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英国における移民政策をめぐる議論について

海外研究員レポート

英国

吉田 暢
2013年9月発行
PDFpdf (457KB)
「このドキュメントだけではあなたの入国は認められません。追加審査が必要ですからこの用紙を持って列の後ろで呼ばれるまでじっと待っているように。」

入国審査官の威厳を物質的に象徴するかのように屈強に造られたイミグレーションカウンター。その目の前に並べられた薄っぺらのベンチに座らされている老若男女。手にはみな「要追加審査」と書かれた半紙を持たされて無言。一様にうなだれている。ここは英国出入国管理局(UK Border Agency:以下UKBA)の権力の砦、ロンドン・ヒースロー国際空港の入国審査場である。何人たりとも、厳格な審査官が「良し」としない者について、女王陛下の国への進入は認められない。「下馬」ならばいざ知らず、ただ「降機」したくらいでは到底参内などまかりならない。ダグラス・マッカーサーもびっくりである。


英国においては、英国に居住権(right of abode)を有する人々(英国市民および少数の英連邦市民)とそれ以外の人々という区分がされているだけで、「移民」(migrant or immigrant)とはどんな人々なのかという概念そのものは法律で明確に定義されていない。(Anderson and Blinder 2013)国連の報告1によれば、当該人物を「移民」と定義するかどうかは、「市民権の有無」「居住目的での滞在か否か」「滞在期間」「滞在目的」そして「生誕地」などの要素が考慮されるが、もっとも多くの国で採用されている要素は「居住目的での滞在か否か」とされている。しかしながらこの「居住目的の滞在か否か」を判断する基準も国によって法的な捉え方がまちまちであるため、国際的に一律の要件は形成されていない。そのため国連では、正確な「移民」の動向を統計的に把握する目的もあり、一年以上の滞在であれば「長期移民」、三カ月以内の滞在であれば「短期移民」という形で、他の要素に加えて「滞在期間」を「移民」の定義に加えるよう推奨している。(United Nations, Department of Economic and Social Affairs, Population Division 2002 p11) 

とにかく筆者は少なくとも「英国市民」ではなく、「欧州市民」でもない「域外から来た」「外国生まれ」で「外国籍」で「一年以上の長期滞在予定者」というプロファイルを持ってカウンターの前に立つという一人称の貴重な経験をしたわけではであるが、なんら「移民」についての学術的あるいは実践的専門性を有しているものではない。しかしながら、この現場で日々起こっているUKBAと入国希望者との水際の攻防を目撃したことから想起して、昨今英国内でにわかに話題となっている移民政策をめぐるひとつの議論について、主に報道情報を元にではあるが、試みにお伝えすることとしたい。

さて、このように鉄壁のガードを誇って女王陛下のお膝元を守護するUKBAは、英国内務省の管轄下にある。この内務省、本名(英語名)をHome Officeという2。なにやらかわいらしい名称である。通例、内務省というとMinistry of Interiorというお定まりのいかつい名称で、国内統制の総本山と目され、警察機関や国内における防諜・警備などを担う軍に次ぐかそれに匹敵する強面の機関、時と場合によっては秘密警察といったおぞましい機関までもがこぞってその麾下にある役所である。

英国の現政権は、保守党と自由民主党が連立する政権である。この内務省が垂範しようとする新たな移民政策がにわかに物議を醸している。さかのぼること2013年6月23日付のFinancial Times紙3は、保守党所属のテレザ・メイ(Theresa May)内務大臣(Secretary of State for the Home Department)が、2013年11月から試験的に「危険度の高い」(High-risk)6カ国(インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ナイジェリア、ガーナ)を対象に「査証申請時の保証金徴収制度(visitor bond scheme)」を導入する意向であり、内務省もこれを事実と認めていると報じた。またこの制度は、試験運用期間中は査証発給数・違反摘発数共に上位の(そういう意味では確かにHigh-riskである)当該6カ国のみを対象とするが、運用がスムーズに進むと判断されればやがては例外なくすべての国からの査証申請にこれを適用する可能性があるとも報じられた。要するに、内務省は「移民」が短期滞在ビザで入国した後、滞在期間が過ぎても帰国しない、いわゆるオーバーステイ問題を解消するとして、問題を多く起こしている国を対象に査証申請時に一人当たり3000ポンドのデポジットを要求し、期限内に帰国しない場合はこのデポジットを全額召し上げてやる、という制度を導入したいということである。本格導入に向けたパイロットとして選ばれた名誉ある各国の報道4は当然のことながらこれに反発している。

