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「多様性の中の共存」と「不寛容の種」: 多様性の街ブライトンにおけるイスラエル製品不買運動に際して

海外研究員レポート

イギリス

吉田 暢
2014年8月発行
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今月に入ってから中東情勢が緊迫している。筆者はこの地域の専門家ではない。また安全保障に関して学問を修めたわけでもなく、ただこの地域に関する一般常識レベルの情勢認識を元に、日夜報道が過熱するガザの状況を遠く離れた比較的安全な英国から傍観しているのみである。したがって本稿で仔細な話を述べるつもりも、ましてそれを実現する能力も全くといっていいほどない。また本稿の目的は、筆者が英国に所在しているからといって、この国と今日に至っても尚課題を抱え続ける中東地域の歴史的な「因縁」について改めて懐古的に論述するということでもない。本稿では、筆者が滞英を始めてから1年あまりの間に、中東地域から遠く離れた英国においてごく身近に起こったイスラエルとパレスチナの関係が抱える難題が噴出したひとつの出来事に接して、筆者が感じたことを記すものである。

筆者が居住するブライトンは、ブリテン島南端で英仏海峡に面し、ロンドンから鉄道で一時間程度という好立地にある。従前は人口数百足らずの寒漁村であったところ、19世紀に王侯貴族や裕福な市民がこぞって集った温暖な海岸保養地として成立した街であり、そこから芸術活動やエンターテイメント産業が盛んな土地として成長してきた。そんな由来があるからか、世界各地からアーティストが集まる。また20世紀後半にはサセックス大学が創設されたことにより多くの留学生もこの地に暮らすようになり、さらにこの街の風景を国際色豊かなものとしている。市井においても他の英国の都市と同様に、様々な人種、文化的背景を持った人びとが隣り合って暮らしている。こうした背景からこの地に満ちる雰囲気はある意味で「リベラル」であり、市政当局も「多様性の中の共存」という概念を市政運営の重要なモットーとすることを明確に打ち出している。ひとつの例として、毎年夏にこの地で開催されるLGBTの人びとのための祭典「Brighton Pride」は20年以上の歴史を持ち、欧州最大級の同性愛者や性同一性障害を抱える人びとの社会的平等を確認する場として広く知られている。セントジョージクロスを窓辺に掲げる路地裏に至るまですべてがそうだとは言えないまでも、市中には「多様性の中の共存」が広く息づいている。それが来英当初、筆者がブライトンについて得た感想であった。

昨年(2013年)8月、来英して一月が経つか経たないかの頃のことである。それは、ある週末の昼下がり、特段の目的があるわけでもなく街の目抜き通りを散策していたときのことであった。「目抜き通り」といっても、なにも特筆するものなどない。田舎の町の商店街といったほうが妥当だろうか。路線バスが行き交う片側一車線の沿道にローカルの商店とファストファッションやファストフード店が立ち並ぶ、各地でいたってよく目にする、とりたててなんということのない風景である。週末ともなると小さな子どもや犬を連れたファミリーや若者たちで賑わう。賑わうといっても、たとえば原宿・竹下通りのそれとは程度が全く違う。実にのどかな田舎町の賑わいぶりである。

そんな和やかな賑わいのさなかに、突如として巨大な旗を携えた群集と警官隊のにらみ合いが目に飛び込んでくる。これには週末の午後の穏やかな街角を歩いていた筆者はどうあっても一瞬肝を冷やす。ちょうどその群集は進行方向にあったので、なるべく近寄らないようにしながらも、いったい何の騒ぎであるのかとても気になる。しかし過去の経験則からこの手の場面において安易にカメラを向けたりすることによって不測の事態を招きかねないという思いもあり、さらりと横目で眺めるように立ち止まらずに歩いていく。よく見ると旗は二種類、群集も二手に分かれていることが確認できる。警官隊は二者の間に並んで立ち、両者が衝突しないように警戒をしているふうである。日常、市中巡回業務の合間にカフェで語らいながら休憩している姿を見かける彼らの愛嬌のある笑顔は今筆者の目の前にはない。白地に青のヘキサグラムが染められた旗と赤三角に黒白緑の四色旗が、真夏の青空を互いに少しでも多く切り取ろうとするかのように頭上でせめぎ合っている。

