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『香港独立論』の登場?

海外研究員レポート

台湾

2013年1月発行
PDFpdf(278KB)
中国当局は以前より台湾やチベットなどでの独立を求める人々を批判してきた。最近、中国当局はこれに加えて、香港の「独立」に関する主張に対して、非難するようになった。台湾は中国つまり中華人民共和国の支配下にないが、「中華民国」体制下の「自由地区」あるいは「台湾地区」とされ、これに疑問を持つ人も少なくない。チベットは辛亥革命後に独立状態を享受したものの、戦後は中国の支配を受け、これに抵抗する動きが内外に存在する。ダライ・ラマ14世やチベット亡命政府は独立でなく、自治を求めているが、独立を望むチベット人も少なくない。一方、香港では従来、独立を主張する動きが皆無であった。しかし、民主化を遅らせるなど中国当局の対応が「香港独立」の種をまいてしまった。本文では、台湾との比較も行いながら、こうした香港で「独立論」が登場した背景について述べたい。

「香港独立」という言葉の登場
返還後の香港において、初めて「香港独立」という言葉が現れたのは、2004年5月の朱育誠国務院香港マカオ研究所長の発言においてである。彼は香港で開催された香港基本法制定14周年記念シンポにおいて、「中央の権威に挑戦し、中央を香港の政治制度改革の主導立場からを排除し、表面上は民主主義と香港の前途のためと標榜しながら、香港を独立あるいは半独立の政治実体に、高度な自治を完全な自治にしようと企てるものがいる」と発言した(「港確有人想搞獨立」『文匯報』2004年5月16日)。

しかし、実際に独立を主張する団体や運動は香港に存在していなかった。朱育誠発言の矛先は、文字通りの「独立」の企てでなく、暫定的な選挙制度改革に反対し、民主化を求める香港の民主派に対して向けられたものであった。つまり、「香港独立」は、実際に存在するというよりも、中国当局が作り出したレッテルであった。とはいえ、当時の政治情勢は、香港市民に中国に返還されたことを後悔させる要因が強いものであった。中国の江沢民国家主席による事実上の指名を受けて、初代香港行政長官に就任した董建華は内政での失敗し、その1期目には支持率が低迷していた。にも関わらず、2002年に中国当局の支持を受けて再選され、さらに2003年には自由権を侵害する可能性が懸念された基本法23条実施法の制定しようとしたため、同年7月には董建華行政長官の辞任を求めるデモに50万人もの市民が参加する事態をなった。こうしてレイムダックとなった後も董建華行政長官は、2005年まで辞任表明を避けた。

また、本来ならば、基本法は2007年以降の行政長官普通直接選挙の実施を予定しており、2004年はそのための議論が行われる時期であった。しかし、上記のような政治情勢のためら、中国当局や香港政府は予定を見送り、民主化とはほど遠い暫定的な選挙改革に止めようとした。

さらに2004年には台湾において、民進党の陳水扁総統が再選された。陳水扁総統は就任当初、中国との対話や「統合」、「将来における1つの中国」などに言及した。しかし、中国側が関係改善に応じず、台湾と外交関係を持つ国に対する切り崩しを継続したため、陳水扁政権は徐々に「台湾独立派」らしい政策を掲げるようになった。これに対して、中国は2004年から反国家分裂法の制定に着手し、2005年3月の全人代においてこれを可決した。中国当局は香港についても同法の対象であるとした。

こうした政治情勢は香港市民に中国への返還を後悔させる結果となった。2005年に香港大学、台湾の政治大学、琉球大学の研究グループが行った調査では、香港における回答者の22%が香港の独立を望むと回答したとの結果が出された(「今日發放「香港、台灣、澳門、沖繩民眾文化與國家認同國際比較調查」2005」港大民意網站 http://hkupop.hku.hk/chinese/release/release339.html)。当時の「香港独立」を望む声は、もともと香港にあったものではなく、皮肉にも中国政府がそうした発想を香港に植え付け、育ってしまったように思われる。

「台湾独立派」の影響を嫌う中国当局と香港左派
中国当局がどの程度懸念しているのかははっきりしないが、しばしば中国当局を代弁する香港の左派(親中派)は台湾の民進党や李登輝総統など「台湾独立派」が香港にも影響を与えることを恐れまた香港の民主派が密接な関係を持っていると考え、これを非難している。

