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『均富』への厳しい船出:証券キャピタルゲイン課税法案をめぐる紆余曲折

海外研究員レポート

台湾

2012年6月発行
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1. 証券キャピタルゲイン課税法案をめぐる経緯
5月20日、第二期・馬英九政権が発足した。1月の総統選挙では52%と、予想を上回る得票を得て再選を果たした馬氏ではあったが、就任式までの端境期に電気料金、ガソリン料金の値上げ、添加物入り米国産牛肉の輸入解禁に向けた法案提出といった政策を矢継ぎ早に打ち出したことで、国民の間には失望感が広がり、就任直前の世論調査では政権支持率が22%(TVBSによる調査)にまで低下するなど、波乱に満ちた船出となった。

発足直後の馬政権が取り組むこととなった政策課題の一つが、個人投資家による証券取引益への課税復活という政策課題である。証券キャピタルゲインへの課税は、シンガポールや香港、中国を少数の例外として、多くの国で行われているが、台湾では、1974年に課税が停止されて以来、今日にいたるまで個人投資家については免税扱いとされてきた。1988年には、国際的にも知られた経済学者の郭婉容・財政部長が証券キャピタルゲイン課税の再開を試みたが、これが引き金となって株価の暴落が生じ、断念へと追い込まれた経緯がある。

近年の台湾では税制改革が重要な政策課題となっている(佐藤[2010])。台湾では、長らく各種の租税減免措置によって課税ベースが損なわれてきた。またその減免措置は、総じて高収益のハイテク企業や高額所得者に有利なものとなってきた1。このうち、ハイテク産業の企業が享受してきた減免措置については、2009年末の産業高度化促進条例の廃止によって大きく縮小された。他方、後者については、不動産の実際の取引価格に基づく取引所得課税の実施、一部を除いて免税となっている個人の証券取引キャピタルゲイン課税の再開等の課題が残されている。近年の台湾では経済格差の広がりが強く意識されるようになっており、租税負担面での公平性と所得格差の是正への取り組みを求める声が高まりつつある。二期目を迎え、再選の圧力から解放された一方で、反対陣営から「無策・無能」との批判にさらされてきた馬英九総統は、再選直後からこの課題への取り組みを模索し始めた。

第二期・馬政権の発足を控えた2月に財政部長に就任した劉憶如(前・台湾大学教授、前・親民党立法委員)は、3月に財政健全チームを立ち上げて政策の優先課題を検討し、馬氏の掲げる「負担能力に応じた課税」「公平正義」「貧富の格差の縮小」といった目標の実現に向けて、まず証券キャピタルゲイン課税の再開に着手する方針を打ち出した。4月12日にはそのための所得税法改正に関わる財政部案、同26日には行政院案がそれぞれとりまとめられ、5月1日には後者が立法院に送付された。このうち行政院案は証券売却益が400万元を超えた場合、その超過分に対して15-20%の税率を課すというものであった。

劉氏は、1988年に同税の復活を目指して挫折した郭婉容氏の娘であることから、台湾のメディアでは「娘による母の敵討ち」といった論調で劉部長の一挙手一投足が注目されることとなった。馬総統も5月初旬の国民党中央常務委員会で、孫文の「均富」理念を引き合いに出して、税制負担の公平化に向け、まずは個人投資家の証券キャピタルゲイン課税復活への決意を語った。

しかし、一連の動きが報じられるやいなや、台湾の株式市場では株価の下落が生じ、政府は強い圧力にさらされることとなった。折しもヨーロッパの信用不安と景気低迷に端を発する株式市場の低迷が深刻化していたタイミングの悪さもあって、株価指数の月平均値は、3月の8020ポイントから5月には7357ポイントへと低下した。

産業界もまた、キャピタルゲイン課税再開を阻止すべく、国民党に対して露骨に圧力をかけた。5月末には全国工業総会、工業協進会等の業界団体の代表者らが王金平・立法院長を訪れ、「2014年の選挙(5大市長等の大型地方選挙)で負けてもいいのか」と発言した。

このような動きのなかで、5月28日には国民党の立法委員団が新たな提案をとりまとめた。国民党案のポイントは、「株価指数が8,500ポイント以上の場合には株価の0.02%、9,500ポイント以上の場合には0.04%、10,500ポイント以上の場合には0.06%を課税として徴収する」というキャピタルゲイン推認課税方式(設算所得方式)か、「収入マイナス費用に対して5-40%を課税する」キャピタルゲイン申告方式(核実課税方式)2のいずれかの方式を選択する「ダブルトラック制(双軌制)」にある。この制度のもとでは、投資家は、株価指数が8,500ポイント以上になったときにのみ課税負担が求められるうえ、課税負担も低く、キャピタルゲインの算定をめぐる煩雑な手続きを避けられる前者の方式を選択すると考えられる。これは、行政院案よりも課税負担が小さい案である。国民党団がこの案を取りまとめた翌29日、劉憶如はこの案を強く批判し、「理念が合わない」と述べて財政部長を辞職した。

