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グローバル化と地元愛:ペトロナスCMに見る変化の予兆

海外研究員レポート

マレーシア

2014年10月発行
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1.国民的な関心を集めるペトロナスの季節CM1
多民族国家のマレーシアには正月が4回ある、とよく言われる。暦年の正月、ムスリムであるマレー系が祝うハリラヤ・プアサ、中国系が祝う旧正月、インド系が祝うディーパバリである。ハリラヤ・プアサとディーパバリは、厳密にはそれぞれのカレンダーで新年にあたるわけではないが、お年玉、帰省、1年の区切り、という要素を考えれば、日本人の感覚でいう正月ととらえても差し支えないだろう。

各民族の3つの「正月」に独立記念日を加えた年4回の祝日に合わせて、国有石油会社ペトロナスが長尺のCMを放映する。このCMは非常に丁寧に作られていて、「ペトロナスのCM超感動する」などといいながら動画サイトで何度も見返すのがマレーシアの風物詩となりつつある。

筆者の記憶では、このペトロナスのCMは、1990年代終わり頃には既に放送されていたと思う。そのCMの監督を長く担当し、現在の名声を確立したのは、2009年に急逝したヤスミン・アハマド(Yasmin Ahmad)である。彼女は優れた長編映画も残しているが、一方で、その映像作家としてのキャリアを広告業界でスタートさせており、ペトロナスのCMにもまた、彼女の個性が詰まっているように思う。

2. ヤスミンが残したもの
3民族の「正月」向け作品では主に家族の絆の大切さが、独立記念日向けの作品では主に民族の融和とチャレンジする精神がテーマとなっている。ヤスミンは、こうしたテーマを、理想を押しつける「説教」ではなく、見る者の心を動かすことで伝えている。短い尺の中で、各作品には必ずはっとさせられる瞬間がある。表層的なリアルさではなく、現実の奥底にあるリアリティが作品の中に捕らえられている。以下に、いくつかの作品を紹介する。

2002年の旧正月向けCM、“Brudders”は現在のマレーシアのルーツであるマラッカ王朝に中国・明から王妃が嫁ぐエピソードを描いている。現在もマレーシアの人口の二割強を占める華人系マレーシア人の始祖ともいえる王妃の涙に始まり、最後は「そして時は流れ、出自にかかわらず、すべての人が、すべての文化を称えています」というナレーションで終わるのだが、そこは直線的な展開では終わらない(解説2)。

 2002年旧正月CM: Brudders(http://youtu.be/LZEpG-kpqrs

2003年のディーババリ向けのCMは、一見ディーパバリと無関係のラッパー風(?)の4人組が町に繰り出すところから始まる。「時代は変われども、我々は自らのアイデンティティをいつも誇りに思うだろう」という民族の祝日に相応しい締めに、「問答無用の展開」でつなげている(解説3)。

 2003年ディーパバリCM: Boyz In Da Hood(http://youtu.be/kaNBrCH6TNA

そして、2007年の独立記念日向けCM、“Tan Hong Ming in Love(タン・ホンミンの恋)”は国際的な賞を複数受賞したマレーシアCM史上の金字塔である。最後のメッセージはストレートなものであるが、何のCMであるかを忘れてしまう奇跡的な展開によって、その重さが心に響く(解説4)。

 2007年独立記念日CM: Tan Hong Ming in Love(http://youtu.be/3RCKGStgAC4

各民族の「正月」向け作品ではそれぞれの民族を主人公にしてCM作品を制作し、それでいながら全ての民族の共感を得る。この仕事は、簡単ではない。実際、「ヤスミン後」に制作されたインド映画を模した2012年のディーババリ向けCMは、インド系マレーシア人からの強い批判にさらされ、放送中止を余儀なくされている。ヤスミンのCMはマレーシア国民に広く愛され、今でも全てのペトロナスのCMには、「それでもヤスミン作品の方が良かった」というコメントが付く運命にある。

一連のCMの成功により、ヤスミンは2009年にシンガポール社会開発・青少年・スポーツ省(MCYS)から「若者の結婚を促進する」というテーマでのCM制作を依頼される。この 依頼に対し、「Funeral(葬儀)」というシチュエーションを選択し、しかも依頼要件をパーフェクトに満たしたCMを制作するのだから、感服する以外にない。