例えば、エミリー・ラウ(劉慧卿)立法会議員は2003年8月に李登輝総統が事実上主催する台湾群策会による「一国家二制度下の香港」シンポジウムに参加し、「一国家二制度は偽物である」「独立か統一かは台湾自身が選択するべき」と発言した(「一國兩制 把香港關進「鳥籠」裡」『自由時報』2003年8月13日)。香港の左派はこの出来事に強く刺激され、彼女を強く非難した。

また、2010年には行政長官および立法会選挙改革が行われたが、これは2012年選挙で実施知るための暫定的なものである。こうした暫定的改革の是非を香港市民に問うとして、香港の民主派のうち公民党や社民連の立法会議員が辞職し、その補欠選挙に改めて出馬し、レファレンダムの代わりとしようとした。香港は5つの選挙区に分かれており、その選挙区毎に一人ずつ辞職したことから、これは「五區總辭」と呼ばれる。

この「五區總辭」に対して、国務院香港マカオ事務弁公室や駐香港中央政府連絡弁公室など中国当局は「香港基本法にレファレンダムの規定がなく、それにもかかわらずレファレンダムの実施を主張あるいは画策することは香港基本法に対する挑戦である」と非難した(「港澳辦中聯辦:任何形式『公投』 不符港法律地位」『文匯報』2010年1月16日)。中央の香港基本法委員会委員でもある香港左派の譚惠珠は、レファレンダムを「憲法制度の基礎を持つ政府が行う行為であり、主権のない地方が実施することはできない」と主張した(「譚惠珠:無主權不可公投」『文匯報』2010年1月16日)。こうした主張をさらに飛躍させて、レファレンダムは香港を独立した政治実体とする見なすもの(左派組合である工聯会所属議員黄国健の発言、「立會議員意見」『文匯報』2010年1月)、あるいは「香港独立」であると決めつけ(蒯轍元「『五區公投 全民起義』是為『港獨』」『文匯報』2010年2月1日)、また台湾において陳水扁政権が「台湾独立」とレファレンダムを結びつけていることから、香港でもレファレンダムの実施を主張することは、「香港独立」を企てるのと同じであるという主張も見られた(楊志強「志強時評:『五區公投,全民起義』步陳水扁後塵」『文匯報』2010年1月23日)。

民主派の中国アイデンティティと、香港本土主義の台頭
しかし、台湾情勢が香港の民主派や世論に影響を与えたという証拠はない。むしろ、既存の民主派政党は中国の民主化あるいは本土市民の人権問題に強い関心を払ってきた。特に民主党には、司徒華や何俊仁など中国本土における人権問題の改善や1989年天安門事件の再評価を求めるなど運動を続けてきた政治家が多い。かつての社会民主連線(以下、社民連)のような急進民主派政党も同様であった。そして、民主党や社民連には、香港左派や台湾の青陣営寄りの人々と共に尖閣諸島が中国領ものであると主張する「保釣運動」に加わる議員もいる。

例外は、2006年に結成された公民党である。同党は中国本土の民主化や天安門事件の再評価には拘らない方が、中国当局も香港の民主化を受け入れやすいと主張した。ただし、この公民党についても、本土市民や外国人移民などの権利を擁護する弁護士も多い。香港政府は香港基本法の規定に反して、中国本土で生まれた本土市民と香港市民の間に生まれた子供や、香港での滞在機関が7年以上経ったフィリピン人家政婦の永住権付与を拒否し来た。公民党の所属議員や党員にはこれらに関する訴訟に弁護士として関与しているほか、直接訴訟に関与していない有力議員も法の支配や人権を重視する立場から、現行の移民政策および制度に批判的である。

このように、既存の民主派政党や政治家はいずれも何らかの形で、中国本土の民主化や本土市民人権に強い関心を寄せてきた。そして、こうした問題が香港市民の直接の利益と衝突する場合、弱者保護の観点を優先するなど、香港市民の利害を棚上げすることすらあった。民主派の既存政党と所属議員らは、いずれも強い中国アイデンティティを持っていると言えるだろう。

その一方で、近年は若者を中心に香港の主体性や香港市民の利益を優先する香港本土主義という考え方が徐々に強まっている。この背景には、主に3つの要因がある。

(1)香港の政局、民主化問題に介入する中国当局へのする反発
(2)中国本土との経済社会的交流のデメリット:産業空洞化、雇用機会の減少、移民問題
(3)香港生まれの世代の増加、中国本土との絆の希薄化