前掲のFinancial Times紙はこの政策発案の裏側には保守党・自由民主党連立政権が進める「移民人口の抑制」に向けた政策目標があると指摘している。これに対して、保守党と政権与党を連立する自由民主党所属のヴィンス・ケイブル(Vince Cable)ビジネス・イノベーション・職業技能大臣(Secretary of State for Business, Innovation and Skills and President of the Board of Trade)はBBCの取材に対して、政権内部の議論の内実を明らかにした上で、このメイ大臣の打ち出した方針について批判的な見解を示している5。BBCの報道によれば、ケイブル大臣は、当初この「保証金制度」のアイディアを提案したのはメイ大臣をはじめとした保守党の閣僚ではなく、自由民主党党首であるニック・クレッグ(Nick Clegg)副首相(Deputy Prime Minister)であったと述べた。但しその発案の真意は「たとえば、インドなどにおいて通常のビザの申請を却下された人であっても、その代替案として保証金制度といったものがあれば、それを使って英国にくることが出来るのではないか」とするものであり、メイ大臣の提案するように「危険度の高い」などと特定の国を明示し(やがてはすべての国にまで一律に)、それも3000ポンドもの高額を査証取得に課すような意図はなく、むしろ円滑な人材の流動性を高めるためのものであったとしている。しかしながら、ケイブル大臣の見解を続ければ、この原案はメイ大臣以下内務省によって拡大解釈され、「危険度の高い」とされた6カ国を狙い撃ちにするかのように、各国において査証を申請したすべての人を対象とする政策となって発表された。連立政権内部のモザイク模様の綱引きが垣間見える場面である。この政策は先述したとおり本年11月の施行を目指して導入に向けた準備が進められているところであるが、政権内部、野党労働党6ならびに試験運用の対象となっている関係各国における報道にも批判が見られるところから、最終的に施行・運用がなされるか否か今後の動向が注目される。

少々個人的な見解を述べれば、そもそもメイ大臣率いる内務省が垂範する「保証金制度」の導入は、相対的に所得の低い国の国民からしてみれば実質的な「入国拒否」(金を持っていない人間は英国に来るための書類すら申請できない)と等しく映る、外交上ネガティブなメッセージと受け取られかねない点、そして英国が促進したい国際ビジネスにおいて不可欠な人材の流動性を阻害しかねないという点においてケイブル大臣他の批判的意見に与するものではある。少々高いと思える金額であったとしても(3000ポンドは庶民からすれば「少々」といえる金額ではないが)やましいことがなくきちんと期日が来たら帰国する品行方正な人物なのであれば、保証金は政府が預かり返金するのであるからなんら問題はないだろう、というような内務省の理屈も、極めてベンサム的というか、なんとも英国らしい発想であると思う。しかしながら、ケイブル大臣の紹介したクレッグ副首相の当初発案に係る「真意」についても、正直なところ論理性に欠けると考えざるを得ない。なぜならば、「通常の査証申請に適合しなかった人物」が「保証金」を払うことで入国を認められる制度があればいいというのは、卑近な事例に例えれば、正規の入試に適合しなかった受験者を、保証金を支払うことで入学を認める、といういわゆる「裏口入学」(を公式に認めるもの)に近しいと思えるからである。通常の手続きに合致しない人物は、通例に則り入国を許可しない、ではなぜいけないのか。筆者のような素人でさえこの発案の「真意」を量りかねるケイブル大臣の説明に、英国一般市民レベル以下の視点としてはどうしても政権内部の複雑な駆け引きの様相を邪推してしまうのである。

