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ヴァン・カオ通りから

海外研究員レポート

ベトナム

2013年10月発行
PDFpdf (427KB)
ドアン クアン ヴィエト ナム ディー チュン ロン キュー クォック
ブォック チャン ゾン ヴァン チェン ドゥオン ガップ ゲン サー
コォー イン マウ チェン タァン マン ホン ヌォック
スン ウグァイ サー チェン クック クアン ハイン サー
ドゥオン ヴィン クアン セイ サック クアン トゥー
タァン ザン ラオ クン ニャウ ラップ チェン クー
ヴィー ニャン ザン チェン ダウ ホン グン
ティエン マウ ザー サー チュオン
ティエン レン! クン ティエン レン!
ヌォック ノン ヴィエト ナム ター ヴン ベン
(Nhà Xuất Bản Âm Nhạc 2013,7ページ)



ベトナムの軍団は行く 心を一つにして救国のために
その足音は遠く荒れ果てた道に響く
戦勝の血に染まる旗は祖国の魂を担う
遠くに鳴り渡る銃声が進軍歌と響きあう
栄光の道は仇敵の屍を乗り越え
困難に打ち勝ち共に抗戦拠点を打ち建てん
人民のため闘って止まず
急ぎ戦場へ進まん
進め!共に進め!
我らがベトナムの山河は揺るがず
(石井監修、桜井・桃木編1999, 366 ページ)



筆者の所属機関は、ハノイ市内のリュウザイ通りにある。日本大使館が位置する通りである。すぐ近くの交差点を越えて西湖方面に進むと、ヴァン・カオ通りとなる。きれいに植栽された中央分離帯を間に挟んだ幅広の道路の両脇には、カフェ、料理屋、ケーキ屋、ファーストフード店、ミニマート、洋服店、銀行、医療機関、大規模なスポーツ施設などが並ぶ。名称は冒頭に記したベトナムの国歌「進軍歌」を作詞、作曲したヴァン・カオ氏(1923-1995年)(以下、敬称略)からとられた。2005年のことである(Bách khoa toàn thư Wikipedia)。

「進軍歌」には、同曲が作られた当時の、自国の独立を願うヴァン・カオおよびベトナムの人々の強い思いが込められている。ちなみに旧宗主国フランスの現在の国歌ラ・マルセイエーズも、同曲が作られた1790年代前半の同国を取り巻く状況を反映した、勇壮な国歌として知られる。 

ヴァン・カオの本名はグエン・ヴァン・カオ。ハイフォン市出身で、音楽家というだけでなく、画家、詩人としても著名である。アメリカとのベトナム戦争前の1940~1950年にかけて流行した「新音楽」と呼ばれるベトナム現代音楽の代表的な人物である。1944年にヴァン・カオによって作詞、作曲された「進軍歌」は、当初ベトナム独立同盟(ベトミン)の活動を念頭において作られた。ベトミンは、1941年5月にカオバン省パクボーで開かれたインドシナ共産党第8回中央委員会会議で創設が決定された、日仏植民地支配からの独立達成を目的とする民族戦線である。インドシナ共産党の全国会議が開かれた後、ベトミンが中心となって1945年8月16日にタンチャオ(トゥエンクアン省)で開かれた国民大会の場で、ホー・チ・ミンを主席とする臨時政府の樹立が決定された。同主席の提案により「進軍歌」は国歌に選ばれた。そして、1946年11月に開かれた第1期ベトナム民主共和国国会第2回会議において、正式にベトナム民主共和国の国歌に選定された(岡 1999; 石井監修、桜井・桃木編1999, 365-366 ページ; 吉井1999; レー・フイ<鷲頭訳>1999; Bách khoa toàn thư Wikipedia)。

第2次世界大戦後にベトナムに復帰してきたフランスとの戦い、南北の分離・対立、ベトナム戦争期を経て、統一国会の場で1976年7月2日に南北ベトナムの統一が正式になされ、現在のベトナム社会主義共和国が成立する。その際にも「進軍歌」は統一ベトナムの国歌に選定された。1981年には、新たな国歌を制定するための公募が行われた。しかし、この動きは1年ほどで立ち消えとなり、結局、現在に至っている(岡 1999; 石井監修、桜井・桃木編1999, 365-366 ページ; レー・フイ<鷲頭訳>1999; Bách khoa toàn thư Wikipedia)。

2013年の前期国会における憲法修正草案を巡る議論の中で、ザーライ省選出のフイン・タイン議員から国歌の詞の内容修正の研究を求める提案が提出された。例えば「ドゥオン ヴィン クアン セイ サック クアン トゥー(上記訳文中では「栄光の道は仇敵の屍を乗り越え」の部分)」との文言は、新しい時代には相応しくないとの意見であった(Tiềnphong online)。この話を聞いた時、賛否は別にして、そうした意見が公の場で提議される時代をベトナムは迎えたのだなと筆者は感じた。

かつてベトナム=戦争、紛争というような時代があった。しかし、1989年にカンボジアから撤退して以降、未だ領土、領海を巡る問題は残るものの、武器使用を伴う自国が係争主体となった国際的紛争からはベトナムは基本的に自由になった。そして、現在ベトナムは国連平和維持活動(PKO)への参加意欲を示し、準備を進めている。

先日、ヴァン・カオ関連の展示物を見るために、ハノイ市ホアンキエム郡にある革命博物館を訪れた。同時代の陳列品に囲まれ、ヴァン・カオによる「進軍歌」の楽譜・歌詞が、若かりし頃のギターを手にした短髪のヴァン・カオのモノクロ写真とともに額縁に収められている。B5に満たないと思われる用紙に、小さく繊細な文字が並んでいた。

ヴァン・カオは、中国共産党の「百花斉放」政策に影響を受けたベトナム北部の作家、知識人、学生が創作・文芸の自由を要求した、1956年のニャンヴァン・ザイファム事件に関連して、不遇の時代を経験した。1986年12月の第6回ベトナム共産党大会でドイモイ路線が採択されたことにより、その後、事件関係者は創作活動に復帰した。また、「進軍歌」とは趣を異にする、甘く抒情的なしらべを持つヴァン・カオの楽曲にベトナム国民は再び接することができるようになった(桐山・栗原・根本 2003, 252ページ; Bách khoa toàn thư Wikipedia)。

ヴァン・カオ通りを見る度に、写真を通して知り得た、老い、長髪となったヴァン・カオの顔、表情が脳裏に浮かぶ。2013年11月15日には生誕90周年を迎えるヴァン・カオ。その眼差しは、南北、時代の垣根を越えて、ベトナムの人々を見つめている。


<参考文献>
石井米雄監修、桜井由躬雄・桃木至朗編 1999.『ベトナムの事典』同朋舎.
岡和明 1999. 「ベトミン」、石井監修、桜井・桃木編 1999.『ベトナムの事典』同朋舎 309ページ.
桐山昇・栗原浩英・根本敬 2003.『東南アジアの歴史—人・物・文化の交流史—』有斐閣.
吉井美知子 1999. 「現代音楽・西洋音楽」、石井監修、桜井・桃木編 1999.『ベトナムの事典』同朋舎 89ページ.
レー・フイ(鷲頭小弓訳)1999.「国歌」、石井監修、桜井・桃木編1999.『ベトナムの事典』同朋舎 142ページ.
Nhà Xuất Bản Âm Nhạc 2013. 108 ca khúc truyền thong Hội-Đoàn-Đội, Nhà Xuất Bản Âm Nhạc.


<ウェブ情報>
Bách khoa toàn thư Wikipedia.
Tiềnphong online(www.tienphong.vn).




本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。