(1)については、香港本土主義、既存の民主派が共有できる部分である。しかし、(2)は本土からの移民、あるいは香港の永住権を得るため香港での出産を希望する本土市民などの問題も含む。既存の民主派政党や政治家は香港において社会的弱者である本土市民や移民の権利を優先することがあるが、それは香港市民の利害と衝突する。一方、中国当局や香港政府は(2)を考慮し、香港への移民、新規永住権取得を抑制する努力を行なってきた。しかし、香港市民の若い世代には、新規移民の受け入れ自体に反発する傾向がある。それは、若い世代がちょうど就職や出産などで、新しい移民との競争やパイの奪い合いに直面しやすいからである。

さらにこれらに拍車をかけるのが(3)の要因である。香港の中高年齢者は自らも中国本土からの移民であったり、親の世代が移民であった。そのため、中国本土に親族や知人がいるなど、中国本土との絆を持っている。既存の民主派政党や政治家が中国本土の民主化、人権に問題に強い関心を払うのは、このためである。しかし、現在の若い世代は、こうした中国本土との絆を持たないか、薄い人も少なくない。また、彼らは英イギリスによる香港統治の最も終わりで、最も良い時期を経験した世代である。そのため、香港が中国に返還されたことを悔やみ、イギリス統治に対するノルスタジーを感じる人も少なくない。

城邦自治運動と反中国本土感情
こうした若い世代を中心とする市民感情を代弁し、本土主義の思想をうまくまとめたのが、陳雲根(評論家としてのペンネームは陳雲)領南大学助理教授(日本の助教に相当)の唱えた「城邦自治運動」である。彼は2011年6月にからウェブ上で「香港城邦自治運動總綱」を発表し、同年11月に著書『香港城邦論:一國兩制、城邦自治、是香港生死攸關之事』を出版した。それらのなかで、香港を主権国家でも単なる一都市でもない「ポリス」(中国語では「城邦」)と位置づけ、最終的に中国が民主化した際に香港が主導して中華連邦を形成するべきだという構想を明らかにした。ただし、民主化後の中国当局は香港と本土の境界を開放し、香港の特権を取り上げるなど、ポリスとしての香港の存続が脅かされる可能性がある。したがって、中共独裁政権が定めた香港基本法と「一国家二制度」の下で、まず「城邦」ポリスとしての香港の地位を固めておく必要があると指摘する。

陳雲根がいうポリスとは古代ギリシャを念頭に置き、民主主義を実践する単位とされている。ただしかし、ポリスの集合体としてギリシャという枠組みが存在したように、将来の中華連邦を想定しており、彼自身は「香港独立」に反対している。とはいえ、彼が主張する西洋式の民主主義は中国当局が嫌うものであり、また、彼が唱える「高度な自治」の意味も中国当局のそれとは異なる。強く主張する。中国当局は現行の香港基本法つまり、中央が香港政府の最終的な人事権を握った上での自治を意味するのに対して、陳雲根は中央の人事権掌握を排除した、完全な民主化を主張している。中国当局の言葉で言えば、陳雲根は「完全な自治」を唱えていることになる。

こうした陳雲根のいう中央のコントロールから自由なポリスである香港のシンボルが、「龍獅香港旗」である。これは、ユニオンジャックと並んでいないことを除けば、イギリス統治下で用いられた旗のデザインとほぼ同じである。香港社会における同運動の広りを正確に把握することは困難である。ただし、2012年には香港政府や中国当局に対する抗議デモが頻繁に行われ、「龍獅香港旗」だけでなく、ユニオンジャックが入ったままの英領香港旗を掲げる参加者が目立つようになってきた。

2012年の情勢は、以下の様に、2003年から2004年の情勢との類似点が多い。

(1)3月の行政長官選挙では中国当局の意向を受けて梁振英が当初優勢であった唐英年を下し、当選した。梁振英は唐英年よりも市民の支持率が高かったものの、董建華行政長官の選出や再選時以上に露骨な介入が行われた。これに反対する市民が駐香港中央人民政府連絡弁公室(中聯弁)前で抗議デモを行った。

