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大財閥を夢みた企業家の挫折--熊津グループの経営破綻

海外研究員レポート

韓国

2012年10月発行
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はじめに
資産額で財界39位グループである熊津グループが事実上、経営破綻した。同グループはサムスングループの資産規模と比べれば5%にも満たないが、今年に入って韓国の景気が急速に失速するなかでの初めての大型倒産であること、また熊津グループが現在の上位・中堅グループのなかでは珍しく現オーナー一代で現在の地位まで登りつめたグループであることなどから、その波紋は大きく広がっている。ここでは熊津グループの成長から破綻に至るまでの軌跡を報告したい。

トップセールスマンからの起業
熊津グループの創業者であるユンソックム(尹錫金)は1945年に忠清南道公州の貧農の子として生まれた。建国大学経済学部を卒業後、1971年に韓国ブリタニカのセールスマンとして就職する。ここでユンソックムは入社1カ月で国内販売1位、入社1年で世界54カ国のブリタニカで最高のセールスマンに贈られる賞を受賞した。1973年に地域長、1976年には常務、とスピード出世を遂げたが、間もなく独立、創業を決意する。ここでユンソックムが目をつけたのは英会話教材の販売であった。ユンソックムは当時、日本で人気を博していた英会話教材MESL(Modern English Self Learning)の韓国版販売にむけて、同教材の韓国語版の出版のために図書出版ヘイムインターナショナル(後に熊津出版に改称、現在の熊津シンクビック)を設立した。販売開始にあたって地域ごとの7つの支部とその下に186名のエージェントを置いて訪問販売を主とした営業網を整備したという。MESLは他社製品と比べて価格が4倍もする高価商品であったが、販売開始直後から注文が殺到するなど好調な売り上げをみせた。

さらなる事業の拡大のためにユンソックムが直接投資したのは学習教材だった。1980年に政府は加熱する受験戦争を抑制するために「課外」(塾や予備校など、正規学校以外の教育)を禁止した。そこで講師の授業内容を録音して、英会話教材のようにカセットテープとテキストを販売するのはどうかと考えたのである。さっそく全国有名塾・予備校の講師をスカウトしてテキスト「ヘイム高校学習」を開発した。当初、認知度不足から売り上げは不振だったが、教師出身者をセールスマンに大量採用して父兄や学生にアピールする戦略が功を奏した。売り上げは大幅に伸び、熊津出版は安定した事業基盤を確立することに成功した。さらに学習教材では中学生向けなどに事業を拡大するとともに、新たに児童向け図書の出版事業にも進出した。進出にあたっては就職に苦しんでいた学生運動出身のソウル大卒業生を編集部に採用するなどして人材を確保したという。最初に出版した「子供の村」全36巻は700万部以上の大ベストセラーとなり、熊津出版は学習教材と児童向け図書の訪問販売を主軸に、1980年代を通じて急成長を遂げた。

浄水器ビジネスで急成長
1980年代末にユンソックムは、訪問販売のノウハウを基盤に新事業への参入を果たし、熊津グループが本格的に飛躍を遂げる契機となった。それが家庭用浄水器事業であった。これに先立つ1987年にユンソックムは朝鮮人参の加工食品を製造・販売するドンイル参業を設立(現在の熊津食品)、1988年にはサランス化粧品を設立(翌年にコリアナ化粧品に改称、1999年に売却)して食品と化粧品の訪問販売にも挑戦しようとした。しかし、訪問販売網を効率的に運営するためには販売する製品を多様化する必要があった。そこで考えられたのが家庭用浄水器事業であり、ユンソックムは1989年に韓国コーウェイ株式会社(後に熊津コーウェイに改称)を設立した。当初は輸入販売をおこなう予定であったが品質面で問題があったために製造も手がけることとし、アメリカ水質協会の安全基準に沿った製品づくりをおこなった。おりしも1990年に洛東江で起こった化学物質フェノールの流出事故を契機に一般家庭で飲み水の安全性に対する認識が高まっていたこともあり、熊津コーウェイは順調な滑り出しをみせた。

熊津コーウェイがさらに成長する契機となったのが1997年の通貨危機である。危機後の構造調整によって国内景気が冷え込んで浄水器販売も大きく落ち込んだ。ここで熊津コーウェイは浄水器の販売でなく新たにリース事業を開始した。しかも単なるリースでなく、定期的な訪問によるフィルタ交換や水質検査など、付加的なサービスを充実させた。コディと呼ばれる主婦を中心とした女性販売員やCSドクターと呼ばれる訪問技術スタッフを整備し、これにより2000年に2773億ウォンだった売り上げは2005年には1兆80億ウォンまで急増し、リース会員数は同年に365万人に達した。

製造業-太陽光発電事業への進出
ここまではよかった。しかし通貨危機というピンチをチャンスに代えて自信を深めたユンソックムは、2000年代後半に入って更に新たな事業への進出を図った。ここで選んだのが太陽光発電と建設という、既存の事業とはまったく関連のない分野であった。

