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土地法制定100周年の南アフリカ

海外研究員レポート

南アフリカ

2013年11月発行
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今年2013年は、南アフリカにおける人種隔離とアパルトヘイト体制の基礎をなした「原住民土地法」(1913年)制定から100周年にあたる。アパルトヘイト体制終焉へ向けた法制度改革の一環として1991年に撤廃されるまで、同法は「原住民居留地」(後のホームランド、バンツースタン)として政府が指定した国土の約13%1以外においてアフリカ人2が土地を所有したり、購入したりすることを禁止していた。居留地における農業生産の停滞と出稼ぎ労働制度確立の原因、さらには領土的な人種隔離を実現するために行われた強制移住の法的基盤として、同法は20世紀に南アフリカの多くの黒人が被った苦難の源であった。それゆえ今年、南アフリカでは、同法が公布された6月19日前後を中心に、各地で土地問題をテーマとするワークショップや展覧会、デモ行進などが政府各省、研究者、土地NGOを中心とする市民団体・組織により企画・開催された。本報告では、ケープタウン大学で開催された2つの国際会議と農村開発土地省による土地法100周年記念式典について紹介する。

1.「分断された土地」会議
2013年3月24~27日にケープタウン大学で開催された国際会議は、そのメイン・タイトル「分断された土地:2013年における土地と南アフリカ社会、比較の視点から」に示されているように、今年が土地法制定100周年にあたることを意識して企画されたものであった。同会議の主催者は、ウェスタンケープ大学貧困・土地・農村問題研究所(Institute for Poverty, Land and Agrarian Studies: PLAAS)、ステレンボッシュ大学社会学・社会人類学部、ケープタウン大学法律社会センター(Centre for Law and Society: CLS)の3つの研究機関である。同会議の主たるテーマとして、(1)1913年原住民土地法の遺制、(2)南部アフリカにおける土地改革と農村政策、(3)土地の持つ多面的意味:アイデンティティ、権利、帰属、(4)環境面での課題が掲げられ、これらのテーマに沿って5つの全体セッションと43の並行セッションが行われ、全報告件数は180件に上った(de Satgé 2013)。

大規模な国際会議の場では質疑応答の時間も限られており、報告者が提起した個々の論点について必ずしも深い議論が行われたとは言えないが、グギレ・ンクウィンティ(Gugile Nkwinti)農村開発土地改革大臣と農村開発土地改革省(Department of Rural Development and Land Reform: DRDLR)高官を中心とする政策担当者、歴史学や政治学、社会学から農業経済学にいたる多様なディシプリンの研究者、白人農場主団体や左派系市民組織・団体の代表者といった異なる立場にある人々のさまざまな見解を知るには有意義な会議であった。報告のテーマが広範かつ多岐にわたっていたため、同会議の主要論点を簡潔にまとめることは困難である。ここでは、セッションを傍聴して筆者が感じた3つの点について述べる。

第一に、同会議が土地法100周年というひとつの節目の年に開催されたにもかかわらず、民主化後、白人から黒人への土地移転が進まず、土地法の遺制が残存している理由について正面から問おうとする報告はほとんどなかった。オープニング・セッションにおいてンクウィンティ大臣が2011年に発表された新しい土地改革グリーン・ペーパーの内容に触れつつ、政府が「強制力を伴わない土地売買」(willing-seller, willing-buyer)原則を見直すつもりであると述べ、さらには南アフリカ憲法向上協議会(Council for the Advancement of the South African Constitution: COSAC)のシポ・ピトヤナ(Sipho Pityana)が憲法第25条「財産権」について、同規定は土地改革を含む公益のための土地収用を認めているとの解釈を提示した。しかしながら、同原則や憲法が改革の足枷となっているのかについて議論が深められることはなかった。

第二に、土地法の中・長期的影響がネガティブなものであったことを認めつつも、同じオープニング・セッションにおいて、南アフリカを代表する2名の社会史家(Peter Delius and William Beinart)による共同報告が、今日、土地法の影響が過大評価されているのではないかという問題提起をしたことは印象的であった。同報告は、征服、植民地化、土地の囲い込みを通じて、土地法が制定される以前の段階ですでに多くの土地が現地の人々から奪われていたことを指摘した。この意味では土地収奪に対する土地法の影響は限定的なものであったと同報告は論じたが、裏を返せば土地法制定以前に土地を失った人々が数多くいたということである。このことは、1913年土地法以後の土地喪失のみを対象とする民主化後の土地返還の範囲が果たして歴史的な妥当性を持つのか、という問題を提起するように筆者には思われる。