(2)梁振英行政長官の就任前後から初等、中等教育において「国民教育」の導入問題である。本年6月前後からその準備が本格化したが、その教材は左派政党関係団体が制作し、中国共産党の統治を正当化する内容が含まれることが報道された。これに対して中国当局による「洗脳」教育との批判が起きた。返還記念日および新行政長官就任日となる7月1日を初め、大規模な抗議集会やデモなどが行われた。このため、梁振英行政長官は10月に計画を一旦白紙に戻すと表明せざるを得なくなった。ただし、「国民教育」導入の撤回を求めた9月の抗議集会、ハンガーストライキではテーマが絞られており、「龍獅香港旗」は持ち込まれなかったようである。


ただし、2005年、06年はまだ香港市民の反感が政治に対するものであり、矛先は中国当局や香港政府に向けられていた。一方。2012年には、中国本土の社会や市民に対して反感の矛先が向かっていることを印象づける事件が起きている。1月には、孔慶東北京大学教授が中国本土でのテレビ番組において「香港人は普通話(標準中国語)を話そうとしない、イギリス植民地主義の犬だ」と述べた。これは一個人による失言にすぎないが、香港では中国本土からの旅行客や「双非」問題に関する」反発が蓄積されていた。そのため、この発言は香港でも報道され、同発言にクレームを付けなかったとして中聯弁前で抗議集会が起きるなどの騒動を引き起こした。

「双非」問題とは、香港で生まれた中国公民は香港永住権が与えられるため、中国本土から妊婦がきて香港で出産することを差す。父親と母親の二人共、非香港市民であることから「双非」と言われる。これに反感を抱く市民もいるのは、香港市民である「双非」の子供でも香港市民であればのために香港政府から補助金が支出されることや香港における産婦人科病室の需要が逼迫する懸念があるのためである。

9月15および16日には中国本土との境界に近い上水駅付近において、中国本土からの渡航者の増加による治安悪化などに対する抗議デモが行われた。デモ自体は数百名程度の参加者にすぎず、7月1日のデモや国民教育導入反対集会などのような大規模なものではなかった。しかし、デモ参加者には「龍獅香港旗」や英領香港旗を掲げるものが多く、中には「中国人は中国に帰れ」と叫ぶ者や、中国本土からの渡航者を「蝗蟲」(イナゴ)と呼ぶ者もいた。そのため、デモ参加者と現場に居合わせた中国本土からの渡航者との口論、さらには小競り合いも起きた。また、デモ活動自体についても、必ずしも地元住民による自発的なものではなく、ネット上での呼びかけで集まった参加者が多かった。そのため、こうした過激なスローガンや住宅街でのデモ行進を快く思わない地元住民から警察に苦情が寄せられることもあった。

さらに10月11日の中国国慶節(建国記念日)においても、デモ隊が中聯弁の前で「龍獅香港旗」や英領香港旗を掲げ、同様のスローガンを繰り返した。そのため、梁振英行政長官は翌日12日、イギリス統治時代の香港旗や龍獅香港旗を持ち出すことを「(植民地への)後退である」と非難し、また「城邦自治運動」に対しても香港の実態に即わないと述べた。中国当局の関係者からも、元国務院香港マカオ弁公室主任の魯平がサウスチャイナ・モーニング・ポストへの投稿で「香港は中国本土なしで生存できない」(South China Morning Post website, http://www.scmp.com/comment/letters/article/1059029/letters-editor-october-12-2012)「自分が中国人ではないと思う者は、国籍を放棄することが出来る」(“Love China or leave, Lu Ping tells Hong Kong's would-be secessionists.” South China Morning Post. 01 November, 2012)と述べ、また同弁公室副主任だった陳佐洱も香港独立論を批判しつつ、「ウィルス」のように広がることを懸念していると述べた(「陳佐洱:嚴正應對『港獨』抬頭」『文匯報』2012年10月25日)。

香港本土意識と「香港独立」の微妙なバランス
梁親英行政長官は香港市民の中国本土に対する反感が、交流の拡大によって生じた摩擦にあると考え、これらを解決することで「香港独立論」を抑えることができると考えているようである。既に、行政長官当選直後の4月に香港で出産を希望する中国本土の妊婦の受け入れを全面的に中止する意向を示し、これは2013年より実施される予定となっている。中国当局の見方も、基本的にはおそらく同じであろう。というのも、先に紹介した中国当局関係者の批判も、経済や民生問題における中国当局の努力を強調しているからである。