群集がつばぜり合いをしていた場所は、Ecostreamという炭酸飲料などの清涼飲料水や食用油などの液体製品を「量り売り」するというのがウリの小さな商店の目の前であった。使い捨ての容器を使用せず、顧客に容器を持参してもらうというから「Eco」なのかとこの出来事の少し前から商店の存在を知っていた筆者は勝手に思っていた。実にその程度の認識であったのである。それが人もまばらな(もとい、和やかに賑わう)田舎町の目抜き通りが、この商店の目の前だけ双方合計で100人はいようかという集団でごった返しているのである。これは相当に異様な光景である。しかもただの人の集まりではなく、手に手にどちらかの旗を持ち、ビラを撒き、互いに拡声器でがなり立てる、という類の人間の集団である。警官隊もピリピリしている。ほんの十数メートル通り過ぎた路面に、撒かれているビラの一片が落ちていたので、それを拾って眺めてみる。「Israel」「Boycott」という文字が目に飛び込んでくる。パレスチナの四色旗を持った側の人びとがこのビラを撒いている、ということは容易に想像がつく。それがなぜ、あの小さな「量り売り」の商店の前なのか、という疑問がすぐに沸く。ビラの檄文は続けて叫ぶ。「Ecostreamはイスラエル資本の企業Sodastreamの傘下にあり、パレスチナ人から奪った土地に建てた工場で作られた製品を販売している。パレスチナの解放、平等の獲得のためには、そんな商品を買ってはいけない!」文責はThe Brighton Palestine Solidarity Campaign(PSC)とある。どうやらPSCというパレスチナ支援団体のブライトン支部、というところだろうか。他方のイスラエル支持側からはなにがしかの主張が書かれたビラを得ることはできなかった。田舎町の小さな飲料の量り売りの店の目の前に大挙して押し寄せて不買運動を叫ぶ人びととそれに抗議する人びとの姿が目に焼きついてしばらく離れない。

The Guardianなどの全国紙は、一地方都市で起こった「不買運動」のことなどをいちいち記事にして配信しないだろうと、ブライトンの地元紙であるThe Argusを見てみると、案の定The Argusはこの一連の出来事を詳細に報じていた1。(The Guardianもやや後追いながら後日関連する記事を掲載している。2)筆者が把握する限り、店頭で直接的に行われた抗議行動は2012年の11月に遡るようだ。The Argusの記事によれば、2012年11月17日、Ecostreamの前で抗議行動をしていたパレスチナ支持派のメンバーが警察に拘束され訴追された、という。そのうちの一人は店内に強引に侵入しようとした不法侵入の罪であるという。それもこの記事によれば、そうした不法行為があってはじめて警官が呼ばれたとある。筆者が初めて目撃した2013年8月の段階では、両者はある意味で整然と歩道の端と端に分かれて対峙し、つかみかかったり店内に強行侵入しようとしたりする動きはみられなかった。警官隊はおそらく活動の開始前からすでに派遣されていて、現場はしっかりとコントロールされている様子であった。おそらく2012年の事件があってから、警察当局も一連の抗議行動に配慮してデモ実施の事前通告に応じて警官隊を派遣するようになったと推測される。筆者はこの2013年8月の出来事の後も数回、同様の光景を目撃することになる。そして先月末、ついにブライトンの目抜き通りにあったEcostreamは閉店に追い込まれた。

後に知ったことであるが、Ecostreamならびにこれを展開していたSodastream社は英国市場に進出してから約2年間の間、ブライトンの店舗前のみならず全英規模の度重なる抗議活動に遭い、(同社はそれが撤退の直接の原因とは認めていないものの)同市場から撤退することとなった。英国の大手デパートのひとつであるJohn LewisもSodastream社製品の取り扱いを中止することを発表したという。これらを紹介している別の記事3によれば、先述のPSCの代表が発表した声明は、「Sodastream社製品がブライトンの店舗を含めた英国市場から完全に撤退することは、PSCの抗議運動が成功したことを表す」とした。また同声明は、Sodastream社がヨルダン川西岸地区において不法占拠された土地にある工場を操業し製品を生産していることは、イスラエルによる「不法土地占拠」に加担するものだとしてこれを批判した。他方で、同記事は、Sodastream社側が発表した見解も紹介している。この中で同社は、西岸地区で操業する工場で雇用されているパレスチナ人労働者について触れ、同地区における同社工場の操業が一定程度のパレスチナ人の雇用を担っているなどとしたが、その正当性は部分的に主張されるに留まり、英国市場での不買・抗議運動に対する明確な抗議や批判は行われなかった。