第三に、いくつかのセッションにおいて複数の報告者が、民主化後に導入された法律を通じて伝統的指導者が行使しうる権力が増大し、それに伴って弊害や問題も増加したことを強調した。とりわけ北西州の鉱山地帯において、鉱山から生み出される富の分配をめぐり、伝統的首長を中心とする集団とコミュニティの間ないし伝統的首長集団内部のコンフリクトが増加していることを指摘する報告が印象に残った。伝統的首長制に関しては、世襲制による代表選出が民主主義の原則とは相容れないという点や女性を二級市民として扱う点が問題視されてきたが、加えて資源配分や慣習・権威の正統性をめぐる競合の問題がますます重要となっていると感じた。


2.「民衆会合(People’s Assembly)」
「分断された土地」会議が、政策担当者や市民組織の関係者を報告者・参加者として含みつつも通常のアカデミックな国際会議の枠組みを外れたものではなかったのに対し、6月19~22日にケープタウン大学アフリカ研究センター(Centre for African Studies: CAS)、ローズ大学、コミュニティ・アウトリーチ教育信託基金(Trust for Community Outreach and Education: TCOE)という3つの機関の共催により開かれた「南アフリカにおける土地、人種、国民:土地収奪の1世紀 1913-2013」と題する国際会議は、参加者と報告者の大部分が土地NGOや社会運動団体などの市民組織の関係者とコミュニティの代表者によって占められ、研究者の参加者はごく少数であった。

同会議は、研究機関とNGOが資金とネットワークという資源を動員して、NGO関係者のみならず、コミュニティの代表者や農場労働者、旧ホームランド住民、小規模農民などを一つの場に集め、土地をめぐるさまざまな問題について議論を交わす、という意義を持っていた。同会議の後半は、「民衆会合」と題する会合に充てられ、最終日には参加者による土地・農村改革のビジョンと29項目にわたる要求を掲げた「宣言」が採択された。会議終了後には、およそ150名の参加者が国民議会へ向けてケープタウン市内をデモ行進し、国会の正面入り口でデモ参加者を待ち受けていたノムフンド・ゴボド(Nomfundo Gobodo)土地返還委員長の前でデモ隊の代表者により宣言が読み上げられた後、同委員長に宣言が手渡された。同宣言の「前文」は次のように始まる。

アパルトヘイトが終焉してほぼ20年になるが、1913年原住民土地法は南アフリカの農村地帯を悩ませ続けている。アパルトヘイトに対する闘争の中心を占めていた土地問題は、未解決のままである。何百万もの南アフリカ人が土地を収奪され続け、アパルトヘイトによる農村地帯の地理的特質(バンツースタンと白い南アフリカ)は存在し続けている。都市部もアパルトヘイトの地理的空間を写し出している。アパルトヘイトのもとでの大規模な社会経済的不平等は1994年以降深まっており、それは人種化されたままである(People’s Assembly 2013)。


3.農村開発土地改革省による公式記念式典・記念展示
ケープタウン大学で行われた民衆会合が、土地問題に関心を持ち活動する市民組織や人々に、民主化以降の土地改革に対する失望を言明する機会を与えていたのとちょうど同じ6月20日、農村開発土地改革省はケープタウン国際会議場において土地法100周年を記念する公式イベントを開催した。このイベントは、(1)記念式典とコンサート、(2)記念展示の大きく2つの柱からなっていた。

民衆会合における人々の土地改革に対する不満や現状に対する閉塞感とは対照的に、農村開発土地改革省が開催した記念式典にはややお祭り的な雰囲気があった。筆者が見聞きした限り、政治家や外交関係者のほかに、記念式典に招待された参加者の多くは、同省を中心とする政府職員と同省の政策立案過程に定期的に招聘される有識者(研究者に限らず、市民団体や地元の有力者などを含む)であったようである。なかでもヒョウやシマウマの毛皮を模した衣装をまとい、ヘッドバンドをしたコイ・サン人3の首長が、周囲のスーツ姿とは異なる格好をしていたため目立っていた。夜8時に式典が開始されるまで、夕方から会場入りしていた参加者・招待客はビュッフェの夕食を提供され、式典ではパトリシア・デ・リール(Patricia De Lille)ケープタウン市長、ンクウィンティ農村開発土地改革大臣、ズマ大統領によるスピーチの合間に音楽家や芸術家のパフォーマンスが行われた。記念式典の翌日には、同じケープタウン国際会議場において無料の記念コンサートも開催された。