では、なぜこのような事態が起こったのであろうか。Financial Times紙7によれば、この政策導入は、保守党が2010年の総選挙対策として「移民受け入れ数に上限を設ける」と公約したことに端を発している。この公約を遵守すべき論拠として、移民の増加による未熟練労働市場の(英国人労働者にとっての)競争激化や英国人社会と移民社会との間に生じる異文化コミュニティ間の緊張増大が懸念されている。またこの視点は公共政策の面から、移民の増大は公共支出の抑制を妨げるため、財政再建を進める英国にとってマイナス材料となるとする批判を含んでいる。これについてThe Guardian紙の別の分析8は、英国雇用年金省(Department of Work and Pensions)の調査9を引用し、「英国の医療・年金制度は他の欧州諸国に比して優れているため、これを狙った移民(Health Tourism)が増えるとする懸念があるが、実際には移民は英国民に比べて社会保険や医療保険などの公共サービスを利用しないことが想定される。なぜならば移民人口は相対的に若年齢であり健康であるからである」として、Financial Times紙が紹介した保守党が揚げる移民増大への批判を牽制している。Anderson and Blinder (2013)は、こうした政策議論の場において、「移民」という概念が指す人々の集合が、時と場合によって多様で厳密に定義されていないことから、的確な議論がなされないことについての懸念を指摘している。(Anderson and Blinder 2013 pp4-5) そこではたとえば、移民の数が増えることは英国民の利益に適わない、とする保守層の世論形成のためにメディア等で使われる「移民」は、人種的、宗教的マイノリティや難民といった公的扶助を求める側の人々として描かれる。(Anderson and Blinder 2013)他方で、ケイブル大臣が主張するような国を開いた人材の流動性を高める方向性からすれば、「移民」には英国に流入してきて活躍する優秀なビジネス人材や留学生10、という姿を描きたいところであろう。

かくいう筆者も、所得などの状況に応じて場合によっては無料で医療サービスを受けることのできるNational Health System(NHS)に登録11し(幸いなことにまだ利用してはいない)、学生の身分であることから市民税の免税措置も受けることが出来る予定である。但しそれは外国籍の「移民」だから享受できる特権ではなく、一定の条件を満たせば英国人と同等の措置を受けることが出来る仕組みが用意されているということである。もっとも、学科によって最も低額に設定された英国籍・欧州国籍学生が支払うものの約4倍近い高額な学費12や通常の住宅費に加えて、一部の欧州諸国と異なり消費財に係る一律20%の付加価値税を負担しての消費などを通じて、英国経済に一定の貢献をしていることも事実ではある。但しエールの消費量についてだけは一般的な英国人の平均よりも相当程度少ないことが想定されるため、アルコールの過剰摂取によってNHSを利用した際の公費負担発生を抑制できることとの兼ね合いはあるものの、この点についてはより一層の努力が求められている。

また別のFinancial Times紙の分析13は経済政策の面から、昨年デイヴィッド・キャメロン(David Cameron)首相がブラジルを訪問して総額一億ポンドに上る貿易案件を成約し、「英国は開かれたビジネスを約束する」と述べた事例を紹介して、今回の政策はこの方向性に真っ向から相反すると指摘している。そもそも現政権はケイブル大臣を中心としてビジネスに関する様々な規制を緩和することで経済発展を進めようとする姿勢を示していることから、仮に一般のビジネスマンも不法滞在する危険があるとされる人物も一概に保証金を課す制度が導入されるようなことになれば、英国の円滑なビジネス促進を通じた経済発展が阻害される恐れがあるということである。

総選挙の際の票集め対策に端を発した連立政権内の微妙な駆け引きが、思わぬ形で査証取得の際の保証金義務化をめぐる論争となって噴出した形の英国の移民政策を取り巻く様相。このまま施行・運用されてしまうと、この11月からは該当する6カ国の国民はすべからく6カ月以上の英国査証を申請する際に3000ポンドの保証金を積むことが義務化されてしまう。そしてこれは当面この6カ国のみの措置ということになってはいるが、経済担当省庁や産業界の反対を押し切って内務省が頑張れば頑張るほど、他の国からの査証申請についても同様の措置が取られることとなりかねない。先のFinancial Times紙(注7)は、「金銭的な負担を障壁にして移民の『数』を減らすといった小手先の施策ではなく、(移民の活力を取り込めるような)雇用の促進や社会保障制度の改善など本質的な解決策を導くための政権運営を求める」と結んでいる。尚、蛇足であるが一点興味深いことは、通常保守、リベラルに分かれて政策論争を張る傾向のある英国メディアには珍しく、この件に関してはほぼすべての媒体が、政策導入に基本的に反対の姿勢を示していることである。もっともFinancial Times紙が保守のスタンスを崩している、というわけではなく、この件については政策導入が保守、リベラルいずれの利益にも合致しない、ということのようではある。(周囲の人々の声を総合すると、たとえば通常Financial Timesはどちらかというと保守、経済・財界寄り、The Guardian紙はリベラル、労働者寄りであるといわれている。)