 2009年MCYS向けCM: Funeral(http://youtu.be/Nw0s4C0g5SM

2009年7月、ヤスミンは51歳の若さで脳出血により急逝してしまう。しかし、彼女によって育てられたペトロナスの「正月」向けCMは、いまやマレーシアの文化となり、有力企業が質の高い長尺のCMを競って作るようになっている5

3. クエック・シオ・チュアンと新しいマレーシア
2012年、26歳の若者がペトロナスのハリラヤ向けCMに起用される。クエック・シオ・チュアン(Quek Shio Chuan: 郭修篆)である。彼は、ジョホール州バトゥ・パハ出身、クアラルンプールのトゥンク・アブドゥル・ラーマン大学(UTAR)のコミュニケーション・放送学科を卒業したのち、初めて制作したショートフィルム「光(Guang)」(http://youtu.be/hn2MCqVblUQ)が国際的な映画賞を多数受賞したことで、関係者の目にとまり、全国民の期待が集まるCMの監督に抜擢された。

2013-2014年に掛けて、彼の作品は連続して好評を博している。直近の独立記念日向けCMが500万再生を突破するなど、視聴数はかつて無い水準に達している。

 2013年旧正月CM: Tau Fu Fah(http://youtu.be/isHQaefH--M) 47万再生
 2013年ディーパバリCM:Our Deepavali(http://youtu.be/EtA1q3RPOis)125万再生
 2014年旧正月CM:Young Hearts(http://youtu.be/RXaVqbOlFQQ) 248万再生
 2014年ハリラヤCM:Ke Pangkuan Bonda(http://youtu.be/c2iEsf-TkII) 464万再生
 2014年独立記念日CM: A Walk Through Time(http://youtu.be/H6PvAJF2PFA) 573万再生

3民族の「正月」向けと独立記念日向けの4つ作品の全てで成功を収め、クエックはその能力を示した。彼の作品の特徴は、「晴れやかさ」である。テンポの良い場面転換とともに、印象的な音楽と自然なストーリーラインで見るものの心を捉える。また、あくまで澄んだ映像の中にあるのは、彼が発見した、そこにあるマレーシアである。

彼の作品を並べて気づくのは、解説の必要が無い-文脈に依存しない、ということである。もちろん、作品の中にはマレーシアの要素がふんだんに盛り込まれていて、それらについて知っていると、興味は深まる。しかし、たとえマレーシアの文脈を離れてもストーリーは分かるし、逆に映像によってマレーシアを知った気になれる。これを「深くない」ととらえることもできるだろうが、再生数が示しているのは、新しいテイストが多くの人々に受け入れられているという事実である。

4. 頭脳流出は止まるか
クエックを大抜擢した、大手広告代理店Leo Burnett Malaysiaのエリック・クルーズ(Eric Cruz)はフィリピン系アメリカ人、米国で学位を取得し、ロンドン、東京でキャリアを積んだ典型的な「グローバル人材」である。ヤスミンもまた、イギリスで大学教育を受け、その思想・行動・作品はマレー系の女性としては、極めて「進歩的」であった。一方で、クエックは、自らを"Kampung boy”(いなか育ち)と称する。国際的に活躍する多くのエリート・マレーシア人と異なり、マレーシアの教育システムの中で育ってきた。

マレーシアでは公立学校の定員が限られる一方で、1996年までは私立大学の設立が認められていなかった。したがって、国内の公立学校で高等教育を受けることができない場合、海外に留学するか進学をあきらめるしかなかった。しかし、1996年以降、海外大学の分校も含めて私立大学が数多く設立され、2009年時点で、DiplomaやCertificateを含めた学生数では公立学校を上回り、学士以上の学生数でも4割を占めるに至っている。これにより、海外への留学生が大幅に減少する一方で、周辺国や中東・アフリカからの留学生が増加している。クエックが卒業したUTARも、こうした流れの中で2002年に設立された新しい私立大学である。クエックは、成績が悪く中学で落ちこぼれ、サイバーカフェで働いてゲームにはまった高校時代、両親に最後通牒を突きつけられてようやくUTARに合格、希望ではない学科に入学して映像制作に出会った、と語っており6、1996年以前であれば、彼のキャリアはそもそもスタートすることさえなかったと言える。

