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医薬品の無料供給計画に関する考察

海外研究員レポート

インド

久保 研介
2012年11月発行
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1. 政府系医療施設を通じた医薬品アクセス向上計画
去る10月、ラージャスターン州ジャイプール市で開かれた医薬品関連の会議に参加する機会を得た。会議では、国民の医薬品アクセス向上を目指すにあたって政府が担うべき役割について議論が行われた。なかでも注目を集めたのはラージャスターン州政府の試みである。同州では、2011年10月からすべての政府系医療施設で300品目以上の必須医薬品が無料で提供されるようになった。これにより、同州の住民は2012年10月までの1年間で約150億ルピー(約225億円)の支出を免れたと推定される(Press Trust of India, 2012)。

インドの政府系医療施設では診療費が低く設定されており、薬が無料で提供されることも少なくない。しかし多くの場合は必要な薬が常備されておらず、患者は外の薬局で薬を買うこととなる。2004年に実施された全国標本調査(National Sample Survey,以下NSSと略す)によると、政府系病院に入院した患者の96.8%が薬を投与されているが、そのうち薬剤の一部もしくは全部を病院から無料で与えられた患者の割合は60.4%にとどまっている(National Sample Survey Organization, 2006, Table 27)1。また、政府系医療施設の入院患者は薬の購入に平均で963ルピーを使っているが、うち918ルピーは院外からの購入にあてられている(National Sample Survey Organization, 2006, Table 33)2。したがって、ラージャスターン州で行われているように政府が医薬品を無料で供給することの意義は大きい。

ラージャスターン州のスキームの特徴は、政府系施設で使う薬の調達を、医療サービス公社(Rajasthan Medical Services Corporation,以下RMSCと略す)のもとに一元化した点だ。これにより、いままでは複数のルートから不透明な方法で調達されていた薬が、透明性の高い入札制度のもとで一括調達されるようになった。メーカー間の競争が促され、州政府の交渉力が発揮されるようになった結果、政府の調達コストは大幅に下がった3。また、州政府は政府系施設の医師に対して従来のようにブランド名で薬を処方することを禁じ、一般名(ジェネリック名)による処方を義務化した。さらに、州が定める必須医薬品リストに掲載された薬を優先的に処方するよう指導した。その結果として、患者が必要な薬をなるべく院内で入手できるような環境が整ってきたという。

政府系医療施設で利用される薬を一括調達する手法は、1995年に南インドのタミルナードゥ州で最初に実践された(Lalitha, 2008)。その後いくつかの州で再現が試みられてきたが、ラージャスターン州はそのなかでも一人当たり所得が低く、教育水準や医療アクセスなどの社会指標も低い部類に入る。そのため、同州の成功経験は全国的に注目されている。ジャイプールで開かれた会議にはグジャラートやマハーラーシュトラなど他州の政府関係者が多数参加しており、自州への制度導入に向けてノウハウを取得している様子だった。また、2012年7月にはインド政府が同様のスキームを全国的に展開する予定だと報道された(Bajaj, 2012)。発表が間近とされる第12次5カ年計画(2012~2017年)にも、政府系医療施設を通じた医薬品の無料供給が盛り込まれる見込みだ(Dhar, 2012)。

2. 国民の大半は民間施設を選択
一方で、インドの政府系病院やクリニックは概してサービスの質が低く、国民の大半は民間の医療機関に頼っているのが現状である。したがって、政府系施設が薬を無料で提供しはじめたからといって国民の医薬品アクセスが大幅に向上するとは限らない。
NSSのデータによると、調査時点から数えて過去15日間に病気を患った人のうち84.3%が医療施設で診療を受けた。そのなかで政府系施設を訪れた人の割合は21.4%に過ぎない(National Sample Survey Organization, 2006, Table 41)。1990年代から政府系施設で医薬品を無料提供しているタミルナードゥ州でも、その割合は2割強にとどまっている。

図1はこの数字を農村部・都市部別、そして消費水準(所得水準の代理変数)の別に細分化したものである。ここから分かるように、農村部居住者よりも都市部居住者のほうが医療施設で診療を受ける確率が高く、高所得者ほどその傾向が強い。また、低所得者は政府系施設を利用する割合が高い。しかし最低所得層でも約7割の患者が民間施設を選んでいることが分かる。農村部と都市部を比較すると、低所得層と高所得層に関しては農村部のほうが政府系施設を利用する割合が高いが、その差はさほど大きくない。


図1a 過去15日間に病気を患った家計構成員が医療施設を利用する割合(農村部)
図1a 過去15日間に病気を患った家計構成員が医療施設を利用する割合(農村部)
出所: National Sample Survey Organization (2006)
注:2004年当時の為替レートで、1ルピー=約2.4円


図1b 過去15日間に病気を患った家計構成員が医療施設を利用する割合(都市部)
図1b 過去15日間に病気を患った家計構成員が医療施設を利用する割合(都市部)
出所: National Sample Survey Organization (2006)


入院患者に限定すると、とくに低所得層において政府系施設を使う割合が高い。しかし、それでも農村部に居住する最低所得層(一人当たり月間消費額が225ルピー以下)の世帯で入院患者が出た場合、36.5%の割合で民間施設が選択されており、全体では59.3%のケースで民間施設が選ばれている(National Sample Survey Organization, 2006, Table 23)4