一方、民主派の一部からは、梁親英行政長官が価値観の違いや民主化の遅れに原因があることを認めないことに対する批判も見られる。実際、香港本土主義とよばれる考え方は、「香港独立論」が顕在化する数年から、特に若い世代の間に顕著になってきた。例えば、再開発に伴うセントラルのフェリー乗り場の移転に際し、その保存・取り壊し反対を求める運動などは、香港市民の中に自らの故郷として愛着を持つようになった一例である。従来、香港市民の多くは中国本土の共産化を逃れてやってきた移民とその子孫であり、香港を単なる避難先と考える傾向が強いと言われてきた。しかし、今日の政治、社会状況は、こうした意識が変化し、明らかに香港本土意識あるいは香港アイデンティティが強まっている。

こうした香港本土意識が香港独立論に至らない間は、香港政府も中国当局も危険視をしているわけではない。むしろ、それを是認する場面すらある。2010年8月にフィリピンで起きたバスジャックおよび香港人観光客死傷事件をめぐる香港政府の対応は、中国当局も香港本土意識に配慮し、本来の一国二制度からの逸脱を容認せざるを得なかった事例である。

この事件では15人の香港人が人質になり、うち8人が死亡した。また、その原因が現地警察の不手際にあるだけでなく、人質を死亡させた銃弾がバスジャック犯によるものではなく、対応にあたった警察側の発砲が含まれる可能性が指摘された。このため、同事件は香港市民の強い関心を集め、さらにはフィリピン政府への反感が生まれた。香港には家政婦として出稼ぎに来るフィリピン人が多いが、こうした事件と無関係なフィリピン人まで「人殺し」と罵声を浴びせられることもあったという。さらに、香港の立法会議員らも香港政府に対して、フィリピン政府と直接掛け合い、真相究明を果たすよう求めた。

確かに香港政府には経済社会分野に関して、国際組織などに参加することが許されている。しかし、こうした事件への対応は領事業務であり、一義的には中国の現地大使館が行うはずである。香港政府が関与する場合でも、本来は香港にある外交部特派員公署や現地の大使館など中国外交部を経て行う必要があったはずである。それにもかかわらず、香港の曽蔭権行政長官はこれらを飛び越え、フィリピン大統領府に直接電話をかけてアキノ3世大統領を呼び出そうとした。政府部門も積極的にフィリピン政府と直接交渉を試み、最終的には香港警察の捜査官をフィリピンに派遣するなどの独自外交を展開した。この間、中国当局も外交ルートを通じて、フィリピンに真相究明や被害者への補償などを求めたが、香港政府の独自行動を咎めず、香港市民の怒りが自らに向かうことを避けた。むしろ香港政府と連携してフィリピン政府を追及する姿勢をアピールすることで、香港市民の評価を高めようとした。

とはいえ、こうした動きは、香港の地位が台湾のような政治実体であると市民に思わせる可能性もある。鳳凰衛視(フェニックステレビ)の阮次山解説員は曽蔭権行政長官がフィリピン大統領に直接電話会談を求めたことについて、「地方首長としての分をわきまえない行為である」と批判したが、香港市民にはこの批判に反発するものも多かった。政治学者である旭暉香港教育学院副教授も、「香港には『次主権』がある」と主張し、阮次山に反駁した。

旭暉に対しては、劉兆佳中央政策組主席顧問や張炳良教育学院学長(行政会議非公式メンバー)など他の政治学者から、「香港政府の対応は中央政府からの授権に基づく範囲であり、妥当である。しかし、香港には次主権が与えられていない」との反論が出された。

しかし、筆者には、基本法に従えば曽蔭権行政長官の対応が「行き過ぎ」とする阮次山の批判にも一理あり、基本法に抵触する恐れがある行為でも正当化されるべきと考えるならば、「次主権」という旭暉の主張を採用するのが妥当に思える。香港警察の捜査員派遣は、香港とフィリピンの刑事司法協力協定に沿ったものとされたが、そうした協定の存在自体が「次主権」の存在を示唆している。

より端的に言えば、今日、香港あるいはマカオで実施されている「一国家二制度」とは、香港やマカオを中国の従属領域にとどめつつも、国際社会では「次主権」のある政治実体として振る舞うことも可能にした矛盾した性格を持っている。中国当局が「高度な自治」と「完全な自治」の違いにこだわるのも、この問題と関係がある。国際社会において、従属領域には自治権がある。中国の枠にとどまるか否かは、香港住民の意思によるべきである。しかし、中国当局には独立を認める用意がなく、中国に届ける留まることを香港市民が望み続けるよう誘導するか、強制するしかない。