在英約2カ月余りの筆者にとっては、あの日ロンドン・ヒースロー空港の入国審査場でUKBAの超越的な権力行使の有様を一部始終目撃した記憶はいまだ脳裏に新しい。最恵国待遇国民として無査証でのビジネスや観光目的の滞在であれば、周りの人々がどのような扱いを受けているかなどということはあまり目に入らないかもしれない。今回は、自身も周囲同様の「移民」として同じ(とは口が裂けても言えないほど恵まれた環境の下で準備をさせて頂いてきたが)緊張感の下で、その体から、声から、渾身の力を振り絞って出来得る限りの厳格な雰囲気を醸し出し、その威厳をかざそうとする入国審査官の手から「良し」のスタンプを拝領する列に加わったことで、これまで幾度となく訪れてきた英国国境とはひと味もふた味も異なる世界を垣間見た気がする。数列はなれたブースで、審査官の質問が分からず立ち往生する他の日本人の通訳をせよと理不尽に命じられ、自分の審査を後回しにされてもそれに従わざるを得なかった。なぜならば私の査証が添付されたパスポートがその審査官の手に、握られていたからである。

政策は、無論政治が決めることである。外国籍の「移民」である筆者にそれを左右する力など毛頭ない。そしていかな理不尽を言われてもスタンプを拝領する列に人々が黙して列するのは、それでも英国に入国することが彼ら自身にとって利益があると信じているからである。逆説的ではあるが、この需給の等式が成り立つ限りにおいてスタンプ拝領の列は短くならなくとも良いとさえ思える。

さて、しかしながら、この国はかような殿様商売を、いつまで続けることが出来るのだろうか。また翻って、わが国を訪れる「移民」の目に、その有り様は如何なものに映っているだろうか。東西の島国はともに、似通った課題を抱えているのかもしれない。


(補足)
※UKBAの名誉のために公平な観点から補足をすると、後日経験したガトウィック空港の入国審査場は極めて明るい雰囲気、審査官はフレンドリー、審査もスムーズで快適であった。ヒースローが特別に厳しい(厳しくせざるを得ない)事情がある、ひとつの証左であろう。


参考文献



脚 注
  1. http://www.un.org/esa/population/publications/ittmig2002/2002ITTMIGTEXT22-11.pdf
  2. そもそもなぜ内務省がHome Officeという名称になったのかということについては、これはこれで大変興味深い英国の省庁再編の歴史が背景にあるのだが、本稿の目的とは些か外れるため今回は割愛し今後の話題としたい。
  3. http://www.ft.com/intl/cms/s/0/40c8d0c0-dc4a-11e2-8853-00144feab7de.html#axzz2elwPpDh6
  4. http://www.indianexpress.com/news/uk-visa-3000-pounds-bond-on-indians-others-churns-britain-as-authorities-buy-time/1148269/
    http://www.vanguardngr.com/2013/09/british-secret-agency-m16-police-proposed-3000-visa-bond-against-nigeria-report/
  5. http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-24046013
  6. http://www.huffingtonpost.co.uk/jon-ashworth/theresa-may-immigration_b_3906676.html?utm_hp_ref=uk
  7. http://www.ft.com/cms/s/0/dc24e704-b8b7-11e2-a6ae-00144feabdc0.html?siteedition=uk#axzz2elwPpDh6
  8. http://www.theguardian.com/commentisfree/2013/mar/06/uk-benefits-eu-migrants-what-crisis
  9. https://www.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/196677/nat_nino_regs.pdf
  10. 留学生には、高額な学費負担による安定的な大学経営ビジネスへの貢献も期待されている。またサセックス大学の経営幹部(国際担当副学長)の発言(筆者が聴講した講義での発言。大学イントラネットに動画が掲載されている)によれば、上記とは逆の「英国人学生の外向き化・国際化(外国語習得ならびに外国での就学・就業経験の蓄積)」が求められている。
  11. http://www.ukba.homeoffice.gov.uk/visas-immigration/while-in-uk/rightsandresponsibilities/healthcare/ 滞在予定が6ヶ月を超える「移民は」等しくNHSに登録する権利が生じる。
  12. http://www.sussex.ac.uk/study/pg/feesandfunding/2013entry/fees/feesbycourse
    筆者の在籍するサセックス大学開発研究所(Institute of Development Studies, University of Sussex)の修士課程(MA globalization and Development)においては、英国籍・欧州国籍の学生とそれ以外の学生の学費に違いはなく、共に年間13,500英ポンドである。但し他学科においては英国・欧州国籍の学生の学費は3,900英ポンド~に設定されている。
  13. http://www.ft.com/cms/s/0/25151ca4-08d2-11e2-9176-00144feabdc0.html#axzz2elwPpDh6


本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。