このような状況のなか、5月31日の夜には、陳冲・行政院長が自ら調停に乗り出して、国民党立法委員団と行政院案の折衷案である「行政院・国民党団コンセンサス版」を取りまとめた。その骨子は、国民党案で提起されたダブルトラック制度をベースとしつつ、(1) 所有比率3%以上の大株主、株式取引からの所得を除いて年間所得が500万元以上の高額所得者層については、キャピタルゲイン推認課税方式(設算所得方式)の適用を認めず、キャピタルゲイン申告方式(核実課税方式)を適用すること、(2) 2017年以降はダブルトラック制を廃止し、小口投資家への課税は免除して、大口投資家への課税のみとすること、というものであった。これは、零細投資家については実質的にキャピタルゲイン課税を大幅に軽減、続いて免除するとともに、大株主や高所得者への課税を行う点で「負担能力に応じた課税」原則にある程度配慮したものである。行政院の提案と国民党版の提案を足して二で割ったような、折衷的なものである。

ところが、6月4日の立法院財政委員会の場で、状況は再度、大きく方向を変えることとなった。国民党が「行政院・国民党団コンセンサス版」に代わって急遽、新たな提案を持ち出したのである。この新たな案では、「持ち株比率3%以上、年間所得500万元以上の者」を推認方式の適用除外対象とする方針は取り下げられ、2015年以降「1年の売却額が10億元以上」の場合のみ課税することとなった。高額所得者の範囲が著しく狭められている。詳細は不明であるが、馬総統が、今期国会の最大の懸案事項である添加物入り米国産牛肉の輸入問題に注力するため、キャピタルゲイン課税の内容については党内の反対の声に配慮して妥協することを選択したことが背景にあるようである。

結局、この日は、本命である国民党修正版と、行政院提案、野党による提案を含む5つの修正案が財政委員会から本会議へと送付され、立法院長の下で与野党間協議に付されることとなった。当初は財政委員会で徹底抗戦する構えをとっていた野党・民進党も、キャピタルゲイン課税の行方が不透明になることで証券市場の混迷が深まることを懸念して、攻防戦を本会議へと先送りする方針に転じた。

その後、立法院では、6月第3週に添加物入り米国産牛肉輸入解禁問題をめぐって野党議員が議場を占拠する事態が続き、状況を打破できないまま休会に入った。これに伴い、当初は6月中にも立法院を通過する可能性が見込まれた証券キャピタルゲイン課税法案は、 7月の臨時会期に持ち越されることとなった。

2. 理念が「骨抜き」された背景
このように本稿脱稿の時点では、証券キャピタルゲイン課税問題の行方は不透明である。しかし、これまでの経緯を踏まえれば、国民党版の提案が最終的に立法化される可能性が高いとみてよいであろう。

かりにこれが現実となれば、長年の課題であった個人投資家の証券キャピタルゲインへの課税をとにもかくにも再開できるという点で、馬政権は最低限の面目を保つことができるであろう。しかし、当初の理念であった租税上の「公平正義」の実現という点からみると、国民党案が「負担能力に応じた課税」という理念を骨抜きにしてしまったものであることは否めない。また、かねてより台湾の証券市場では名義借りの横行が指摘されており、新たに課税対象となる大口の投資家にしても、様々な手段を用いて税金逃れをするであろうことが指摘されている。市場心理を冷え込ませた割に、税収効果という点でも公平性の実現という点でも得るところの小さい帰結となる可能性が高い。

今回の証券キャピタルゲイン税の課税再開の成否は、第二期馬政権による税制改革の行方を占う試金石でもあった。それがなぜこのような「腰砕け」的展開となってしまったのだろうか。事態がいまだ流動的な現時点でこれを十分に論じることは難しいが、さしあたり以下の点を指摘したい。

まず、馬政権が、反対を押し切って証券キャピタルゲイン課税の復活を行うだけの政治的な凝集力が作り出せなかったことが指摘できよう。佐藤[2010]が指摘したように、租税政策をめぐる政治過程では、台湾政治の主軸である藍(国民党を中心とする政治陣営)対 緑(民進党を中心とする政治陣営)という対抗の図式とは異なる力学が働くことが多い。キャピタルゲイン課税再開問題についてもこれは同様であった。国民党のなかでも課税の是非や課税方式をめぐって意見は分かれ、多数の提案が林立する混迷状況となった。