「高度」と「完全」の違いは、むしろ自治権そのものではなく、むしろ、中国当局が行政長官の人事権を通して香港政府を掌握するか、どうかの違いにある。香港基本法に従って民主化を完了した後も、行政長官のは香港市民による投票で選出されても、最終的な任命権は中央政府つまり国務院に残る。これは事実上の拒否権になりうる。

仮に香港に国際社会への参加が認められていない場合、香港の民主化がより容易であったかどうかは断言できない。しかし、中国当局が香港の自治権が独立につながることを恐れており、返還後、そのリスクが実際に存在することを再認識したと思われる。いずれにせよ、「一国家二制度」は中国当局の思惑と香港市民のアイデンティティの間の揺れを制御しなければ維持できず、綱渡りをするかのような本質的に不安定な制度だといえるかもしれない。

台湾と香港の比較:「中国」枠組みと国際社会への参加
香港と違い、台湾ではすでに民主化し、大統領(総統)と議会(立法院)が普通直接選挙で選出されている。また、「中華民国」という国家として承認されていないものの、台湾は他国の支配を受けない政治実体である。中国(中華人民共和国)は台湾を自国の一部をみなしているが、台湾の行動を直接制約することはできない。

とはいえ、台湾は広義の「中国」という枠組みと無関係なわけでもない。台湾で施行されている「中華民国」憲法は中国大陸(上記における香港と中国本土を合わせた領域)をその一部とみなしている。台湾と中国は互いに「中国」が何を指すか異なるものの、中国大陸と台湾が「中国」の枠組みにあるという考え方が建前上残っている。これが、いわゆる「92年コンセンサス」であり、2008年に発足した台湾の馬英九政権と中国が関係改善を進めるための前提となる考え方である。

台湾の野党、民進党はこうした現状を好まず、特に陳水扁政権は、新憲法制定の必要性を唱えた。台湾の民意も、「台湾」あるいは「中華民国」のいずれかとして、自らが国際社会の一員たるべき国であることを望んでいる。そのため、現在の中国国民党・馬英九政権も、国際空間の拡大を望む民意にこたえるべく努力する必要に迫られる。馬英九政権は、「92年コンセンサス」について「一つの中国、各自が表現」という形で、台湾と中国の間で解釈に違いがあることを認めたうえで、中国に台湾の国際空間拡大を認めるよう求めるのが馬英九政権の姿勢であるている。しかし、中国側は非公式に「一つの中国、各自が表現」との解釈に言及したものの、半官半民組織を通じた台湾との交渉において認めることを躊躇している。その背景には香港のケースと違い、中国には台湾の政局をコントロールする手段がないことが考えられる。台湾にどの程度の国際空間を許容するべきなのかは、中国にとって香港のケース以上に慎重な対応が必要になる。

従来の中国は台湾の地位を香港と同じと主張しつつ、実際は香港よりも限定した範囲でしか台湾に国際社会への参加を認めようとしなかった。台湾は一部の国と外交関係を持ち、地域的国際組織の一部でも事実上「正式加盟国」とされてきたが、中国の意向が反映されやすい国連システムの中では香港よりも参加の機会が少なかった。馬英九政権発足後も、認められた例外は世界保健機構(WHO)総会にあたる世界保健大会におけるオブザーバー参加のみである。これは正式加盟でないばかりか、その都度WHO事務局からの招聘状を必要としており、台湾の権利として認められたものではない。馬英九政権は国際労働機関(ILO)、国連気候変動防止枠組条約、国際民間航空機関(ICAO)などへの参加、希望している。しかし、現時点で具体的な進展はない。
WTOで認められたFTAの締結についても、馬英九政権はシンガポールやニュージーランドと交渉中であることを明らかにしている。また、アメリカとのFTAやTPPへの参加にも強い関心を持ち、アメリカとの交渉開始を模索している。ただし、いずれにおいても、いまだ具体的な成果は明らかになっていない。一方で、香港は2009年以降、既に複数の国およびEUとの締結にこぎつけている。さらに2012年6月には中国商務部の高虎副部長が香港を中国とASEAN間のFTAに加盟させるべく、ASEAN諸国と交渉していることを明らかにした(「港將納中日韓FTA、東協10+1」『中国時報』2012年6月16日)。