太陽光発電システムは一般に、ポリシリコン→インゴット・ウェハ→セル→モジュール→システムという流れで生産され、販売される。熊津グループは2005年末頃から太陽光発電事業への進出を検討し始めたが、この時点では熊津コーウェイの訪問技術スタッフのネットワークを活用して住居用太陽光発電設備を設置、管理するサービスを始めるという発想だった。しかし、当時、日本やドイツなどで太陽光発電システムの製造が急成長していたことを受け、製造部門への参入が適切と判断したという。結局、米国のサンパワー社との合弁により2006年に熊津エナジーを設立し、サンパワーからインゴット製造とモジュール組み立ての技術を導入して生産を開始した。熊津グループはさらに2008年に熊津ポリシリコンを設立し、川上のポリシリコン部門への進出を果たした。同年には合成繊維・化学材料メーカーであるセハン(熊津ケミカルに改称)を買収しており、セハンの重合工程の技術者を有効に活用したという。

しかし、この時期、太陽光発電事業には韓国内でも海外でも多くの企業が参入を果たし、競争が激しくなった。生産には規模の経済が働くため、生き残りのためには生産設備を拡張するしかなく、熊津エナジーと熊津ポリシリコンも設備投資を続けた。その結果、世界的に供給過剰となり、財政危機によって欧州の政府が太陽光発電に対する補助金を大幅に削減したことがこれに追い打ちをかけた。太陽光発電事業2社の業績悪化は熊津グループにとって大きな重荷となってしまったのである。

建設会社買収という「悪手」
熊津グループの末路を決定づけたのは建設業への進出であった。通貨危機前後に破綻した企業の多くが銀行債権団や外資ファンドのもとで再建を図っていたが、2000年代後半はこれら企業が「売り物」としてM&A市場に現れた時期であった。中堅グループは競ってこれら企業を買収して事業規模の拡大を図った。熊津グループも2007年に極東建設、2008年に先に見たようにセハンを相次いで買収した。特にユンソックム会長は常々「建設業と金融業は資本主義の華」と語るなど、建設業への進出には強い情熱をみせた。しかし、買収ブームのなかで熊津は市場価値よりもはるかに高い値段で極東建設を買収したとされる。

買収後間もなく、それまで活況を呈していた不動産市況が一転して沈滞するが、極東建設は分譲収益を担保に金融機関から資金を調達する不動産プロジェクトファイナンスを梃子にアパート開発に邁進した。しかし2011年以降、不動産不況が本格化してアパート分譲事業は極度の不振に陥り、極東建設、及び同社に事実上の債務保証をおこなっていた熊津ホールディングスは資金繰りが困難となった。熊津グループは優良企業である熊津コーウェイを売却して資金を捻出しようとしたが果たせず、結局2012年9月26日、熊津ホールディングスと極東建設は会社更生のための法廷管理を申請することになったのである。

2006年に大宇建設を買収した錦湖グループ、同年に建栄を買収したLIGグループ、2008年に進興企業を買収した暁星グループ、同年に南光土建を買収した大韓電線グループ、そして今回の熊津グループと、2000年代後半に建設企業を買収した中堅グループの多くが経営危機に陥っており、建設会社は企業グループの経営の足を引っ張る存在となってしまっている。熊津グループの破綻を受けて、金融監督院はやはり傘下の建設会社が経営不振に陥っている2グループの財務状況を監視しているとされる。

大財閥化への夢と挫折
以上でみてきたように、熊津グループは英語教材、学習雑誌・児童書籍、そして家庭用浄水器へと、訪問販売を軸とした事業展開により急成長を遂げた。しかし2000年代後半の太陽光発電設備事業と建設業への積極的な投資が徒になり、熊津グループはグループ2社の法廷管理申請を余儀なくされた。ユンソックム会長は依然としてグループの経営再建に意欲を示しているとされるが、法廷管理申請前に協議がなかったことで不信を強める債権金融機関は系列企業の売却を求める意向とされ、グループが維持されるかどうかは不透明な状況である。

サムスン、現代自動車といった大財閥が経済のみならず社会全体に大きな影響力を保持している韓国にあって、中堅グループは依然として新規事業を通じた規模の拡大を志向している。特に、2000年代の韓国経済は、ひとことで言えば輸出大企業と住宅バブルの時代であった。時代の雰囲気のなかで、ユンソックムは地道な訪問販売ビジネスのみでは限界を感じ、新たな事業での飛躍を夢見たのかもしれない。しかし、新規事業は既存事業とかけ離れたものであり、また時代も変わろうとしていた。設備と技術を導入してすぐに輸出できるようなビジネスには中国など新興国の企業も積極的に参入するようになり、従来のような利益を生まなくなっている。また住宅バブルも崩壊し、建設業は金のなる木どころか経営の足を引っ張る存在になってしまっている。

韓国経済は現在、世界経済の低迷による輸出の鈍化に加えて、家計負債の膨張に伴う民間消費の落ち込みにも直面している。熊津グループの破綻は不況長期化の兆候なのか、韓国の2012年秋は大統領選挙前の熱気よりも不況の重苦しさが社会全体を覆っているようにみえる。


(参考文献)
웅진홀딩스『서른살의 웅진이야기』(熊津ホールディングス『30歳の熊津ものがたり』) 2010.




本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。