財界の影響力の強さというこれまでの租税改革の過程で繰り返し露わになった要因も指摘できる。加えて、改革の試みが株式市場の反応に翻弄され、制約されることとなったことも大きかった。例えば産業高度化促進条例の廃止をめぐる議論の際には、減免税措置の継続を求めるハイテク業界や経済部の声に対して、「高収益を挙げている企業の多いハイテク産業が減免税措置を受けるのはおかしい」という声がある程度の凝集力を持った。

しかしキャピタルゲイン課税についてはそのような凝集力が創り出せなかった。

3月の中国時報による民意調査の結果をみると、5割近くの人が現行の税制を不公平であると考えており、6割が証券キャピタルゲイン課税の復活、7割が実際の価格による不動産取引所得への課税を支持していたという(『中国時報』2012年3月14日)。有権者の多くは、株取引によって儲けを得た人が納税するのは当然であると考えているのである。だが、台湾では、勤め人や主婦、高齢者等にも株式投資が広く浸透している。そのため、キャピタルゲイン課税再開の動きが、他のマイナス材料ともあいまって株価の大幅な下落を引き起こしたことは、企業部門に打撃をもたらしたのみならず、庶民の懐事情にも少なからず影響することとなった。野党側も、市場の拒否反応に戸惑い、その安定化に配慮するという立場をとることとなった。キャピタルゲイン課税への努力は、財政学者出身で税制改革推進派の国民党の立法委員・曽巨威が嘆いたように「市場の力によって身動きをとれなくされてしまった」のである。

劉憶如の後任の財政部長となった張盛和は、証券キャピタルゲイン課税の再開について「公平であればあるほど市場への衝撃が大きく、公平性が低いほど市場への衝撃は小さい。取捨選択の問題だ」と述べている。その意味するところは、今回の選択が、市場への衝撃の小ささを優先して、公平さの実現を棚上げするものであったということである。

以上でみたように、今回のキャピタルゲイン課税案をめぐる紆余曲折は、1988年のキャピタルゲイン課税再開の試みを挫折せしめたのと同様に、市場圧力による改革実行への制約という構図を反映したものであるといえるだろう。政府はキャピタルゲイン課税について「まず制度を導入してから改善していく」と述べているが、市場の反応に配慮し続ける限り、改革の実現可能性は今回と同様に大きく制約されつづけるものと考えられる。

台湾における租税の公平性の実現と所得格差の是正という視点からいえば、改革の真の本丸は不動産関連の租税制度の改革である3(賀[2012b])。具体的には、実際の取引価格に基づく不動産取引所得税の課税が課題となっている。証券取引によるキャピタルゲインが不確実性の高いものであるのに対して、台湾における不動産価格はほぼ一貫して右肩上がりで上昇してきており、しかもその価格上昇にはインフラ整備等の社会資源の投入が反映されている。だが、不動産業は与野党に共通する最大の献金源であり、改革の難易度は格段に高い(頼[2012])。

今回のキャピタルゲイン課税をめぐる紆余曲折が、本丸に向けて力を温存するための一時的な妥協策なのか。それとも、入り口でつまずいた馬政権にとって、さらなる改革へのハードルは一段と高くなったとみるべきなのか。「均富」を掲げ、「公平正義」を目指すという第二期・馬政権がこの困難な課題にどの程度本気で取り組むのか、注目される。 

(2012年6月28日脱稿)




参考文献
佐藤幸人[2010]「ポスト民主化期における租税の政治経済学」若林正丈編『ポスト民主化期の台湾政治—陳水扁政権の8年』アジア経済研究所研究双書。
賀先蕙[2012a]「你繳的税比炒房大戸多!」『商業周刊』1282期,pp.120-124。
賀先蕙[2012b]「房價八年漲一倍 税収占比卻縮水」『商業周刊』1282期,pp.126-128。
頼寧寧[2012]「證所税没了 不動産公益税別失守」『商業周刊』1280期,pp.52-54。




  1. 例えば2000年代に入ってからも、土地キャピタルゲイン税の減税措置や相続税率の引き下げといった政策が採られた。その影響については賀[2012a]が参考になる。
  2. 「キャピタルゲイン推認課税方式」(設算所得方式)、「キャピタルゲイン申告方式」(核実課税)はいずれも筆者による仮訳である。
  3. 固定資産税が低く不動産の所有コストが低いことも、近年、台北等の都市部で特に過熱している不動産投機の背景要因ともなっている。


本稿の内容及び意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。