直しは「まだ間に合う」( http://www.ft.com/intl/fastft/245621/petronas-defer-final-investment-decision-on-canadian-lng-project )。

しかし、そうした事実とは無関係に、原油価格の下落と資源輸出国の経済危機シナリオは、手を携えて進んでいく可能性がある。わずかな経常収支赤字が発表されるとともに格付け機関が国債を格下げし、通貨と株式が下落、パニック的な資金の流出が起こる。メディアは「双子の赤字」と危機を煽り、投資のセンチメントが悪化して実体経済が減速する。人々は叫ぶ。「中進国の罠の警告は、やはり現実になったのだ!」

時に、正論を述べる者はまるでえん罪の容疑者のように袋だたきに遭い、全てが終わった後でのみ和解の握手を求められる。それが、世の常である。( http://www.nytimes.com/1997/09/22/news/22iht-soros.t.html )。


本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。