「多様性の中の共存」をモットーに掲げ、異なる民族・文化アイデンティティを持つ人びとが隣り合って暮らし、多様な価値観を持つ人びとが共生できる社会を目指すと標榜する街ブライトンにおいても、イスラエル-パレスチナ問題に起因する「不寛容の種」はさすがに乗り越えられることがなく、結果として度重なる不買運動はイスラエル資本の商店を閉店に追い込んだ。「多様性の中の共存」を目指す地域社会の中に「不寛容の種」がその外側から持ち込まれてしまうことの難しさは、遠く離れた地域とそこに暮らす人びと同士が様々のチャネルでつながり合う現代においては、当たり前のことのようにどこにでも起こりえるともいえる。実際のところ、この運動は、Ecostreamを展開していたイスラエル資本企業製品を英国市場から撤退させるという全英的な不買・抗議運動と連動しており、決して一地方都市の小さな商店に留まる話ではなかったから、ことブライトンが一地方都市としてどんなに「多様性」を重んじる風土を醸成しようとしていたところで、全英レベルの大きな抗議運動の前には無力だったのかもしれない。他方で、Ecostreamの店舗前に展開していた群集の一派はイスラエル支持の市民であったことを鑑みれば、イスラエル側にもパレスチナ側にも同等に路上に出て、合法すなわち非暴力かつ非差別的な活動に留まる限りにおいては、その主張をある意味で自由に展開できることが(警官隊の適切な現場コントロールに依るところが小さくないが)保証されていたのであるから、この点においては「多様性の中の共存」に向けた進歩が認められると言えなくもない。また以下の記事はブライトンに限らない、英国内のユダヤ人社会がイスラエルについてどう考えているのかということについて記している4。要約すれば、それまではなにがなんでも「親イスラエル」だったものが、2000年のインティファーダ以降、パレスチナに対し融和的な姿勢を示し、またイスラエルの強硬姿勢を批判するなどその考えは徐々に多様化しているという。背景の一つとして、イスラエルの強硬姿勢を批判する目的でたとえば最近フランスで起きているような反ユダヤ運動が生じると、日常的にはイスラエルという「国家」とはなんら関係のない世界で生きている自分たちが、ただユダヤ人であるというだけで批判され、迫害されるかもしれない、という彼らの切迫した心理が挙げられている。特定のエスニシティの人びとに対して、(ディアスポラの場合は居住すらしていない)「国家」とその行為に対する批判を加える差別的な運動もまた、同様に批判されるべきだと筆者は思う。ユダヤ人であるというだけで批判されて良い、というルールはどこにもない。

凄惨な現場に遭遇し、また奥深い相克を熟知する専門家諸氏からしてみればなんとも繊細に聞こえるかもしれないけれど、このことを憂うひとりの門外漢として敢えて誤解を恐れずに理想論を述べてみようと思う。長い歴史の文脈を考慮すればするほどイスラエルにもパレスチナにも双方にそれぞれが信じる(信じたい)「正しさ」があり、一方が正しくもう一方が間違っているということでは決してないと筆者は考えている。イスラエルとパレスチナは、各々が培ってきたそれぞれが抱える「正しさ」を互いにぶつけ合い続けている。中東地域から遠く離れた英国においてでさえ、双方は各々の「正しさ」を主張し、たがために相互に「不寛容の種」を育てている。しかしながら少なくともここ英国では、当たり前と思われるかもしれないが、互いの主張は客観的なルールによってその方法が制限される。つまり違法な手段を行使して「正しさ」の主張をすることは決して認められない。どんなに己が信じる「正しさ」を主張しているとしても、たとえば不買運動の対象とされる商店にむりやり侵入しようとすれば、それはルール違反であるとして警官に逮捕され罰せられるのである。今回の事例では、不買運動の実質的な結果としてイスラエル資本企業が英国市場からの自社製品の撤退を決めたが、相互の「正しさ」の主張の手法がルールによって制限されていれば、確かに商店は閉じられ市場機会は失われるのでそれによって職を失う人が出るかもしれないけれど、それはあくまでも企業の自主的な判断であり、そのことによって人は直接的に殺されない。中東の現場では、武力による占領とそれに対する反抗によってもたらされる「正しさ」の主張をルールが抑止できない。もちろん双方に対して根気強く国際法の遵守を呼び掛けていくことが第一に重要である一方で、これまで何度も「合意」が反故にされ、国際法違反が放置されてきたことを考えれば、どちらの「正しさ」にも一方的には与しない第三者的なルールで秩序の維持を強制することが如何に難しいことか想像に難くない。

自分の「正しさ」を守るためにはロケットを撃つ以外他に手段がないから、仕方ない。でも本当はそろそろロケットを撃つのは止めたいと思う自分もいる。しかしイスラエルの人も、パレスチナの人も、できればロケットなど撃たずとも互いの「正しさ」に耳を傾け、それを知ろうとすることが、結局はお互いの安全につながるのではないかということを、きっと感じていたりするのではなかろうか。そうした各々の「知ろう」とする態度が、最終的には「不寛容の種」の発芽を食い止める手段なのかもしれない。そして彼らの「正しさ」やそれを抱え続けるが故の痛みや苦しみを心から理解することなど到底出来ないあの世界の外側にいる我々のようなものが、そこになにができるのかといえば、互いに「知ろう」と、歩み寄ろうとする人びとを支え、月並みな言い方かもしれないが、応援することくらいなのだろうと思う。そのためにも我々はまずもって、彼らについて、彼らの抱え続ける「正しさ」について「知ろう」とする態度を持ち、実践する必要がある。



本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。