こうした事例を見ると、「92年コンセンサス」は中国と台湾の関係改善を果たしたものの、台湾の国際社会への参加を促進するうえで有用であるのか定かでない。中国は台湾との交渉について、既に多くの分野で進展した協定が締結された経済分野だけでなく、平和協定など政治分野においても進める意向を持っている。馬英九政権の側にもそうした意図が全くないわけでない。しかし、台湾の国際社会への参加が進まない状況では、政治分野の協定に対する台湾世論の支持がを得られない。馬英九政権よりの学者の中にも、「平和協定を締結するなら、中国に政治実体としての台湾の地位、国際社会への参加を認める趣旨を盛り込まなければ、世論に『中国への投降』とみなされてしまう」という意見が出ているほどである。

経済分野である投資協定においても、同様の問題がある。2012年唯一行われた江陳会談(第8回、8月開催)で投資協定が締結されたものの、国際仲裁機関の利用は見送られ、台湾人駐在員などの身柄保護については交渉途中の議論をまとめた「コンセンサス文書」の交換だけに終わった。このうち、国際仲裁機関は民間組織であるが、中国側にとっては台湾の国際参加に準じた問題である。民間組織でも中国側の態度が頑なであることを考えれば、中国が台湾の政府間組織への加盟を認める可能性が極めて低いと考えざるを得ない。

しかし、香港をめぐる「高度な自治」と「完全な自治」の違いにかかわる中国当局の言動を見ると、台湾と中国の関係改善にこうした限界があることは、むしろ当然にも思える。将来、中国当局が台湾の国際社会への自由な参加を認めることがあるとすればには、「中国」という枠組みのあり方について大幅な再考をが必要とするであろう。陳雲根がいうような「ポリス」としての香港を認めるかどうかは、台湾の地位に関する中国側の姿勢とも連動する問題なのである。

まとめ
中国当局は香港や台湾における「独立論」や「独立運動」を批判する。しかし、こうした動きが出てくる原因は中国当局自身にもある。香港については、民主化の進展を一時的に止めたことのほか、フィリピンでのバスジャック事件のように香港政府の「独自外交」を容認してしまったことである。台湾については、台湾の国際空間を香港以上に限定していることである。とはいえ、香港の「独自外交」を抑えれば、香港での中国当局に対する反感が増大する。台湾に自由な国際空間を与えれば、文字通りの独立を認めるに等しい。中国当局にとって、こうしたジレンマが存在することも事実である。

とはいえ、こうしたジレンマも中国当局が招いたものである。香港基本法は民主化の方針を含めて、中国当局自身が作ったものである。中国アイデンティティが強い香港において「香港独立論」が拡大したことも、中国当局による「予言の自己実現」である。中国当局は、台湾と香港の情勢に相互作用があると警戒しているが、そうした実例はない。陳雲根がいうように「一国二制度」の基本的な枠組みを維持しながら最大限の自治を認める方が、「香港独立論」を抑制できるはずである。

台湾においては、もともと「独立論」が存在し、それを主張した民進党も存在する。しかし、それ故に中国も政治実体としての国際空間を要求する馬英九政権との関係改善に応じざるをえなかった。とはいえ、馬英九政権との交渉再開後も、中国は譲歩を小出しにし、台湾の地位向上や国際空間拡大が「中国と交渉を要する事項」と印象付けたため、台湾の反中国感情は必ずしも改善していない。過去には陳水扁政権の譲歩を無視して強硬な態度をとったこともある。その意味では、台湾で「独立」志向が強いことも、中国による「予言の自己実現」という要素がないとは言えない。

いずれにせよ、香港の事例は経済や人的な交流、対中依存だけで民意を絡めとることは難しい。むしろ、こうした交流や依存の拡大のあり様によっては、世論の反感を招くことを示した。また、詳細には議論しなかったが、香港の反中国本土感情は、もしかしたら、台湾の反中国感情よりも問題の根が深いかもしれない。台湾では戦後に中国から来た国民党政権との衝突である228事件をふくめた歴史的な事情がある。しかし、台湾人が来訪する生身の中国人観光客に直接憎悪を示すことは少ない。一方、香港の反中国本土感情には、自らの社会や生活に対する直接の脅威をうけて新たに生まれた側面もある。こうした側面が大きい場合、香港の反中国本土感情は上で議論した以上に解決困難かもしれない。いずれにせよ、「香港独立論」そのものは未だ少数派であり、真相を見極めるには今後の情勢観察が必要である。



本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。