頭脳流出に悩んできたマレーシアにとって、クエックの経歴は、新しい潮流を予感させる。場所がどこであれ、インターネット時代の今、学びたい意識が高ければ、教材は至る所に転がっている。優れた人材が海外に出て行くとすれば、国内に残った若手に大きなチャンスが与えられるかもしれない。世界中のクリエイティブが互いを参照する中で、「地元」という自分だけのユニークな参照点を持っていることが競争力になるのではないか。人材の純流出国であったマレーシアも、所得が上昇する中で、シンガポールのような純流入国に転換する日がいつか来る。そして、その日はそれほど遠くないのではないか。クエックによる2013年の独立記念日CMを見ながら、そんなことを考える。

 2013年独立記念日CM “Children”(http://youtu.be/5cb_dIGQuao

脚 注


  1. はじめに断っておくが、筆者は映像作品を批評する特別な審美眼を持っていない。小中学校時代を過ごした「カンポン」に映画館はなく、車で30-40分走ったところにある近隣唯一の映画館で上映されるゴジラ対某の割引券を小学校でもらった記憶がうっすら残っている。高校時代には「都会」に出るものの、梅田をスルーして恵美須町に直行するタイプの人間であり、10代のうちに映画館で見た映画は片手に収まる。
  2. “Brudder”は、ドイツ語の”brother”にあたる単語を起源とし、マレーシアで親友を呼ぶ言葉として定着しているという。500年以上前のシーンを演じながら、華人がマレー語で会話する500年後の世界を描いている。最後の、女性の会話は「みんなどこに行ったの?」「むこうでテタレ(ミルクティー)を飲んでるわよ」「おーい!待ってよ!」というやりとりで、実にマレーシア的である。怪しさが割り増しされているロングバージョンもある(http://youtu.be/54ZuuxaUFYY)。
  3. 「パティ(Patti)」はタミル語で「祖母」を意味する。若者が「パーティ(Party)」と連呼しながら街を闊歩していることが、壮大な前振りとなっている。マレーシアでは華人も英語名を持っていることが多いが、インド系の場合、正式な名前が長めのことが多く、このCMのようなギャップに繋がる。舞台は外国人も多いKL有数のおしゃれスポット・バンサ(Bangsa)で、たとえ欧米風の名前を名乗っていても、民族の血が間違いなく流れている、ということをこれ以上ないかたちで示している。
  4. タン・ホンミンは華人系マレーシア人、ウンミ・カズリーナはマレー系のマレーシア人である。マレー系と華人系は人口比率で1位、2位の民族でありながら、宗教や食生活(華人が好む豚肉はイスラムでは禁忌)の違いから、ほとんど混血が進んでいない。民族の壁を容易に越えてしまう恋愛感情とそれが引き起こす様々な社会的な軋轢は、ヤスミンが長編映画でも取り組んだテーマでもある。最後のメッセージ、「我々の子ども達は肌の色の違いを気にとめません。このままで良くないですか?(Our children are colour blind. Shouldn’t we keep them that way?)」の “colour blind”は本来色覚異常を指すが、ここでは人種問題と無関係であるという意味で用いている。このCMは一連シリーズのひとつであり、
    他に、Karate(http://youtu.be/UTLu10fgKEY)、Dinosaur(http://youtu.be/rgvbrL4xGys)などがある。
  5. マレーシアには地上波チャンネルもあるが、多彩な番組を揃える衛星放送が高い人気を誇っている。また、近年、スマートフォンの普及が著しく、多くの人がインターネット動画を視聴する環境を持っている。このような背景もあり、短いCMを放送するよりも、質の高い長尺CMがネット上で評判を得た方が人々にアピールできる。長尺のハリラヤ向けCMの例としては、Nissan-Tan Chong Motorの“Atuk”などがある(http://youtu.be/Bdl0XlXrZ18)。
  6. Asian Feast.orgによるインタビュー記事参照(http://www.asianfeast.org/altro/guang-en/
本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。