国民はなぜ政府系医療施設を敬遠しているのだろうか。図2はNSSのアンケート調査に基づいて、患者が政府系施設を利用しない理由をまとめたものである。都市部、農村部ともに最大の理由は政府系施設で受けられる診療の内容に対する不満である。あいにく具体的にどういった点に不満であるかは明らかでないが、Das and Hammer (2007)などの調査によると、政府系施設の医師のほうが一人一人の患者の診察にかける時間が短く、処方する検査や薬の数が少ないことが明らかになっている。NSSの調査結果はこうした違いを反映しているものと思われる。ただし処方する薬の数が少ないからといって診療の質が低いとは限らない。むしろインドの民間医療機関では薬が過剰に投与される傾向があり、患者の治癒を阻害している可能性がある(Das and Hammer, 2007)。


図2a 政府系医療施設を利用しない理由(農村部)
図2a 政府系医療施設を利用しない理由(農村部)
出所: National Sample Survey Organization (2006)

図2b 政府系医療施設を利用しない理由(都市部)
図2b 政府系医療施設を利用しない理由(都市部)
出所: National Sample Survey Organization (2006)

農村部では、政府系施設が自宅から遠いこともそれらを利用しない大きな理由となっている。しかし、これは必ずしも施設が物理的に不足していることを意味しているわけではない。ほとんどの地域で住民がアクセスできる圏内に基礎医療センター(primary health center)あるいはそのサブセンターが存在しているものの、それらの施設の多くで医師や看護師が不在なのである(Muralidharan et al., 2011)。他方、都市部では待ち時間が長いこと、すなわち混雑していることが政府系施設を利用しない大きな理由となっている。

筆者が9月にアーンドラプラデーシュ州の農村を訪問した際にも民間医療施設を指向する声が聞かれた。ある農業労働者の女性は、夫が開腹手術を行った際に政府系病院を利用したが、お金があれば民間を使いたかったと漏らしていた。別の農業労働者男性は、老いた母親の病気治療のために1時間ほど離れた町の民間病院を使っていることを誇らしげに語っていた。

3. 医薬品無料化計画は功を奏するか
現状では、インド国民の過半数が民間医療施設を利用している。政府系施設に入院した場合の平均的な費用は民間の約30%という低さであるにもかかわらず、サービス内容や利便性の違いから、国民は年々民間指向を強めている(National Sample Survey Organization, 2006)。

一方、入院時の診療費全体に占める薬剤費の割合は政府系で65%、民間施設でも40%に達している。この状況下で政府系施設において薬を無料提供するという政策が実現すれば、政府系の入院診療費は民間の10%近くにまで下がるだろう。その結果として、政府系施設の利用希望者は大幅に増えることが予想される。一部の利用者は、民間施設から公的施設へと移行すると思われる。また、今まで診療を受けなかったようなケースでも、政府系施設で診てもらうようになる可能性はある。

そこで問題となるのは、現状でも利用者のニーズに十分応えていない政府系医療機関が、薬の無料化に伴う需要増加にどう対応するのかという点だ。都市部で顕著な医療施設の混雑問題は、薬の無料化によってさらに悪化しかねない。そうなった場合、政府系施設を利用する患者達の平均的な効用水準はかえって下がってしまう可能性がある。また、農村部で特に目立つ医療スタッフの欠勤問題が解決されなければ、医薬品を無料化しても患者には届かないだろう。

以上から分かるように、国民の医薬品アクセス問題を解決するには、政府系医療施設で出す薬を無料化するだけでなく、医療施設で提供されるサービスの質も向上しなければならない。インド政府の第12次5カ年計画は、政府系医療機関を強化することで国民の医療アクセスを高めることを目指しているが、今のところ具体策に乏しい。新聞報道を読む限りでは、医薬品の無料供給計画が最大の目玉のようだ(Krishnan and Anuja, 2012)。このままでは、優良な医療サービスおよび医薬品へのアクセスを高めるという目標は達成されない可能性がある。インド政府は今一度、政府系施設で提供される医療サービスの質の改善に本腰を入れて取り組むべきだろう。


参考文献
Bajaj, Vikas (2012) “India Weighs Providing Free Drugs at State-Run Hospitals,” New York Times, July 5.
Das, Jishnu and Jeffrey Hammer (2007) “Money for Nothing: The Dire Straits of Medical Practice in Delhi, India,” Journal of Development Economics, 83, pp.1-36.
Dhar, Aarti (2012) “Generic Drugs to Be Given Free to Poor: Manmohan.” The Hindu, November 3.
Krishnan, Vidya and Anuja (2012) “Government to Assure, Not Insure, Health,” Mint, September 12.
Lalitha, N (2008) “Tamil Nadu Government Intervention and Prices of Medicines,” Economic and Political Weekly, January 5, pp.66-71.
Muralidharan, Karthik, Nazmul Chaudhury, Jeffrey Hammer, Michael Kremer, and F. Halsey Rogers (2011) “Is There a Doctor in the House? Medical Worker Absence in India,” Working paper.
National Sample Survey Organization (2006) Morbidity, Health Care and the Condition of the Aged, Report No. 507, NSS 60th Round.
Press Trust of India (2012) “Rajasthan Distributes Generic Drugs Worth Rs. 300 cr. in a Year,” November 6.



脚 注
  1. 民間病院では入院患者の97.4%が医薬品を投与されており、そのうちの2.7%が薬を無料で得ている。
  2. 民間病院の入院患者は平均で2003ルピー分の薬を買っており、そのうち1460ルピー分は院外から調達している。
  3. RMSCのSamit Sharma社長(managing director)の報告によると、薬の調達コストは最高小売価格(maximum retail price)の1割から5割程度である。
  4. 都市部の最高所得層(一人当たり月間消費額が1925ルピー以上)では、政府系施設を利用する割合は17%にとどまっている。


本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。