ズマ大統領のスピーチ自体は、オランダ人到来以来のケープにおけるコイコイ人の土地喪失や奴隷に近い労働者としての植民地社会への統合について触れた後、1913年土地法制定による土地喪失と貧困について述べ、最終的には同法の遺制を是正するために政府が土地改革に改めて力を注ぐ決意でいることを表明するといった内容で、なんら祝賀的なものではなかった。しかしながら、土地法100周年記念事業の準備過程の一環として、2012年後半に農村開発土地改革省がウェブサイトに2013年6月19日までのカウントダウン計を設置したことについて、2010年のサッカー・ワールドカップに至るカウントダウンを彷彿とさせるとし、同省は2013年を祝賀ムードで迎えようとしているのではないかと指摘したWalker[2013]の疑念は的外れなものではないという印象はぬぐえなかった。

他方、記念展示に関しては、南アフリカにおける土地収奪の歴史について簡潔に記した解説パネルや写真、移住を促す当時の政府による広報ポスター、ビデオ映像のみならず、俳優を用いた行動展示や寸劇によって、見学者がアパルトヘイト体制下の状況を疑似体験できるような構成となっており、非常に充実した内容であった。同展示は、ケープタウンの後、各州を巡回して開催されている。


おわりに
本報告では、土地法100周年を記念してケープタウンで開催された3つのイベントについて簡単に紹介したが、これ以外にも土地問題に関する意見記事が新聞に数多く掲載されたり、ケープタウンとクワズールー・ナタール州ピーターマリッツバーグから複数の農村コミュニティを訪問しつつプレトリアまで2つのキャラバン隊を組んで移動するイベントを土地NGOが実施したりするなど、土地法の遺制について人々の関心や注意を引くためにさまざまな行事が開催された。2013年はもうすぐ終わるが、今年、多くの機会に強調されたのは1913年土地法の遺制がいまだ残存しており、都市においても農村においても地理空間が人種により分断されたままであるということであった。それゆえ、民主化20周年を迎え、総選挙が開催される来年2014年においても土地法の遺制とその是正方法をめぐる議論は続いていくことだろう。


〔参考文献・資料〕
  • de Satgé, Rick, 2013, Synthesis report, Land Divided: Land and South African Society in 2013, in Comparative Perspective, Robert Leslie Social Sciences Building, University of Cape Town 24th – 27th March 2013, Cape Town: Phuhlisani.
  • People’s Assembly, 2013, “People’s Assembly Declaration: Land, Race and Nation Conference 22 June 2013”, http://www.africanstudies.uct.ac.za/wp-content/uploads/2013/05/s-Assembly-Land-Race-Nation.pdf, retrieved on 28 November 2013.
  • Walker, Cherryl, 2013, “Commemorating or Celebrating? Reflections on the Centenary of the Natives Land Act of 1913”, Social Dynamics, Vol.39, No.2, pp.282-289.




  • 脚 注
    1. 正確には、1913年土地法は国土の7%を居留地として指定していた。その後、1936年の「原住民信託土地法」によって、居留地が国土の約13%まで拡大された。
    2. 南アフリカでは、アパルトヘイト体制下の人種分類において「白人」以外に分類された「カラード」、「アフリカ人」、「アジア(インド)系」のすべてを含める包括的な語として「黒人(black)」が使用される場合と、バンツー系アフリカ人のみを指して使用される場合が混在している。本報告では包括的な語として「黒人」を用いる。
    3. 南部アフリカ一帯の先住民であるコイコイとサンを祖先に持つ人々で、アパルトヘイト体制下ではその多くが「カラード」に分類されていた。民主化後、カラードというアイデンティティや呼称を拒絶し、コイ(コイコイ)、サン(ブッシュマン)、コイサンと自称する人々が出現した。


    本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。